Toshizoh's Bar

大阪を愛する編集者トシゾーのほろ酔いメッセージ。

和をもって貴しとなす、異説

2013-09-25 13:56:43 | Weblog
じいさんの墓が聖徳太子なる人の古墳のお膝元にあるため、墓参りのたびに、聖徳太子について考えてしまう。

斑鳩の宮とか法隆寺の夢殿とか、ほとんど信じていない。いろんな人物を合成して作り上げたものだろう。

叡福時に眠る人は河内王朝がらみで、金剛山にゆかりのある人ではないか。

さて、聖徳太子といえば、「和をもって貴しとなす」という名文である。この言葉が、昔から引っかかっていた。かっこよすぎるのである。あまりに、進歩てきで、唐突で、だれにも受け継がれていない。

そこで、現状の仮説。正しくは「倭をもって貴しとなす」ではなかったか。和は倭でありやまと、なのだ。卑弥呼の倭とトヨの倭が一つになり、大倭(大和)のできたときに、倭人がこの国の支配階級であるとした宣言ではないか。

古来、日本は「倭のやまと」と呼ばれ、倭と書いてやまと、と読んだのだろう。倭の字は和にかわっても、大和と書いてやまと、と読む読み方で今に残っている。

非常に反感を買うだろうが、聖徳太子に栄光を横取りされた真の英雄を探し出すためには、避けて通れないのだ。