in the heart side・・ヒトツバタコ

いつもその時の出会いを大切に・・

私とおじいちゃん

2009-01-30 18:11:43 | Weblog
私が初めて義父に会ったのは25歳の時、今から27年前・・

父親に会ってくれという彼の言葉に”ねえ、口紅濃くないかなあ・?”と聞いたものだった。彼は”いいよ。可愛いよ”なんて言い、彼の家に・・

そこには品の良い初老の紳士がいた。私にお茶を入れ、美味しそうに煙草を吸い・・何の問題もなかった。ただ目が不自由以外は。

帰りの車の中私は、一言も話せなかった。彼も・・。

夫は、今もあの時どんな気持ちだったかを話してくれない。
きっと、”偏見”というものに無意識に抵抗し、防備していたのでないかと思う。

私は、本当に自分の価値観だけの中に生きてきたような人間だった。
私の両親は、当初結婚に大反対だった。苦労知らずの私に将来義父の面倒などみられるはずがないとうものだった。彼は本当に我慢強く両親を説得してくれた。
私の両親は、障害者は重荷になるだけという偏見に満ち満ちていた。

一緒に暮し始めた義父は、目が不自由でも洗濯物も一人で干し、取り込み畳み、掃除もし、子供達の面倒もみてくれた。
私は、おじいちゃんのできないことを手助けするだけでよかった。

そこで初めて不自由な面を持つ者に対していかに無知だったかを知らされた。
私は、自分の人生の半分近くをそんな世界で生きてきたような人間・・その私が進行性で不治のパーキンソン病になり・・今度は夫の荷物になろうとしている・・

義父との、この27年間を思う。

もし私は、あのまま健康体であったらどんな人間になっていただろうか。
おそらくおじいちゃんと今のような関係ではなかっただろう。
この病気持ち、かっこ悪いけどカッコいい人を知った。

私は、決して清廉潔癖な人間ではないし、自分勝手でいい年していつもナンカ面白いことないかなとキョロキョロしているような人間だ。
口の悪い友人は”貴女が良い人になったら気持ち悪いわ”などとのたまう。
決してカッコつけるつもりはない。
この病気になり、外に現れる病気ということにこだわったのも確かである。
私が嘗てそうであったように、この病気に偏見持たれても仕方ないと思う。

人が生きて死ぬこと・・大上段に構えるつもりはないが、おじいちゃんを見てふとそんなことを思う時がある。

私のパーキンソン病患者としての人生は、まだまだこれからだ。

突進症状やら後方突進、震顫、ジスキネジア、転倒・・飲み込んでやっていけるだろか・・?
やるもやらぬも生きていかねばならないことだけは、ハッキリしている。

そんなことをぼんやり思った・・
何もせず、また大事な一日が暮れていく・・

ヒトツバタコさん、しっかりしなさいよ!とどこからか聞こえてきそうだ。

コメント (4)
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