ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔07 読後の独語〕 【知的ストレッチ入門】日垣 隆 大和書房 

2007年10月16日 | 2007 読後の独語

知的ストレッチ入門】日垣 隆 大和書房 
  
すごい人だと思った。著者の読書量である。1ヶ月に100冊を読破するというのだ。
1日に3.3冊。年金リタイア生活でも、なかなか、まとまった読書時間をとるのがむずかしいのに多忙現役の人が1日3冊を読むというのはいかにもすごい。
 調べものをするときは、20冊くらいを3時間で一気に読むという。
 こんな早さで本を読んだら、そのそばから入れた知的情報はドンドン流失してしまうのではないかと、余計な心配まで生まれてくる。
 昨年の日本ハム・ヒルマン監督の「シンジラレナイ」ということばもつい口に浮かんだ。
こうした一種の速読にも似た要領は、著者の編み出したものではなく先人のそれぞれの教訓を自分の型として取り入れた知的ストレッチの成果でもあるらしい。
 著者が「それぞれの時期にあって知的生活のための優れた教科書でありました」 として著者が最後に挙げている教科書の本には、自分も学び思い出も多いので、年代順に引いて見る。

 ・1969年 梅棹忠生 「知的生産の技術」 岩波新書
 ・1977年 板坂 元 「考える技術・書く技術」
 ・1979年 渡部 昇一「知的生活の方法」  講談社現代選書 
 ・1984年 立花 隆 「知のソフトウエア」 講談社現代選書 
 ・1986年 山根 一眞 「スーパー書斎の仕事術」 
 ・1996年 野口 悠紀雄 「パソコン「超」仕事法」講談社


 ・1969年 梅棹忠生 知的生産の技術 岩波新書  
手帳やカードを利用して情報の要素を分解してもう一度整理して直す。
 それを「知的生産の技術」としたこの本はいまでも77刷の超ロングセラーとなっているそうだ。
 当時、世の中にパソコンなどはない。
 でもコンピュータを予感させる情報整理方法の雛形を本はすでに持っていた。それも今でも読み続けられている要素のような気がする。
出向先で一緒だった整理記者出身のTさんも京大式という規格化したカードを上手に使っていた。
 私の性格はずぼらだから、カード方式は苦手。
 だがメモを取る技術の習慣はこの本からスタートしたような気はする。

・1984年 立花 隆 「知のソフトウエア」 講談社現代選書
 この年は住み慣れた新聞社の現業職場から編集局へ転出した年でもあった。
国文系の女子アルバイトさんと一緒に、年間を通じて前年の記事インデックス編集の仕事をした。
ほとんどの記事を60字程度に要約して、そのすべてにキーワードと日時の所載情報を付与するという辛気臭い作業だった。
出版近くになると連日深夜まで自動車送りの日々が続いた。
 朝日、毎日の両社はコスト高からかこの記事索引集出版はやめていたが、自分たちの「ニュース総覧」というのはしばらく続いた。
 この立花著書では、我々の作業の価値を評価してくれた一文があり、それを指摘して先輩友人が職場に届けてくれた記憶がある。
 膨大な情報をインプットする方法と、それにどう頭を使うか(ソフトウエア)が明確に示され、いまだに書棚に飾ってある一冊だ。
 あれから20年余が経過し、立花さんは新聞紙面をCD―ROM・DVDに収録した「昭和の読売新聞 戦後2」に対し「これはすごい」と評価、「明治・大正・昭和」の使用体験記を寄せている。(2007年 2月11日 読売新聞特集面)

・1986年  山根 一眞 「スーパー書斎の仕事術」 
 著者が英国からシステム手帳を普及させた人として記憶に残っている。
またこの本で「袋ファイルシステム」を情報整理の方法として紹介していた。
 小バインダーで記録メモが手帳内を移動できるという方法は意外に斬新でシステム手帳はいろいろな人が各種会議で愛用されていた。 A4サイズからB7くらいまであった中、自分はA4版をしばらく使っていた。
 パソコンはそれほど普及はしていない。
0SなどMS-DOSかwindow3.1の時代でまだ システム手帳が情報整理には役立っていた。

・1996年 野口 悠紀雄 「パソコン「超」仕事法」 講談社
 この「仕事法」より「『超』整理法」のほうが鮮烈だった。
またこの本は熟読した。
 情報を「分類」整理の軸によりかからず、時間順に同一規格の情報袋を並べる「時間軸検索」という発想がたいへん新鮮で魅力的だった。
事実便利で、読み終えた以後、定年卒業まで私のデスクはこの超整理法を愛用した。
セカンドステージの今も続けている整理法だ。

このほかに「発想法―創造性開発のために」(川喜田 二郎 中公新書)もあった。
 経済部デスクを経験したTが移動して同僚となり、この本を貸したところ俄かに興味を示した。
もともと数字の整理が得意な記者だったなのだろうがカードをグループごとにまとめて、図解し、論文等にまとめてゆくKJ法は思考の共同作業向きということで実践しようということになった。
数回の日曜出勤をデスククラス5人が買って出て、作業を早めに済ませ編集局一角の応接室を使って記事データベースの今後をテーマに軽くビールを飲みながらブレストを行った。
 KJ法を学んだTがそれを提言展望にまとめ上部に出したことも今では懐かしい思い出の一つだ。
このあとしばらくの間、Tは電子新聞実験の仕事に就いた。
 また携帯電話が出現するまではザウルスという便利な電子文房具もあったが、この機能はすべて、すでに携帯電話内にある。

 知的生産とか情報整理などの本は自分にあったハウツーを学ぶためのワンステップのような気がする。
 内容に少しでも啓発されるところがあればその本を読んだ価値があると思うが、「知的ストレッチ」という割りにはピンと来るものがこの本には少なかった。
 それは当方の感性感覚が鈍くなっているからかもしれない。
身体のストレッチでも硬くなっているから、知の世界でもその類は及んでいるはずだ。
1日3.3冊など思いも及ばず、よくて2日に1冊の読書量。
だが、しかし、この程度で私には十分だ。
                        (2007年 10月15日 記)


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