ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔08 七五の読後〕 【まあ、そこへお座り】山藤 章二 岩波書店 

2008年10月04日 | 2008 読後の独語
【まあ、そこへお座り】山藤 章二 岩波書店 

 「まあ、そこへお座り」というタイトルを見て、山藤漫画の一こまを思い出した。
イガグリ頭の作家・山口瞳が和服姿で若い女性へ小言を言っている場面で、絵と吹きだしのセリフの絶妙な面白さに、「へぇーっ、すごい人がいるもんだ」と心から感服した。
この本は3年続けたラジオコラム「ずれずれ草」から中身をまとめたものらしい。
ご隠居のぼやき、怒り、笑いにその時代を感じながら共感するもの多々あった。

●いいがたい あじわいもある同い年
山藤さんは昭和12年の丑年生まれ。
この年に生まれた人は漫画家の東海林さだお、赤瀬川原平、伊藤四郎、阿久悠、仁鶴ら。
同じような映画を見て、同じような遊びをして育ち、お同い年というのは得がたく、わかりあえるなにかがある。  
 よけいなことを言えば昭和19年猿年生まれの漫画家にヒサクニヒコ、俳優に江守徹、黒沢年雄、高橋英樹、前田吟、佐藤蛾次郎がいる。
私とはまったく無関係ではあるが同い年の方々だ。

●ハイ好奇心 ハイリスク はいボッタクリ
このところ、なぜか立て続けにオーストラリアの住所から変な郵便が舞い込む。
「至急」「速やかにご返信願います」「本状に含まれる恩典はほかの方は請求できません」
なかを見ると指定受領者専用封筒があり「賞金支払いに関する承認事項」などがあって私がいつのまにか1億近い賞金にあたっっていることになっている。
まったく身に覚えがないから、すべて無視するが、好奇心を掻き立てる郵便物であることには違いない。
そしてもし手続きをするといつのまにか「はいボッタクリ」という新手の振り込め詐欺にかかることになるのだろう。
 気をつけよう 甘いことばに暗い道。

●口を曲げ前から出ていた総裁選
今から7年前の2001年4月自民党総裁選。
小泉純一郎 、 橋本龍太郎 、 麻生太郎 、亀井静香が名乗りをあげた。
この4人の顔ぶれを野球投手に見立てて山藤は評した。
橋竜は人を小馬鹿にしたようなスローカーブを投げ、小泉の勝負球はストレート、亀井は時折のピンボールまがいの球が得意で、そして麻生には
「・・・よくわからん、けど名門の血スジをひいているわりには、ブッキラボーでベランメエなところがあって、ふつうの二代目、三代目とは異質な個性がある。
今回どう見ても勝算のない戦いに打って出たのもその強い性格からだろう。
とにかく俺は力一杯投げる、口をひん曲げてでも投げる、行く先はボールに訊いてくれ!という感じから「ノーコンのフォークボール」にしておこう」
そして今年。
ノーコンのフォークボールを投げる前に、内野手の中山国交相がグランドから野次をとばし戦う前に退場。
支持率49・5%の船出はきびしい。
アキバ人気がそのまま支持率にはつながってはいない。
 祖父の吉田茂は「曲学阿世の徒」とか「不逞の輩」とかの放言で物議をかもしたけれど古典落語も大好きな名総理だった。
ゴルゴ漫画好きで、明るく軽いが売り物の麻生キャラは軽薄短小にも通じなければよいが。
 失言癖も心配だ。
自ら口をひん曲げて全閣僚を紹介してみせたけど、行方ははてさて。
しっかりおやりよ学習院。

● 皮算用、五輪バブルは終焉へ
中国五輪の前に特需と五輪バブルはすでに終わったという読売の記事「中国疾走」というのを読んで(7月18日 朝刊)今後の中国どうなるのかなと思った。
一方、 東京五輪の初日の空はおぼえている。
青空に自衛隊の軽飛行機が5機、大きく旋回をすると5色の煙の航跡が大空にひろがって開幕となった。
昭和39年は巣鴨の姉家に下宿していた頃で、それを見たのだからその日は会社は休みだったのだろう。
あれからのぼりづめの高度経済成長の時期がしばらく続いた。

●国に歴史 会社に社史 あなたには自分史が
振り返れば人並み以上に苦労したという半生の自慢話は、結局だれかをこけにして自分を褒める手順となる。
自分史なんてものは、だいたいが読む側には耐えない退屈なものになる。
むしろ、つきあい長く、近しい人たちの賀状の自分に向けたことばや、メール文の相手のことばから自分を探ったほうが、まだまともな記録にはなるのではないか。
私はこのブログに昭和家庭史とした父母の記録は綴ってみた。
やがて古いドキュメントとなるだろうが、近親者のだれかがそれを読み、なにかを拾ってくれればそれで良しと思ってる。

