敏翁のシルバー談義

敏翁の興味のスパンは広いのですが、最近は健康談義から大型TVを含むITと「カラオケ」「珈琲」にシフトしています。

コーヒーの話(1)

2010-08-31 08:55:06 | お酒とコーヒー
 「お酒とコーヒー」という新しいカテゴリーを作りました。
 それらについての他愛も無いおしゃべりですが、お付き合いの
ほどよろしくお願い致します。

 先ず、今回はコーヒーについてです。
 コーヒーについては、皆さんの中にエキスパートやジレッタント
の方々も居られると思いますが、私も最近入門しつつあるので
夏の夜話として、おしゃべりをする事にしたいと思います。
例によってあっちこつちと話しは飛びます。

 いろいろ調べると
 ① 生豆は、数年の保存が利くが、風味を保つのは焙煎後で2週間程度、
   粉に挽いた後は2,3日であるらしい。
 ② これより、風味を充分に味わいたいならば、
   1.粉の袋詰め、や何時焙煎したか不明の豆を挽いたものでは充分ではなく
   2. 受注してから焙煎した豆を郵送してくれる店(ウェブに多々あり)を
     利用して、自分で挽くか
   3. 自分で焙煎から行うしかない
   らしい事が分りました。
 ③ それで3.にする事にし、焙煎機をウェブで探したが、手網(1600円程度)から、
   数万円の自動機まで多々ある。
   私は、手網をガスコンロに翳すのでは、余りに自由度がありすぎると思い、
   コンロの上一定の場所で網を手動で回転させるタイプ(これもウェブにいくつ
   かある)の中で安価なもの(11200円、送料込み)を選びました。
   (アウベルクラフト㈱製)
   それをカセットコンロの上にセットした写真をご覧に入れます。
   (ガスコンロでも使えます)



  上の籠に豆を入れるのですが、写真は入っていません。
  下の網の赤さ/明るさで加熱程度の調節をする事が出来ます。
   この焙煎機には、3種類X50グラムのテスト用生豆が付いていたので
   3,4回テストすれば感じを掴む事が出来ました。
 ④ それで、本番ですが、先ず日本人に最も親しまれている「モカ・マタリ」
   で始める事にしました。
   これは、西田佐知子の「コーヒー・ルンバ」でも良く知られています。
   ザ・ピーナッツ(作詞:あらかはひろし)もあるのですが、
   中沢清二によるエキゾチック趣味の歌詞(原曲の詞とは全く無関係)が
   西田佐知子の歌唱版により、最も有名になっています。
   1961年8月ポリドールから発売
   
   昔アラブの偉いお坊さんが/恋を忘れたあわれな男に/
   しびれるような/香りいっばいの/こはく色した/
   飲みものを教えてあげました/
   やがて心うきうき/とっても不思議このムード/
   たちまち男は/若い娘に恋をした

   コンガ マラカス/楽しいルンバのリズム/南の国の情熱のアロマ
   それは素敵な飲みもの/コーヒーモカマタリ
   みんな陽気に飲んで踊ろう/愛のコーヒー・ルンバ
   以下略

 尤も、西田佐知子はコーヒーについては何も知らず、「モカマタリ」
 て何の事?と聞いたという事であります。

 『モカコーヒー (Mokha coffee, Mocha coffee)あるいは単にモカ とは、
 イエメンの首都サヌアの外港であるモカから積み出されたコーヒー豆を総称するブランド。
 かつてモカの港からは、イエメン産のコーヒー豆の他、対岸のエチオピア産のものも一緒
 に輸出されたため、両国産のものを合わせて「モカ」と呼んでいる。
  イエメン産のコーヒー豆は特に「モカ・マタリ」 (Mokha Mattari) ともいい、
 イエメン北西部の高地産である。さわやかな香りと強い酸味のある味わいで、
 かつて「コーヒールンバ」に唄われていたためか、日本でも人気が高い。  
  エチオピア産は、シダモ (Sidamo)、ハラー (Harrah)、ディマ、レケンプティなど、
 地区名をつけて販売されることが多い。苦みが少ない代わりに酸味が非常に強く、
 フルーティーな香りがある。
  モカコーヒーは、フルーティーなアロマと、強い酸味が特長で、比較的高価な
 モカ・マタリはストレートで飲まれることが多いが、エチオピア産は、ブラジルなど苦み
 の強い豆とブレンドされることが多い。特に苦みの強い、ジャワ産のロブスタ種とのブレンド
 は、モカジャバとして親しまれている。』ウィキペディア

