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鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

『“障害者の性”を知る、考える』という報道特集を観て思ったこと

2010年01月23日 14時40分32秒 | 個人的主張など

毎日放送のニュース番組VOICEを一昨日観た。
http://www.mbs.jp/voice/special/201001/21_26603.shtml
すばらしく真面目で真摯な人たちがいるものだなぁと思った。
すぐに思い浮かんだのが、『ジョニーは戦場へ行った』という映画のシーンだ。戦場で負傷して、頭と胴体と性器だけになってしまったジョニーの話だ。慈しみと思いやりのある担当看護婦が、ある朝に性の介助をするというシーンがあった。そのシーンはもちろんあからさまではなく、わかる人にはわかる(男ならたいてい判る、女性でも性体験がある程度あれば判る)情緒的表現というのか暗喩描写がなされていた。20代だった私はそこに深く感動したのであった。

オランダの先進的な取り組みに対するNHKなどの報道特集にはいつも注目してきた。売買春の問題でもドラッグの問題でも安楽死の問題でも強く賛意を持った。いろいろと今回のタイトルの問題を検索してホームページや書籍紹介記事などを読んで思いめぐらしている内に、また思い出したことがある。

大橋巨泉という昔イレブンPMなどで有名なマルチタレントがいる。彼は独身時代に『自分は子供を作らない』という信念のもとにパイプカットをしたそうだ。プレイボーイだから、女性を孕ませてしまう危険を回避したのでもあろうが、そう決心させたものは何なのか。理由を言っている所をテレビで見たが、ついでに言ったに過ぎないコメントだったから納得できるものではなかった。何か深いものがあったのだろうと気になってきた。彼はかなり若いタレントと結婚して子供はできていない筈。パイプを繋ぐ手術もしなかったということだろう。タモリというタレントも子供がいない。彼はあるとき、あの独特のもうすぐ吹き出すよ、という笑いを噛み殺すような顔で「家庭にセックスはもちこまない」と言った。そして誰かが、子供を作らないのか子供が嫌いなのか、というような質問をしたら、「子供って、ほんとうにコドモ(わからずや)じゃない!?」と言っていた。笑いを誘うために言ったようでいて、何かとても深い彼の信条のようなものが含まれているように思ったものだ。

何故こんなことを思い出して書くか。それを詳しく自己分析して書いてもつまらないだろう。性は個々人の問題であり、当人同士の問題であり、家庭の問題なのだ。しかし何たって何だってケース・バイ・ケースのわけで、性生活のありようは組み合わせの数、あるいは人の数だけある多様なものだろうし、所有欲や支配欲や依存性や差別意識などから解放された性とはどういうものだろうなどといろいろと想像をめぐらすのである。

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姑息のこと

2009年09月30日 19時34分16秒 | 個人的主張など
意味を取り違えて理解され使用される言葉だという。かくいう私も何となくの理解で、正確な使用をしてこなかったような気がする。広辞苑によれば『一時のまにあわせ。その場のがれ』。

JR宝塚線脱線事故における元幹部の対応などは姑息そのものだ。一時というスパンの長短はあっても、ATS(自働列車停止装置)について資料を出さなかったり、その設置があれば防げたという項を削除させようと働きかけたりする行為はバレルに決まっている。

『姑息』をずるいとか卑怯という意味で使うのは間違いなのだろうか。(一時のまにあわせ)だって結果が悪くなれば、ずるくて卑怯だということになる。意味が強くなってよりマイナーになっただけのことだ。

本当の語源を知りたいと思い三省堂の新漢和辞典を引いた。『目前の安きを求めること。・・・十八史略・・姑息の政・・。女子と子ども』とある。

何となくシュウトメがヨメに対して息巻くようなイメージを思い浮かべたが、全然違った。結局、女子と小人は養いがたしというアレだったようだ。思慮に欠けるという事でしかない。

それにしても、思慮を欠いて目前の安きを求めてしまう言動の暴かれることが近頃多い気がする。総ての情報を隠さずに公開すること。素直に非は非と認めること。これをせずに、非難を浴び罪に問われ堕ちていく人の何と多いことか。

身の回りにもいくらでもいる。拗ねたり居直ったり隠したり口を閉ざしたり嫌いという悪感情から一歩も出ようとしなかったり・・・姑息なヤツは数知れない! と毒づく私もいつまでもどこまでも姑息なヒト。

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マスクのこと

2009年05月22日 07時34分58秒 | 個人的主張など
流行の豚インフルエンザのせいで、日本じゃマスクが品切れ売り切れになりネットオークションでは何十倍もの価格で取引きされているという。昨日新名神高速道路のサービスエリアに寄ったら、販売員が全員マスクをしていた。

私はマスクが嫌いだ。マスクをしたことはほとんどない。自分が吐いた息を又吸う感じの生温かい空気。そして口や鼻に汗をかいてくるのが堪らなくいやなのだ。だからマスクは買っていない。買う気もない。

ある医師が以前テレビでマスクの効能について言っていた。伝染るということに関しては効果は期待できない。他人に伝染さないということに関しては、クシャミをする時には飛沫が前面に飛び散らないという意味ではエチケットとしてよいが、効果は薄い・・・と。何たってウィールスなんだから、細菌なんかと違い極小でマスクなんか通り抜けるし空中に浮遊しての空気感染だ・・というわけ。

水際作戦だの臨時休校だの旅行中止だのと毎日マスコミが報じている。行政の対応も滑稽だが、このマスコミのはしゃぎようは何だろう。何でも新種に飛びつくのはマスコミの毎度のことだけれど、パニックを煽ってのお祭騒ぎにはあきれる。

これまでのインフルエンザでの死亡率の方が何倍も高い。これだけ騒いでも日本で死者が出てないということは、よほどでない限り日本では、あるいは日本人は、この豚インフルエンザでは死なない。これが将来的に強毒性になったら別だが、もう静観宣言をいいかげん出したらいいのに、何から目をそらせようとしているのか!? 厚生労働大臣の発表記者会見をどのチャンネルでも観るのはウンザリだ。