★褒めりゃのぼせる、叱りゃ泣く、殺しゃ夜中に化けて出る  
山藤本では「褒めりゃのぼせる、叩けば騒ぐ、殺しゃ夜中に化けて出る」となっていた。
「褒めりゃ のぼせる 怒れば拗ねる・・・」というのも聞いたことがあった。
しかし今は聞かない。そんなかわいいのは少なくなった。
戦後の女性は右肩あがりに強くなり、ナヨッとした男も増え出したが、いかり肩の女も増えた。
それに「私はこれで会社を首になりました」と小指を出した男のCMはあったが、私は男で失脚しましたという女性は少ない。
 いや最近あった。 なんとかモナというのが話題にはなったが・・・。


● 1回の躓きで引退、半身不随でも高座
人の散り際。
落語家の場合、黒門町と声のかかった文楽は古典の「大仏餅」を演じて 「台詞を忘れてしまいました…」「申し訳ありません。もう一度…勉強をし直してまいります」というせりふを残して引退。
八方破れな芸風の志ん生は半身不随でも高座に上り、途中、ほかの噺に変ってもつとめあげた。
2008年。
円楽はおあとよろしくと楽太郎に名を譲り、引退。
この人、若いときに『嗚呼 名人円楽の墓』と銘した立派な墓を作って夕刊紙載ったことがあった。
あれは洒落だったか。
王監督も勇退。
昭和はだいぶ遠くなってきた。

●すまないけど その品届けてくれないか/志ん生
この志ん生が勲四等瑞宝章の叙勲を知らせてくれた役人に電話口で言った言葉だったという。
1956年遊郭噺『お直し』で、芸術祭賞も受賞している。

● 9階の喫茶で見てた背番号3
33年前、薄暮に近いその日の会社のちいさな喫茶部はなぜかガラリと空いていた。
そこはY新聞社員食堂の隣。
頬こけた眼光鋭い中年の男がじっと私を睨んでいる。「ウムッ?」とよく見てみると 私の頭上のテレビを熱心に男は見ている。
ふと見ると、巨人の選手がチラチラして時折ワッという歓声があがっている。
席を移動してその中年の人とならぶような形で私も見ているとあの有名な長嶋引退発言が期せずしてはじまった。
1974年の秋だった。
長嶋茂雄の「昭和33年 栄光の巨人軍に入団以来・・・わが巨人軍は永久に不滅です。」実に格好よい別れの挨拶だった。
見ていてウルウルとしてしまったが、隣の中年男はまた睨むようにじっと腕組みをしてそれを見ている。
あとで知ったがこの人は漫画家の近藤 日出造さんだった。
近藤さんは嘱託だったから社にいるのは当然。
この人の政治漫画も山藤漫画に劣らず面白かった。

● 笑えないお笑いオバカのあの笑い
クイズ番組などで「オバカ」と言われる芸を持たない芸能人。
どこのクイズ番組にも同じ顔ぶれがでて、総じて安上がりの番組制作となっている。
一方でやれ東大だの京大出身だのとタレントを持ち上げ、一方でバカを強調する。
格差の世の中をそのまんま認めて、笑いに潜むある種の反骨などはもうゼロ。
ことば尻、ちょっかい、まぜっ返し、ツッコミ、ヤラセで受けをねらうその低さ。
「体の芯からウソ寒さが広がってくる笑い」であるという作者のことばに同感。


●星めらめ チャンネル回す昨日、今日
十五夜を迎えた殿様が「お月様は出たか?」と三太夫に問うと「これはしたり、お月様とは下々の申すこと……、殿はご大身ゆえ、月は月と、呼び捨てがよいと存じます」「さようか、しからば月は出たか」「一点隈なく冴え渡ってございます」「ウム、して星めらは……」 けっこう使われている小噺だが、これがこの本にもあった。
問題はこの星め等である。
当人はスターのつもりだが、はてどうか。
「おおよそ同じ顔ぶれのタレントがわがもの顔でのさばっている。たぶんあれは貸切バスでテレビ局からテレビ局へ集団移動しているのだろう」
 「かれらに共通しているのは”専門分野”がないことだ。歌手でなく俳優でもなく芸人でもない。つまり、これといった芸がない。」
 この「星めら」が出ると私もチャンネルをまわす。
カミさんから時に叱られたり、抗議を受けると、黙って部屋を引き下がる。
この本は2003年の8月が第1刷だが、5年たってもテレビ界の星めらは変っていないどころか番組ごとに加速度がついて増えている。




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