鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

失せ物が1ヶ月後に見つかる

2024年07月16日 06時41分41秒 | イレギュラー






喜寿祝い(数え)の同級会から帰って以来、1ヶ月間小銭入れがなくなっていた。
最後の記憶は会からの帰り、運転席で助手席の同級生からお釣りを受け取った時のこと。
その後は彼を自宅まで送り届け、帰る途中でスーパーに寄ったけれど、支払いはスマホで済ませた。
車の中でポケットに入れたのが浅くてポロリと落ちたとしか考えられなくて、車中はしっかり捜索した。
中の金額は、500円玉があったのを記憶していて、それが惜しい、というのもあるけれど、財布が気に入っていた。
車に乗るたびに何となく運転席あたりを探ったりして1ヶ月、嫌な気分をずっと引きずっていた。
そうして昨日、たまには玄関先を掃こうなどと考えて、雪囲いをしたままの勝手口の物陰に箒を差し入れた時に、びっしょり濡れた小銭入れを見つけた。
同級会から帰って、鍵を開ける時、必要以上に身体を片側に寄せつつポケットを探ったものと思われる。
鍵を取り出すと同時にポロリと落ちて、バウンドなどしない形状ながらなぜか距離を稼いだに違いない。
物が失せる時というのは、想定外の何かが重なって、そんなことになるものなのだろう。
813円と歯医者でもらった痛み止めが1錠でしかないけれど、1食分に余る金額と気に入り財布が戻って嬉しい。
小銭入れのないのが不便で、すでにあまり気に入らないまま百均にて三日前に購入したのだったが、濡れた財布を乾かして元通りとする。

畑の草取りをしていてまたベッコウハゴロモ(鼈甲羽衣)の幼虫を見つけた。
妖精も跳び回っているうちに尻の飾りが貧弱になり、すっかり容姿が衰えている。
もうすぐ成虫へと変態するのか、たぶん不完全変態なので蛹にならず、ある時、急にじわじわ最終の姿になり始めるものと思われる。
そんな変身の姿を観察できるチャンスは、飼育しながら定点カメラを設置するでもしない限り不可能だ。
観てみたいが、それにかまっている暇はなく、今のところ初めから諦める。
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アマガエル(雨蛙)も雨宿り

2024年07月15日 08時45分45秒 | アングル






昨日の朝は晴れ上がっていたので、久々に風が抜けるようにと窓を開け放した。
どうせ又、雨だろうという諦めもあって天気予報を見ていなかった。
そしたら案の定、昼前には雲がでてきて小雨となった。
冬の積雪が少なかったから、今年の米も昨年同様、水不足で等級の低い米になるかもしれないと農事の師は心配している。
雪解け水は少なくても、これだけの連続降雨があれば、魚沼丘陵の保水量は十分となって水不足にはならないのではないか。
そんな気はするけれど、梅雨明け後に日照りが続けば、そういうものではないのかどうか、この長雨は記憶しておきたい。
雑草の成長スピードが猛烈なこの頃、外を歩けば直ぐに目につく生き物はアマガエルだ。
まだ蛙に成り立てというチビがほとんどで、踏まないように気をつけながら歩かなくてはならない。
先日は、畑で私が足を下ろす寸前に、長靴の下に飛び込んだヤツがいて、うわぁ・・と思った。
やってしまった、と足を上げたら、雨で土が柔らかくなっており、沈んだ靴跡から、やつは体を起こし手足を動かした。
殺生をしないで済んで良かったと思いつつ、蛙の体はゴムのオモチャとあまり変わらないのか・・と感心した。
小雨の中を徘徊していて、イチジクの葉の上で雨宿りをしている姿のアマガエルを見つけた。
蛙がじっとしていたら、ゆっくりと近づけば上手く撮れることが多いので、同じ顔つきの同じような画像ばかり増える。