今朝の朝日新聞には、【新型の豚インフルエンザの感染者に若い人が多いのは、1957年より前に生まれた人の一部には免疫があるためらしい。そんな見方を、米疾病対策センター(CDC)インフルエンザ対策部門のジャーニガン副部長が20日、会見であきらかにした。・・・・】33枚目の社会面に小さく書いてある。一面トップで発表すべきではないのか! 今までのお祭騒ぎを持続したいために小さく扱っているとしか思えない。

マスクで思い出す数年前のニュースがある。インドシナ半島のある国の都会でバイクに乗る人が排気ガス汚染対策にマスクをしているのだが、そのマスクが手造りで、ブラジャーのカップの再利用なのだ。そしてそれがすごく流行っているというのだった。すばらしい。

海外特派員だよりといったラジオ番組で聴いたのだが、後で写真入りの記事も読んだ。たくましい・・・という言葉はそぐわない。なるほどガッテン・・・と言おうか、ナイスと言おうか、すばらしい乳巣であった。変換遊びしました・・・ニュースであった。

日本の只今の状況では、マスクの販売が100倍にもなったという取り扱い業者のインタビューがあった。大幅増産体制に入ったという景気のよい話もあった。差別化(この言葉を商品に使うのはよくない。なぜ区別化としなかったのか!)を図ろうと、さまざまなオシャレな高額商品もでてきているそうだ。

ワコールさんも、ちょっとした工夫をしてオシャレマスクを販売するんだろうか?バレンタイン・デーに自分の使用済ブラジャーをマスクに作り変えたのを男性に贈るなんてのも流行ったりするんだろうか? 一つで二つできるから、二人の男性に贈るなんても有りだろうか? そんなレースのひらひらブラック・マスクなんかだったら着用してみたい。

それはともかく、誰もかもマスクをするようになって、マスクをしない人間を白眼視するような風潮が起きないことを願っている。銀行強盗、コンビニ強盗などの犯罪がやりやすくなったり増えたりしないことも願っているのである。
 

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ターミナル・ケアのコミュニケーション・ツール

2009年04月24日 19時07分59秒 | 個人的主張など
タイトルに書いた形で検索をしたが、私の望む紹介記事あるいは論文はネット上では探せなかった。どこかにいくらでも書かれているのだろうけれど、検索方法が悪いだけなのだろう。

そのように検索したのは、身内に不幸があったから・・・。『シマッタ!遅かったか・・・』という思いをしたのだ。制癌剤の副作用で難聴になり、看取る家族が意志疎通に苦労していると聞いていた。そんな折、ミクシー仲間が補聴器の購入レポートをタイムリーに書いたのを見て、連絡しようとしていた矢先に訃報が来たのだ。補聴器は性能が良くて割安なもので片方15万円位ということだった。

通夜で、果たせなかったから詮ない事ながら補聴器のことを言ってみた。義姉が、耳に口をあてて話すのが大変だから補聴器を買いたいと医師に言ったところ、耳に合うのでないと駄目だから・・・ということでうやむやになってしまっていたらしい。

しょせん医師は医師であって、身内の必死さや死に瀕している人間の希求なんてわからないものなんだろうと思ってしまう。たとえ1日だけしか使えずに死んだとしても、金銭に換えられぬ『よかった』という思いが残る方がどんなにか良いだろう。

実を言えば、故人とは訳ありで10年以上会うことができなかった。何とか対話を持ちたいと願ってはいたが、会うときはどちらかの葬式でしかないだろうという諦めの気持ちも半ばだった。もちろん自分の方が先に死ぬという事は、先ず無いだろうとは思っていた。

死の間際の数日は、多くの面会者にも会いたくないと言っていたらしい。食べても吐いてしまい、痛みもあって、しんどいのだからさもありなん。補聴器があったとて、何ほどのものかとも思われるが最後は何故か丸々三日程も眠り続けて死んだという。薬が効き過ぎたんじゃないかしら・・・とのことだったから、匙加減の間違いかと誰もが疑う呆気ない死だったようだ。

死はたいてい残念無念なものだけれど、遺族席の一人一人がそれぞれ微妙に違った感慨の残念無念を感じていた筈だ。誰も表立って嫌味を言うこともなく、あてこすりも皮肉も言わなかったけれど、私だって遺族席に並んで座りながら残念無念だったんである。合掌して瞑目しても視野が暗くなっただけだったけれど。

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『たかじんのそこまで言って委員会』よ、さようなら

2009年04月16日 13時26分36秒 | 個人的主張など
読売テレビの日曜日PM1:30~3:00、やしきたかじんと辛坊治朗司会のニュース・バラエティ番組がある。常連メンバーとゲストが様々なニュースを解説批評するものだ。

理性的であったり、情緒的であったり、政治的であったり、でも必ずと言っていいほどの独断的決め付け意見が多くて面白くもあった。反面教師としてとらえるならいい例という人間性、言い方、論理展開なども多くあった。

4月12日の分を見てガッカリした。もうこの番組は見ないと決めた。北朝鮮問題の話題の時に、常連メンバーの意見が田嶋陽子1人対メンバー多数という形になった。多様な意見が多様な形で出るのではなく、はっきりと二極化してしまった。

その時、田嶋陽子が「みんなツルンで戦争したいんでしょう?」と鋭く批判した。そのみんなとは誰か。それぞれに私が受ける印象を書いておきたい。

三宅久之;元政治記者という立場や年令や外見や話術などを最大限に生かしたビジネスマン。巧妙に時代を生きる策略家。確固たる思想はあるかどうか見えない。おそらく無い。

金美齢;感情的喧嘩屋。論理の矛盾を突かれると知らん顔して黙るが、次に自分ががなりたてる機会を虎視眈々と待つ。戦争をけしかける挑発者であり見物人。

勝谷誠彦;敵を見定めて攻撃することに生きがいを見出している人。編集されて『ピー』音で救われている。正確かどうか疑わしい情報を元に口汚く個人攻撃や特定マスコミ批判をする。流言蜚語の源になるタイプ。

