今回の宿泊先は、東京・紀尾井町にあるホテルニューオータニ。
前回1964年の東京オリンピック時にオープンした老舗シティホテルです。



今では外資系ホテルが注目されていますが、帝国ホテル、オークラ、ニューオータニは東京御三家ホテルとしてプレゼンスを示しています。

ツツジが咲き誇る日本庭園。
ここのツツジとバラ園は、他では見ることのできない美しさです。


毎日、庭師さんが丁寧な手入れをしています。
すごい額の維持コストがかかっています。




日本庭園の奥にある茶室。
ワビ、サビを感じさせる落ち着いた空間です。

ホテルニューオータニは、富山県出身の大谷米太朗さんが造ったホテル。

富山県の貧農の家に生まれ、日々の食べ物にも困る家でしたが、31歳のときに力士になるため上京。
その後、事業を起こし、満州に工場を建てたりしましたが、敗戦により無一文に。
そこから、事業を再生、戦後の高度成長期の中で蓄財していきます。
1964年の東京五輪の際、ホテル不足の中、国の要請によりシティホテル建設に乗り出します。
そして、短期間の突貫工事でホテルニューオータニをオープンさせます。
大谷さんは、東京3か所に貧しい青少年のための少年センターを造ったり、故郷冨山に青年向けの技術短期大学を開学、さらには両国国技館の復興に乗り出します。
享年87歳・・・すごい人生を歩んだ方です。

はじめてホテルニューオータニに宿泊したのが小学校1年生の時です。
横浜の叔父に会うために上京。
山下公園や横浜ドリームランドに行ったことを覚えています。
ドリームランドでは、潜水艦や観覧車に乗りました。

そんな中の笑い話です。
ホテルニューオータニのフロントロビーに入ると、いきなり靴を脱いだと母が笑って語っていました。
ふかふかで綺麗なカーペットだったため、「ここでは靴を脱ぐべきだ」と思ったからでしょう(笑)。
田舎から出てきたお上りさんの小学校一年生・・・実に純情です。
ただ、今回感じたのがニューオータニのカーペットは他のホテルと比較して、絨毯の毛が深いこと。
本当にふかふかしています。


そして、小学1年生の晩御飯。
最上階17階のスカイラウンジへ。
当時は、1時間に一周していました(戦艦大和の主砲を回転させる技術を使ったそうです)。
今は亡き母から「今日は好きなものを食べていいよ」と言われ、答えました。
「ラーメン!」
ウエイトレスさんもひっくり返ったと思います(笑)。
その時食べたのは、ハンバーグだったことを覚えています。
リッツカールトンやヒルトン、シェラトンであれば子供の望みをかなえるために、館内の中華料理店からラーメンを取り寄せてくれたかもしれません。

今回は、本館・旧館ではなく、タワーに宿泊です。
本館を突っ切って、延々と歩き、タワー6階からエレベータに乗ります。
小学校1年生の時にはなかったタワーやビジネスオフィスビル・・・ニューオータニも進化しています。

館内に本屋さんもあります。

明日は、本館横にある3万本の薔薇が咲くバラ園に行く予定です。
宿泊者限定とのこと。
楽しみです。
