特捜最前線日記

特捜最前線について語ります。
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第457話 終着駅の女Ⅱ 上野駅・徳永礼子の犯罪!

2009年01月17日 00時12分07秒 | Weblog
脚本 橋本綾、監督 三ツ村鐵治
1986年3月20日放送

【あらすじ】
「夫は自殺なんかじゃない、誰かに殺されたんです!」特命課を訪れた主婦の訴えを受けて、自殺と見られる男の死を調べる時田と桜井。経営するスナックで焼け死んでいた男は、死の数日前から不機嫌になり「なぜ、心や記憶は燃えてしまわないんだろう」と、意味不明の言葉を繰り返し言っていたという。
所轄署では、遺書もあることから焼身自殺と断定。「あの奥さん、自殺だと保険金が下りないから、殺人と言い張っているだけ」と相手にしなかった。時田も同感だったが、桜井だけは殺人の可能性を主張する。その根拠は「こうすることが一番いい。君は君で、新しい人生を見つけて欲しい」という遺書の文面にあった。別の女に宛てた「縁切り状」ではないかと推測する桜井。主婦は男と結婚した3年前以前の過去を知らず、他の女に心当たりはなかった。
占い好きだった男は、死の5日前に手相占いの女から「火に気をつけろ」と言われていたという。死の予告とも言える占いと、男の意味不明の言葉とのつながりが気になった桜井は、手相占いの女を探し出す。特命課の調べでは、「徳永礼子」なるその女は、男を占って以来、街から姿を消していた。また、15歳で故郷の宮崎を出てから、3年前に占いを始めるまでの消息が不明だった。
女の自宅を訪ねた桜井は、女こそ男を殺した犯人と確信する。「あんたは男が占い好きだと知って、蜘蛛の巣を張っていたんだね?」桜井の追及を「証拠はあるの?」とかわす女。
一方、特命課の調査により、119番通報をしてきたのが女性で、電話を掛けたのもスナックからだと判明。また、男は二度目の結婚であり、6年前に前妻が焼身自殺を遂げていたことも分かる。当時、男は借金を抱えていたが、前妻の保険金で清算し、故郷の青森から姿を消していた。
青森に飛んだ時田と桜井は、焼け焦げた死体の身許確認が困難だったことや、前妻が占いを得意としていたことを知る。桜井は死体こそが「徳永礼子」で、彼女を殺した前妻が、その名を借りているではないかと推理する。
東京に戻り、再び女を追及する桜井。証拠を要求する女に、桜井は言った。「証拠はある。心と記憶だ」たとえ顔や名前は変えても、前妻としての記憶や心が残っているはず、と訴える桜井に、女は「あなたは間違っている。そんなもの、燃えちゃうのよ」と答えた。
その後、桜井を呼び出した女は、かつて務めていた夜の街を案内し、自分が「徳永礼子」であることを証明しようとする。だが、それは却って、女に6年前以前の過去がないことを浮き彫りにするだけだった。「この女は、誰かに自分の本当の過去を暴いて欲しがっている」そう確信した桜井は、一計を案じる。
女の元に特命課から電話が入る。「あんたの故郷に向かった桜井が交通事故にあった。あんたに会いたがっている。駅で待っているから一緒に来て欲しい」上野駅に向かった女の前に現れた神代は、女を前妻だと決め付ける。「徳永礼子の故郷である宮崎に行くはずなら、東京駅にいくはず。上野に来たということは、貴方の故郷は青森だということだ」「引っ掛かっちゃったというわけね・・・」女はスッキリしたような顔で、自身が前妻であること、そして男を殺したことを告白する。
6年前、女は男の言うがままに「徳永礼子」を焼殺し、顔を替えて夜の街で働いた。すべては、再び男と幸せになると信じてのことだった。だが、男は件の手紙を残し、女の前から姿を消した。そして事件当日、ようやく男を探し当てた女に浴びせられたのは、男が自分を捨てた理不尽な理由だった。「顔を変えたことで、お前は変わっていった。美人になって、金を稼げるようになって自信がついたせいか、俺を馬鹿にするようになった・・・」と姿を消した理由を語り、不意に襲ってきた憎悪に従って、女は男を焼き殺したのだった。「今でも、自分が誰なのか分からない・・・」女の呟きに、時田は、桜井や神代が卑怯な手段を使ってまで女を逮捕した理由を知る。それは、犯罪者を逮捕するためではなく、自分を見失いかけた女を救うためだったからだと。

【感想など】
「終着駅の女シリーズ」第2弾。前話のラストシーンで紅林とすれ違った女が、今回の女占い師。同様に、今回のラストで桜井とすれ違った女が(おそらく)次回のメインゲストかと思われます。その着想はともかく、どれだけの視聴者が気づいたか、また何らかの効果があったかどうかは疑問ですが、そんな工夫よりも本編を何とかして欲しい。

前回同様、洒落た言い回し(と脚本家や女優自身が思っているであろうことは伝わってくるものの、実際は薄っぺらくて現実味のない陳腐な台詞)の応酬が、鼻について仕方ありません。加えて、変にニヤついた笑顔といい、妙に軽薄で饒舌な態度といい、桜井がいつもの桜井ではないのも違和感を禁じえません。脚本の陳腐さに閉口した藤岡氏が、「これは桜井ではない」とばかりに、敢えていつもの桜井とは似ても似つかぬ別人を演じたのではないかと勘ぐってしまうほど。

改めて文章にしてみると、ストーリー自体のお粗末さというのは、取り立ててあげつらうほどのものではないかとも思えます(もちろん、桜井や女の言動が論理性に乏しい、場面転換がスムーズでない、そもそも話の取っ掛かりだった主婦が途中から完全に消えている、など引っ掛かる点は多々あります)。私に不快感を覚えさせた細大の原因は、やはり、この脚本化独特の台詞回しが、致命的なほどに性に合わないせいでしょう。もう一本、付き合わねばならないのかと思うと、少し憂鬱な気すらしてしまいます。いるのかどうか分かりませんが、「この脚本家の台詞回しが好き」という方がいたとすれば、誠に申し訳ありませんが、「趣味の違い」と言うことでご容赦願いたいと思います。

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