ビオトープのスイレン(睡蓮)が咲いた。
花の中にいるのは、小型のハナアブ(花虻)と思われる。
雨でも朝早くから咲き、昼には閉じ始める、午前様の花だ。

本日の収穫は長雨のせいで、またしてもこういう状況。
周りのどこのお宅も同じはずで、キュウリ苗を2本にしたのはまずかったかな、1本で良かったな・・と思う。
今朝もまた雨が降りだしたので、せっせと『きゅうりのキューちゃん』らしき佃煮を作ります。
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白いトウモロコシ(玉蜀黍)とトンボチマキ

2024年07月14日 08時56分56秒 | 養蜂




ウチの周りで作っている人はいないようなのだが、生で食べても十分に甘いという白いトウモロコシをいただいた。
もらったもののお裾分けということで1本だけだったのが嬉しい。
何しろ私の畑でさえ、キュウリもナスもピーマンもバカ採れ状態なので、今は農産物をもらっても困る状態。
ところで、未熟なトウモロコシは白いわけで、この白いトウモロコシは太り過ぎ未熟状態なのだろうかなどと思ってしまう。
テレビで食レポが、畑でかじり大袈裟に驚いてみせるシーンは観たことがあり、少しは期待した。
ラップ代わりに1番内側の皮を残し、レンチン2分で出来上がり、かじってみると確かにすごく甘い。
歯は熱いし持ち続けることもできないお預け状態を過ぎてから、はふはふと一気完食をした。
買えばたぶん高価なのだろうし作るのも難しいだろうから、こういう特上品は人から少しもらって食べたという経験だけで良い。

トンボチマキを15個も、いつもの幼友達同級生からもらった。
彼女の近所に、これを作るのが大好きで得意だという人が居て、くれるのだそうだ。
十分に商売できる出来なのに、売り物とはせずに大量に作るらしい。
そうして周りに配り、もらった人たちも、もらいっぱなしというわけにはいかずにお礼の何かを差し上げるから、結局は物々交換。
幼友達同級生は、それを使い物にもしているという、良い融通関係が出来上がっている。
私は京都宇治の土産を渡し、結局のところ差引勘定をすれば、いつも得ばかりしていて申し訳ない。
この時期、チマキ作りは古いタイプの女性たちは誰もがやることで、1週間宇治に帰る土産にも農事の師の奥さんからチマキを持たされた。
ここのところチマキ付いていて、このトンボチマキを食べ切るまで冷凍ご飯は手をつけず、毎食、台所にぶら下げているチマキが主食だ。
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ヒグラシ(蜩)の初鳴日など

2024年07月13日 07時29分29秒 | 






6月30日に『初蝉と赤いユリ(百合)』という記事を書いて、今年初めて見たアブラゼミ(油蝉)の姿を紹介した。
今回は初鳴きとして書き始めたけれど、検索していたら、初鳴日(ショメイビ)という言葉に出会った。
気象庁の生物季節観測に使う用語らしい。
新潟県十日町市北東部のヒグラシ初鳴日は7月12日です。
庭の手入れの行き届かないところにヤブガラシ(藪枯)の花が咲いて、キアゲハ(黄揚羽、黄鳳蝶)がやってきたのを撮った直後に、ヒグラシの鳴き声を聞いた。
広範囲に動き回ることがないので、他の蝉は鳴いていたかもしれないけれど、今年初めて聞く蝉の声がヒグラシだったのは、何かしら象徴的なのかも知れない。

1枚のサトイモ(里芋)の葉を喰い尽くして、茎に止まっていたセスジスズメ(背筋雀)の幼虫を見つけた。
まるで夜行列車のようだと思ったが、すぐに現実に戻り、茎を折って用水路に投げ入れた。
しばらく断続的に降り続いた雨は上がっていて、ゆっくり流されて行ったけれど、運不運は流れ方次第。

草むしりをすると出会うことの多い、まるで妖精のようなベッコウハゴロモ(鼈甲羽衣)の幼虫と思われる虫に出会った。
宝塚のフィナーレを想い出したりするけれど、全身が淡い翡翠色単色の蝉のような風貌をしてぴょんと跳ぶ姿は、レンズを向けずにはいられない。
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カラスウリ(烏瓜)の花など

