国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

星の間を踊るように

2010年05月30日 | マスターの独り言(曲のこと)
僕はバリバリ「エヴァ」世代である。
「エヴァ」とは「新世紀エヴァンゲリオン」のことである。
ちょうど高校生の時に本放送があり、
残念ながら最初の放送は見逃したが、すぐに再放送で追いつき、
翌年の春に公開予定だった劇場版のチケットを買いに
早朝から友達と池袋の映画館前に並んだこともある。(結局買えなかったが)

その「エヴァ」が、この頃再び注目されている。
静かにブームは続いていたのか
それともパチンコの大ヒットが原因なのか分からないが、
とにかくリメイク版で映画がコンスタントに上映されている。
昨年の夏に急に年上の同僚から
「今日、奥さんとエヴァ観に行くんだ」と言われたときはびっくりしてしまった。
なるほど、そこまで浸透してきたとは…

ここ数日、「密林」では、その劇場版のブルーレイ発売宣伝が光っている。
確かに僕にとってエヴァは1つの道を示してくれたが、
あまりにも重いテーマでそう易々と手に取れない。
だから新しい劇場版も観ていない。
僕にはあの衝撃の劇場版で一端ケリのついた話なのだ。

でも、気にはなる。
ユーチューブで劇場版の予告編を観ていると何だか気持ちが落ち着かない。
ふっと、宇多田ヒカルの歌う「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」が聞こえる。
何故、ジャズスタンダードがエヴァのエンディングだったのか?
懐かしさと単純ながらも胸浮かれるような美しいメロディーにしばし思いを馳せる。

それからロイ・ヘインズの『アウト・オブ・ジ・アフタヌーン』を取り出す。
2曲目にその曲はある。
メロディーを吹くのはローランド・カークである。
遙かなる月の上でダンスを踊るように、カークのサックスは変幻自在に飛び回る。
テナーからマンゼロへと変わり、時折ユニゾンを作り、
そのバックではロイ・ヘインズがメリハリのあるリズムを叩き出す。
ピアノがトミー・フラナガンとくれば、そのソロは格別だ。
右手からは柔らかくも流れるようなメロディーが創り出される。

う~ん、こうしているともう一度「エヴァ」が観たくなってくるなぁ。

そこに天使たちが舞い降りた

2010年05月29日 | マスターの独り言(ジャズ以外音楽)
ただ今世界卓球が静かにお茶の間をにぎわせているが、僕は中学校時代卓球部だった。
高校へ行って卓球をやるわけでもなく、
何故かつぶれかけたコーラス部に入部することになった。
女子4人名に男子、僕を含めて2名。
あまりにもお粗末であまりにも小規模な部活であり、
漫画にでもありそうな立て直しからはほど遠い活動だった。
まぁ、そんなことは今日の話のただの枕にしか過ぎないのだが…

声の力というのは凄まじいものを持っている。
1人でも相手を圧倒するオペラ歌手がいるならば、
何人かで紡ぎ出すハーモニーの美しいグループもある。
ママス&パパス『夢のカリフォルニア』が今日の1枚だ。

正式なタイトルは
『イフ・ユウ・キャン・ビリーブ・ユア・イアーズ・アンド・イアーズ』であり、
プロデューサーのルー・アドラーが、彼らを聴いたときの驚きを
そのままタイトルにしたものだとされている。
メンバーは4人。
ジョン・フィリップスとデニー・ドハーティー
ミシェル・フィリップスとキャス・エリオット
作詞、作曲はジョンが担当しながらも、実質の音楽リーダーはドハーティーであった。
ミシェルは元モデルであり、キャスは女優を目指していたという
音楽をやるには随分と毛色が変わった人たちの集まりであったが、
逆にそれが良かったのかもしれない。

彼らのハーモニーは、まさに「天使が舞い降りた」という言葉に相応しく
たっぷりのコーヒーにミルクの美しい波紋が広がるかのような余韻を与えてくれる。
名曲となった「夢のカリフォニア」では、
明るいであろうはずのカリフォルニアなのに、
一抹の不安を醸し出すかのような仕上がりとなっている。
それは力強さの溢れるコーラスと新しいサウンド(編曲がP.F.スローン)の
絶妙な融合あるのだろう。(それ以外にも曰くもついているのだが…)
かと思えば「マンデー・マンデー」や「ガット・ア・フィーリン」のように
柔らかく包み込むようなコーラス曲もある。