宮崎哲弥;揚げ足を取られない慎重な言い回しをして、冷静で論理的に見える。ところが、なぜか激することがあり、そういう時は、大抵論理に破綻を来たしている。展開に無理があるから、自分に腹が立っているのを転化して激しい口調で押し切ろうとするように見える。何故この人の冷静な物言いから、そんな結論になるのかいつも不思議に思う。

桂ざこば;庶民代表として自他共に認めているフシがある。お笑い界人や大阪人を一人で貶めている面があることに気付かないおっちょこちょい。もしかしたら危うさにより使われている。

番組の終りの方で、金が自分のウチで開いた花見のパーティの事を言い、三宅が「金さんのとこからは新宿御苑が見下ろせてとてもいいロケーション・・」と言った。宮崎と勝谷がそのパーティで会ったと言い、ざこばは招待されたけど用があって行けなかったと詫びる手まねをしていた。

そこで田嶋がすかさず、「ほらみんなツルンでるんでしょう・・・私なんか声も掛けてもらってない・・・」と言ったのだ。田嶋は普段は都合の悪い突っ込まれ方をすると、拗ねるように黙ったりがなりたてたりで、品の悪い男共の挑発に乗って、見苦しいこともあったが、今回は孤軍奮闘凛々しかった。今までに感じなかった好感を田嶋に感じたのだが、それと共に『この番組は終ったな・・』と私は思ったのだ。

バラエティ番組とは言いながら、ギリギリの本音を言おうという姿勢をレギュラーに徹底しているかと思いきや、私的な交流などをしていたのだ。これでは思想もくそもない。お互いに補完しあうだけで、侃々諤々の議論は望めない。これで何故この番組が面白くなくなってきたか理由が解った。司会のやり方いかんでどうにでもなるのかも知れないが、今までのままなら駄目だろう。

田嶋の印象も書かないと片手落ちなので書いておこう。(尚初めての安里繁信と村田晃についてはなじみがないので割愛)

田嶋陽子;剛毅な女という印象。男に向かうのに、男の論理と方法で戦っている。山口もえと金と三者三様の女性像。しかし理性的に論理を展開させる能力がありながら発揮できていないように見える。ジュンジュンと説く話法を身につけたら良いのにと思う。もう見ないと思うけれど奮闘を期待するものである。(敬称略 失礼 不悪)


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北朝鮮のロケット発射のこと

2009年04月04日 03時16分12秒 | 個人的主張など
北朝鮮のその筋が人工衛星を打ち上げると予告している日が4/4~4/8だそうだが、発射は今日らしい。あえて、その筋と書いてみた。その目的や受け取られ方が複雑のような単純のような具合だから。

ニュースではミサイルだミサイルだと言っている。その筋は『人工衛星を運搬するロケットを打ち上げる』と発表しているそうだ。飛翔体と自衛隊は言っている。本土に落ちてきたら迎撃するんだ撃ち落すんだと、何だか嬉しくて堪らないように見える。地対空誘導弾だ迎撃ミサイルだと、こちらの方が危なくてしょうがない・・気がする。

もうすでに行く先を間違えて、パトリオット運搬中の車輌をどこかに擦ったりしているけれど、パニックになった自衛隊員が何か失敗をしでかさないかと心配する人も多いのではないかと思ったりする。

前回のテポドンをミサイルだと言っているのは日本だけらしい。先端が爆弾であればミサイルで、人口衛星ならロケットだ。根は軍事なのだから区別するのがおかしいという意見もニュースで聞いた。

それにしても、ロケットが間違って落ちてきたとて何ほどのことがあるのだろう。毎日飛行機が何百何千と日本の空を飛んでいて、不幸にも稀に墜落事故があっても、人家や人に命中することはめったにない。

漁師が漁を取りやめたり、公の何かの行事を縮小したり延期したりすることもあるようだ。そしてそんなことをほじくりだして、又は煽って事を荒立てているのがマスコミだ。そんな風にしか見えない。

イランが少し前に人工衛星打ち上げに成功したのは、北朝鮮からの技術供与があってのことらしい。だから彼の筋は自信をもっての打ち上げなのだろうに、画像を分析しては、動きが活発になっているとか、ロケットの先が丸みを帯びてるから核弾頭ではなさそうだとかニュースで言っている。その画像は他所の国の上空を飛んで映している偵察衛星からのものなのだから何か変。

北朝鮮の今回のパフォーマンスは国内向けの意味よりも、交渉上手の切り札としてのものだと言われている。だったら日本の政府その他が騒げば騒ぐ程、思うツボだと思うのだが、日本で騒ぐ人たちもこれを好機と捉え、喜んで事を運んでいるように見える。

何故か、北朝鮮と日本双方のその筋の利害が一致しているようにさえ見えてくるのは思い過ごしなんだろうか。何かの密約があっての一致した利害ということはないだろうけれど、ポーズを取る視線の先と目的がそっくりのような気がするのだ。全部新聞とテレビからだけの憶測でしかないけれど、そんな風に思う。

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運転免許返納には報奨金を出せ

2009年02月01日 19時17分36秒 | 個人的主張など
またアクセルとブレーキの踏み違え事故が起きた。報道には出ないが全国各地で、どんくさかったり、疲れていたり、あわてんぼうだったりする人達がたくさん、アクセルとブレーキの踏み間違い事故を起こしているのだろう。

ネットで調べたら、アクセルを膝の動きで行い右足はいつもブレーキペダルに載っているような仕組みの踏み違え対策ペダルがあるそうだ。車検時の代車など他の車に乗る場合は、馴れが優先して危険という面もあるようだが・・・。

やはり、私が『アクセルとブレーキの踏み違え事故のこと』で書いたように、アクセルを強く踏んでしまったらそれが急ブレーキになる構造のものを作って普及させたら良いのだ・・・と、まだ思っているのである。