2024年07月12日 09時38分38秒 | ざんねん




カラスウリはサボテンの月下美人のように、夜に花開き朝には萎むということは知っていた。
知ってはいても実際に観たことはなくて、たまたま昨日の昼に見つけたのが花後の姿。
咲いたのが1日前の晩だったのか、2日前だったのかも分からないが、これがカラスウリだということは蔓から分かる。
ヤブガラシ(ヤブガラシ)と同様に何にでも絡みついて、手入れ不行届き感を醸し出すので、蔓を邪険に引きちぎったり、むしり取ったりする。
それでも目の届かないところに蔓延り、秋になると黄色い実をぶら下げるからウチのはキカラスウリ(黄烏瓜)。
実がなれば、次のシーズンには夜咲く花を観てみたい、などと思ったりもするのだが、たまたま今晩咲きそうだという蕾を見つけたことがなくて花は観たことがない。

小さな我がビオトープにやってくるトンボ達の中に、たまにいるのが、この鼈甲色の頼りない雰囲気のやつ。
検索してみると、羽化仕立てと一人前になったのとは色が違ったりするのもあるようで、これはモノサシトンボ(物差蜻蛉)の若い雌らしい。
この手のものは、すべてイトトンボの仲間だと思っていたが、モノサシトンボ科というのもあるようだ。
尻尾の目盛りが物差しというわけだろうけれど、それにしてもはっきりと写らなくて残念だ。
グッと近づいても逃げなかったのに、スマホが『離れてください』と指図してきた。
従ってみたり、拡大したり、また近寄ったりもしたが、若い雌だったからというわけではないだろうけれど、難しい。
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イチイ(一位)の実

2024年07月11日 06時21分06秒 | 養蜂


イチイは一位に違いないと、ほぼ疑問も持たずにきたけれど、CASIOの広辞苑によれば、(笏(シャク)の材料としたので、一位の位に因み「一位」とあてた)・・・とある。
別の漢字に、櫟・赤檮・石櫧もあり、説明の最後には、『スダオノキ。アララギ。オンコ。柴松。』ともあった。
短歌のアララギ派というのは、一位の志に根ざす名であったか。
笏は聖徳太子の持つヘラのような物のこと。
わが家には昔から雌雄一対のイチイが植えられている。
誰か、志を高く持ちたいと思った先祖が居たということになろうか、志だけは・・・。
雌木は小さいので、私がしばらく生家と疎遠になっている間にいつの大雪でそうなったか、徐々になのか、倒れている。
倒れているけれど、根が跳ね上げられているわけではなく、生きていて実を着ける。
赤い実を上から見ると、黒い種が見える構造をしており、噴火口の逆のような奇妙さ。
熟す前の種は緑色で、赤く熟してくると黒くなる。
熟した赤い実は甘いので子どもの頃からよく食べたが、種を噛んでしまったり、舐め回すと猛烈に苦い。
したがって、ぱくぱくといった食べ方はできず、甘いことを確認してみる程度の含み方しかしなかった。
実は9月頃熟すとあるけれど、7月でもうちらほら熟している。
大きさは小さめのブルーベリー位。
このところの断続的な雨と高温は、どんな植物だって驚異的に育つのではないかと脅威を感じる。
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ケアハウスの玄関は七夕仕様

2024年07月10日 03時29分03秒 | アングル






姉が入居しているケアハウスは、毎年この時期になると、七夕仕様に飾られる。
まるで幼稚園だ保育園だと言うなかれ、素晴らしいじゃないか、といつも思う。
これが、施設のあれこれに不満を持っていたら『何をやっているんだか』などと逆の印象を持つのかも知れない。
要介護3までならお世話できると入居の時に言っていただいていて、ただいまの姉は要支援1から2になり、昨年から要介護1になった。
何もかもスローモーにしかできず、自分からはほとんど喋らずおとなしいばかりの姉を、本当に面倒見よくお世話していただいていて、身内としては感謝するばかりだ。
ピロティの前にある花壇は、入居者中の園芸好きの方が、やっていると聞いた。
春はチューリップが整然と並んで咲いていたが、今は色とりどりのニチニチソウ(日々草=インパチェンス)が可愛らしく咲いている。
そして見事なユリ(百合)が豪華に艶やかに咲いている。
これを咲かせる心意気に圧倒され、『生きていることの尊厳』のようなことを思わされる。
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たった1週間の留守で

