洞爺湖サミットが開幕しました。
地球温暖化や食糧・原油の急騰などの課題が目白押しです。
またそれらの課題がいずれも猶予がありませんから、何らかの成果が出ることを期待したいところ。
しかし…。
出席しているのは、グローバリズムの旗振り役が政権を握っている国々の首脳たちです。
望み薄ですかねぇ。
近ごろ、“エコ”という言葉を、ほんと頻繁に耳にするようになりました。
代替エネルギーや省エネルギー、リサイクル、緑化などにつながるキーワードとなっているようです。
短い言葉というのは、とっつきやすいのが特徴です。
おまけにカタカナだと、なんか格好いい。
だから、どこもかしこも言い出したのだと思います。
流行りものみたいで、ワタシとしては気色悪い。
自動車やガソリンのCMにも“エコ“があふれています。
しかし、突き詰めればいかにエネルギー消費を減らしたライフサイクルに変えていくかが問題なわけですから、
宣伝するメーカー側の言わんとするところもわかるのですが、ちょっと矛盾しているような気もします。
端的にいえば、
ワタシは、人類が自動車を手放せないかぎり、いずれ地球には限界が来ると考えています。
もしかするとそれは、ワタシの息子を含むいまの子どもたちが中年を迎えるころのことかもしれません。
「2050年には…となる危険性が…」という報道があります。
まだまだ先のような気もします。
しかし、計算をしてみましょう。
簡単な、足し算です。
西暦2050年とは、いまから42年後のことです。
いま小学校6年生の子どもたちが、還暦を迎える年です。
身近にもいますでしょ?
たとえば定年退職を迎えた人とか。
そのひとの顔を思い浮かべながら、いまの小学生を見てください。
彼らがそのくらいまで齢を重ねるころ、地球の環境がどうなっているのかを想像してみてください。
ええと。
いちおう、大気中のCO2濃度の増加が地球温暖化につながるという前提で、話しをしています。
これと逆の結果を示す研究もあります。
しかしどちらにせよ、地球の温暖化については、いま考えねばならぬ問題であります。
さて。
自家用車を使わなくとも生活ができるのは、都会だけの話しです。
地方の農山漁村でそれをやろうとすれば、並大抵の努力ではできません。
ワタシも学生のときには、休日になるとバスが1日に4往復だけ、という山里に住んでいましたから、
自家用車の魅力はわかっているつもりです。
逆の視点から見れば、麻薬といってもいいほどの魅力が、自動車というモノにはあるということです。
中国でもインドでもアラブでもいいのですが、
生活にゆとりが出れば、ひとは先ず車を欲しがります。
政治体制も宗教も関係ありませんから、人類に普遍的な魅力だと断言できましょう。
おまけに、ガソリンがCO2を出すから良くないとなれば、食糧生産を犠牲にしてまでも、
代替エネルギーとなるバイオ燃料に突っ走っているのが、いまの先進国の状況でしょう。
そこには、自動車の使いかたを工夫するあるいは我慢するという発想は、どこにも見当たりません。
それだけに、その麻薬的な魅力のある自動車を、どう抑制しながら使っていくのか、
そのことがいちばん難しい課題だと思うのです。
では、模型の話しです。
またまた下諏訪君から、車両整備の持ち込みが。
KATOの品番302、EF65形です。
ヘッドライトが点灯式になり、また高圧配管の引き込み線の表現がないことから、
1979(昭和54)年の製品と判断できます。
走らないので、分解しました。
車輪をはじめ、動力台車の内部が真黒です。
とりあえず、シンナーで洗いました。
プラカラー用のシンナーではなく、DIY店で扱っているようなペイント用のシンナーです。
台車も洗ってしまいましょう。
脱脂もできるので、あとあと塗料が載りやすいでしょう。
スカートは、材質がスチロール樹脂でした。
ちょっぴり表面を溶かしてしまいました。
手持ちのパーツで、弁償します。
車輪の輪心を黒く塗っておきましょう。
引き締まって見えるようになるはずです。
塗料を盛ったあと、こんなモノを使って乾かしています。
確実に石油製品を消費しています。
偉そうなことは、言えませんねぇ。
試運転は、明日かな。
地球温暖化や食糧・原油の急騰などの課題が目白押しです。