ところでタイトルのことだ。免許証返納をネットで調べたら無料とあった。それはそうだろう。それだったら、免許更新に出かけずに失効させたらいいのだ・・・とは思うものの、何だかあほらしくなる。無料という文字を見てアホクサ!と思うのだ。

運転を習い、免許を取り、活動範囲を広げ、運搬をし、経済活動を広くやってきた人間が免許証を返納するのだ。それがどういうことを意味するのかを、全く考えていない無神経な『無料』だ。

5000円なり10,000円なりの報奨金というのか、功労金のようなものを出したらいいのだ。そうすれば老人の運転技量に対する自覚が促せるのではないだろうか。返納もしやすくなるのではないだろうか。結果として、老人や運転を出来にくくなった人の運転が減り事故が減る。

故意に事故を起こす人間はめったにいない。多くの事故を分析して比較検討すれば、事故による損失よりも事故防止費用としての返納報奨金の方が確実に安上がりだと思うのだがいかがなものだろうか。行政には長い目で観て計算して欲しいのだ。

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日本で戦争は起きない

2009年01月20日 17時32分44秒 | 個人的主張など
今まで書いてきたことを反芻してみると、やはり『日本で戦争は起きない』というところに帰結する。『日本は戦争を起こせない』という方が正しいかも知れない。
日本によその国が戦争をしかけることももはやあり得ない。損得勘定をしたら、どうしたって割りに合わないからだ。情緒的にいくら煽ったところで、内にも外にも名目が成り立たないからだ。

今の金融不況を100年に一度という言い方で、ことさらマスコミが強調している。アメリカは1929年の恐慌を第二次大戦に参戦することにより好転させることができたのだと言って、今回もそのような危惧をにおわす人もいるようだ。大戦争が引き起こされ軍需景気でアメリカの経済は立ち直ろうとするとでも言うのだろうか。大戦争が起きたら核戦争になり世界は滅びる。つまり戦争は起きないということだ。軍需景気はないということだ。

冷戦構造が終わって、自衛隊は存続の名目がほとんど立たない筈なのに存続しているのは何故だろう。前回に書いたガス抜きだったりするのだろうが、一番の理由は商売上の理由だ。どうしてもアメリカの軍需産業から戦闘機などを買わなければならないからだ。圧力もあり莫大な利権もあり、憲法なんか無視して曲解して突っ走って来たのだ。表向きの軍事論なんかでケムにまきながら。

テロリストの側に立つか我々の側に立つか、二つに一つだなどと息巻いたブッシュは去り、融和をにおわせるオバマに替わるのだから、今こそ日本はテロを起こさせないために、自衛隊の武装解除を表明すべきだ。自衛隊という軍隊もどきがあるから攻められたり、テロが起きたりする可能性があると脅える人はかなりいるのではないだろうか。

「自衛のために普段からナイフを持ち歩いていた」と人を刺し殺してしまった人間が供述した事件がつい先頃あった。ナイフを持つから(持つような人間だから)トラブルを起こすのだ。自衛隊を応援しているという評論家だったか『言うことをきかないと話し合うぞ!』と言うんじゃ話しにならない・・と言っていた人がいた。話し合いもせずにいきなり力をちらつかせての外交や圧力など、それこそ話にならない時代錯誤だ。

金融不安による経済危機にあって、アメリカの大統領も変わり、チェンジが期待されている今こそ、日本は自衛隊を変えていくチャンスだ。

海上自衛隊は全部海上保安庁に組み入れたらいいのだ。そして海上保安以外に不要な武器や艦船を改造したり廃棄したらいいのだ。

陸上自衛隊は、国土交通省の中に組み入れたらどうだろう。そうとうの国土交通関連土木部隊ができあがるのではないだろうか。災害派遣や復興支援は国内と言わず国外にもどんどん出て行ったらいいのだ。ただし武器を一切持たずに。不発弾処理や地雷撤去など世界各地で早急に必要とされていることはまだいくらでもある。

航空自衛隊は、上記二つに振り分けたらいいのだと思う。そうして、それぞれが戦争ゴッコのような軍隊ゴッコのようなことをしてきた武器弾薬は廃棄し、平和活動だけに仕事をしぼれば各自衛隊員の士気はどんなに上るだろう。国民にも国際的にも認められての人助けの仕事ほど誇らしいものはないだろう。

頑張れ自衛隊!と言いたい。

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もしも日本が攻められたら・・世界各地で勃発してるようなテロが日本でもあったら・・という前提について。

2009年01月14日 14時53分16秒 | 個人的主張など
日本の近隣、アジアにおいての核爆弾保有国は北朝鮮、中国、ロシア、インド、パキスタンだ。ロシアはアジアではないが戦争もしたし北方領土を占領している隣国だ。領土問題は中国とも韓国とも係争中だ。軍事大国になった中国は、地下原潜基地も持っているようだし、近々アジアでは初めて空母を持つ国になるそうだ(建造中)。これらを踏まえて書いてみる。

日本が攻められる可能性はあるのか。
これだけ高度に依存しあう流通経済の時代にあって、突発的に起こることはありえない。日本には宗教対立もほとんどない。どういう団体の誰が煽ろうにも大きな対外的な火種はありえない。小さな嫌がらせ的小競り合いのようなものは、島の占有問題において起きる可能性はあるだろうが、深刻な事態にはならない。双方が深刻な事態にはしない筈だ。周り(アジア諸国、欧米諸国)が深刻な事態にはさせない筈だ。結局誰の得にもならないだろうということが、すぐに知れるからだ。自衛隊があるからそれを防げるのではなく、自衛隊が存在することにより深刻になりそうな気配は生じても結局深刻な事態にはならないだろうと思われる。