2024年07月09日 07時40分44秒 | イレギュラー






雨が全く降らないでしまったら、作物がどうなっちゃうだろうという心配は少しあった。
ところが適度以上の降雨があり、高温も続いたそうで、とんでもない植物の急成長ぶりに圧倒された。
他人の手を煩わせることを遠慮して、言ってもらったらして欲しいことはやるが・・という申し出を断って帰ったのだったが・・・。
同級生に、キュウリとナスのバカ生り具合を電話で伝えると、言ってくれていたら採りに行ったのに・・・欲しかったのに・・などと、こういう時に限って言う。
とにかく、よほどでない限り、バカデカくなっていても、調理次第で食べられるのだから、しばらくはヤギになったつもりで食べるべしという結論になった。
とりあえず、キュウリもナスも味噌汁の具にして、焼いたり炒めたりする所存。
昔と違い、周りにニワトリ、ヤギ、ブタ、ウシを飼う家がなくなって久しく、困った現状。
ヤブカンゾウ(藪萱草)と、奥手のアジサイが咲きだしている。
作物にはホッとしたけれど、雑草の暴力的伸び方には脅威すら覚えるほどで、これからしばらくは晴れ間をみては草刈りをしなければならない。
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カブトムシの羽化など

2024年07月08日 04時19分04秒 | 






昨年の10/12『来年に繋ぐカブトムシは2匹』という記事を書いた。
その2匹が無事に蛹化を経て羽化した。
羽化したのは私が田舎に滞在中のことで、いつだったのかは分からない。
例年、オスの方が先に羽化して、狭い飼育箱の中を飛ぶので、羽音と内面にぶつかる音で気づくらしい。
そのように家人から報告を受けて知るのだが、今年は音がせず、いつの間にかオスがいて、次にメスが見られたと言う。
オスの翅が変で、飛ばず、メスはそもそも滅多に飛ばなくて直ぐに土中に潜るので、何匹かも分からないということだった。
昨日飼育箱をぶちまけて確認し、新たな命のために昆虫マット(クヌギを粉砕した土)を新しくした。
そして、これを書くにあたってブログ内検索をしてみて、幼虫はそもそも2匹だったことに気づいた次第。
無事に羽化とは言え、やはり繋いできているカブトムシだから血が濃くて不具合が起きたか。
わずかな年月で、すでに飛ぶ必要がないとして翅の退化が始まったのか。
うまくオスメスだったけれど、きょうだいなので、来年は不具合が更に進むかもしれない。
1週間前に宇治へ戻る時に、田舎で飼っているカブトムシが羽化していれば、持ち帰ったのだが、ガラス越しに蛹化状態が分かっていたので、それはしなかった。
田舎のものとシャッフルというか、交換したいけれど、困った。
今、これは帰省中の高速道路S.A.で書いている。
ケースごと持参し、田舎で交換して、2ケースで飼育し、次の10月に1つを持ち帰ったら良いのだ・・・と気づいたけれど、後の祭り。
先のことは先のこと、また先々で考えることにするという行き当たりばったりはいつもの事。
最後の画像は、田舎の飼育ケースでガラス越しに見えた蚕室の蛹化状態で、もうすでに羽化しているかもしれない。
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冬タイヤからノーマルタイヤに交換

