国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

うっそうと生い茂る森の中には魔に呼び込む妖魔たちが暮らしている

2011年04月30日 | マスターの独り言(ジャズ以外音楽)
「密林」の商品を僕は自宅に送ってもらわない。
近くのコンビニに配送をしてもらい、受け取りに行っている。
店員たちと顔見知りになっていき、(う~ん、面がかなり割れてるなぁ)と思うのだが、
自重しないため、過度なコンビニ通いになってしまう。

そのコンビニにフジロックのポスターが貼られるようになった。
言わずと知れた毎年夏の苗場で行うロックの、というか音楽の祭典である。
昨年初めて参加したのだが、音楽がどうだ、こうだというのではない。
自然の中に身を投じて、ひたすらに疲れながら聴く音楽は
自虐的行為でありながらも、日常では得られないスピリチュアルな体験である。

特にレディオヘッドのヴォーカリスト、トム・ヨークの
アトムズ・フォー・ピースの演奏がかなり僕の記憶に深く刻み込まれている。
2時間近くの時間は、それこそ束の間の夢の如く
一足飛びに終わってしまったかのように思われる。
未だに親友のガナさんとはあの時の貴重な体験を話すのだが、
同じ場所で、同じように音楽を聴くということは家ではできないことだ。
それがあるからジャズ喫茶なども貴重な場所になるのだろう。

今、僕はレディオヘッドの新しいアルバム『ザ・キング・オブ・リムス』を聴いている。
レディオヘッドは好き嫌いが分かれるバンドだと思う。
僕だって決して日常的に聴こうとは思わない。
それでも惹かれるのは、このバンドは止まろうとしないからだ。
一定のラインに達したらその場で安穏とすることだってできる。
それでも先へと向かおうとする音が常に新しいアルバムにある。

このアルバムのブックレットにはたくさんの珍妙な生物たちが描かれている。
木々に宿る生き物たちだと言われるが、
僕にはあの苗場の夜半にうごめきだしたエネルギー態のようにも思える。
ひたすらに低音でゴリゴリと責めてくる演奏と
トムのどことなく鬱々とした歌声は
魔でありながらも知らぬうちに我が身を縛っていくかのようだ。

確かに今までのように全てを覆い尽くそうとするアルバムではない。
『OKコンピューター』や『キッドA』のように
サウンドがめちゃくちゃに凝っているわけでもない。
だが、アルバムとしてバンドとして安定したエネルギーが溢れている。

うっそうとした森の向こうには何があるのだろうか?

機械には愛情を持って、でも時に厳しく目に接することも必要だ。

2011年04月29日 | 僕のジャズ歴史物語
名盤というのは買おうと思った時が買い時で、
それまでに目についても「まぁ、後があるから…」と
とりあえずその場で他の珍しい物を探してしまうものである。

『ジョン・コルトレーン・アンド・ジョニー・ハートマン』は、
コルトレーンファンでなくとも知れた盤である。
インパルスのいわゆる「ドル盤」であり、
誰にとっても「聴きやすい」というだけでなく、音もそれなりに良いという。
度々安価盤で出たりもしているし、中古屋でも何故か(!)見かけるし、
「まぁ、その時でも来れば…」と思って、ずっとそのままだった。

ところが先日、お茶の水の駅前のディスク・ユニオンに行った時に
スーパー・オーディオ・CD盤を見つけた。
今までならば「音質なんて大して違わないだろう」と思っていただろう。
だがいつしかオーディオこだわり病が出てきたこともあり、
また、CDの盤によっても微妙ながらも(時に強烈に)音が違うことが
分かってくるとこれは避けては通れない。

「世紀の名盤を向上した音質で聴いたら…」
そう思うと同時にすでに手が伸びていた。
購入して、道を歩いている時はたと気づいた。
「そういえば家のCDプレイヤーは…」
そう、スーパー・オーディオ・CD機能はついているのだが、
何故か入れても「NO DISK」と表示されてしまうのだ。
これは中古商品をきちんと確認しなかった僕の落ち度であり、
「音質」にこだわってこなかったため「特に気にしなくてもいいだろう」という
楽観的な考えのもたらした結果である。

案の定、家でCDを入れても反応しない。
通常であれば機能が作動しなくても、CDで読み込むはずなのにそれさえもない。
普通以上に厄介な状況になっている。
ちょっと手を変え、品を変え挑戦をしてみたが、どうにもダメのようだ。
預金通帳とCDプレイヤーとのカタログが必要かと思いながらも
あきらめるしかなかった。

今日になってふとCDプレイヤーの頭を叩いてみた。
16連射の高橋名人のように細やかにトレイの真上を5,6回。
「ギューン」と普段はしない音でCDを読み込む。
ふぁ~んとしたジョニー・ハートマンの柔らかく包み込むような声が
スピーカーから勢いよく飛び出してきた。
「おおっ」と思い、他でも確認してみると読み込める。

「古いテレビは斜め45度を叩くと良い」という格言があるかないかは知らないが、
おばあちゃんの水平チョップのように機械に適度の刺激があると動くものなのだ。
おかげで預金通帳の出番は持ち越しになった。

大切なのはその場のノリ!