他国の軍事部門の一部が突出行動を起こす場合はあるのだろうか。
どこの国でも軍隊は政治の元に掌握され常に完全管理されているとは限らない。戦前戦中の旧日本軍の関東軍や陸軍が独走したような事があり得るのだろうか。自衛隊を縛りのない軍隊へ、憲法9条改定せよと考える人達の根拠は、この不安にあるのだ。そして軍事的優位に立っての睨みこそが日本の安全を保証するという訳である。とにかく自衛隊をれっきとした軍隊にしたいのだ。そして、日米安保によって守られているという認識が口惜しいばかりに、自国で核爆弾(つまり核ミサイル)や原潜を持ちたいと夢想するのだろう。
突出行動はあったとしても、すぐに収まるに違いない。そういうことを許してしまうほど、どこの国の国民も指導者も愚かではないだろうと思う。歴史は繰り返すと言うけれど、繰り返す条件も状況もグローバル化によって加速度的にかけ離れていきつつあるのだ。

テロが日本で起こる可能性はあるのか。
ほとんど有り得ない。様々な失敗を犯したブッシュ・アメリカにべったりと寄り添った状態でさえ、日本ではテロが起きなかった。ブッシュの失政を教訓にして成立するオバマ・アメリカでの元なら、尚のことテロの可能性はなくなるだろうと思う。可能性があるとしたら、自衛隊が海外派兵などをして、トラブルが起きた時だろう。ソマリア沖の海賊対策にしたって、自衛隊が行くことはない。海上保安庁の仕事だ。日本近海の漁船拿捕や侵犯だって海上保安庁を強化すればいいのだ。
自爆テロなどのどんなテロを起こす側にも、それなりの正当性があるのだろうが、日本で起こす正当性はほとんどない。様々な国際会議に対する警察の警備も厳重だ。インドのムンバイで起きたようなテロがあったとしても、自衛隊が出る幕はない。警察を押しのけて軍隊としての自衛隊が出てくるように仕向けるテロはあり得るかも知れないが、それは自衛隊があるから起きるテロだ。しかしそういうテロもないだろうと思う。自衛隊は憲法9条に守られた偽軍隊なのだから。ある不安を持つ人々を慰めるためのものであり、力の論理でしか国際政治を考えない人々の好戦意欲をガス抜きするために存在しているようなものだから。

軍隊を持つことに異を唱え9条を守ろうと言う人の意見に対して、理想論だと反発する人がいる。それに対して、理想がなぜ悪い、そのお金を福祉などに使ったらどんなに良いか・・・というような応え方をしたのでは、水掛け論になるばかりで収拾がつかない。核および軍事を背景にする外交の古めかしさ、不経済をもっと主張すべきだ。理想論や夢だと言われるのなら、それを飛躍させた形の軍事軍備につぎ込む代りに宇宙開発、海洋資源開発へと語ったらいいだろうに・・と思う。
軍隊が不必要な世界になるに越したことはない。軍隊は消滅するべき存在だということが、大前提にあっての事でなければ国際政治は語られてはならない。それなのに軍隊組織はファッションメーカーが流行を作り出して無理にでも需要を掘り起こすように、組織存続拡大だけが前提になって自己主張しているのは、どこの軍隊でも宿命的に当たり前のことなのかも知れない。軍人及び好戦的な人は軍事の尺度でしか国際関係を計らない。

再度言いたい。軍備軍事を背景にした外交は古いのだ。どうしても目に見える形の軍隊という力でしか国力や愛国心を確認できない種類の人々のために、軍隊があるのだ。なんという無駄使いだろう。本当にもったいないことだ。もったいないと言えば、金融工学などというばかげた仕組みの虚業による金融商品で踊り狂った人種にも呆れるばかりだ。

まとまりのない主張になった。どう〆ていいのかもわからなくなった。仮想敵を定めて、それに向かって攻撃するのが一番効率のよい理論構築になるのかも知れない。おっと、それでは軍隊支持者と同じことだ。しばらく考えてみたい。

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アクセルとブレーキの踏み違え事故のこと

2008年12月28日 00時40分52秒 | 個人的主張など
75歳以上の車運転者に高齢者マーク(もみじマーク)の表示が義務化されたのは今年6月からだが、これが老人いじめだと不評で1年間は違反者摘発を見送る方針だったそうだ。来年はその義務も撤回され罰則はなくなるようだ。義務を課したり罰則を設けたら事足れりという浅智恵が独り相撲をしているのだ。

ときどきマスコミで目にする事故報道に、アクセルとブレーキを踏み違えて起きる事故がある。コンビニなどの車止めを乗り越えて店舗に突っ込んでしまったり、咄嗟の事態に、何かを避けるつもりが逆にそこへ突っ走ってしまうということがあるようだ。だいぶ前だが、ブレーキを踏んだつもりでアクセル踏みっぱなしになり暴走のあげく大惨事になった事件が大阪で有った。

運動神経が鈍っている老人の運転によることが、やはり圧倒的に多い。それを防ぐにはどうしたらよいか・・・。高齢者マークなんかで自覚を促そうと役人や警察関係者は考えるのだろう。

車自体を変えたらいいのではないか? 運転する人なら判ると思うのだが、咄嗟のときにブレーキを踏んだら、止まるまで思い切り踏みっぱなしになる。スリップして横に滑り始めても、ブレーキを緩めるなんて事はなかなかできないのだ。

パニックになればなるほど、踏みっぱなしだ。急制動で一番有効なのは、ポンピングブレーキだ。でもそれが咄嗟にはできないから、自動ポンピングのアンチブレーキシステム(ABS)というのが作られた。

それなら、アクセルをブレーキと間違えて踏んでしまったら、アクセルがブレーキになる装置を作ったらよいのだ。アクセルを急激に踏みっぱなしにするなどということは、スピード好きのカーマニアならやることがあっても、一般人はほとんど誰もやらない。だからこそ、アクセルがブレーキにもなる、そんな装置は簡単に作れると思うのだ。

老人でも安全に運転できる車、老人を守る車というのが作られれば良い。そういう事をコンセプトにした車が何故できないのだろう。メーカーの怠慢か、それとも役人の想像力の欠如か。