 そのモカジャバが歌われているのが「一杯のコーヒーから」だと思います。
   作詞 藤浦 洸/作曲 服部良一/唄 霧島昇 ミス・コロンビア
   昭和14年(1939年)3月20日 コロムビアレコードから発売

   一杯のコーヒーから/夢の花咲くこともある/街のテラスのタ暮れに
   ふたりの胸の灯が/ちらりほらりとつきました

   一杯のコーヒーから/モカの姫君 ジャバ娘/歌は南のセレナーデ
   あなたとふたり朗らかに/肩をならべて歌いましょ
   以下略

  このモカ・マタリの生豆とを焙煎後の様子を写真でご覧に入れます。



 焙煎度は、8種類に分類されていてウェブなどでその画像を見る事が出来、それと見比べて
 としてみたがその付近と言う程度しかいえません。

  焙煎後は、2日ほど置いた後粉砕するのが、ベストとされていて、
  それに倣って2日後から粉砕、抽出し賞味をしています。
  
  粉砕機(ミル)は、簡単な電動タイプ(2600円)、抽出はペーパーフィルター
  によるドリップ、砂糖とエバミルクを入れて賞味です。

  味わっていて、確かに粉で買ってきたものより優れた
  香り、「コク」を得ていますが、まだ充分の納得は得ていません。
  先ず、モカ・マタリの自分に合った最適焙煎度あたりをもう少し探って
  見たいと思っていて、またエスプレッソ、カプチーノと展開して行く
  予定です。
  次回は、エスプレッソの話にしましょう。


2009年 第82回アカデミー賞作品

2010-08-21 13:03:03 | テレビ/メディア
 第82回アカデミー賞は、2010年3月7日に発表・授賞式が行われた。
例年と異なるのは、作品賞の候補作品が10作品に増えた事である。
 これは、1944年にそれまで10作品だった候補を5作品に絞ってから
66年ぶりの変更であった。

 その作品に対する私の鑑賞状態をまとめてみた。



 「アバター」については、既に何回かお話しているし、「ハート・ロッカー」
はもうすぐDVDがリリースされるのでそれを楽しみにしている。
 作品賞、監督賞は「アバター」と「ハート・ロッカー」の一騎打ちになったが、
ジェームズ・キャメロンの元夫人だったキャサリン・ビグローの完全勝利になつたのは
大ニュースになったところだ。
 その時も記したが、「アバター」の歴史的意義は10年後に大いに評価される事になる
可能性が大きい。

 ここでは、上記作品群の中から、いずれも南アフリカに関する作品
 「第9地区」と「インビクタス/負けざる者たち」について触れる事にしたい。

 1.『第9地区』(原題:District 9)は、2009年に公開されたSF映画

 アフリカ出身の新鋭ニール・ブロンカンプ監督が、ピーター・ジャクソンの全面バックアップ
で長編デビューを飾り全米でサプライズ大ヒットを記録するとともに、その独創的なストーリー
が絶賛されたSFアクション。巨大な宇宙船が漂着し、異星人を難民として受入れることになった
南アフリカを舞台に、異星人と地域住民との軋轢が深刻化する中、当局の新たな対応が思いも
かけぬ事件を招いてしまうさまをドキュメンタリー・タッチの語りと大作映画に引けを取らない
驚異のヴィジュアルで描き出していく。
 南アフリカ・ヨハネスブルグ上空に正体不明の巨大宇宙船が現われ、そのままとどまって
しまう。しかし、エイリアンは襲撃に来たわけではなく、宇宙船の故障で漂着しただけだった。
追い返すことも出来ず、やむを得ず彼らを難民として受入れることに。それから20数年後。
共同居住区“第9地区”はいまやスラムと化し、地域住民の不満は爆発寸前に。そこで超国
家機関MNUは、エイリアンたちを新たな難民キャンプへ強制移住させることを決定。
プロジェクトの最高責任者に抜擢されたエイリアン対策課のヴィカスは、さっそく彼らの住居
を訪問し、立ち退きの通達をして廻る。ところがその最中に、不注意から謎の液体を浴びて
しまうヴィカスだったが…。』allcinema

 DVDにあるの監督による作品解説を見ると、ニール・ブロムカンプ監督は南ア出身で南アの
状況を象徴的に描きたかったようだ。
“第9地区”は、アパルトヘイトそのものであり、エイリアンは南アに入り込んでくる
ジンバブエなどからの極貧民に対する南アの人々の差別意識の象徴だという。
 この監督の解説とともに鑑賞すると南アの現状に対する認識を新たにする事ができる
作品だと思う。

