能率技師のメモ帳

マネジメント理論を世のため人のために役立てるために・・・
中小企業診断士・特定社会保険労務士のソーシャル備忘録

チームラボ「広島城 光の祭」が2月8日に始まります 浅野氏広島城入城400年記念イベントです

2019年01月16日 | 美術館・アート
デザインテクノロジーの最先端企業であるチームラボ
そのチームラボが、広島で「広島城 光の祭」を開催するとのこと。
広島で、どんなパフォーマンスを見せてくれるんでしょうか?
ちょっと楽しみです。


浅野氏広島城入城400年を記念してのイベントだそうです。
1.忘却の礎石に立ち続けるものたち
2.お絵描き武将
3.呼応する、立ち続けるものたちと木々
さまざまな企画・・・楽しみです。


広島城。
戦前の一時期、ここに大本営や帝国議会が東京より移転、日本の首都となっていました。
日清戦争という国の一大事を乗り切るため、明治天皇や政府関係者が来広。
今でも建物の基礎が残っています。
広島のパワースポットの一つです。




「広島城 光の祭」 2月8日~4月7日まで。
前売り券800円で発売中。買いに行きます。

広島・原爆資料館リニューアル中 春オープンが楽しみ 資料館の地下にあるスケッチが心を癒してくれました

2019年01月08日 | 美術館・アート
広島市の中心部にある平和公園。


建築家・丹下健三によりデザインされた都市型の公園。


そばには、イサム・ノグチ設計の平和大橋もあります。
建築家の卵にとっては、必ず学ぶべきアーキテクトです。

原爆資料館は、現在、東館のみの開館で、ちょっと寂しいです。


東館の地下では、現在、広島赤十字病院の企画展を開催中。
資料館の地下の壁面にあるスケッチが心を癒してくれました。


夕凪の街 桜の国(1) 桜の国(2)


ローマ法王の言葉が刻まれたモニュメント。
今年、広島への訪問が予定されているとのことです。


資料館、噴水、平和大橋・・・平和を体感できる空間が、再び構成されています。
次世代に何を伝えていかなければならないのかが問われていると思います。


広島平和公園の巨大噴水「祈りの泉」がリニューアル 噴水の水の高さが5メートルUP 地場銀行の良い仕事

2019年01月06日 | 美術館・アート
広島平和公園の原爆資料館は、今年の春のリニューアルオープンに向けて最終工事を行っています。
爆心地・旧中島町の発掘調査も終わり、新しくなる丹下健三設計の原爆資料館本館が桜の時期に全貌を表すことになります。
ちょっと楽しみです。

現在は、新しくなった東館だけ開館しています。
個人的には、展示全体がちょっとスマートになり過ぎていること、バリアフリーが十分でないこと、ICTが十分活かされていないこと、展示が窮屈、文字が小さく読みにくい、そして何より全体が暗すぎる感じがします。
リニューアルする本館では、これらの点を改善してほしいなあと思います。




今回、発見したのが、原爆資料館本館の前にある巨大噴水。
池の中も、綺麗に塗装されなおされており、かつ中央の噴水の水の高さが5メートルUPしていました。
意外と迫力あります。

この噴水、正式名称は「祈りの泉」。
1964年に、地場の広島銀行が設置したとのこと。
水を求めて亡くなっていった被爆者の鎮魂のために造られたものと聞いています。




造られて半世紀、「祈りの泉」もリニューアルされました。
しかも、水を上昇させるポンプ類も最新式のものに変えられています。


広島銀行は、ゴッホやルノワールなどのコレクションを常時公開している「ひろしま美術館」を設置するなど、CSR、メセナ、フィランソロピーの活動を続けています。
 
 
その中でも、「祈りの泉」は、目立ちませんが、広島にとって、とても大切な事業であると思います。
ひろぎん・・・なかなか良い仕事をする広島市民に近い銀行だと思います。


戦艦大和の沖縄特攻で戦死した白渕馨海軍大尉の遺言「進歩のない者」 の末路は?科学なき者の最後は?

