八戸市に鎮座する南部総鎮守・櫛引八幡宮を参拝する。アクセスは不便で、バスは乗換えていく必要がある。タクシーで行った。
南部総鎮守と云うことで、八戸は江戸時代は南部藩だったことを知る。南部藩というと、岩手県、なかんずく盛岡市のイメージが強く、青森県にも南部藩領があったことは忘れがちだ。
明治政府の嫌がらせに近い県の作り方のひとつである。青森県は津軽藩と南部藩の一部を合わせた県だが、津軽藩と南部藩は犬猿の仲だった。
七五三の親子連れがいた。9月はまだ早い時期だが、今年はコロナ禍で分散して七五三詣りをしなければならず、9月にお詣りしてもおかしくない。
社殿は横長。これは目立つ。
本殿が見えないので背後にまわった。他の神社では気にしないが。
御朱印に南部一之宮とあるが、この場合は、南部藩で最も重要な神社という意味で、日本全国の諸国一之宮に属するわけではない。南部総鎮守と解釈したい。
南部藩主が”南部一の宮”という称号を献じた神社は他に存在する。それは志波町に鎮座する志賀理和気神社である。