ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔08 七五の読後〕 【変る中国変るメディア】渡辺 浩平 講談社現代新書 1951

2008年09月24日 | 2008 読後の独語
【変る中国変るメディア】渡辺 浩平 講談社現代新書 1951

著者は北京、上海に駐在し広告産業の立ち上げなどを身近に体験。
93~96年の上海で広告会社の設立に参加していて中国メディア内情を知る立場にいたからその観察がおもしろい。
私は二十代はじめの血気壮んな頃、毛沢東の矛盾論・実践論をy読んだ。
 「事物の発展は内部矛盾によって引き起こされる」という説だったと思うが、これに沿っていまを見ればインターネットという双方向の文化と中央集権化の上位下達の文化は矛盾し、それが拡大している。
広告増を図る経営方策と言論統制を図る方策もあきらかな内部矛盾だ。
ネット社会の登場といってもわずかここ10年の歳月の流れだ。
 新たな内部矛盾を抱合したまま、明日の中国10年後の変化にたいへん興味が湧いてくる。  

● 新聞は上意下達の喉と舌
中国の報道機関は共産党の言い分を伝える「党の舌」であり喉はその言い分を飲み込む人民側のノドをあらわしているようだ。
ただ、職場ではこの党機関紙を読み自宅では広告の多い商業紙を読むという生活のスタイルが90年代後半から目に付くとのこと。

● 標札を掲げていない宣伝部
共産党の組織に中央宣伝部があり機密保持を理由に非公開の組織となっているそうだ。
しかし党の一組織でしかないこの宣伝部が報道機関全般のトップ人事に強い影響力を持っており、新聞、テレビ、映画、文学から芸術までを事実上規制管理下においている。
1921年7月に、コミンテルンの主導により、陳独秀や毛沢東らが中国共産党を組織したがその翌年に生まれたのがこの中央宣伝部というのだから、苔が生えるような歴史の古さだ。
だが開放市場経済下の中国でいまだにこの「宣伝部」を通じ旧態依然の言論統制が行われているところが最大の不幸であると言えそうだ。
国の行政機関でさえ一宣伝部の指示の下で動くケースが多々ある中国のメディア実情をあらためて知った。

● 宣伝部を討伐せよと呼びかけて  
言論、報道への締め付けるこの宣伝部のやり方に公然と挑んだ元北京大学助教授がいる。
読売新聞を調べてみた。
  天安門事件から18年 胡政権、知識人締め付け強化 公安局が常時監視から  (2007年.6月3日 朝刊記事から抜粋)
中国のイデオロギー・報道を統制する党中央宣伝部に対し、「言論統制は憲法違反」として真っ向から挑んだ焦国標・元北京大学助教授(44)を取り巻く環境は今も厳しい。焦氏は日本でも論文集「中央宣伝部を討伐せよ」を出版したことで知られる。現在、ドイツに滞在中の焦氏は本紙の取材に対し、「私は北京大の仕事を失っただけでなく、公安局と安全局に日常生活をめちゃくちゃにされた」と書面で回答した。  北京では公安局に四六時中監視され、外国人や台湾人との接触を禁じられた。焦氏は「友人と会う自由は全くないに等しい」と嘆く。実は今年3月、北京大への復職を願い出る手紙を送ったが、いまだに何の回答もないという。

● 子が親のめんどう見ている新聞界
広告が目立つ商業紙(子)が党機関紙(親)の経営自立をまかなっている構図。
広告が取れるメディアを育てカネを還流する仕組み。

● 広告が栄養源でミルク断ち
98年89・9%の中国メディアが自主経営を目指し67.7%が財政支援を受けていないという。
開放経済の名のもとで市場経済がすすみ、広告増をめざすことで経営自活のミルク断ちとなっている。
メディア集団の核は党機関紙となるがその「人民日報」でさえ2001年にミルクを断っているとのこと。
各メディア編集内容には容赦なく口出しをしながら、広告費増大を計る手法は「矛盾」だ 。

