円山公園内のレストランで昼食後、北に向う。
まず紫式部の墓所を見学する。
紫式部の墓。?である。
どういうわけか、お隣に小野篁の墓もあった。
紫式部の墓の方が大きい。
紫式部は「源氏物語」なんぞを書いたので、地獄へ落ちたのだそうだ。これなら、今の多数の女流作家はどうなる?
騙された気分で、上御霊神社へ向う。
上御霊神社というが、下御霊神社を区別するためで、正式には単に「御霊神社」という。
桓武天皇を悩ませた早良親王を祀ったのが始まりで、その後、不運な死に方をした人を付け加えて祀った。
祀ることによって「怨霊」を「御霊」に転じるのである。
御霊合戦の碑がある。この合戦が応仁の乱の始まりだった。
<御朱印> 御霊神社ではなく、御霊社である。