2018年12月31日 | 美術館・アート
広島県呉市にある大和ミュージアム。
心を動かされる場所の一つです。
 
 
その中で、心打たれるコーナーが二か所あります。

一つが第六潜水艇の佐久間勉艇長のコーナー。
江田島の旧海軍兵学校の資料館にも、佐久間艇長の展示があります。

瀬戸内海で初期の潜水艦が沈没。
当時の技術では、救助不可能。
その絶望的な状況の中で佐久間艇長は、死に迫る刻々とした時間の中、冷静なメモを記録していきます。
そして、最後は天皇陛下に艇と乗組員を失うことを詫び、乗組員の家族を支えていただきたいという遺書を残します。
さらに、この事故で日本の潜水艦の研究開発が停滞してほしくないと書き残します。

佐久間艇長と乗組員たちは、最後の最後まで各自の持ち場を離れず、殉職。
武士道を重んじた帝国海軍のスピリットは、米国海軍兵学校の教材にも使われているそうです。
海外の潜水艦事故では、乗組員がハッチを目指して暴徒化し浸水。
全員死亡という修羅場となることがほとんどだそうです。

最後まで、持ち場を離れず、酸素がなくなる中もパニックに陥らず、殉職。
まさに、武士道です。
今では想像もつかないような精神性・・・涙を誘います。



そして、もう一つのコーナーが、戦艦大和乗組員、白渕馨海軍大尉の遺書。
敗戦がほぼ決まりかけた1945年4月、戦艦大和は3000名の乗組員、わずかな護衛駆逐艦とともに沖縄に上陸した米軍を叩くため、沖縄を目指します。
制空権は米軍に握られ、護衛機もつけず、片道分の燃料を積んでの沖縄特攻・・・。
どう考えても成功はない、無謀な作戦です。

戦艦大和は、帝国海軍の最後の華として、無数の米軍機の攻撃により東シナ海で撃沈されます・・・。
白渕馨海軍大尉の最後の言葉・・・映画「男たちの大和」でも取り上げられていました。

引用させていただきます。


進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。
日本は進歩ということを軽んじ過ぎた。
私的な潔癖や徳義にこだわって、本当の進歩を忘れていた。
敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか。
今目覚めずしていつ救われるか。俺たちはその先導になるのだ。
日本の新生に先駆けて散る。
まさに本望じゃないか。
「戦艦大和の最後」吉田満著 白渕馨海軍大尉

重い言葉です。
 


 
小学生の頃、ヨットスクールで操船を習っていました。
海上自衛隊OBの方が教官。
安全航海のため、規律や礼儀作法に厳しかったのですが、いつも言われてたのがネイビー・スピリットでした。
海の男の生き方・・・今でも自身の行動指針になっています。

スマートで、目先が効いて、几帳面 負けじ魂、これぞ船乗り


広島の江田島にある海軍兵学校の校長を務めた井上成美海軍大将。
戦況が悪化しても敵国語である英語教育を続け、単なる軍人ではなくジェントルマンを育成するという方針を崩しませんでした。
終戦が迫ると井上校長はいいます・・・死ぬな!諸君が戦後の日本を作っていくんだ!
戦後、井上校長は神奈川で極貧生活を送り、そして、亡くなります。


戦後、実業家、政治家として活躍した永野護さんが書いた「敗戦真相記」。
広島県出身の永野護さんは岸内閣で運輸大臣を務めます。
秀才で知られた永野兄弟、実弟の永野重雄は日本商工会議所会頭、永野俊雄は五洋建設会長、伍堂輝雄は日本航空会長、永野鎮雄は参議院議員、永野治は石川島播磨重工業副社長を務めます。

科学なき者の最後
白渕海軍大尉の言葉と重なります。
科学なき者の最後・・・アメリカのニュース映画で日本への空襲報道に付けられたタイトルだそうです。

永野さんは、敗戦の理由を、「日本の国策の基本理念が間違っていた」「日本の指導者がドイツの物まねをした」「軍部が己を知らず敵を知らなかった」「世論本意の政治を行わざりしこと」等を挙げながら、

1.日本の戦争目的が、公明正大な目標を欠いていた。

2.日本の軍部が自己の力を計らず敵の力を研究せず、ただ自己の精神力を過大評価して慢心した。

3.軍の指導者が国民の良識や感覚を無視して一人よがりで自分のいいと信じたところに国民を連れていこうとした。

そして、永野さんはまとめます。

「以上のほか、国民の非能率だったこと、官僚の独善的だったことなど、いろいろな理由が綜合して戦争の敗因となったのですが(略)」

「その一つは、科学兵器の進歩があまりに違っておったことであり、他の一つはマネージメントの科学性の問題であります。」

「このような科学兵器の差というものは目に見えるから皆納得するが、目に見えないで、もっと戦局に影響を及ぼしたのがマネージメントの差です。残念ながら我が方は、サイエンティフィック(科学的)マネージメントというものが、ほとんどゼロに等しかった。」

