今日は市文化財保護協会の年一回の研修視察の下見のために、九戸城址(岩手県二戸市)、三戸城址(青森県三戸町)、根城址・八戸市立博物館・櫛引八幡宮 (青森県八戸市)におかあさんと他の事務局の方と3人で出かけました。
九戸城址では今も発掘が行われていました。今は住居跡や空堀址が掘られているとのことでした。
2007,8.22の「岩手日報」には、その頃の発掘では頭骨のない十数体の人骨が出土し、女性の骨も少なくても2体はあったと記しています。
1591年(天正18年)、蒲生氏郷(がもううじさと)率いる6万5千の秀吉軍が、九戸政実をだまして九戸の兵5千人を城内二の丸でなで切りにしたと言われています。
ボランティアガイドさんの熱心な説明を頂き、感じ入るものひとしおでした。本番の研修視察は11月7日です。また詳しく学習したいと思います。
九戸政実神社です。
偉人は死して神様になります。この神社は以前は九戸城内にあったものだそうですが老朽化が進んだので、今は九戸城祉近くの呑香(とんこう)稲荷神社の境内に移され、相馬大作神社と並んでありました。
天下に背いた武将の神社にしては、小さな神社と思ったのが私の第一印象でしたが、この地域の方々が九戸政実氏を偲んで作った神社です。
この九戸城に敵大将であった南部信直が20数年も住み、盛岡城が出来るまでここ九戸城が南部の中心であったことを考えると、この神社の存在そのものが凄いものであることも深く感じました。
その後、岩手県九戸城址から青森県の三戸城址(九戸氏の敵南部信直のお城)へ、さらに同県八戸市根城址とその隣の博物館へ、根城は中世の南部氏の居舘です。
(根城復元模型)
最後は櫛引八幡宮へ、ここは八戸南部、根城南部が武運長久を祈願した八幡宮(神社)です。
国宝の鎧(よろい)が2体あります。ここは神主さんからの説明を頂きじっくりと拝見しました。
11月7日の本番当日は55人乗りの市のバス(運転手付き、ガソリン代等全て無料)を使い、45名を定員(〆切・補助椅子を使わないため)とします(昨年の弘前方面の参加者は38名でした)。
最大限の宣伝(会員への連絡、地方紙での宣伝、ポスターも準備しようかな・・・)をし、最良の見学の為の資料を作成しようと思います。
11月7日の本番が楽しみ、みんなに喜んでいただける研修視察にするために、楽しみながら頑張ろうと思います ・・・・