ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔08 七五の読後〕 【裁判員制度はいらない】 高山 俊吉 講談社 

2008年12月14日 | 2008 読後の独語
【裁判員制度はいらない】 高山 俊吉 講談社 

小泉改革という時代はなんだったのか。
 「改革を止めるな」というワンフレーズの言葉で、この人は2つの点で大きな負の遺産を次世代に残そうとしている。
少子高齢化の社会にありながら、若い世代の3分の1は非正規社員であり到底結婚もできない安い給料で働いている。
そしてこの年の瀬に宿舎は出て行け、即解雇するという現実を迎えている。
この人は、自民党をぶっ壊すなどと煽りながら、その実、終身雇用制どいう日本独自のよい伝統をぶっ壊した。
そしてこの裁判員制度も司法改革「新たな国家戦略」と位置づけて推進した。
もし実現すれば、これも大きな負の遺産だ。
この本は裁判員「制度はいらない」という点で徹底して論証している。
図書館入口には、裁判員制度の新書解説本がたくさん並んでいるが、関心をもっている人はこの本一冊で十分間に合うと思いsuお薦めしたい。

● いつだれが やらせてくれと手を挙げた
● 裁判員 知らないところで 決まってた

 国民のほとんどが納得いかず、「やりたくない」としている裁判員制度がいつのまにか決まった。  
あぶない法制であれば、共産党や社民党が警鐘を乱打するはずなのに、そうした気配が今回なかった。
戦前の治安維持法などでひどい裁判を体験してきた共産党などは司法の改革という名目で、この制度には賛成だったようだ。
こうした野党の態度もあって重要な論点が、スルリと抜け落ち、国民から反対の声が強くなっていま時期尚早の態度に代わってはいないか。
少なくとも、この制度は国民側が提唱したものではないのだ。
責任のおしつけからの発想だ。

 辞退なら罰するという傲慢さ
「裁判には自信がない。」「 仕事は休めない。」「 再就職を見逃したくない」「客を失った信用を取り戻してくれるのか」など、だから
 「参加はいやだっ!」といっても罰するという。
そこに独善と傲慢の権力側の姿勢がチラチラしている。
 憲法第3章第18条は、「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」 としてある。
裁判員となって死刑や、懲役などの刑を課す。
これは一般市民がすることではない。
人を死刑に送るための人生を我々は歩んできたのではない。
人を裁きたくない。
 これらは「意に反する苦役」の感じがする。
いずれにせよ、私は裁判員をやりたくもないしやらない。

● 裁判員 男女別なく徴用し
勝手に人を拘束して国家に奉仕させる。
戦前の赤紙みたいな徴用方式でそこに出向くと次の言葉ががズラリと並ぶようだ。
 「立ち合わせ」「召喚」「補償」
 「出頭」「教示」だと!

● もてはやす「市民の司法」のその怖さ
表看板には「市民参加」「国民主権」があるが、われわれが徴用されるいわれはない。
国民の司法参加というきれい事を小泉時代に決めた。
共産党も賛成した。
だが参加する国民に負担はあるが利便などはまったくない。
利便がなくて危険だけがはらんでいる。
戦前、国家総動員法という怖ろしい法律があった。
その愚の一歩をはじめようとしていないか。

● 判事には任期、定年、報酬も
裁判官は身分と独立が保障されているから明確な判断ができる。 我々が受けた戦後教育はそういうものとして教わったはずだ。
裁判ジャッジなど素人のわれわれにできるわけがない。

● お飾りの白洲の役で座らせて
法律の知識や経験から見てど素人の裁判員参加は、奉行所のお飾り白砂如きみたいなもんだと読後に思った。
所詮はプロと素人の違い。
それ役以上のことなど、とてもやれるわけがない。

● 後日譚 買収、脅迫、逆恨み  
被告が有罪となって後日の報復がないとはいえまい。
この制度は国民を危険に晒す制度でもある、と本書も指摘。

● 裁判員 見ざる、聞かざる、話ざる
守秘義務を課せられ、永遠に沈黙を強いられる。
聞くも恐ろし、話すも恐し。

● はじめから強制参加は合意され
被告人が、従来型の裁判が選べない。
被告人が裁判員裁判を辞退することはできない。
はじめから被告人の強制参加が合意されているわけだ。

● 迅速を求め拙速からはなにが出る
● 殺人も一丁あがりと刑を述べ

● さださんの 言い分に私は拍手する

この本に特別寄稿「信号を守れない人に裁かれたくない」というさだまさしさんの一文があった。
抜粋して紹介する。

 「専門知識を持つ裁判官三人と国民代表六人の合議だから国民の感覚が生かされる」なんて嘘、錯覚、茶番です。 「国民の感覚」はそういうところで生かす必要はありません。
人が人を裁くということは、想像を超える大変な仕事だと思います。
裁判官の中にも唯我独尊の人がいないとは思いませんが、偉そうに断罪する人ばかりではないでしょう。
多くの皆さんは、法律や判例と格闘し、精一杯苦しみ、苦労なお仕事をなさっておられると想像します。(中略)  

裁判員制度が採用されると裁判が迅速に進むというのなら、それは「拙速」というものです。
むしろ恐ろしいとさえ思います。
付和雷同、ミーハー、不人情・・・・。
そんな人が裁判員になって超短期裁判になってしまったら不安が募ります。
信号一つきちんと守れない人や、われ先に電車やエレベーターに乗ろうとする人たちの判断を誰が信用するのでしょう。(後略)」

特別寄稿は、このほかに

崔 洋一 「お上が心に踏み込む時代」
嵐山光三郎 「素人にできることとできないこと」
渡辺えり子 「裁判をショーにしてはいけない」
蛭子能収 「やりたくないし、やられたくない」

の人たちが反対論を寄せている。
みな共感が持てるものばかりだった。

ご一読を。


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