2011年04月27日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
一時期、占星術にはまったことがある。
島田荘司の小説『占星術殺人事件』が発端であったのだが、
その実はうら若きころの心の痛みから逃れるためでもあった。
まぁ、それはともかくとして
「ピタリと当ててみせます」とまで言えるまで
その興味が続かなかったのはかなり難しかったからである。

占星術は、結局色々な計算が入ってくる。
単純にカードを引いて「はいっ」と結果が出てくればいいのだが、
生まれた月日から日時、しかもその分析に到るまで
かなりの手間がかかる。
加えて誰も僕が占星術をやっていることも知らなかったため
「占って欲しい」とも言われること無く、ただの自己満足で終わってしまったわけだ。

占星術は英語で「ホロスコープ」という。
ならば「ホレス・スコープ」とすれば
「ダジャレになるじゃないか」と膝を打ったのは誰だろう。
ジャケットに描かれた手には5人のメンバーの名前がそれっぽく手相のように並ぶ。
ブルー・ミッチェル(トランペット)、ジュニア・クック(テナーサックス)
ホレス・シルバー(ピアノ)
ジョーン・テイラー(ベース)、そしてロイ・ブルックス(ドラム)である。
その周りを12星座が囲んでいて、まさに「占星術」だ。

「ホレス・シルバーを聴いてますよ」なんて人とはほとんど出会わない。
ジャズを知らない人にホレス・シルバーの名前を言ったところで
分からないのは当然なのかもしれない。
だがそれはかなり損をしている。
ホレスのコロコロと転がるピアノの音は、普通の音楽とジャズとの違いを教えてくれる。
軽いタッチとノリの良さが、何といっても聴きどころだろう。
ジャズを聴くならこんな心地よさに身を預けなければ勿体ない。

中でもジャズの庇護者、ニカ夫人に捧げた「ニカの夢」では、
ブルー・ミッチェルもかなり格好良く切り込んでいる。
この人の勢いの良さと練り込まれたノリやリズムは、
ハード・バップには欠かせない一員であることを伝えている。

曲がタイトルとつながっているわけではない。
大事なのはその場のノリなのだ。

コッテリ系ジャズの注文はいかが?

2011年04月26日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
最近、年のせいかコッテリとした
とんこつラーメンが最後まで楽しんで食べられない。
それこそ空腹なときは勢い込んで頼むのだが、
食べているとだんだんそのしつこさがイヤになってくる。
昔はそれこそスープまで美味しくいただけたのが、
どうにも完食することが辛いのだ。

そういえばここ数日、ジャズらしくコッテリとしたものを聴いていない。
ついついあっさりとしたピアノ系とか他のジャンルとかになってしまい
「ジャズと言えば!」と思えるようなものを聴いていないのだ。

そこで先日買ったばかりのアルバムを取り出してみた。
ホレス・パーランの『アップ&ダウン』
ホレス・パーランというところでまずそのピアノがコッテリと
絞り出すエキスのように粘りっこいことが想像つくだろう。
加えてベースのジョージ・タッカーとドラムのアル・ヘアウッドが組んでいる。
それだけで十分に満足できる組み合わせなのだが、
そこにテナーのブッカー・アーヴィンとギターのグラント・グリーンがいるのだから
これは自ずと「コッテリ」系に属するだろう。

アーヴィンのテナーは音がつながり押しつぶしたように吹くのだが、
逆にそれがやみつきになるような心地よさがある。
グリーンは軽やかでありながらも、芯が硬いギターを聴かせてくれる。
何よりもジョージ・タッカーのベースが力強く、
6人集まっていても存在が浮かび上がってくる。

パーランはとても身体に障害を持っていたと思えないほど
リズミカルに、しかもエネルギー溢れた演奏をする。
それを「泥臭い」などと言ったりもするが、
「もうこんな感じがジャズじゃない?」って言えるほど
バッチリのハードバップを聴くことができる。

こちらのコッテリはいつの間ズルズルっと耳の中に吸い込まれていき、
胃にも優しいから、安心してご賞味ください。