● ウラトリもなく仕事だけは多い記者
ニュース取材の裏づけをしない。
企業がらみのニュースを確認しないままで記事としているケースも多いそうだが、記者の仕事量はかなり多いそうだ。
 「報道機関は社会主義及び党・国家の政策に奉仕せよ」
と報道より宣伝という独特のメディア観があるらしい。

● 1日20万人 ネット人口増えてゆき
インターネット人口が1日20万づつ増えている大国だ。
今年2月の段階でネット人口は2億2100万人で世界トップ。 内、80%が35歳以下の年齢であり4人に一人がブローガーとのこと。
ネットニュースの信頼(38・4%)フォーラム、ブログを信じない(57・4%)という国情もある。
ネットは国境を越えるが、中国では自由主義社会の「有害」なサイトを遮断し、検索語句を制限しているほか、検索システムでフィルターから政府批判の用語があるものを削除、サイバー警察群が不穏な動きを探索、追跡するという不自由さがある。
だが、双方向であるウェブなど新メディアは確実に中国を変えていくと思う。
市場経済主義がいやが上でも、それを促進していくのではあるまいか

 ●超女生み 則を越えた荒収入
2004年、湖南省の衛星テレビ局の視聴者参加のオーディション番組が大ヒット。
日本にも昔、「スター誕生」というのがあったがあれと似ている。
違うのは中国ではメール投票もあった点か。
このスーパーアイドルは現地では「超級女声」であり略して「超女」と呼ばれた。
中継したテレビやネットも空前の広告収入も得たが宣伝部辺りから「極端な拝金主義」「清潔路線に」というきびしい規制も出て後にファン投票禁止が通達されたという。
経営自立という点では中国も日本も視聴率第一主義であることに変りはない。
広告に依存した中国メディアの経営体質は資本市場への誘惑に抗しきれないだろうとの著者の予測もある。
アイドルオークション番組に広告収入を頼りながらも内容にケチをつける方法はやがて亀裂せざるを得まい。

●四川地震 目立ちたがりの解放軍
大地震に人民解放軍と武装警察部隊が救援に大活躍したとする報道は日本の新聞を通じて私も知っていた。 
四川大地震は五輪キャンペーンのさなかに起きた。
一方で外国メディアに対しても完全な報道管制き被災地取材では、海外メディアの何人かが拘束されたことも記憶に生々しい。
 しかしこうした中でケータイを通じた被災現場の情報が流されネットのアクセスは150万を超えたということをこの本で知った。 ネットの規制をどう強めてもすべての規制はできない。
党中央への直接批判は断じて許さないが下部周辺に対する批判などは、ガス抜き効果もあってしぶしぶ認めざるを得ないところにきているようだ。
 この地震では寄附をめぐって「けち企業ランキング」としてコカ・コーラなどがネットを通じて槍玉にあがった。
ネットにはナショナリズムにのった動きもあるがこのあたり混沌として進んでいく感じだ。

 ●日中の相互理解はアニメーション
中国では日本人の歴史認識にはきびしくても日本のアニメは大好きという若い層が増えているらしい。
愛国主義教育と重ねてのナショナリズムは対内不満の捌け口を誘導するのは権力の常道手段なのだろうが、新時代の文化交流は違った結果をもたらすかも。
マスメディアを使った民主集中という上位下達の縦軸の方法は、インターネットという横軸双方向のメディアとは水とあぶらのようなものだし、やがて吸収できなくなる予感がする。

民主化弾圧が起こった流血の天安門事件が起こったのは1989年。
その頃の日本ではNECのPC-9801シリーズの出始めの頃で価格も40万円近くのお値段ででまだまだパソコンすら社会に定着はしていなかった。
もちろん両国ともウェブ社会の片鱗すらまだなかった。

あれから20年、言論統制を強めながらウェブ社会が共存し拡大中のこの国の情報社会は大きな曲がり角を迎えている感じが読後に残った。



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