ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔読後のひとりごと〕【幕末歴史散歩 東京篇】、【日常生活で英語”感覚”を磨く】、【いまどきの新書】

2006年12月30日 | 2006 読後のひとりごと
【幕末歴史散歩 東京篇】一坂 太郎 中公新書 
巻末の人名索引がすごい。
竜馬や海舟、隆盛らは言うに及ばず幕末史を飾った倒幕派、幕府側の人物1500名がとりあげられている。
ペリー来航から戊辰、西南戦争までを簡潔にに解説しながら、幕末を彩った人々の足跡を丹念にたどっている。
この仕事、並のものではない。
末尾に東京掃苔録が付記されているが、これもたいへん貴重な資料だ。
「掃苔」とは、苔むして読みにくくなった墓碑の文字を掃いて合掌、その記録をまとめるもの。
こうして800人以上が記録された。
幕末に散った草莽の志士たち、幕府側の若手官僚ら一人一人の墓所を尋ねる作業は実に18年を要したそうだ。
だが、訪ね歩いた3分の1は、記録所在の墓がなかったという。
筆者が参考にした資料史誌類はすべからく戦前のデータをそのまま引き写しているものが多く、移転などを含めて現存していないケースが多かった。
その正誤を正して墓誌の住所を細かく書き留めた。
たとえば桑名藩士の山脇隼太郎という函館戦争に参加した無名に近い武士にも染井霊園の4号19側M2という所在が記録してある。
だから、幕末史を探訪する人の資料として必携のものに仕上がっている。

何人かの史実歩きに食指がそそられたが、アキレス腱を切っている現在それができない。
ただパソコンを開いてグーグルマップを使って、この細かい番地を頼りに、いまのどの辺りとなるのかを探れたから、周囲の状況を重ね合わせて読むことができた。
戊辰戦争のきっかけになった薩摩藩邸焼き討ち事件なども面白かった。

昔、江戸歩く会というのを4人の仲間と4年越しにやっていたことがあったが、江戸の名所を探って帰りは一盃という会に半ばの目的がある会だったから、山口県から出張のたびに必ず各地を踏査した筆者の熱意とは月とスッポンの差がある。
幕末史が要領よく記され、資料価値の高い、すごい新書だ。
                      (2006年12月27日)


【日常生活で英語”感覚”を磨く】笹野 洋子 講談社プラスα新書
「こらっ ボケあけんか!」
2001年、山口組組長宅への家宅捜索の際、怒声が飛び交った。
「ボケっ」は、踏み込みに逆らう組員へ大阪府警の警官が浴びせたことばだったという。
このことば、その場の内からでも外から出ても不思議はないが、凄みと迫力はある。
臨場感ある「ひと言」に著者も気にいって、本業のミステリー翻訳などでこういう状況が生まれたら、ぜひ使ってみたい「ことば」としていた。
1950年代、鞍馬天狗の映画などを見ていると「うぬッ 幕府の犬め」など取り縄で迫る目明しや取り方に対して叫ぶ勤皇の志士の姿があった。
綱吉の「お犬さま」時代に30万坪に迫る犬屋敷というのがあって「中野御囲」と呼ばれた。
この跡地に、戦前「陸軍中野学校」ができ、戦後は警察大学校に転用されたと聞く。「犬屋敷」が「警察学校」につながるのは地縁、宿縁だろうか。
「官憲」には、どうしても権力的な振る舞いがありがちだから、庶民側からは辛口の評価が生まれ、体制側の味方として映る。
この点、時代を問わない。国境も問わないようだ。
「中野学校」にあたるのが1941年にできたCIAだが、情報収集及び対諜活動に対して米国民は陰でCIAを「DDT」と呼んでいるそうだ。
日本のDDTは「鞍馬天狗」映画の時代には、蚊やしらみ、ノミを駆除する殺虫剤だった。
DDTはアメリカ軍が持ち込んだ。
シュシュッと真っ白い粉末が、いがぐり坊主や女の子の頭に防除として浴びせられた。
その光景はいまでも目に浮かぶし、やられた場面も目撃している。
CIA【Central Intelligence Agency】はDDT【department of dirty tricks】と見られ官憲の謀略など、ダーティなイメージはぬぐいされない。
どの国の日常生活にも、こうした共通の視点があるわけだ。
この本はこうした生活のなかの共有感覚を探ったエッセー風の本で、ハウツーものではない。
西欧で英語が一番うまい国民はオランダ人なのだそうだ。
この国、男の身長181、女は165センチでこれが平均値というのに驚かされる。もっとノッポの男女が町をあちこちで闊歩しているわけだ。
地球温暖化で海水面の上昇を心配しているオランダ人が、なぜ英語がうまくて背が高いのか、その原因はわからないが、この種の話がところどころに盛られ、飽きずに読めた。(2006年12月24日)

【いまどきの新書】永江朗 原書房 
図書館の新書を数冊、手にとってパラパラと見る。
中に、すごく読みやすそうな印象を持った本があった。
表題の「いまどきの新書」だった。
この本、なぜ「読みやすい」印象を持たせるのか。なぜなんだ?
そこに興味が生まれた。
途中まで読んでわかった。文中の体裁に視覚的な工夫がほどこされていた。
本を見開きにした時の表示の仕方にポイントがあった。
太文字で本のタイトル名を紹介、著者名は一画落としたフォントを使い、さらに出版社の表記は申し訳程度の小文字にしている。その配列の仕方が自然に計算されていてきれいだ。
この本で、紹介されている本は全部で137冊なのだが、1冊あたりを43文字×11行の2頁分見開きで収めている。
一般の文庫本などの場合見開き頁はたしか文字数は1200字程度だからこれに比べれば、字数は少ない。
その分の余白をとって体裁を整えて見た目をよくしてある。
書き手はプロのライターを自認しているだけに、「漢字」と「ひらがな」数割合が、かな6漢字が4か3になっていて、これだけでも読みやすい。
また短文のまとめが上手いので、すうっと目に入ってくる。
紹介された本の内容は『週刊朝日』に「新書漂流」として連載されていたそうで、12のテーマ別に分かれて再編成された。
ただ、各書評の前の部分に作者の思潮というのがあるのだが、なんだか「朝日」新聞的で、少しキザな正義派調のところが多い。
新書でとりあげられた世界は、「なんでもあり」という印象を著者は持っているが、たしかに新書を発刊している出版社の数だけでも、こんなにあるのかと驚いた。

137冊の紹介本された読みたい本とその理由を。

   「黒枠広告物語」 船越 健之 文芸新書
    銀座時代の旧新聞社社屋のなかで、苦労していた何人かの広告局の仲間と先
    輩を思い出して。

   「新書百冊」 坪内 裕三
    坪内が書いた「慶応三年生まれ七人の旋毛曲り」が面白かったから。
    坪内の本を何冊か読んだが多読、精読、達者な人と思った。

   「面白半分の作家たち」 佐藤 嘉尚 集英社新書
    70年代に出た雑誌「面白半分」で交代、交代の編集長が魅力。
    野坂昭如、開高健、藤本義一、井上ひさしらの顔ぶれ。
    その挿話なら面白そう。
 
   「運動神経の科学」小林 寛道 講談社現代選書
    秋の運動会マラソンでビリケツだった孫を思い浮かべて。
                           (2006年12月23日)
    


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