「(中略)この経営能力が、また科学兵器の差よりもひどい立ち遅れであって、この代表的なものが日本の官僚のやり方でしょう。日本の官僚の著しい特性は一見忙しく働いているように見えて、実は何もしていない。チューインガムをかんだり、ポケットに手を入れたりして、いかにも遊んでいるように見えて、実際は非常に仕事の速いアメリカ式と好対照を見せています。」

う~ん、心が痛みます。
あの時の日本と、今の日本、根本、本質はあまり変わっていないような気もします。

科学なき者の最後にならぬよう・・・
サイエンスとマネジメント・・・
VUCA、AI時代でも、必須の武器になると思います。


今年も小職のブログに目をお通しいただきまして、誠にありがとうございました。
皆さま、よいお年をお迎えください。

海軍の街にある呉市立美術館 美術館通りには彫刻と樹々の緑でなかなか素敵な散歩道 平和と芸術がクロス

2018年12月25日 | 美術館・アート
明治時代以降、海軍の街として発展してきた呉市。
広島県の南部にあります。
 
 

そんな地方都市に1982年に開館した呉市立美術館。
市政80周年を記念して建てられたそうです。
三階建てです。
 
 

小ぶりですが、美術館通りとともにバランスよくデザインされた華奢な美術館です。



ピエール=オーギュスト・ルノワール「麦わら帽子の少女」、奥田元宋「焼嶽」、児玉希望「雨後」、平山郁夫「大毗波沙国桃源境」、小磯良平「横たわる女」、南薫造「庭」など日本画中心のコレクション。

背後には、呉海軍鎮守府司令長官の官舎があった入船山があります。
呉を訪れた際には、ぜひ立ち寄っていただきたいスポット。

 
 

おすすめルートは、大和ミュージアム、鉄のくじら館、中央桟橋展望台、入船山記念館、呉市立美術館の順で、歩いて回ることができます。

大和ミュージアムと海・・・ヤマト波止場とシーサイドカフェ「ビーコン」 呉の港で海に親しめる海浜公園

2018年12月21日 | 美術館・アート
呉の港に近接した大和ミュージアムには、ヤマト波止場という公園があります。


 
ハトバ・・・波止場という言葉は、港町ぽくて何だか良いです。
戦艦大和の艦首左舷をデザインしたカタチをしています。
艦上のように木製のウッドデッキ。



目の前は、呉港。
瀬戸内海が広がります。


入口には、シーサイドカフェ「ビーコン」。
なかなか優れたネーミングです。
ビーコンとは、無線標識のこと。
海の男の必須アイテムです。

このカフェの名物は、もちろん海自カレーと珈琲です。
 
 

ヤマト波止場で、呉の港で海に親しむことが出来ます。


クジラが陸に上がった!鉄のくじら館 陸揚げされた本物の潜水艦 海上自衛隊呉資料館でサブマリンおたく!

2018年12月20日 | 美術館・アート
陸上に展示されている本物の潜水艦。
本当に圧巻です。
 

広島県呉市にある「てつのくじら館」。
正式名称は、海上自衛隊呉資料館。

潜水艦の発展と現況や掃海艇の戦績と活躍等が展示されています。


大和ミュージアムのお隣に立地。
大和ミュージアムを訪れた際には、必ず立ち寄りたいところです。


「サブマリンおたく」にされそうな展示・・・数時間、無料(入場料無料)で楽しむことが出来ます。




思わずリンゴ・スターの歌を口ずさんでしまいました。


退役した潜水艦「あきしお」の内部にも入ることが出来、潜望鏡を見たり、操縦席に座ることも出来ます。





海上自衛隊の多彩な活動、現場でご苦労されている隊員の皆さんの力強さが伝わってきます。





魚雷発射装置。
 

狭い空間を機能的にまとめあげてある潜水艦の中。




食事は、こんな感じ。
金曜日は、やっぱりカレーなんですかね。


ミュージアムショップで、文房具を買いました。

女子自衛官・・・なかなか素敵です。

 
また、訪れたい「てつのくじら館」でした。


大和ミュージアム企画展「戦艦長門と日本海軍」開催中 ビキニ環礁原爆実験で沈没した帝国海軍悲運の戦艦

2018年12月19日 | 美術館・アート
広島県呉市の大和ミュージアムでは、企画展「戦艦長門と日本海軍」開催中です。

 
戦艦長門は、呉海軍工廠で建造された戦艦。
史上初めて41センチ砲を搭載する戦艦として建造され、竣工時世界最大・最速を誇っていました。
また、帝国海軍の連合艦隊旗艦を最も長期にわたり勤め、日本海軍の象徴となっていました。


