ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔07 読後の独語〕【「大菩薩峠」論】成田竜一 青土社

2007年01月08日 | 2007 読後の独語
「大菩薩峠は江戸を西に距る三十里、甲州裏街道が甲斐国東山梨郡萩原村に入って、その最も高く最も険しきところ、上下八里にまたがる難所がそれです。」 大菩薩峠の冒頭の一節だ。この書き出しが好きだった。

 「大菩薩峠」は「です」「ます」の語り調子で書かれていたから中学程度でも、なじめて読めた。
登場する 机龍之介はじめ、宇津木兵馬、猿顔の槍の名手である宇治山田の「米友」、大酒飲み町医者「道庵先生」、島津斉彬を思い出させた「駒井甚三郎」、盗賊の「裏宿の七兵衛」、「がんりきの百蔵」などなど、脇役に配されていて決して脇役にならず、それぞれの生き方、考え方の面白さがあった。
片岡知恵蔵の机龍之介が銀幕を飾ったのは1955年。
三部作の映画だった。
大きな顔でせりふが聞き取りにくい知恵蔵「龍之介」だった。
 しばらくして、市川雷蔵が龍之介になったが、こちらはその後の「眠狂四郎」役もやっていいたので、そのイメージがダブってくる。
 大菩薩峠の2つの映画も物語の筋立てを追うのに精一杯で、大菩薩峠そのものが持った魅力を十分にひきだしたとはいえなかった気がする。
 大菩薩峠は400字詰め原稿用紙にすると1万4000枚という大河小説となる。
長さもさることながら、登場する人々の多彩な顔ぶれも魅力にんでいたから楽しく読めた。
昭和19年は、自分が生まれた年なのだが、この年に介山はなくなっている。
 従って大菩薩峠は未完の作品となった。
 だから、そうしたことを含めてこの「大菩薩峠」を反芻して、あの世界をたどってもらい、掬い取って提示してくれるものあればと期待したのがこの「大菩薩峠」論だった。
 だが裏切られた。きわめて 退屈な論文だった。
 大菩薩峠にあった面白さがまるで伝わってこない。
 暴力、流謫、ユートピアという著者の鋳型にそれぞれの人間がおしこめて論じられ、情感乏しき乾いた大菩薩峠論になってしまっている。
 幕末の世相にあって、社会からはじき出された好漢たちのさすらいが「暴力」「ユートピア」などの括りで論断されるのは介山の創作意図とマッチしているとは思えない。
 介山が自ら形容した「カルマ曼荼羅」の世界とのすれ違いが大きすぎる。

作者の中里介山は
 「この小説「大菩薩峠」全篇の主意とする処は、人間界の諸相を曲尽(きょくじん)して、大乗遊戯(だいじょうゆげ)の境に参入するカルマ曼陀羅(まんだら)の面影を大凡下(だいぼんげ)の筆にうつし見んとするにあり。この着想前古に無きものなれば、その画面絶後の輪郭を要すること是非無かるべきなり。読者、一染(いっせん)の好憎に執し給うこと勿れ。至嘱(ししょく)。 著者謹言」 としている。(「青空文庫」から引用)

 著者が描こうとした仏教的無常観のもつ世界と論じられた内容の乖離がありすぎる。
大衆文学の白眉とされる大菩薩峠の面白さ、その物語性の魅力が汲み取られていない。
ぐいぐいと引き込んでいく論理展開の力も不足気味のようだ。
「著者略歴」がこの本にはなかったが、成田氏は1951年生まれの日本近現代史を専攻する日本女子大学の教授とのこと。
 すごい肩書きを持った人だが、面白くないものは面白くないとしておく。(2007年 1月3日 記)

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