アクセルがブレーキになる車を作れ! とメーカーには是非言いたい。もうできているのか?特許の関係で作らないのか?採算だけの問題なのか? どなたか・・ご存知の方は教えて欲しい。

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田母神発言は矮小個人テロを誘発する(2)

2008年12月16日 19時32分24秒 | 個人的主張など
間が空きすぎて書きにくくなった。そこでいきなり結論を出し、そこから遡るような形で何とかこのタイトルの文を終わらせてみたい。どんどんタイムリーでなくなり、金融恐慌がらみばかりでマスコミは田母神発言など忘れてしまっているようだ。

さて、矮小個人テロとは元厚生事務次官連続殺傷事件のようなことだ。全く世間からずれた感覚の事件のようだが象徴的な事件だ。短絡的に思慮もなく敵らしき目標を定め、個人的行き詰まりの現状打破を図るためには、あんな形で無理心中を決行するしかないと思い込む人間がいるということだ。

あの犯人の個人的資質の異常性をマスコミは強調して取り上げているように見える。しかしそんなことはあまり意味がない。池田小学校児童殺傷事件も秋葉原の連続殺傷事件も根は同じだ。矮小に変質したヒロイズムを満足させるための無理心中でしかない。

田母神発言がなぜそのような事件を誘発するか。田母神発言自体が浅薄な個人的思い込みによる突出という意味で矮小個人テロと同質だからだ。空幕長という立場にありながらのゲリラ的発言は、過去の歴史も現実世界も白黒はっきりさせて敵と戦うという単純構図を国民に植えつけたいということだからだ。

《たかじんの「そこまで言って委員会」》というテレビ番組に出演した田母神元空幕長は、「日本は自虐史観から開放されないといけない」と言い。辛坊治朗読売テレビ解説委員の、あの論文は慎重さが足りなかったのではないか・・という質問に「慎重さが足りない足りないとよく言われるんですが、私は慎重さが足りないんじゃなくて、身長が足りないんです」とおちゃらけて見せた。

先の1~4について、以上を踏まえて思うところを書いてみよう。
日本は敗戦を受け入れのだ。沖縄を見殺し見捨て、広島の原爆投下、ソ連のいきなりの参戦侵攻、長崎の原爆投下を受けての決断は余りに遅きに失した格好ながら降伏を受諾した日本というのは当時の天皇と日本政府と軍部だ。

1、戦争責任を認め謝罪したいわゆる『村山談話』を国を売る行為だと非難する発言が先の番組内であった。国を代表して国際社会に自国の過去の非を認め、謝罪するという行為が何故売国になるのか。非を認めるという潔い行為を非難し、謝罪する謙虚さを逆に罵る狭量さは子供っぽい。何故あの談話こそ日本(人)的良さ或いは大人の態度と思えないのか。

2、敗戦後の日本人は耐え難きを耐えて多くのモノを受け入れてきたのだ。憲法9条は押し付けられたものだから良くないというのはあまりに幼稚。どのような経緯でできた文言であれ、良いものは良いとして受け入れる度量の大きさを我々は持っていると諸外国(人)に誇れるではないか。

3、「外交の現場を経験してきたものとして言えるのは、憲法9条こそ日本の最大の安全保障だ」と元外交官の天木直人氏が先の番組で発言をした。あの番組の中では最も説得力のある発言だと思えた。「外交はきたないもの・・・」と田母神氏が発言した後での事だったからなおさら納得できた。

4、核爆弾を製造保持したからこそ北朝鮮はアメリカなどとも対等に渡り合って巧みな外交を展開している・・・という発言もあった。そして、北朝鮮のような国がいきなり戦争をしかけてくるかもしれないから、核を自由に使える形にすべきだという発言(非核三原則などはとうに破られて原潜空母により核は日本に持ち込まれているわけだが・・・)すらあった。軍事ほど不経済なものはないのに、まだ軍縮に逆行することを議論しているのだ。

アメリカの巨大産軍共同体がアメリカの世論も対外政策も動かしていかに多くの過ちを起こさせたか・・・。北朝鮮の独裁軍事国家がどういう国内状況を作り出しているか・・・。それらを反面教師として見ながらも何故か同じ轍を踏もうとしているように見える。

再度強調したい。高い地位にいる(いた)人が、思慮のない軽率な発言をした場合、類似の思い込みをする人間が現れて矮小な個人テロもどきの犯罪事件を誘発することが危惧されるのだ。『風が吹くと桶屋が儲かる』よりも、もっと短絡して現実的な事だと思うのだが杞憂だろうか。

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田母神発言は矮小個人テロを誘発する(1)

2008年12月03日 04時59分16秒 | 個人的主張など
元空幕長の懸賞論文及び国会での証言その他の発言の真意を要約すれば、以下になるだろう。
1、戦争に負けた日本は、勝った側に都合のよい一方的な歴史観を押し付けられている。
2、日本は侵略国家ではなかったし、よい国であった。
3、憲法9条を廃し、自衛隊は自由に武器を使える自立した軍隊になるべきだ。
4、日本は核武装も視野に入れ、武力を背景にしての強気の外交をすべきだ。

田母神氏の最大の誤りは、国というものを人間一人の感情レベルであつかい、話を展開することだ。

1、歴史的事実が様々な角度から検証され、多くの証言が成されているにも関わらず、日本の敗戦が悔しくて堪らないという感情から発した希望的意見を述べているに過ぎない。

2、日本という国をあの大戦に引きずりこみ泥沼の深みに導いたのは、外部要因を別にすれば、民主的ではなかった国の体制と指導者の失政と軍部の独走だ。国民は踊らされ、我慢を強いられ、インチキの報道を伝えられて理不尽に統制されていた。その戦前戦中の体制をあれで良かったというのだろうか? 良い国家体制だったというのだろうか? 日本人が日本にいて、『日本は・・・』と語るときは個別の風景や風土や慣習や政治などを外国と較べるときであって、よい国あるいは悪い国と曖昧に全部を含めるように語るのは騙しのトリックでしかない。

