特捜最前線日記

特捜最前線について語ります。
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第388話 老刑事と五号室の女!

2008年03月05日 23時13分15秒 | Weblog
脚本 佐藤五月、監督 天野利彦

殺人事件の容疑者を張り込むため、素性を隠してアパートに住み込む船村。数日後、首尾よく容疑者を逮捕した特命課の刑事たちに、居合わせた女が「行方不明の夫を探してください」と頼み込む。船村が事情を聞いたところ、夫は女と別居してアパートに住んでいたが、離れて暮らす子供のことを溺愛しており、毎晩電話してきたという。一昨日は子供の誕生日にも関わらず電話がなく、不審に思ってアパートに来たところ、数日間帰っていない様子で、会社にも出社していないのだ。
管理人に聞き込んだところ、夫は五号室に住む若いOLと親しい仲だという。船村もOLとは顔見知りで、先日もOLが庭に捨てようとしていた土を譲ってもらった。「飼っていた欄の花が死んじゃったから」と、花をペットのように語るOLの言葉が、船村の印象に残っていた。だが、五号室に確かめに向かったところ、OLは何も知らないという。
単なる蒸発事件とは思いながらも、何かがひっかかり捜査を開始する船村。夫の部屋でOLのものと思しきガーターベルトの金具を見つけた船村は、アパート住まいを続けてOLの身辺を探る。ゴミ出しの日を守らない、コインランドリーで長靴を洗うなど、モラルのないOLに呆れる船村。ついには猫をゴミ袋に入れて道路に投げ捨てるところを目撃し、怒りに任せて罵倒する。「だって、その猫、私の部屋を汚すの」と悪びれもせず、そうかと思えば野良犬を抱きしめ「可愛そう」と涙ぐむOLに、船村は「君なんかに生き物を抱く資格は無い」と吐き捨てる。
吉野や叶に「訳が分からん」とぼやく船村。OLの会社で聞き込んできた橘から「社内ではすこぶる評判が良く、嫁さんにしたい女性No.1です」と聞かされ、「ますます分からん」と首をひねる。船村の迷いをよそに、事態は急転する。五号室付近から異臭が漂い出したある日、OLが「人殺ししちゃった」と泣いて部屋から飛び出してきた。行方不明の夫のことかと思いきや、死体は同じアパートの若者だった。
特命課がOLから事情を聞いたところ、3日前、室内に侵入してきた若者に襲われ、夢中で反撃したところ、殺してしまったのだという。「どうしてすぐに届けなかった?」との橘の問いに「殺人で捕まるのが怖かったから」と答えるOL。「死体と一緒で平気だったのか?」と訝しがる橘に、OLは「死んでるんだもん、怖くないわ」と応じた。
その後、若者が下着ドロだと判明し、OLの正当防衛が証明され、釈放される。だが、船村は若者の日記から、事件の日に「OLから部屋に呼び出された」との記述を発見。刑事の身分を明かしてOLを逮捕する。だが、なぜOLは若者を呼び出し、殺したのか?その謎を解くカギは、数日前に女が捨てた土にあった。「あの女は行方不明の夫も殺している」船村の直感に従い、女の部屋の床下を掘り返したところ、果たして夫の死体が発見される。OLは夫殺しを若者に気づかれ、口封じのために殺したのだった。
取調べに対し、夫との関係を語り出すOL。夫はしつこくアパートまで押しかける妻に嫌気がさしており、いい年をした男が困り果てて泣いているのを見て、OLはペットを可愛がるような感覚で関係を持った。だが、味を占めた夫が部屋に居つくので、鬱陶しくなって金槌で殴り殺したという。「だって飽きたんだもん。飽きたオモチャは捨てちゃうでしょ」と答えるOLに、言葉を失う刑事たち。特命課を訪れ「どうしてあの女が主人を殺したんですか?」と問う妻に、船村は何も答えることができなかった。

ごく普通のOLが抱いた理不尽な殺意を描いた、恐るべき一本。殺人の動機はもとより、OLの言動のすべてが不可解極まりなく(他にも被害者である夫と妻の関係も理解し難いなど、いろいろ突っ込みどころはありますが)、「意味不明の駄作」と片付けてしまってもいいのですが、その不可解さこそが脚本家の意図だとすれば、まことに恐ろしいドラマだと言えるかもしれません。

我々視聴者にとって「不可解」であり、むしろ「リアリティが無い」と思われるOLの(演技ではなく)言動ではありますが、実際に不可解な理由による、あり得ないような殺人事件が多発する世の中を見れば、逆に「この不可解さが逆にリアルなのではないか?」とすら思えてきます。善良なる視聴者が抱く違和感とは、端的に言えば「平気で猫を殺すからといって、理由も無く人を殺すことなどあり得ない」という点だと思われます。つまり、小動物を殺すことと、人を殺すこととの間には、「越えられない一線」があると信じているわけです。しかし、小動物を殺すことすら到底できない私でも、蚊やゴキブリは躊躇無く殺せます。人によっては、小動物を殺すことに躊躇を覚えないであろうことは容易に想像できますし、善良だと思っている自分自身の内面にも、そんな一面が眠ってないと断言できるほどの度胸は私にはありません。そう考えたとき、「越えられない一線」とは単なる幻想ではなのいか?そんな一線があると思うことで、かりそめの平穏を維持しているだけではないのか?と思わずにはいられません。

「君らの側にいる可愛い女も、一皮向けばみんなこんなものだ」という脚本家の悪意は、ラストシーンを見ても明らかです。事件解決後、露天商から小うさぎを買う若い娘たちを見かけるおやっさん。うさぎを可愛がりながらも「すぐ大きくなっちゃうよ」「いいよ、大きくなったら脳天かち割っちゃうから」と笑う娘たちに「君たちに、生き物を飼う資格なんか無い!」と叱りつけるおやっさん。「私は年甲斐も無く怒ってしまった。恥ずかしいと思った」というおやっさんのナレーションでドラマは締めくくられるわけですが、OLの無邪気な殺人と、この娘たちの無邪気な発言(もちろん、あえて誇張させているわけですが)には何の違いも無く、誰もが無邪気に人を殺しかねないこの世の中に対する痛烈な批判(あるいは警告)となっているのではないかと、私は勝手に思うのです。