特捜最前線日記

特捜最前線について語ります。
ネタバレを含んでいますので、ご注意ください。

第394話 レイプ・白いハンカチの秘密!

2008年03月31日 21時47分49秒 | Weblog
脚本 佐藤五月、監督 辻理

議員が顔見知りの女の部屋で殺され、女が逮捕される。失踪した夫の借金を抱え、幼い娘を育てながらスーパーで働いていた女は、議員との間にどんな関係があったのか?女の弁護を担当するのは、特命課とは旧知の女弁護士。女が被害者にレイプされたことを明かし、正当防衛を主張する女弁護士だが、女の証言には不審な点が多かった。
その後の調べで、女がかつて売春婦だったことが判明。「暴行されたんじゃなく、売春だったんだろう」と女を追及する叶。だが、女は婚約者との出会いを機に、売春を辞めていた。かつて女の客だった議員は、久しぶりに女の部屋を訪れ「もう売春は辞めたから」と断る女に、無理矢理襲い掛かったのだという。
事件当日の娘の様子が気になった叶は、いつも公園で絵を描きながら待っていたことを知る。「ママのお仕事の日」と題した絵に、ベランダの手すりにハンカチが描かれていることに気づいた叶は、それが売春中の合図ではないかと推測。娘に確認したところ、事件当日もそのハンカチが出ていたという。「あの女、まだ売春を続けていたんだ」
売春が事実だとすれば、正当防衛は認められないが、女は「何かの間違いです!」と認めない。そんななか、特命課に「あの女は、3年前にも人を殺している」とタレコミが入る。該当する事件を調べたところ、貯金を愛人に貢いだ夫を妻が刺し殺して自殺するという事件があった。その愛人こそ、容疑者である女だった。「あんな女は許せません!」と女への疑惑を強める叶。
なおも女の正当防衛を主張する女弁護士だが、叶は「売春婦がレイプされたといっても世間では通用しませんよ」と反論する。女弁護士は「やっぱり色眼鏡で見るんですね。更正しようとする女の足を引っ張って楽しいんですか?」と言い返す。やがて、女弁護士の調査で、無理心中は妻の妄想であり、貯金を失ったのはギャンブルにつぎ込んだためだと判明。売春の証拠であるハンカチについては「誰か、ハンカチの合図を知っていて、彼女に恨みを持つものの仕業では?」との推理を披露する。
女がひたすら沈黙を守るため、娘から聞き出そうとする叶。そこに、拘留中の女に代わって娘の面倒を見ている友人が現れる。「あんた、彼女と同じ商売をしてるね。ハンカチを結んだのも、タレコミも、あんたの仕業だね?」叶の言葉をあっさり認める友人。結婚が決まって売春を辞めるとき、女は友人に「あんたもこんな仕事辞めたほうがいいわよ」と言った。その言葉に、友人は激しい憎悪をいだいたという。「どうして友達の幸せを祝福してやれないんだ」叶の言葉に、友人は「あたしだってこんな商売辞めたいよ!」と涙を流すだけだった。
正当防衛が認められ、釈放される女に頭を下げ、偏見に満ちた捜査をしたことを詫びる叶。だが、女の口から、叶や友人を攻める言葉は出てこなかった。「私、自分の幸せに有頂天になって、他人の不幸が見えなくなってたんです」女の言葉は、叶の胸に深く突き刺さった。

「女性の犯罪体験手記シリーズ」第2弾ですが、今回の女も実際には犯罪を犯していません(あ、売春は犯罪か)。ストーリーはともかく、元売春婦への世間の偏見と闘う女弁護士の不愉快極まりない態度には閉口させられました。どこかで見覚えがあると思ったら、第338話「午前0時30分の証言者!」に登場した女弁護士でした。再登場するからには、視聴者から好評だったのでしょうか?そんなはずはないと思いたい私です。

女が売春婦だったことを知りながらも黙っていた女弁護士は「なぜ隠していたんですか?」と神代に問われ「同じ女性として、言いたくなかった」と語りました。「体を売った女が立ち直ろうとしても、世間は認めないもの。あなたも心証を悪くしたんじゃないですか?だから、彼女の過去を晒したくなかったんです」こんな理屈、少なくとも捜査に関わる人間には通用しません。「かつて売春していた女」ではなく、かつて「人を殺した男」を弁護する場合、その前科を知りつつ黙っているのは弁護士としてどうなのでしょう。
前科者の方や、元売春婦の方には大変申し訳ないのですが、世間の目からすれば、そうした方々を「平気で一線を越える人間」として信用しないのは当たり前のことでしょう。それを偏見と呼び、さらに「更正しようとする人間の足を引っ張る」などと非難されても、「開き直り」あるいは「逆ギレ」と言われてもしょうがありません。犯罪を犯した人や、売春した人からすれば、それぞれ止むに止まれぬ事情があったのでしょう。しかし、同じ状況にあっても、犯罪を犯さなかった人、体を売らなかった人がいることを忘れないで欲しい。かつて犯した過ちを、いつまでもほじくり返されるのは、それは嫌でしょう。しかし、そもそもの責任は過ちを犯した自分自身にあるのであり、安易に「過ち」と言って「過去のこと」にして欲しくありません。世間の偏見に晒されるたびに、自分の愚かさを改めて噛み締めることが、本当の贖罪なのではないでしょうか。

それはともかく、ラストで友人が真相を明かすくだり、粗筋がやけに唐突に思われるかもしれませんが、実際、こんな感じです。唐突にもほどがある展開に「そんなんでええんか?」と言いたくなりました。個人的な意見ですが、友人の気持ちは分からなくもありません。同じどん底にいるもの同士の友情というのは、ぶっちゃけ「傷の舐め合い」でしかありません。自分だけどん底を抜け出す際に、「あんたも抜け出せよ」と無神経なことを言うような女には、同情する気にもなれません。もちろん、本気になれば抜け出せるにも関わらず「辞められるものなら辞めたい」と嘆くだけの友人も同様です。「だったらなぜ辞めないの?」と聞いてみたいものです。