ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔08 読後の独語〕 【情報の銃弾】 三浦和義 日本評論社 

2008年03月25日 | 2008 読後の独語
【情報の銃弾】 三浦和義 日本評論社

奥付に目がとまった。
 郵便124 東京都葛飾区 小菅1-35-A 。
この住所はまぎれもなく東京拘置所の住所だ。
著者は三浦和義氏。
1980年代のときも、いまも変わらず「ロス疑惑」渦中の人だ。
 この本は、朝7時から午後9時までの収監中の拘置所の昼間の時間に書き、出版社に送って、できあがったきわめてめずらしい本ともいえる。  
ロス疑惑について編集部は
「マスコミが流した<疑惑の人>というイメージは人びとの記憶のひだのなかにきざみこまれてしまって、もはや動かしがいたいように見える」とし当時のマスコミ陣の狂熱的な報道を批判、それを検証の一助とするための本作りということをうたっていた。
1989年刊行されたこの本の大部分のなかみは報道被害を受けた三浦本人の体験談であり弁明だ。
 週刊文春の「疑惑の銃弾」記事に端を発したロス銃撃事件から連日報道するワイドショー、スポーツ紙の取材で彼が24時間家を包囲され、自衛のためのテレビ出演など終わりのない被害者としての内なる体験談を、理不尽きわまりないものとして切々と語って本とした。
 過熱報道にメディア内部からの批判として筑紫哲也の指摘がとりあげられてもいる。

 「三越騒動、戸塚ヨットスクールから三浦報道と続く、平和な国の”大事件”に共通しているのは、メディアが最初に火をつけ、最後に「アオイのご紋」よろしく当局が腰をあげる風土。(中略)調査報道はおおいにあってよい。が、一犬吠えれば百犬吠えるさまが調査報道の名に値するか。 ほかにもっと調査の矢を射するべき方角はないのか」

ここは共感をもって読めた。
あの頃、ロス疑惑、グリコ・森永事件、豊田商事事件などが相次ぎ連日ワイドショーをにぎわした。
 犯罪自体を映画やドラマの一こまのように扱って飯の種にする80年代テレビ報道の原風景は今日まで続き、リタイア生活のいまそれを見ていて、うんざりしたり、うさんくささを始終感じている。
 ただ被害者としてのこの「情報の銃弾」を読んでも、きわめてうろんな感じが残った。
マリファナ体験、Y子と一美さんとのもめごとなどの経緯、少年院の過去などもさることながら、自衛のためテレビ出演を応諾する。
 はめられたとしながらも出演はしてマリファナなどの体験などは都合よくカットする本人の手法。
 「少しでも資産を得るために本の出版」をしたり、生活の糧のため「毒を食らわばで他局にも出演」するなどの本人動機はいまでも理解しがたい。
出たがり屋、目立ちたがり屋と批判されたとするが本人が蒔いた種でもあるようだ。

 この本の後段に 解説篇 検証「ロス疑惑」報道 山口正紀 とする一章がある。
かなり長い解説だ。
 当初のロス疑惑報道の特徴を
 「読売、サンケイは、千鶴子さん失跡を中心とした文春追随型、毎日は三浦氏の主張掲載に力点を置いた文春批判、そして朝日は捜査当局の公式の動き、三浦氏の訴訟、国会論議などを”中立”の立場から伝える冷静・中間型だった」と要約した。
解説者は「人権と報道・連絡会世話人 新聞記者」としているが、山口正紀名は実名で当時読売新聞の記者でもあった。
 マスとしてとらえたメディア検証はうなづける部分も多いが、私は読売が文春追随型の取材であったという、大くくりの解説の仕方には、うなづけない部分も残った。
 「ウラトリ」という符牒めいた言葉が社内にあったが、取材は調べであり裏づけをとった論理力でもある。
記事は発信するまでに多くの人の検証の手を経ている。
 地方支局で鍛えられ本社に上がってきた社会部記者の知力と感性、取材力により信頼を持つ。
 山口氏もサムライ社会になぞらえれば、その読売城の禄を食んでいたわけで、 同僚の仕事にもっと信はおけないものか。
同氏は白髪細身の人で、誠実な人柄だった。
 おどろくほどの読書家でプロ野球も好きで、たしか巨人軍のファンでもあった気がする。
 明治・大正の読売新聞データベース編集のカナメ役をやっていた。
 なぜそんなことを知っているかといえば彼が異動して退社するまでの席はわたしの隣だったからだ。

報道検証の資料として 「読売新聞ニュース総覧 82~87年度の各年度版」がひかれていたがこれは懐かしかった。
 私が新聞制作部門から編集局に移ったのが1984年11月。
当初の仕事がこの「ニュース総覧」編集だった。
トップ記事から雑記事までのひとつひとつのニュースを60字から80字に要約した記事索引集で、その膨大な作業の日々は忘れることができない。
その後、この作業は役割を終えてコンピュータの導入とともに記事データベースに変わっていった。
 私は社会面の抄録を担当し「ロス疑惑」などの記事にもあたっていたが、指導してくれたのは社会部から異動してきていたO記者だった。
身近に接してその記者の力量を感じていただけに、この本の書かれていた疑惑報道検証の記述には違和感が残った。



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