 2.『インビクタス/負けざる者たち』(原題:Invictus)は、2009年のアメリカ映画。

 巨匠クリント・イーストウッド監督が、アパルトヘイト(人種隔離政策)後の南アフリカ
で開催されたラグビーワールドカップを巡る感動の実話を映画化したヒューマン・ドラマ。
 アパルトヘイト撤廃後も人種間対立が残る中、国民が一つにまとまる大きな転機となった
自国開催のラグビーW杯での奇跡の初優勝までの道のりを、ネルソン・マンデラ大統領と
代表チーム・キャプテンを務めたフランソワ・ピナール選手との間に芽生える絆を軸に描き
出す。主演はモーガン・フリーマンとマット・デイモン。
 1990年、アパルトヘイトに反対し27年間も投獄されていたネルソン・マンデラがついに
釈放される。そして1994年、初めて全国民が参加した総選挙が実施され、ネルソン・マンデラ
は南アフリカ初の黒人大統領に就任する。しかしアパルトヘイト撤廃後も、白人と黒人の人種
対立と経済格差は依然として解消されず、国家はいまだ分断状態にあった。マンデラ大統領に
とって国民の統合こそが悲願であり、自ら寛容の精神で範を示し、国民に和解と融和を呼び
かける。そして、翌95年に南アフリカで初開催されるラグビーW杯を国民融和の絶好のチャンス
と捉える。彼は、長らく国際試合から閉め出され弱小化していた代表チームのキャプテン、
フランソワを官邸に招き、国を一つにまとめるためにW杯での優勝が欠かせないと訴えかける。
戸惑いつつも、大統領の不屈の信念に心打たれたフランソワは、やがて誰もが不可能と考えた
優勝目指してチームを引っ張っていくのだが…。』allcinema

 ネルソン・マンデラの自伝『自由への長い道』が出版された際、記者の「映画化されるとし
たら誰に演じてもらいたいか」との質問にマンデラはモーガン・フリーマンの名前を挙げた。
それをきっかけに、フリーマンはヨハネスブルグにあるマンデラの自宅への南アフリカの
プロデューサーを通じての訪問を実現した。そしてフリーマンは自伝の映画化権を買い、
本作品の制作を決定した。』(ウィキペディア)という事のようである。

 20世紀の偉人たちの中に暴力ではなく忍耐と寛容の精神で世の中を変えた人物が
輩出した。即ちガンジー、キング牧師、に次ぐネルソン・マンデラの系譜である。
 彼の指導者としての優れた資質を良く表現できた傑作だと思う。
 残念ながら、フリーマンは主演男優賞を獲れなかったが。

 本作品が南アの明るい未来を示しているようにも思えるが、前『第9地区』は
 南アのどうしようもない暗い未来を示しているように思えてならない。


日本映画ベスト100

2010-08-12 17:39:44 | テレビ/メディア
 久しぶりの書き込みです。
 外国映画の秀作は、見られるもの(=DVDレンタルにあるもの)は殆ど見てしましました。
 新しいものもどしどし出て来るのでそれらはフォローするにしても
 (2009年度アカデミー賞に関しては次回お話しましょう)
 そろそろもう少し日本映画にも目を向ける事にしようと思っているところです。
 前にキネマ旬報の外国映画ベスト100についてお話しましたが、日本映画についても
 同様な試みが為されているので、それをベースにして日本映画鑑賞を進める事にしています。
 その「キネマ旬報「オールタイムベスト・ベスト100」日本映画編(1999年版)」
 を例によって、私の鑑賞状態も含めてご覧に入れたいと思います。

 キネマ旬報「オールタイムベスト・ベスト100」日本映画編(1999年版)

 この中でベスト10に入る作品を作った監督のベスト100中に入った本数を数えて見ると
 黒澤明  12(本)    成瀬巳喜男   3   小津安二郎  3
 木下恵介  6       溝口健二   4   今村昌平   4
 深作欣二  4
となり、黒澤明はやはり偉大だったことが分かります。

 しかしここでは、国際賞などは取った事が無いが、ベスト100に4本も入っていて、
 また数えようによっては(下記に記すがシリーズ化)傑作を量産した深作欣二を、しかも
 彼のヤクザ映画を取り上げる事にします。
 深作欣二監督の「仁義なき戦い」(1973年 第8位)と「仁義の墓場」(1975年 第38位)
 についてのおしゃべりです。