またそれらの課題がいずれも猶予がありませんから、何らかの成果が出ることを期待したいところ。
しかし…。
出席しているのは、グローバリズムの旗振り役が政権を握っている国々の首脳たちです。
望み薄ですかねぇ。
近ごろ、“エコ”という言葉を、ほんと頻繁に耳にするようになりました。
代替エネルギーや省エネルギー、リサイクル、緑化などにつながるキーワードとなっているようです。
短い言葉というのは、とっつきやすいのが特徴です。
おまけにカタカナだと、なんか格好いい。
だから、どこもかしこも言い出したのだと思います。
流行りものみたいで、ワタシとしては気色悪い。
自動車やガソリンのCMにも“エコ“があふれています。
しかし、突き詰めればいかにエネルギー消費を減らしたライフサイクルに変えていくかが問題なわけですから、
宣伝するメーカー側の言わんとするところもわかるのですが、ちょっと矛盾しているような気もします。
端的にいえば、
ワタシは、人類が自動車を手放せないかぎり、いずれ地球には限界が来ると考えています。
もしかするとそれは、ワタシの息子を含むいまの子どもたちが中年を迎えるころのことかもしれません。
「2050年には…となる危険性が…」という報道があります。
まだまだ先のような気もします。
しかし、計算をしてみましょう。
簡単な、足し算です。
西暦2050年とは、いまから42年後のことです。
いま小学校6年生の子どもたちが、還暦を迎える年です。
身近にもいますでしょ?
たとえば定年退職を迎えた人とか。
そのひとの顔を思い浮かべながら、いまの小学生を見てください。
彼らがそのくらいまで齢を重ねるころ、地球の環境がどうなっているのかを想像してみてください。
ええと。
いちおう、大気中のCO2濃度の増加が地球温暖化につながるという前提で、話しをしています。
これと逆の結果を示す研究もあります。
しかしどちらにせよ、地球の温暖化については、いま考えねばならぬ問題であります。
さて。
自家用車を使わなくとも生活ができるのは、都会だけの話しです。
地方の農山漁村でそれをやろうとすれば、並大抵の努力ではできません。
ワタシも学生のときには、休日になるとバスが1日に4往復だけ、という山里に住んでいましたから、
自家用車の魅力はわかっているつもりです。
逆の視点から見れば、麻薬といってもいいほどの魅力が、自動車というモノにはあるということです。
中国でもインドでもアラブでもいいのですが、
生活にゆとりが出れば、ひとは先ず車を欲しがります。
政治体制も宗教も関係ありませんから、人類に普遍的な魅力だと断言できましょう。
おまけに、ガソリンがCO2を出すから良くないとなれば、食糧生産を犠牲にしてまでも、
代替エネルギーとなるバイオ燃料に突っ走っているのが、いまの先進国の状況でしょう。
そこには、自動車の使いかたを工夫するあるいは我慢するという発想は、どこにも見当たりません。
それだけに、その麻薬的な魅力のある自動車を、どう抑制しながら使っていくのか、
そのことがいちばん難しい課題だと思うのです。
では、模型の話しです。
またまた下諏訪君から、車両整備の持ち込みが。
KATOの品番302、EF65形です。
ヘッドライトが点灯式になり、また高圧配管の引き込み線の表現がないことから、
1979(昭和54)年の製品と判断できます。
走らないので、分解しました。
車輪をはじめ、動力台車の内部が真黒です。
とりあえず、シンナーで洗いました。
プラカラー用のシンナーではなく、DIY店で扱っているようなペイント用のシンナーです。
台車も洗ってしまいましょう。
脱脂もできるので、あとあと塗料が載りやすいでしょう。
スカートは、材質がスチロール樹脂でした。
ちょっぴり表面を溶かしてしまいました。
手持ちのパーツで、弁償します。
車輪の輪心を黒く塗っておきましょう。
引き締まって見えるようになるはずです。
塗料を盛ったあと、こんなモノを使って乾かしています。
確実に石油製品を消費しています。
偉そうなことは、言えませんねぇ。
試運転は、明日かな。
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