2024年07月07日 06時00分00秒 | ざんねん


雪解けと同時に雪国の無人の生家に行くには、もしものことがあるので、どうしても冬タイヤが必要だ。
そして1〜2回だけ、スタッドレスにしてきて良かったということがあり、そのまま3ヶ月余りを過ごすと、この時期になる。
癌手術予後の3ヶ月定期検査のために宇治の自宅に戻り、検査では何事も無しということで、さてノーマルタイヤにしようと準備を始めたら、車載備品のジャッキが無い。
昨年、冬用タイヤに替えたのは自分なのだから無ければいけないのに、どこを探しても無くて、ホームセンターへ買いに走った。
ジャッキは3千円足らずだから、ガソリンスタンドやタイヤショップで交換してもらうより安くつく筈で、私にとっては自分でやるしか選択肢は思いつかない。
インパクトドライバーに付ける21mmのソケットも見当たらなくて、それも買い(900円足らず)、汗をダラダラ流しながら作業をする。
途中を写そうという気は起きず、これを書き終えた本日早朝にブログのために道具を並べた。
また、3ヶ月後の10月初めに病院で診てもらう必要があって戻るので、その時には、今回の逆をやる。
雪国はいきなり初雪が根雪に移行することもあるので、安全に生家を後にするには、あらかじめ冬タイヤにしておかなければならない。
我がことながらつくづくご苦労なことだ。
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ようおまいり

2024年07月06日 06時53分06秒 | 言葉の世界






三室戸寺参道の緩い坂道を上がり、さて、この石段を頑張れば本堂へ、となる登り口に石碑があった。
読みにくくなっていたけれど、すぐに判ったのは、関西に住んで半世紀経っているからか。
『おこしやす』は京都の店でよく言われるけれど、『ようおこし』のこともある。
『ようおまいり』は、『ようこそお参り下さいました』ということなのに、『良くよくお参りしなさいね』という押し付けかと思ったりする。
対面でのことなら言い方や仕草や表情で、たぶんニュアンスは微妙に違うのだろう。
この石碑はいつ造られたものか、『ようおまいり』と彫らせる意図や状況を想像しようにも、どうもよく分からない。
寺に参るのは徳を積むことだという。
『ようおまいり』に対して、『はて?』などと首を傾げる時点で、もう徳を積むことはできないと思わないではない。
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装飾花の無いコアジサイ(小紫陽花)

2024年07月05日 02時02分02秒 | イレギュラー






装飾花の無い変種ガクアジサイ(額紫陽花)か、それとも装飾花が枯れ落ちてしまったか、などと思いつつ、先日の三室戸寺で撮った。
そうしたら装飾花を持たないコアジサイという種類があるということに、たどり着いた。
さまざまなアジサイの見事な咲き振りは目を惹くけれど、こういうのも良いじゃないか。
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棘無しサザエ(栄螺)の下処理を学ぶ

2024年07月04日 07時11分08秒 | 養蜂




本職の調理を映したYouTubeを2回観て、もうこれでいけるだろうと、実践あるのみ。
冷蔵庫から出すと、ぐったりしているのか、蓋を持ち上げ赤い筋肉質を見せているサザエに素早く貝剥きナイフを入れて身をもぎ取る。
入れる場所は開口部の内側(巻いている中心方向)にしないと大変なことになり、かなりの力が必要となる。
ぎゅっと蓋を引っ込めたら、本当に途方に暮れそうになるくらい大変なのだ。
蓋についた身をもぎ取れたら、あとは人差し指を殻の中に押し込み、貝柱を殻内から外すのは、アサリなんかと同じで引っ張りには強いが、押されたら弱い仕組み。
内臓は、誰もが壺焼きを食べる時に注意するように螺旋の通りに回しながら取り出す。
YouTubeの説明通りに身の方からは赤い口を探って取り外し、内臓の渦巻き模様辺りから下(外側)は砂を含んでいてしかも猛烈に苦いので切り離して捨てる。
ハカマというびらびらも苦いので毟り取って食べない。
薄い肉質のびらびらが本当に苦いのか疑わしいので、せっかく生きていて新鮮なのだからと、その部分を生のまま食べてみた。
本当に猛烈に苦くて、吐き出して口をすすいでも、晩御飯までの1時間余り口中に苦さは残り続けた。
YouTubeでは殻には蓋を先に入れて、身は刻んで入れ、内臓は塩揉みしてから入れて、出汁(醤油、酒、鰹出汁)を入れて壺焼きにする(酒はアルコール分を飛ばしてから)と言う。
別に殻に入れなくても良いよね・・と料理担当は言うので、いやそれは流儀に反するなどと野暮は言わない。
下処理しながら身を薄切りにした刺身を食べてみた。
比較してみたいところだが、ナマコ(海鼠)には負けてないし、アワビ(鮑)にだって勝ちそうな味わい。
3人分6個を下処理してしてみて、なんでも実践しかないな、と楽しく実感した。
結局、合計20個中6個は壷焼きで、残り14個の下処理をやったのだから、もうサザエは任せろ、という自信を得た。
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棘なしサザエ(栄螺)

