結城総鎮守の健田須賀(たけだ・すが)神社を訪れる。結城駅から徒歩で10分ほど。
御朱印を見て分るとおり、健田と須賀が並んで記されていることから、もとは二つの神社だった。須賀神社に健田神社を合祀したが、健田神社の方が古く、延喜式内社だった。
参道を歩く。
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社殿は、参道の正面ではなく、右横にある。位置がおかしいように思える。
社殿の正面にも鳥居がある。こちらの方が正面であるように思えるが、鳥居前は広場になっている。昔はどうだったのだろう。
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祭神は、武淳川別命(健田神社)と須佐之男命(須賀神社)である。
武淳川別命は結城の国造・竹田氏の祖神である。健田神社は創建が不明であるが、延喜式内社であることからも分るとおり、古くから信仰されていた。結城家の菩提寺であった乗國寺内にあったが、明治の神仏分離で須賀神社に合祀された。
須賀神社はもともとは天王社で、尾張の津島神社から勧請し、1242年に創建された。明治元年に須賀神社と名を改め、明治3年に健田神社を合祀した。
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神社の横が広大な広場になっている。ここに何があったか、気になるところである。
御朱印は本社のものしか貰わなかったが、社務所には他にも多数の御朱印の見本が貼られていた。ここが管理する神社は42社ということだった。
結城は結城紬で有名だが、街並みを見る限りでは衰退しているように思える。(下館も同じ。)