皆さん
話は益々ややこしくなってきますが、お付き合いのほどを。
明恵上人は、華厳宗の中興の祖とされている。
上人の思想は華厳に限定されるものではなく、より広い立場であったと思われる。
上人は若いころ文覚上人を師としていて、神護寺に居たことも
ある事から、真言宗の影響も受けていて「厳密一如」を唱えてもいる。
しかし、中核となるのは華厳の教えであり、
私もその基本となる「華厳経」を覗いてみる事にした。
結果としては、「華厳経」の周りを散策したに過ぎない事になったが。
参考資料(番号は考察(1)からの通し番号)
⑧ 江部鴨村 訳 『口語全訳 華厳経』 全2巻 図書刊行会
⑨ 中村元編『大乗仏典』筑摩書房 1974年発行
⑩ 木村清孝著 『華厳経』筑摩書房 1991年発行
⑪ 高 銀著 三枝壽勝訳 『華厳経』御茶ノ水書房 1995年4発行
⑫ 大角 修著 『善財童子の旅』現代語訳「華厳経・入法界品」
春秋社 2014年発行
1.華厳経とは(ウィキペディアより。一部私による編集・追記あり)
『華厳経』(けごんぎょう)、正式名称『大方広仏華厳経』は、初期大乗仏教経典の1つ。
華厳経は、インドで伝えられてきた様々な経典が、3世紀頃に中央アジア(西域)でまとめられたものである。
華厳経全体のサンスクリット語原典は未発見であるが、「十地品」「入法界品」などは独立したサンスクリット
経典があり現代語訳されている。
漢訳完本として、東晋の東晉天竺三藏佛馱跋陀羅 訳(418 - 420年)(『大方廣佛華嚴經』60巻(六十華厳)、
旧訳または晋経、大正蔵278)34品から成る。尚、品(ボン)は、「章」と同じ意味。
唐の于闐國三藏實叉難陀 訳(695 - 699年)(『大方廣佛華嚴經』80巻(八十華厳)、新訳または唐経、
大正蔵279)
がある。
智の見解では、この経典は釈迦の悟りの内容を示しているといい、「ヴァイローチャナ・ブッダ」という仏が
本尊として示されている。「ヴァイローチャナ・ブッダ」を、「太陽の輝きの仏」と訳し、「毘盧舎那仏」と
音写される。毘盧舎那仏は、真言宗の本尊たる大日如来と同一の仏である。
華厳経にも、如来蔵思想につながる発想が展開されている。
陽光である毘盧舎那仏の智彗の光は、すべての衆生を照らして衆生は光に満ち、同時に毘盧舎那仏の宇宙は衆生
で満たされている。これを「一即一切・一切即一」とあらわし、「あらゆるものは無縁の関係性(縁)によって
成り立っている」ことで、これを法界縁起と呼ぶ。
「六十華厳」の中で特に重要なのは、最も古層に属する「十地品」と「入法界品」の章とされている。
「十地品」には、菩薩が踏み行なうべき十段階の修行が示されていて、そのうち六番目までは自利の修行が説かれ、七 番目から十番目までが利他行が説かれている。
「入法界品」には、善財童子(ぜんざいどうじ)という少年が、人生を知り尽くした53人の人々を訪ねて、悟りへの 道を追究する物語が述べられている。
2.現代語訳「華厳経」
華厳経の全文を現代語に訳されたものとては、
⑧江部鴨村 (翻訳) 口語全訳 華厳経 全2巻 図書刊行会発行
が唯一に近いものらしいが、横浜市立図書館には無い。
しかし、アマゾンには有って、¥ 47,185 。
一般性と価格を勘案して、図書館の選定基準に合わなかったのだろう。
十数年前なら、国会図書館に通って通読するところだと思うが、今の私にはもはやその元気は無い。
そのカストマー・レビューによると
『大正時代に発刊された華厳経の全訳を復刊したもの。他に類例がないと思う。なにしろ上巻1141ページ、
下巻1223ページの大作。よくこなれた訳文だが、旧字旧かなである。覚悟して読まねばならぬ。
六十華厳をベースに八十華厳も参照しながら訳したという。
