能率技師のメモ帳 中小企業診断士&社会保険労務士のワクワク広島ライフ

マネジメント理論を世のため人のために役立てるために・・・経済産業大臣登録中小企業診断士・特定社会保険労務士の備忘録

カープ、鬼門神宮球場でヤクルトに2-0勝って5割復帰!床田が投げ、宇草が打つ!津田一男さんの名文がカープファンの心の支えです

2024年04月24日 | カープ大好き!

カープが勝った翌朝、中国新聞のスポーツ欄(カープ欄)を読むのが至福のひと時です。

カープ、鬼門神宮球場でヤクルトに2-0勝って5割復帰しました。

エース床田が8回を投げ零封、宇草が打つ!9回は栗林がピシャリと締めてセーブ!

鯉党にとって、たまらない試合でした。

ヒーローインタビューは、宇草。

法政大学時代、神宮球場で活躍していた若き日を彷彿させるインタビューでした。

カープが勝っても負けても、いつも読む記事があります。

昭和50年、カープ初優勝の翌朝、中国新聞のカープの番記者・津田一男さんの書かれた文章です。

ビンボー球団、セリーグのお荷物球団と揶揄されていたカープ。

セリーグへの上納金も払えない、選手の給料の遅延・未払い、選手の遠征は夜行列車の床に新聞紙を敷いて雑魚寝・・・。

12球団中唯一、親会社を持たない市民球団。

とにかくお金がありません。

選手の寄せ集め・・・とにかく弱いチームでした。

球団解散や大洋ホエールズへの吸収合併などの話も持ち上がりました。

広島市民は、酒樽に観戦料以外にお金を入れるという「樽募金」やプロ野球球団初と言われているカープ鉛筆を販売しました。

そんな苦境を乗り越えて、東京・後楽園球場での胴上げ。

広島市民は歓喜に包まれました。

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強じんな雑草 いま大輪の花
球心 津田一男

真っ赤な、真っ赤な、炎と燃える真っ赤な花が、いま、まぎれもなく開いた。
祝福の万歳が津波のように寄せては、返している。
苦節26年、開くことのなかったつぼみが、ついに大輪の真っ赤な花となって開いたのだ。

カープは春の初め、はち切れそうなつぼみをつけても、開くことのない花であった。
花の咲かない雑草であった。
来る年も、来る年も・・・

原爆に打ちひしがれた広島の人びとの心のよりどころに、と結成されたカープ。
カープは原爆の野に息吹いたペンペン草、踏みにじられ、見捨てられても、屈することのない雑草であった。

それ故にカープファンは、いつの日か花開くことを夢見て、愛し続けてきたに違いない。

海の向こうからやってきたルーツおじさんは、この雑草を一年間じっくり観察した。
そして、二年目、「咲かせてみせましょう」と乗り出し、入念な手入れをすませると、さっさと帰っていった。

つぼみは日ごとに赤みを増し、生き生きと膨らんでいった。
水枯れの夏にも屈せず、台風の秋にも折れず・・・十月十五日、つぼみはついに真っ赤な花を咲かせた。
なんと長い、待ちに待ったその瞬間であったことか。

宙に浮く古葉の姿が涙にかすむ。
古葉もまた泣いていることだろう。
浩二はお立ち台で、コブシで涙をぬぐっている。
そして外木場が、大下が、三村が・・・
みんな抱き合って・・・

広島の街は喜びの人々であふれていることだろう。
よかった。
本当によかった。

そして、この喜びを、今は亡きカープを愛した人々に告げ、喜びをともにしたい。

カープを、いまわの際まで愛し続けたみなさん、見ましたか、カープのきょうのこの快挙を。
この一年、不撓不屈、明るく勇ましく、一丸となって戦ってきたカープの集約された姿がそこにありました。

強運の大下がたたいた、あの先制点。
この1点、守り切るぞーとまなじりを決して投げた外木場。
あとは任せておけーと不死身の金城。
そして最後にはホプキンスの3ランがついに、ついに、「V1」へのさん然と輝く栄光の橋を手ごたえも確かにかけた。

あの虹の橋を何度夢見たことか。
その虹の橋が、いまはゆるぎない鉄の橋となり、その上で赤い帽子のナインが、涙の笑顔で手を振っている。
幾万ものファンがその下で万歳を繰り返している。

真っ赤な花、炎と燃える真っ赤な花がそれである。

昭和50年10月16日 中國新聞朝刊

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この記事を読むたび、いつも勇気づけられ、涙します。

現在でもカープの試合の翌日の中国新聞朝刊には「球炎(球心から改名)」が掲載されています。

津田さん、名文、ありがとうございます!


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