 単に「仁義なき戦い」と言えば、1973年の作品下記①を指すが、これはシリーズ化されていて
 深作オリジナル五部作
 ①仁義なき戦い(1973年)
  仁義なき戦い 広島死闘篇(1973年)
  仁義なき戦い 代理戦争(1973年)
  仁義なき戦い 頂上作戦(1974年)
  仁義なき戦い 完結篇(1974年)
深作新シリーズ
  新仁義なき戦い(1974年)
  新仁義なき戦い 組長の首(1975年)
 □新仁義なき戦い 組長最後の日(1976年)
 があります。(□はレンタル予約中、それ以外は鑑賞済み)
 『この中で深作らが描いたヤクザの世界は、それまでの義理人情に厚く正しい任侠道を歩む
ヒーローを描いたものと全く異なり、ヤクザの大半は金にがめつく、弱者に強い社会悪としての
姿が大いに描かれており、仁侠映画のようにヤクザを美化することはない。一時英雄的に表現
されるキャラクターも最後には無残に殺される。』(ウィキペディア)
 そして深作が確立したスタイル、手持ちカメラによるブレや、方言による迫力あるセリフの
応酬、シリーズ全作の冒頭や中間部などで印象的に使われるナレーションなどはその後の
日本映画に大きな影響を与えたと言われています。
 仁義シリーズとしてもその後他の監督によって
 □その後の仁義なき戦い(1979年) ※工藤栄一監督
  新・仁義なき戦い(2000年) ※阪本順治監督
 □新・仁義なき戦い/謀殺(2002年) ※橋本一監督
が作られています。
  外国でもクエンティン・タランティーノが元々、「仁義なき戦いシリーズ」及び深作欣二
監督を敬愛しており、なおかつ坂本監督作品のテーマ曲(布袋寅泰作)を大変気に入り、
映画「キル・ビル」のテーマ曲としてそのまま使用された事は既にお話しました。
 尚、布袋寅泰はこの坂本作品で主役の一人を演じているが、その迫力ある演技には驚くべきものが
あります。

 以上の映画は、場所が広島、呉、関西、下関と西日本ですが、
 「仁義の墓場」は新宿を中心とする話で、戦後の新宿の見覚えの有る風景が
 描かれていて懐かしく感じます。
 この映画の主人公には、私にもほんの少しでは有りますが接点らしき話があるのでそれを
 お話したいと思います。
 『この映画は、実在のヤクザ石川力夫(渡哲也の東映主演第一作)の生涯を描いた作品で、
『仁義なき戦い』などと並んで実録路線に目される。石川の破天荒かつ破滅的な生き様を凄惨な
暴力描写を通して描き、公開当時の興行成績は振るわなかったが、後にその一種異様な迫力が
評価されるようになる(大高宏雄『仁義なき映画列伝』など)。』(ウィキペディア)


 話ははしょりますが、石川は、最後に新宿・常円寺境内に石川が建てた自分と情婦地恵子(
多岐川裕美 彼女の自殺の数日前に籍を入れているが、どちらから働きかけたのかは?)、
そして殺してしまった兄弟分の今井幸三郎(梅宮辰夫 )の墓石があります。
そしてそこには「仁義」の二文字が刻まれている。

 石川は、最後に刑務所の屋上から身を投じ、二十九年の短い生涯を自らの手で終えましたが、
 その日は奇しくも亡妻・地恵子の三回忌の日であったという事です。
 刑務所の独房内には、石川が書いた遺書が残っていました---「大笑い 三十年の 馬鹿騒ぎ」

 この常円寺が私が15年間通っていた新宿野村ビルから道を隔てた殆どまん前にあって、
私の東芝セラミッククス㈱XXX事業部長時代の席(11階?北側の窓際)から見下ろせるところにあり、
時々その墓地(かなり広い)を散歩したりもしていました。
 この寺はヤクザに縁の深い寺で、ある時(昭和59年頃?)、寺の周りがヤクザの車で一杯に
なっていた事なども思い出されます。多分有名な親分の法事か何かが有ったのでしょう。
 しかし、当時私はヤクザ映画には関心を持っていなかったので、この墓を探す事はしなかったのが
(この画像から見ると墓地のかなり隅の方らしい)多少心残りです。
 墓の正面には、石川力夫、今井幸三郎の字しか無く、右面には「仁義」、左面に戒名らしい
文字が刻まれているのですが、映画の場面をキャプチャーして画像を弄って見ましたが読む事は出来
ませんでした。(上図は、ウェブから取ったもので、映画からはこれほど鮮明な画像は取れません)