そのような人はまずいないと思うが、いきなり読むのは得策ではない。はじめに参考書を読んでから取り組んだ
ほうがいい。私のお勧めは竹村牧夫「華厳とは何か」、玉城康四郎「華厳入門」は最低読んでおいたらよいと
思う。それにしてもこれほど大部で難解な経典の翻訳者には本当に頭が下がる。』
それで何とか、⑨、⑩を見付け、図書館から借りて読みこなすのに悪戦苦闘した。
⑨には、「維摩経」、「法華経」、などと共に「華厳経」も収められている。
但し、⑨に入っている華厳経は、第一章から第21章までの抄訳で、上記の第22章「十地品」や
第34章「入法界品」が抜けている。
⑩には、それら二つの抄訳が入って、さらに第七章「浄行品」の全訳が入っている。
それと⑨の対応するところを比べてみると、⑨の抄による圧縮は極めて大きい事が分かる。
ここで私は、⑩から「入法界品」を選び、私なりの更なる圧縮を試みる事にした。
その圧縮の方法は、行単位で説明がクドイと思われるところを片っ端から削除するという荒いもので、
約800行を126行と16%程度にまで圧縮したのである。
こんな事は著者が知ったら何たる暴挙かとお怒りになるやも知れず、内緒にしておきたい代物ではある。
その中で、私は善財童子の旅立ちまでと、最後に悟りの境地に至った部分を抽出、善財童子が訪れる53
の善知識については、⑩では4善知識を抄訳しているが、私は最後の弥勒菩薩を除いてすべて省略した。
(後述するが、その中で瞿波(ゴーパー)については⑫からの文章をpdf化)
『入法界品抄.pdf』
上記下線をクリックすればご覧頂ける。多分皆さんには読み難いものだろうが、興味のある方は覗いて見られたい。
3.高 銀著『華厳経』
何ヶ月か前のNHK「心の時代」で「華厳経」の連続(5回?)シリーズを放送していたが、その最後の回に、
⑪ 高 銀著 三枝壽勝訳 『華厳経』御茶ノ水書房
の紹介があり、興味を持ったので、早速図書館から取り寄せた。
この本は、韓国の作家である高銀が善財童子の旅を主題として、ほぼ「入法界品」に沿っているが、
新しい登場人物なども加えて、著者の考える華厳の世界を表現したものである。
しかし、この本は大判575頁で且つ文章が非常に読み難く完読には努力が要った。それは訳者の三枝氏も
言っているが、高銀の文は「非文」であると言われたこともあるのだそうだ。
この最後の3頁ばかりをコピーした。下記下線をクリックされたい。
『高銀・華厳経』
高銀は、日本では殆ど知られていない作家だと思うが、韓国ではノーベル賞の声もあるのだそうだ。
私自身、韓国の文学には全く興味を持っていなかったが、これを読んで、こんな本格的な作家が
居たことに驚いた。今日本でノーベル賞の声が高い作家と比べて、はるかに重いテーマに真っ向から
取り組んでいる。
添付した文章の最後の頁に記されている瞿波(ゴーパー)という女性については、この本の中では記述が殆ど
見当たらないので、⑫の中からゴーパーに関する部分をコピーした。下記下線をクリックされたい。
『大角・善財童子の旅』
「華厳経」の表現は繰り返しに近い表現が多く、私の圧縮した『入法界品抄.pdf』でもまだ、冗長感は
残っていると思う。⑫で大角氏が行ったものは、さらに徹底した圧縮ぶりで「華厳経」全文を意訳したもの
である。
4.纏め
私は今回、全くの自己流ではあるが、本作業を通じて「華厳経」の何たるか、おぼろげではあるが、理解出来
た満足感らしきものは持てた。
皆さんが、上記添付3ファイルを通読して『華厳経』の香りの一部でもを感ずる事が出来たなら私の試みは
さらに成功と言えるがどうだろうか。自信は全く無いが。
尚、本考察シリーズは、この(3)で取りあえず完了としたい。
話は益々ややこしくなってきますが、お付き合いのほどを。
