ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

【忘却からの帰還】 【白い瓶】藤沢 周平  文藝春秋

2013年05月16日 | 〔忘却からの帰還〕

【白い瓶】藤沢 周平  文藝春秋



白埴の瓶こそよけれ 霧ながら 朝は冷たき水くみにけり

歌に清澄、清明な響きがあり、誰が作者かそれを学んだ学年も忘れたが、歌だけはずっと覚えていた。
誰が作者だったのか。心のどこかで引っかかっていた。
「白い瓶」本を手にとって、読む前から予感はあった。
やはり的中した。
この歌の作者は長塚節だった。    

長塚節の「土」を読みきることを父に薦められた母は途中で「難しすぎる」と敬遠していたが、どうやら読み通したという。
なぜ根気をこめて読み続けられたのか。謎だった。

作者藤沢の純文学モチーフがなぜ「長塚節」なのか、これも謎だった。
「一茶」と「節」を藤沢がとりあげてみたいということは、なにかの書評で読んでいたから、その出会いがあれば読みたいと想っていた。                               
母と「土」の場合は、父が敬愛する漱石が「土」に激賞をよせていたことと、関係があったろうと後になって、推測できた。
漱石は「土」が単行本となった時、序文を書いている。


藤沢が長塚節を選んだのは結核で闘病した自らの体験と節のそれをなぞらえ、親近感をおぼえていたことと、農民文学の節の主張が藤沢の市井文学と同質の水脈に近いことを感じていたからではあるまいか。

「白い瓶」は、ともに子規の弟子であった長塚節と伊藤左千夫との親交、確執が深く刻まれている。
左千夫の自我の強い人となりが鮮やかに浮かぶ。
左千夫の弟子、「赤光」の茂吉たちを取り巻く若い歌人たちとの論争ぶりも面白かった。

鬼怒川沿いの石下地方、西茨城の農村と自然の描写の形容は上手い。
節が井戸堀政治家に走る父を持ち、農業経営を守るために竹林をつくり、鶏に毒えさをまいて、周辺の農家から孤立してゆく様子なども興味深かった。
この作品には「小説 長塚節」という副題がある。
(2004 冬 読了)


藤沢周平著『白い瓶』は、別冊文藝春秋で昭和58年新春号から59年秋季号に掲載された




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