2024年07月03日 11時19分11秒 | 食べ方




宇治の本宅に戻ったのに合わせて漁業従事者の縁戚からサザエとヒジキ(鹿尾菜)が送られてきた。
生きているサザエは刺身が美味いと後から聞いたけれど、とにかく壷焼きをやってもらう。
生家での独り暮らしから家族の元に収穫物も持ち帰ったのだからして、据え膳上げ膳。
サザエは、棘有りしか記憶にないけれど、送られてきたのは、今まで見たことのない巨大さでしかも棘無し。
波の荒い海では棘有りで、穏やかな海では棘無しというけれど、そうでもないらしい。
生家ではサザエの殻がなんとなく捨てられずに残っていたり、土中から出てきたりするのだが、棘有りばかりだから棘無しが珍しい。
そのまま焼いてもらったのを取り出そうとすると、蓋がはまり込んでいて、なかなかに難しくて力技が必要だった。
蓋に着いている筋肉質部分を先ずは食べてこりこり感の旨みを味わう。
先っぽのクリーム色はオスの精巣ということで、マダラ(真鱈)の白子よりフグ(河豚)の白子より美味と私は思う。
緑色の場合はメスの卵巣で、これがなかなかに苦味があって美味。
後の残りは、見た目が内臓そのもので、火は通っているはずでも生々しさがあって躊躇うけれど、新鮮だったのだからと一気に頬張る。
砂っぽかったりもするが、ぎろぎろとした食感もあり、苦味は大人の味で、有り難みもある。

後から調べてみると、
・身のついた蓋を外してから、貝柱は指で押し込むようにすると外れる。
・蓋に付いている部分(身)には口があって、そこは硬いので切り取り、食べない。
・貝柱部に付いているびらびらはハカマと言い、そこは苦いので取り外す。
・内臓表面の渦巻き模様の真ん中から下(口方向)は砂があるので切り離して捨てる。
・可食内臓部分は塩揉みして洗う。
・身から切り離した蓋を先に殻に入れ、それから可食部分を盛り込んで、出汁を入れて焼く。
・出汁は、醤油に酒に鰹出汁同量で、アルコール分を飛ばしてから入れる。
とある。
家ではテリトリーを侵さないことをヨシとしているけれど、ここまで調べたら、まだ半分以上残っているサザエを調理するのは私の出番。
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梅雨空の三室戸寺は紫陽花より蓮

2024年07月02日 08時26分00秒 | アングル












紫陽花は終わりがけの筈だろうし、小雨霧雨時々止み間ありという梅雨空天候では人出も少ないだろうと三室戸寺に車で行く。
参道横すぐの駐車場は空きがあり、傘を差していても歩きづらくは感じないほどまばらな人出で思惑通り。
ということは紫陽花がもうとうに盛りを過ぎているということになるので、紫陽花園は横目に石段を上り、蓮を観に行く。
境内に置かれた鉢や木枠内に育てられている蓮は蕾から満開、そして咲き終わりの台(うてな)まで観られた。
レンコン作りの泥田や植物園の蓮池とは違った儚げの様子が寺に合う。
三脚を据えたカメラマンが居ないのも良い。
たまに聞こえるアジア系ヨーロッパ系の話し声も邪魔にならない。
その後、濡れた石段を慎重に下り、紫陽花園も一通り歩き回り、後戻りできない回転ドアが出口。
数件の出店に誘導される仕掛けで、茶団子の試食を差し出され、躊躇いもせずにもらって食べた。
甘すぎず抹茶の風味があり美味しかったけれど、入山料1000円×2と駐車代1000円の値上がり感が手をださせない。
紫陽花は変わった面白い花の咲き残りもあったけれど、花より虫に目が移る。
ホソヒラタアブ(細扁虻)はどこで見てもお洒落だ。
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