明恵上人は、華厳宗の中興の祖とされている。
上人の思想は華厳に限定されるものではなく、より広い立場であったと思われる。
上人は若いころ文覚上人を師としていて、神護寺に居たことも
ある事から、真言宗の影響も受けていて「厳密一如」を唱えてもいる。
しかし、中核となるのは華厳の教えであり、
私もその基本となる「華厳経」を覗いてみる事にした。
結果としては、「華厳経」の周りを散策したに過ぎない事になったが。
参考資料(番号は考察(1)からの通し番号)
⑧ 江部鴨村 訳 『口語全訳 華厳経』 全2巻 図書刊行会
⑨ 中村元編『大乗仏典』筑摩書房 1974年発行
⑩ 木村清孝著 『華厳経』筑摩書房 1991年発行
⑪ 高 銀著 三枝壽勝訳 『華厳経』御茶ノ水書房 1995年4発行
⑫ 大角 修著 『善財童子の旅』現代語訳「華厳経・入法界品」
春秋社 2014年発行
1.華厳経とは(ウィキペディアより。一部私による編集・追記あり)
『華厳経』(けごんぎょう)、正式名称『大方広仏華厳経』は、初期大乗仏教経典の1つ。
華厳経は、インドで伝えられてきた様々な経典が、3世紀頃に中央アジア(西域)でまとめられたものである。
華厳経全体のサンスクリット語原典は未発見であるが、「十地品」「入法界品」などは独立したサンスクリット
経典があり現代語訳されている。
漢訳完本として、東晋の東晉天竺三藏佛馱跋陀羅 訳(418 - 420年)(『大方廣佛華嚴經』60巻(六十華厳)、
旧訳または晋経、大正蔵278)34品から成る。尚、品(ボン)は、「章」と同じ意味。
唐の于闐國三藏實叉難陀 訳(695 - 699年)(『大方廣佛華嚴經』80巻(八十華厳)、新訳または唐経、
大正蔵279)
がある。
智の見解では、この経典は釈迦の悟りの内容を示しているといい、「ヴァイローチャナ・ブッダ」という仏が
本尊として示されている。「ヴァイローチャナ・ブッダ」を、「太陽の輝きの仏」と訳し、「毘盧舎那仏」と
音写される。毘盧舎那仏は、真言宗の本尊たる大日如来と同一の仏である。
華厳経にも、如来蔵思想につながる発想が展開されている。
陽光である毘盧舎那仏の智彗の光は、すべての衆生を照らして衆生は光に満ち、同時に毘盧舎那仏の宇宙は衆生
で満たされている。これを「一即一切・一切即一」とあらわし、「あらゆるものは無縁の関係性(縁)によって
成り立っている」ことで、これを法界縁起と呼ぶ。
「六十華厳」の中で特に重要なのは、最も古層に属する「十地品」と「入法界品」の章とされている。
「十地品」には、菩薩が踏み行なうべき十段階の修行が示されていて、そのうち六番目までは自利の修行が説かれ、七 番目から十番目までが利他行が説かれている。
「入法界品」には、善財童子(ぜんざいどうじ)という少年が、人生を知り尽くした53人の人々を訪ねて、悟りへの 道を追究する物語が述べられている。
2.現代語訳「華厳経」
華厳経の全文を現代語に訳されたものとては、
⑧江部鴨村 (翻訳) 口語全訳 華厳経 全2巻 図書刊行会発行
が唯一に近いものらしいが、横浜市立図書館には無い。
しかし、アマゾンには有って、¥ 47,185 。
一般性と価格を勘案して、図書館の選定基準に合わなかったのだろう。
十数年前なら、国会図書館に通って通読するところだと思うが、今の私にはもはやその元気は無い。
そのカストマー・レビューによると
『大正時代に発刊された華厳経の全訳を復刊したもの。他に類例がないと思う。なにしろ上巻1141ページ、
下巻1223ページの大作。よくこなれた訳文だが、旧字旧かなである。覚悟して読まねばならぬ。
六十華厳をベースに八十華厳も参照しながら訳したという。
そのような人はまずいないと思うが、いきなり読むのは得策ではない。はじめに参考書を読んでから取り組んだ
