日が照っていたら、今は家の周りのどこででも赤とんぼ=アキアカネ(秋茜)が浮いている。
琵琶湖に注ぐ川で観る鮎の群は、今の時期(?)上流に向かって泳いでいるようでいて、ほぼおなじ場所に留まってゆらゆらしている。
それと同じ様に風に向かって空に留まっているような飛び方の赤とんぼの群が見られる。
電線や電話線にも等間隔でたくさん止まっていて、地上の丈高いものの先端にも必ずと言っていいくらいに止まっている。
体を温める必要があって、陽の光に翅を向けているのだとか。
歩いていると肩に止まったりもするから、私の被っている笠のてっぺんにはしょっちゅう止まっているはず。
東京昆虫記というブログが、子供たちの指先に赤とんぼを止めさせてみるという企画を紹介していたので、真似をしてみたら10秒ほどで止まらせるのに成功した。
見苦しく太短い指なので、ポケットに入れていた水道プライヤーでも止まるかとやってみた。
片手でスマホを構えながら上げ続けていると、たいした重さではないのに揺れてしまい、なかなか止まってくれない。
プルプルと腕が震える前になんとか止まってくれてパチリ。
昨日のアマガエルは、またサトイモの葉の上にいたもの。
左の小さい方は、私がやってきたのに驚いたのか、ひとっとび跳んだ場所がこちらで逃げ腰態勢。
それに較べて、右の蛙は跳んでこられたのに慌てる様子もなく、うずくまったまま安定姿勢にはまったまま。
石垣でも、オオゴマダラが新聞紙のようにひらひらして、お家の中にも入ってきます。昔はカメラを持ったが、日常だから、無視しています。
夕べの「・・負けるな一茶ここにあり」は・・・ボクは小林一茶と正岡子規をと間違えていました。
晩年、子規がカエルと自分を同じ、と感じて詩ったと思っていました。池に飛び込むカエルは一茶でしたか?芭蕉?アメリカ人がカエルは何匹が飛び込んだのか?と質問するそうです。
日本人はいいなーと思います。うちなーんちゅだけど。
そのように感じていただいたら、このブログをやっている甲斐があります。
>オオゴマダラが新聞紙のようにひらひら
ごくごく当たり前の日常なんですね!
とても良い感じじゃないですか!
>アメリカ人がカエルは何匹が飛び込んだのか?と質問する
どういう場で何歳くらいのどういうアメリカ人が言ったのか・・・ウケ狙いで言ったのかも・・
それとも、数が価値基準で一番大事なアメリカ人なら言いそうなこととして、作られた話かも・・
それとも、マスコミがやるように、部分だけを切り取って何かを強調しようとした記事かも・・
うちなーんちゅ、あめりかー、やまとんちゅという括りは、話を矮小にしますですね。たぶん。