3、憲法9条と自衛隊の存在は完全に矛盾しているということを、誰よりも感じているからこその発言なのだろう。イラク派遣時の〈かんけーねぇ発言〉もそうだが、彼は軍隊が持つ属性をさらりと正確に表現する素直な人間なのだろうと想われる。軍隊は経済や文化や外交を無視して、軍備を尺度とした単純な構図だけで国際関係を推し量り自国の不利を訴え、組織強化増殖をひたすら目指す宿命にあるのだろう。

4、日本政府は唯一の被爆国として、核軍縮、核兵器廃絶を何をおいても叫び続けなければならない立場にある。核戦争は何としても防がなければならない。地球を全く人の住めない星にしてしまうに十分な核爆弾を人類はすでに保有している。核戦争が起きたら、もう世界は終わりだということが知れ渡っている筈なのに、外交の具としてまだ核兵器が必要だと主張するのはあまりに愚かだ。

核戦争は決して起きない。狂気に駆られた独裁者あるいは大統領がボタンを押す決断をしても、必ずやそれは阻まれる。なぜなら誰の得にもならない壊滅的破壊を望む人間が大多数を占めることはないからだ。     つづく

追記;せっかくのインターネットだ。趣味の世界での個人的発見の喜びを書くだけではなく、井の中からだって大空を見上げ大海を想ってのことも主張していこうと思う今日この頃。

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小泉純一郎氏は衆議院解散前に北朝鮮を訪れるべきである

2008年09月27日 19時33分29秒 | 個人的主張など
小泉氏が政界を引退すると表明した。感心されたり非難されたりしている。気を引くキャッチ・コピーのようなセリフだけを勇ましく吐いてはケムにまき、アメリカ追随一辺倒をゴリ押しに進めてきた人物としか私には思えない。

郵政民営化も、郵便局に預けられた莫大な死蔵貯金に目をつけたアメリカの至上命令だったという分析を読んだことがある。それを読んで私はそれまでの疑問が解けた気がした。民営化必要論などの理屈はいくらでもつけられるが、要はジャパン・マネーが必要だったのだ。

イラク戦争も大量破壊兵器があるからという理由で始められたのに何も無かった。小泉ジャパンは、ブッシュ・アメリカにピタリと寄り添って追随したのに、そのことについての反省の弁は一言もない。アメリカ政府の起こしたイラク戦争はイラクからの原油の安定的確保目的だったし、同時に軍需産業からの武器消費の要請に応えてのことだったのだろう。

それらのことはともかく、小泉氏の訪朝によって拉致被害者及びその家族が一部でも帰って来たことは、彼の偶然成しえた大層な成果だった。普段はニヤケることの多い小泉氏が、ニコリともしないで金総書記と対面しているのが印象的だった。

衆議院解散から選挙へと秒読みに入った観のある今、なぜか引退を決意したらしい。S.P.に囲まれて足早に歩く映像を観ると健康不安があってのことではなさそうだ。現首相自らか、友達の友達にアルカイダがいるとかいないとかの大臣その他が失言をして、一気に解散に雪崩れこむ前に、小泉氏は訪朝すべきではないのか。

金総書記が脳梗塞になったと伝えられている。死亡説もある。それなら二度も直接対話をしたことのある小泉氏が政府からの派遣ということではなくて、元首相という立場からでも病床を見舞うような形をとって訪朝したら、拉致被害者の帰国につながる何かが得られるかも知れないではないか。

なぜマスコミは、それを促す発言をしないのだろう。北朝鮮の権力構造は軍と政府と党とで微妙なバランスらしいのだが、すべての決定権を金総書記一人が握っていて、今はどういう状態かわからないらしいが、それならなおのこと、行動を起こせばひょいと消息解明の糸口がみつかる可能性だってあるではないか。

今こそ小泉氏がそれをできるキー・マンのような気がするのだが、誰もそれを言い出さないのは何故なのだろう。言っているにしてもマスコミが取り上げないのだろうか。何だかとても不思議だ。それとも小泉氏の今までの実のない言動に誰もが、言っても無駄と諦めているのだろうか。

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『死神』呼ばわりは「お前の母ちゃん出べそ」と同じ

2008年06月26日 19時27分23秒 | 個人的主張など
コラム『素粒子』に書かれた記事に鳩山法相が怒りをあらわにして朝日新聞批判をした。時々おかしなことを口走る法相に対する揶揄だとしても『死神』は幼稚だ。陳腐さをあぶり出そうとして自分が陳腐になってどうする。この記者はゲームやアニメ好きなのだろうか。

『死神』とされたことに対して無視できずに怒りをあらわすなどというのも、これまた挑発にのって悔しがる子供レベルだ。とはいえこれは政治的意図があっての作為的発言なのだろう。鬼の首を取ったかのごとく朝日新聞という組織全体を否定してみせた。秘書官が発言のシナリオをつくるのだろうか。マスコミに対する牽制というより圧力なのだろう。

日曜の番組《サンデーモーニング》で、つい先頃死刑が執行された故宮崎勤死刑囚の事が話題になっていた。「あの事件は結局何だったんでしょうね。何故起きたのかもよく判らず、本人の反省も謝罪もないまま刑が執行されて・・・残念ながら解明されないでしまったんですね」という発言があった。

そうなのだ、現在の制度では、こんな結末にしかならないのだ。あの事件は間違いなく精神を病んでいる人間にしか起こせない。しかし責任能力ありとして死刑判決は下され刑も執行された。

それで何が教訓として残ったのだろう。いかり肩で天然パーマの色白の全く表情を動かさない眼鏡を掛けた青年の映像と、釈然としない感覚しか残らなかったような気がする。関係した多くの人達にしても絶望感や嫌悪感や徒労感などのマイナス感情が残っただけで、同情や理解や達成感などのプラス感情はあまり得られなかったのではないだろうか。