実質の活動期間は3年間。
それぞれが夢見たカリフォルニアはどんなものだったのだろうか?
そう言えば、この4名。
このアルバムを作る前にヴァージン諸島で簡単な合宿をして
自分たちの音を追求していた。
僕たちも高校時代に合宿ぐらいはしておけば良かったのかもしれない…

あぁ、温い

2010年05月27日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
「癒されたいなぁ~」と思うと
ついついピアノトリオを手にとってしまう人は多いのではないか?
確かに美しいメロディーラインは僕たちの心を打つし、
仕事に疲れた身体にポロポロとこぼれ落ちるようなピアノの音や
シュッシュとブラシがシンバルの上を擦る音を聴くと
「何だかいいなぁ~」と思う(静かな夜ならなおさらだ!)

だが、毎夜毎夜ピアノトリオばかりというのも面白味に欠ける。
せっかくジャズを聴いているのだ。
ジャズにしかない「癒し」体験というものもあるはずだ。
身体中を巡る血潮が熱くなるようなリズムや
明朗快活でぐーんと伸びていくベースの音。
そしてミュージシャンの個性が表れやすいリード楽器。
そこにこそジャズの面白さがあるだろう。

そこで刺激的だが、でも温かみのあるアルバムをお薦めしよう。
ズート・シムズの『イフ・アイム・ラッキー』だ。
ウエストコーストのジャズミュージシャンであり、
白人でもあるズートのテナーはほっこりと温かい。
どのアルバムを聴いてもそのテナーの響きは包み込むような丸みをもち、
かつきっちりとメリハリがある。

特にこのアルバムのズートはクセになるほど朗々と吹いている。
余りにリラックスをしているのが伝わってくるため、
こっちも肩の力が自然と抜け、ただその心地よいテナーの音色に酔ってしまうばかりだ。
しかしそのソロは生き生きとしていて、変幻自在に空間を飛び回る。
ワンホーンであるからズートのテナーに照準を絞れば、
ゆったりとも聴けるし、聴くたびに新たな発見が生まれてもくる。
一度で二度も三度も美味しいアルバムなのだ。
A面、B面どちらでもその調子だから
どちらから聴こうかといつも迷ってしまう。

と、ズートは大酒飲みであったんだ。
火照る身体でテナーをくわえているからこれほどまでに温いのか?

オルガンジャズは何故日本で流行らないのか?

2010年05月26日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
オルガンと言えば、小学校の各教室に置いてあった代物である。
足踏みオルガンが一般的であり、
小学校の時はよくピアノが弾ける子が、
その「ぶぁ~ん」としたオルガンで伴奏をつけて歌った記憶が誰にしろあるだろう。

ジャズのオルガンは僕らの知っている足踏みオルガンとは違う。
古いはずの演奏なのに、どことなくエレクトリックなサウンドを持ち、
ネットリと耳の残る響きは、まさに「黒い音」だ。

過去、ブルーノートの売り上げを支えていたのが
ジミー・スミスというオルガン奏者だったのだから
時代が今とは違ったものを求めていたことが分かる。

今日の1枚はそんなジミー・スミスの未収録作品『クール・ブルース』である。
脇を固めるのは、ルー・ドナルドソンにティナ・ブルックス、
アート・ブレイキーとくればただの未収録作品集ではないことが分かるだろう。
ときおりこのようにブルーノートは
水準以上の作品を倉庫で眠らせてしまう。
不思議だ。

さて、5曲目のタイトル曲から聴いてみれば
「あぁ、これがジャズだ」と言えるほどの音に包まれる。
アーシーでグルーブ感に溢れるジミーのオルガンは
多色に彩られるような音を響かせ、軽快にリズムとメロディーを刻む。
ライブだから尚のこと燃える演奏で、タイトル通りのクールな演奏とはほど遠い。
だが、だからこそジミーのオルガンはジャズらしいと言うことができるのかもしれない。

サイドも最高の布陣だ。
特にギターのエディー・マクファディンとの絡みは、
今のサックスやピアノといった主流の楽器とは違う泥臭さがある。
これこそがジャズにしか求めることができないものなのだ。

日本ではアメリカほどオルガンジャズが流行らなかった。
なぜだかは分からない。
やっぱり教室に置かれていたオルガンが頭の中を過ぎるからだろうか?