ある人が、後期高齢者向けの健康診断を受けた。
受け取ったチェックリストに、介護予防の質問が並べてある。
(問)「自分が役に立つ人間だと思えない」
これに、「はい」か「いいえ」で答えよ、とあったそうである。
しばらく悩んだその方は、「はい」と回答した。が、後日その経緯を家族に話し、寂しそうに
つぶやいたと言う。
「私なんて役に立たないのよね。生きていたって」。
75歳を過ぎて、人のために役立つ人間か、否かと聞かれ、「役に立っている」と胸を張って
言える人は、どれだけあるだろう。
若い頃は、存分に働けても、年寄れば、歩くこともままならぬ。
人の手を借りなければ動けず、寝たきりともなれば、どんなに肩身の狭い思いをすることか。
「自分が役に立つ人間か」と問われると、真面目な高齢者ほど、落ち込んでしまうに違いない。
若いときには、思いも寄らぬ老境の苦しみである。
人生の半分を過ぎると、坂道を下って行く先が見えてくるもの。
体力も、気力も失せ、身近な家族も離れていく・・・。
「やるべきことがなくなった」と62歳で自殺した音楽家に、同調する同世代の人も少なくない
のでなかろうか。
若き日に彼が作曲した「悲しくてやりきれない」は、今も遠く聞こえてくる。
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
この限りない むなしさの
救いは ないだろうか
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
このもえたぎる苦しさは
明日も 続くのか
老いも若きも、誰もが聞きたい。この限りないむなしさ、苦しみは、一体どこからくるのだろう。
その苦悩の根元が、あきらかにされ、その解決を示されているのが仏教なのである。
命を絶つほど、限りなくむなしい人生が、「よくぞ人間に生まれたものぞ」の限りない生命の
大歓喜を得て、永遠の幸福に生かされる。
すべての人が知りたい「苦悩の根元」。その答えを、今日も聞かせて頂いた。
気持ちはどこまでも若く、燃えてますます伝えずにおれない☆
受け取ったチェックリストに、介護予防の質問が並べてある。
(問)「自分が役に立つ人間だと思えない」
これに、「はい」か「いいえ」で答えよ、とあったそうである。
しばらく悩んだその方は、「はい」と回答した。が、後日その経緯を家族に話し、寂しそうに
つぶやいたと言う。
「私なんて役に立たないのよね。生きていたって」。
75歳を過ぎて、人のために役立つ人間か、否かと聞かれ、「役に立っている」と胸を張って
言える人は、どれだけあるだろう。
若い頃は、存分に働けても、年寄れば、歩くこともままならぬ。
人の手を借りなければ動けず、寝たきりともなれば、どんなに肩身の狭い思いをすることか。
「自分が役に立つ人間か」と問われると、真面目な高齢者ほど、落ち込んでしまうに違いない。
若いときには、思いも寄らぬ老境の苦しみである。
人生の半分を過ぎると、坂道を下って行く先が見えてくるもの。
体力も、気力も失せ、身近な家族も離れていく・・・。
「やるべきことがなくなった」と62歳で自殺した音楽家に、同調する同世代の人も少なくない
のでなかろうか。
若き日に彼が作曲した「悲しくてやりきれない」は、今も遠く聞こえてくる。
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
この限りない むなしさの
救いは ないだろうか
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
このもえたぎる苦しさは
明日も 続くのか
老いも若きも、誰もが聞きたい。この限りないむなしさ、苦しみは、一体どこからくるのだろう。
その苦悩の根元が、あきらかにされ、その解決を示されているのが仏教なのである。
命を絶つほど、限りなくむなしい人生が、「よくぞ人間に生まれたものぞ」の限りない生命の
大歓喜を得て、永遠の幸福に生かされる。
すべての人が知りたい「苦悩の根元」。その答えを、今日も聞かせて頂いた。
気持ちはどこまでも若く、燃えてますます伝えずにおれない☆
仏法を聞かせて頂き、心はいつも燃えて元気ハツラツ、
奥さんの心尽くしの手料理で、身体のコンディションも
絶好調のような。。。
それにしても、毎日おいしそうですね。
燃えてます!!