ここまでを日曜の午後に書き何となくブログに出し損ねていたのだが、『全国犯罪被害者の会』が記者会見を開いて抗議したという記事を読んだので、少し文を追加して出したいと思った。

・・・重大事件の被害者や遺族で「全国犯罪被害者の会」(あすの会)は25日、都内で記者会見し、「被害者遺族も『死に神』ということになり、我々に対する侮辱でもある」と抗議した。代表幹事の岡村弁護士は会見で、「私たち犯罪被害者・遺族は、死刑囚の死刑執行が一日も早いことを願っている。発言は、鳩山法相に対する批判であるが、そのまま犯罪被害者遺族ににもあてられたものだ」と述べ・・・(朝日新聞6/26朝刊より抜粋)

死刑囚の死刑執行が一日も早いことを望んでいるのか・・・と今さらながら衝撃だった。あからさまな報復感情の吐露と言えるだろう。このように表明することでしか心の収まりがつかないということだ。それは重大凶悪事件に対しての現在の司法・行政が、被害者や遺族をいかにないがしろにしているかということの証明だ。

被害者・遺族は『なぜ』を直接問いかけることすら出来ずに、ほったらかしにされ、悲しみと悔しさの末に、加害者個人の死を望むしか希望を持てない状態になるのだろう。光市母子殺害事件の被害遺族の発言にそれがはっきりと顕れている。彼(本村氏)の発言に『妻子の死の直前のことは加害者しか知りえないから本当のところが知りたい・・』という内容があった。彼が切に望んだのは死刑判決などではなく加害者から《真実を直接聞く事と謝罪の言葉》だったようだ。

現在の刑事事件の裁判制度は、加害者を被害者から取り上げて、いたずらに報復感情をあおっているようなものだ。矛盾に満ちた制度のなかで悪感情が増幅していく。

テレビなどマスコミの編集のせいなのだろうか・・? 鳩山法相には、人の死をも握っている地位の懊悩や躊躇などが微塵も感じられず、気味悪さは増すばかりだ。

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秋葉原の無差別殺傷事件で思ったこと(その4)

2008年06月15日 12時26分55秒 | 個人的主張など
インターネットのポータル(玄関)サイト最大手のヤフーは13日、東京・秋葉原で17人が死傷した無差別殺傷事件で凶器として使われたダガーナイフの取り扱いを、運営するショッピングとオークションの両サイトで全面禁止した。(読売新聞より抜粋)

サバイバルナイフというよりも、今回の事件によってダガーナイフという特定短剣が広く知られることになったようだ。Wikipediaのその項を読んでみると、『・・・急所を的確に狙わないと致命傷を与えられないため、武器としての絶対的な威力はあまりない・・・』とある。

とはいえ今回の事件では、大変な数の犠牲者だ。不運が重なった結果なのだろう。マスコミは亡くなった方々の事は、ことさら詳しく報道する。遺族に対しても当たり前のように群る。気の毒で観ていられない。やりきれないだろうなと思う。

救命救急の仕事に携わっている知人と話す機会があった。あれだけの人がいて、咄嗟の行動力のある善意の人もいて、偶然に居合わせた優秀な医師もいて、的確に指図も出して処置も心臓マッサージもして救急車もかなり早く到着したようなのに、動脈をやられたら救命は難しいのか? と聞いてみた。

動脈の場合は血が本当に噴き出すという。手足の場合だったら、拳などですぐに心臓側の動脈を押さえつけないといけないそうだ。噴出を止める止血が是非とも必要だとのことだ。手足なら止めることはできる。

しかし胴体部の大動脈がやられた場合だと難しいそうだ。病院で医者が見守るなかでの事なら血管を取り出してダイレクトに処置するなり輸血するなりで対処の仕様はあるだろうけれど、そうでない場合は・・・??ということらしい。

心臓が止っていたら、心臓マッサージをしなくてはならない。そうすると出血を促してしまう。でもマッサージを止めるわけにはいかないということになるという。亡くなった七人中の、刺されて亡くなった四人は皆、不運にも大動脈を傷つけられたことによる失血死なのだろう。

ダガーナイフやその発展した銃剣などを所持する感覚とはどういうものなのだろう。対人だけを目的にしたナイフだ。持つ人のほとんどが観賞用あるいはフェティシズムとしてのコレクション目的でしかないだろう。妄想気味にシミュレーションすることがあるにしても、実際の行為に走ることはない。いざ実行までには何重ものバリケードがあるはずだ。自分が持つことによって『一つの武器が対人殺傷能力を封印された』という喜びを感じたりもするのだろうか。

かなり前になるが、ある人から、コレクションしている数挺のクラシック・ピストルを見せてもらったことがある。古美術品扱いのものらしいが、とても奇異な感覚を持った覚えがある。実際に使われたこともあるだろうピストルを、個人でコレクションして眺めるという事に怖気のような気分を感じた。しかも自慢のコレクションは自室の壁に五六挺も飾られていた。

短剣、ピストルなどの小型携行武器は護身のため、個人の尊厳を保つために発展してきた歴史をもつのだろうか。そのような願いが込められ、形の美しさが洗練されていったにしても、機能の持つ禍々しさは独り歩きをする。

被疑者がフル装備の兵士姿をした画像が公表されている。武装することの怖れよりも、全能感のようなものに支配されて高揚するタイプだったのだろう。ゲームや空想の中だけで楽しんでいたらよいものを、その中から飛び出してきてしまった悲劇だ。バック・トゥ・ザ・イマジネーションと言ったところでもう遅い。

ダガーナイフの行政からの規制や、扱う業者の自主規制などを見聞きすると、それなら自衛隊はどうなのだ、と思う。軍隊は戦争をするためのものだ。軍隊とてダガーナイフと同じではないか。機能の持つ禍々しさが独り歩きしないうちに何とかしなくてはならないのは、最大の暴力装置たる軍隊軍備なのだろう。

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