ほうがいい。私のお勧めは竹村牧夫「華厳とは何か」、玉城康四郎「華厳入門」は最低読んでおいたらよいと
思う。それにしてもこれほど大部で難解な経典の翻訳者には本当に頭が下がる。』
それで何とか、⑨、⑩を見付け、図書館から借りて読みこなすのに悪戦苦闘した。
⑨には、「維摩経」、「法華経」、などと共に「華厳経」も収められている。
但し、⑨に入っている華厳経は、第一章から第21章までの抄訳で、上記の第22章「十地品」や
第34章「入法界品」が抜けている。
⑩には、それら二つの抄訳が入って、さらに第七章「浄行品」の全訳が入っている。
それと⑨の対応するところを比べてみると、⑨の抄による圧縮は極めて大きい事が分かる。
ここで私は、⑩から「入法界品」を選び、私なりの更なる圧縮を試みる事にした。
その圧縮の方法は、行単位で説明がクドイと思われるところを片っ端から削除するという荒いもので、
約800行を126行と16%程度にまで圧縮したのである。
こんな事は著者が知ったら何たる暴挙かとお怒りになるやも知れず、内緒にしておきたい代物ではある。
その中で、私は善財童子の旅立ちまでと、最後に悟りの境地に至った部分を抽出、善財童子が訪れる53
の善知識については、⑩では4善知識を抄訳しているが、私は最後の弥勒菩薩を除いてすべて省略した。
(後述するが、その中で瞿波(ゴーパー)については⑫からの文章をpdf化)
『入法界品抄.pdf』
上記下線をクリックすればご覧頂ける。多分皆さんには読み難いものだろうが、興味のある方は覗いて見られたい。
3.高 銀著『華厳経』
何ヶ月か前のNHK「心の時代」で「華厳経」の連続(5回?)シリーズを放送していたが、その最後の回に、
⑪ 高 銀著 三枝壽勝訳 『華厳経』御茶ノ水書房
の紹介があり、興味を持ったので、早速図書館から取り寄せた。
この本は、韓国の作家である高銀が善財童子の旅を主題として、ほぼ「入法界品」に沿っているが、
新しい登場人物なども加えて、著者の考える華厳の世界を表現したものである。
しかし、この本は大判575頁で且つ文章が非常に読み難く完読には努力が要った。それは訳者の三枝氏も
言っているが、高銀の文は「非文」であると言われたこともあるのだそうだ。
この最後の3頁ばかりをコピーした。下記下線をクリックされたい。
『高銀・華厳経』
高銀は、日本では殆ど知られていない作家だと思うが、韓国ではノーベル賞の声もあるのだそうだ。
私自身、韓国の文学には全く興味を持っていなかったが、これを読んで、こんな本格的な作家が
居たことに驚いた。今日本でノーベル賞の声が高い作家と比べて、はるかに重いテーマに真っ向から
取り組んでいる。
添付した文章の最後の頁に記されている瞿波(ゴーパー)という女性については、この本の中では記述が殆ど
見当たらないので、⑫の中からゴーパーに関する部分をコピーした。下記下線をクリックされたい。
『大角・善財童子の旅』
「華厳経」の表現は繰り返しに近い表現が多く、私の圧縮した『入法界品抄.pdf』でもまだ、冗長感は
残っていると思う。⑫で大角氏が行ったものは、さらに徹底した圧縮ぶりで「華厳経」全文を意訳したもの
である。
4.纏め
私は今回、全くの自己流ではあるが、本作業を通じて「華厳経」の何たるか、おぼろげではあるが、理解出来
た満足感らしきものは持てた。
皆さんが、上記添付3ファイルを通読して『華厳経』の香りの一部でもを感ずる事が出来たなら私の試みは
さらに成功と言えるがどうだろうか。自信は全く無いが。
尚、本考察シリーズは、この(3)で取りあえず完了としたい。
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