ふたつの原爆忌に挟まれたこの季節、今年初めてのツクツクホウシを聞きました。
夏の夕暮れだなぁ、と思う仕事帰りの道。
まだまだ暑い日は続きますが、
それでも、真っ盛りは過ぎて残暑かと。
一日一日、季節が移ろいゆくのを感じます。
さてと。
飯田町駅のこと。
1994(平成6)年の1万分の1地形図「日本橋」が、出てきました。
図郭の隅に、飯田町駅が載っています。

青い線で囲んだ範囲に、水面があります。
上を首都高速で覆われているのですが、日本橋川でいいのかな?
河川や運河の荷卸し場に隣接してターミナルを設けた、初期の鉄道の姿がここにあります。
図面中の黄色い道を歩いたのだと思います。
飯田橋駅からですと、図面では左から右へ。
承前。
これだけは、先月末の撮影。
画面中央の道沿いに進んだということです。

これから先の画像は、1997年のもの。

左側に、カラフルな擁壁が見えます。
なんと、この時代にすでに塗られていたのか、と。
線路の高架の下の事務所ですが、これも看板建築のひとつでしょうかね?

線路から砂利を落とすと、下のトラックに積めます。
ようするに、砂利ホッパーです。
当時、すでに列車で砂利は到着しなかったはずですが、土埃っぽい光景がありました。

だいたいの位置関係が判りますか?
左隅に、ちいさくオレンジ色の201系快速電車が写り込んでいます。

少し移動して、地図上で緑色の部分。
飯田町駅の端っこです。

右の大きな建物が、紙流通センター。
1972(昭和47)年に完成しています。
左手に3基並んでいる黒くて四角い物体が、引き込み線の車止めです。
時間によっては、ここにワムハチが並んでいるのが見えたはず。
これが、飯田町駅のいわば正面。
夕方なので、人気がありません。
屋上で、テニスコートを営業していたなぁ。

貨車が発着するのは、2階のフロアーです。
古くは盛土だったか、それとも地平に線路が下りていたのか?
右側に抜けると日本橋川に出るはずですが、そちらは撮っていません。
今から思うと、惜しいことをしました。
夏の夕暮れだなぁ、と思う仕事帰りの道。
まだまだ暑い日は続きますが、
それでも、真っ盛りは過ぎて残暑かと。
一日一日、季節が移ろいゆくのを感じます。
さてと。
飯田町駅のこと。
1994(平成6)年の1万分の1地形図「日本橋」が、出てきました。
図郭の隅に、飯田町駅が載っています。

青い線で囲んだ範囲に、水面があります。
上を首都高速で覆われているのですが、日本橋川でいいのかな?
河川や運河の荷卸し場に隣接してターミナルを設けた、初期の鉄道の姿がここにあります。
図面中の黄色い道を歩いたのだと思います。
飯田橋駅からですと、図面では左から右へ。
承前。
これだけは、先月末の撮影。
画面中央の道沿いに進んだということです。

これから先の画像は、1997年のもの。

左側に、カラフルな擁壁が見えます。
なんと、この時代にすでに塗られていたのか、と。
線路の高架の下の事務所ですが、これも看板建築のひとつでしょうかね?

線路から砂利を落とすと、下のトラックに積めます。
ようするに、砂利ホッパーです。
当時、すでに列車で砂利は到着しなかったはずですが、土埃っぽい光景がありました。

だいたいの位置関係が判りますか?
左隅に、ちいさくオレンジ色の201系快速電車が写り込んでいます。

少し移動して、地図上で緑色の部分。
飯田町駅の端っこです。

右の大きな建物が、紙流通センター。
1972(昭和47)年に完成しています。
左手に3基並んでいる黒くて四角い物体が、引き込み線の車止めです。
時間によっては、ここにワムハチが並んでいるのが見えたはず。
これが、飯田町駅のいわば正面。
夕方なので、人気がありません。
屋上で、テニスコートを営業していたなぁ。

貨車が発着するのは、2階のフロアーです。
古くは盛土だったか、それとも地平に線路が下りていたのか?
右側に抜けると日本橋川に出るはずですが、そちらは撮っていません。
今から思うと、惜しいことをしました。
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