Toshizoh's Bar

大阪を愛する編集者トシゾーのほろ酔いメッセージ。

物部の聖地に立つ

2008-05-17 21:57:38 | Weblog
鳥越憲三郎『弥生の王国』より、矢田座久志玉比古神社は、物部氏の産土神であるという。祭神は物部氏の祖と言われているニギハヤヒノミコトである。
JRの郡山で降りてひたすら西を目指して歩いたのだった。
郡山の中心市街は古くてさびれて情緒があって、なかなかだったのだ。またゆっくり来よう。
で、高専までいくとかなり田舎っぽくなって歩きやすくなったなと思っていると、高専のグラウンドに第2次大戦で使った艦上爆撃機のようなやつがでーんと置いてあった。で、ずんずん歩いて生駒山脈の東にある山地の中腹にその神社はあった。
伊勢神宮に相当する神社であったはずなのだが、悲しいほどにさびれている。
物部は、神武東遷より先に畿内に上陸した九州弥生だとは思うが、廃仏派として蘇我氏と争ったというのがどうも引っかかる。
韓国から来た渡来人なら、廃仏派になるわけないでしょ? しかも、一族の興亡をかけて戦争してるんだから。
で、南生駒を目指して歩いていると、「邪馬台国」かも知れん地の、異様に立派な碑がたっていた。おいおい、先走りしすぎだって。邪馬台国は九州なの。
以前も書いたが、藤井寺・羽曳野の河内王朝の遺跡をきちんと発掘調査しないと、たいへんなミスを犯すことになる、であろう、とは言わない。そのミスは補いきれない禍根を残すものになる。マンションを建てている場合ではないぜよ。
奈良は河内のコピーであり、河内・奈良は九州のコピーであった部分が多いのだ、たぶん。
猛烈に、九州の「三輪」に行きたい。

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