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広島城 銅像巡り・・・加藤友三郎総理、池田勇人総理、灘尾弘吉衆院議長、毛利輝元戦国武将 広島県出身の大物政治家たち

2025年05月24日 | まち歩き

汗ばむ季節になってきました。
広島城のお堀端をテクテク散歩。

広島城の周りには、4体の銅像があります。
歴史の勉強になります。

加藤友三郎総理大臣
海相や首相を歴任し、軍縮を進めた加藤友三郎(1861~1923年)は日露戦争の日本海海戦で参謀長を努めました。

ワシントン条約締結会議に日本全権として出席、軍縮を進めました。

広島県初の内閣総理大臣。
銅像は、広島城の横にあるエディオンピースウイング広島の広場「Hiropa!」内にあります。

池田勇人総理大臣
大正14(1925)年、京都帝大法学部卒業後大蔵省入省。

病気で一時退職するも復帰し、昭和20(1945)年主税局長。

22年、第1次吉田内閣で事務次官に抜擢される。

24年衆議院議員に当選。第3次吉田内閣の蔵相となり、経済安定9原則によるインフレ収拾に尽力。

26年のサンフランシスコ講和会議では、全権委員として平和条約に署名。

第4次吉田内閣で通産相となるが失言問題で辞任。

35年から計3次の内閣を組織し、高度経済成長政策や所得倍増計画を推進した。

題字は、吉田茂元首相。

灘尾弘吉衆院議長
明治32年12月21日広島県佐伯郡大柿町に生まれる。

昭和27年から31年間にわたり,衆議院議員として活躍。

この間,文部大臣(6回),厚生大臣(1回)を歴任。

昭和54年には第61代衆議院議長に就任。

全国社会福祉協議会会長として社会福祉の充実に努める。

毛利輝元戦国武将
広島城を築城した戦国武将です。

広島護国神社さんの境内にある「昇鯉の像」。

カープの守護神です。

さまざまな政治家を輩出した広島の街。

次は、岸田前総理の銅像が建つんですかね(笑)。


これからは、若い人たちの出番です。

新しい日本にしていくのは、若い力しかありません。
若者たちのパワーやイノベーションに期待する今日このごろです。
がんばれ!若者!


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