平成20年8月21日。陸奥一之宮・石都々古和気(いわつつこわけ)神社を参拝する。
陸奥一之宮と呼ばれる神社は4社ある。都々古別神社(棚倉)、都々古別神社(馬場)、石都々古和気神社、塩竈神社である。
鹿島神宮が蝦夷との戦いの最前線に位置していたが、大和王権の北上に伴い、神社も北に向い、創建されていった。塩竈神社が太平洋側の北限で、日本海側の北限は鳥海山(大物忌神社)だった。
石都々古和気神社は”つつこわけ系統”ではもっとも北に位置する。水郡線の磐城石川駅から徒歩で10分。

神社の横が三芦城跡である。蝦夷からの攻撃を見張る場所にある。



見張台と狼煙台。


下を見る。ここで蝦夷軍の攻撃を見張っていたわけだ。


<御朱印>

陸奥一之宮と呼ばれる神社は4社ある。都々古別神社(棚倉)、都々古別神社(馬場)、石都々古和気神社、塩竈神社である。
鹿島神宮が蝦夷との戦いの最前線に位置していたが、大和王権の北上に伴い、神社も北に向い、創建されていった。塩竈神社が太平洋側の北限で、日本海側の北限は鳥海山(大物忌神社)だった。
石都々古和気神社は”つつこわけ系統”ではもっとも北に位置する。水郡線の磐城石川駅から徒歩で10分。

神社の横が三芦城跡である。蝦夷からの攻撃を見張る場所にある。



見張台と狼煙台。


下を見る。ここで蝦夷軍の攻撃を見張っていたわけだ。


<御朱印>