終戦時、航行可能な唯一の戦艦でしたが、アメリカ軍に接収され、1946年7月、ビキニ環礁での原爆実験の標的艦として沈没させられました。
戦艦大和と同様、悲運の戦艦です。

長門艦内の会議室を再現。


長門に掲揚されていた軍艦旗。
今では、海上自衛隊の艦尾に掲げられています。


長門の同型艦、陸奥の主砲。


この企画展、来年3月24日まで。
ぜひ、呉の街に訪れ、観ていただきたい「戦艦長門と日本海軍」展です。


ゼロ戦in大和ミュージアム 美しいフォルムはスタジオジブリ映画「風立ちぬ」の主役・堀越二郎がデザイン

2018年12月18日 | 美術館・アート
広島県呉市の大和ミュージアムに展示してあるゼロ戦の実機。
ゼロ戦の正式名称は、零式艦上戦闘機。
 

美しいフォルムです。
 

ゼロ戦は、今から80年前に帝国海軍が開発した単発式の戦闘機です。
500キロのスピードが出たそうです。
軽快で小回りが利く、ただし軽量化のため防弾に難があったと言われています。
太平洋戦争時には、「ゼロファイター」として米軍パイロットから恐れられていました。


スタジオジブリの映画「風立ちぬ」の主人公として描かれた堀越二郎技師によって設計されました。
そういえば、「風立ちぬ」のヒロイン・・・堀辰雄の原作では「節子」さんでしたが、映画では「菜穂子」さんになっていましたね。
 

戦艦大和とゼロ戦・・・当時の日本は世界最高水準のテクノロジー、技術力を持っていたことが分かります。
テクノロジーは、人類への寄与と平和のために使われなければなりません。



大和ミュージアムに行って来ました 実物の10分の1の戦艦大和・圧巻です 世界最大のバトルシップ博物館

2018年12月17日 | 美術館・アート
大和ミュージアムに行って来ました。
広島県呉市の海側・・・呉港にあります。


 

まずは、海の神ネプチューンにご挨拶。
ギリシャ神話に出てくるポセイドンです。

 

大和ミュージアムに入場。
正式名称は、呉市海事歴史科学館、2005年にオープンしました。


入場すると最初に出会うのが、実物の10分の1の戦艦大和。
本物は全長263メートルだったので、造船会社で造られたというこのモデル、26.3メートルあります。
 

大艦巨砲主義の粋として、当時の最新テクノロジーを凝縮して、呉海軍工廠で建造された戦艦大和。

大和・・・ヤマト 日本的な語感のあるネーミング 本居宣長を彷彿させます。

敷島の やまと心を 人とはば 朝日に匂ふ 山さくら花


でも、大和は、太平洋戦争で、あまり活躍する闘いは出来ませんでした。
時は、航空機の時代。
戦争のパラダイムが変わっていたのです。






そして、昭和20年4月・・・片道分の燃料と3000人を超える乗組員とともに沖縄特攻。
沖縄に上陸した米軍を叩くため、沖縄の浜に乗り上げ、砲台として最終決戦をかけるという目的だったようです。
沖縄を決して見捨てない・・・でも、世界最大の戦艦は、悲運の戦艦となりました。
 
 
 
 

このミュージアムでは、戦艦大和を様々な角度から見ることが出来ます。
機能を追求したデザインが、80年前に建造されたということに驚きます。




今、海上自衛艦「いずも」が注目を集めていますが、その大きさは戦艦大和より15メートルほど短いということです。


戦争反対ということは口では簡単に言えますが、
あの戦争は一体何だったんだという疑問から何度も内省していかなければならないと考えています。


戦争と平和を、うまく展示している大和ミュージアムです。



現在、大和ミュージアムでは、企画展「戦艦長門と日本海軍」を開催中です。
入場料大人500円、年末年始も開館するとのことです。