特捜最前線日記

特捜最前線について語ります。
ネタバレを含んでいますので、ご注意ください。

第456話 終着駅の女Ⅰ 新宿駅・田所初江の蒸発!

2009年01月16日 01時41分14秒 | Weblog
脚本 橋本綾、監督 天野利彦
1986年3月13日放送

【あらすじ】
新宿駅で浮浪者の女が絞殺死体で発見された。呆気なく逮捕された犯人が「見ていると苛々するから処分してやった」と動機を語るのを、叱り飛ばす紅林。だが、女の身許は不明のままで、その所持品から人骨が発見される。
人骨の主を探るべく、女の身許を追う特命課。浮浪者仲間に名乗っていた源氏名から、ソープ嬢だったことを突き止める紅林だが、本名も本籍地も不明のまま。唯一分かったのは、「桜のきれいなところ」から亭主や子供を捨てて上京してきたことだけだった。
(その後いろいろあったが無駄なので省略)「子供を残して蒸発した女に、なぜ捜索願が出ていないのか?」時田の提示した疑問をきっかけに、失踪宣告者を調べた結果、女が長野出身の田所初江と判明。紅林は女の遺骨とともに現地に向かう。女の亭主はすでに再婚していたが、紅林の問いに対し、女との別れを苦々しく振り返った。
8年前、女はいきなり「自分の生き方が間違っていた。我慢するのはもうイヤ。好きな人がいます」と好き勝手なことを言い出したかと思えば、「勝手なことだとわかっています。自分がどんなにひどいことを言っているかも承知しています」と開き直った挙句、「私を自由にしてください」と、あたかも亭主が不当に自分を拘束しているかのような物言いで離婚を迫ったという。「子供はどうするんだ」という亭主に対し「貴方にお願いするしかありません」とぬけぬけとぬかし、「それでも母親か?」という至極当然の問いに対し「私は女です」と意味不明のことを主張。「母親として生きるつもりはありません。私の人生は私だけのものです。子供にも左右されたくありません」と言い放つ女に、亭主は言葉もなかった。
「同じ女としてどう思う?」という紅林の問いに、亭主の再婚相手は「ある意味、うらやましい」と語る。「女はみな、ここじゃないどこか、この人じゃない誰かを探しているもの」再婚相手の言葉が、紅林の胸に突き刺さる。
「女の浮気相手だったカメラマンこそ、骨の主ではないか」と思われたが、カメラマンは東京で生きていた。女がカメラマンを追って上京したのは事実だったが、カメラマンからすればただの戯言だった。「そんなこと、誰にでも言いますよ。男と女はただ楽しめばいい。男なんてみんなそう思っている」カメラマンの言葉に打ちのめされた女は、今さら長野にも戻れず、夜の世界に身を落とした。
女の消息はつかめたものの、骨の主は依然として分からない。神代は(なぜか今頃になって)女の所持品の中にあった新聞・雑誌が、いずれも3年前のホテトル嬢殺しを報じていたことを指摘。犯人はホテトル嬢と同郷の若者で、ホテトル嬢を心配して故郷に連れ帰ろうとしたところ、説得に失敗して殺してしまったものと見られていたが、いまだ捕まっていなかった。事件当夜、女が同じホテルの隣室に泊まっており、紅林は「彼女は殺人現場を見てしまったのでは?」と推測するが、そこで何があったのかまでは想像できなかった。
「新宿で骨を抱えていた2年間が、もっとも幸せだったんじゃないか・・・」長野で聞いた再婚相手の言葉を思い出した紅林は、「なぜ、2年間と知っていたのか?」と疑問を抱く。紅林の追求に、再婚相手は女が死体を埋めたときに会っていたことを明かす。
3年前、ふらりと長野に現れた女は「どうして帰ってきたんですか?」となじる再婚相手に、「大事なものを埋めに来ただけ」と語ったという。それは、ホテトル嬢を殺した若者だった。殺人現場を目撃した女は、「好きだから、自分のものにするためには殺すしかなかった」と語る男が、そんな若者に殺されたホテトル嬢が、羨ましかったという。そして、自首するという若者を、女は「誰にも渡したくなかった、私だけのものにしたかった。東京で会った、一番きれいで優しい男だから」と、意味不明の理由で殺害した。そして何故か、はるばる長野まで埋めに来たのだ。(そしてさらに意味不明なことに、1年後に骨になるのを待ってわざわざ掘り返した。)
「なぜですか?」女の行為を知りつつ、沈黙を保っていた理由を再婚相手に尋ねる紅林。「羨ましかったから。私も、あの人と同じだったから」再婚相手も、かつて東京で暮らしたことがあった。「東京には、何でもあるような気がするんです。命を賭けられるような何か、命を賭けられるような誰か。でも、私には見つからなかった・・・」
紅林には、分からなかった。女の考えていたことも。そんな女を羨ましがる再婚相手の気持ちも。

【感想など】
橋本綾脚本による3話連続での「終着駅の女シリーズ」の第1弾。おそらく脚本家本人とっては「いい話」なんだろうし、少なくとも「やっつけ仕事」ではないのだろう。そんな意欲だけは伝わってくるものの、残念ながら、胸に響いてくるものは何もない。というより、何を言っているのか、さっぱり訳が分からない。

率直な感想としては、勘違い女の身勝手極まりない言い草と、無責任極まりない行為に対し、不快感しか残りません。しかも、そんな女を「羨ましい」と評するのが、どうやら女性の総意らしいというのが、なんとも切なくなってしまいます。こんな愚劣で、恥知らずで、無責任な行為が、「憧れの対象」となるとは、世も末としか言いようがありません。特にやり切れないのが、佐藤五月脚本に顕著なように、女の身勝手さを「男から見た女の醜さ」としてではなく、「女から見た格好良い女の生き方」として描かれていること。結果としては、女に対する嫌悪感や絶望感を喚起する効果は前者以上だというのがなんとも皮肉です。
「自由奔放」という言葉を借りた「勝手気ままさ」が美徳とされ、「辛抱」「我慢」「自己犠牲」が蔑まされる哀しい時代の到来、すなわち、古き良き時代(まさに、私たちが愛してやまなかったかつての「特捜」が放送されていた時代)の終焉を物語っているようで、やり切れない思いです。

「ここじゃないどこか、この人じゃない誰か」といった、気の利いたつもりらしき言葉が繰り返されていますが、それは劇中で言われているような女に限ったものではなく、誰もが抱いている気持ちであり、そんなありふれた気持ちを言い訳にして、自分の責任を放り出してしまう人間も、男女を問わず数え切れないほど存在します。それは決して「羨ましい」などと評されるものではなく、ごくありふれた「クズ」の「愚行」でしかない。(同様に「彼女が悪いんじゃない、東京が悪いんだ」などと、実態のない何者かに責任をなすりつけることで、人の醜さを直視することを避けようとするのも、ありがちな愚行)。
そんなものを、さも美しく飾り立てて悦に入っている(ように感じられる)今回の脚本に対しては、申し訳ないですが、「なんか勘違いしとるんじゃないか?」と言わざるを得ない私です。

3 コメント

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Unknown (リュウジ)
2009-07-03 02:57:34
私もようやくここから視聴再開です。
久しぶりに見た回がこれとは脱力(笑)。
結局、子供を置いて男に走った母親は
どんな理由があっても共感はできませんよね。
そこに尽きると思います。
さらには、赤の他人を殺してるし
どこにも共感できない。
内容が薄い一本という印象でした。
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お疲れ様です (袋小路)
2009-07-04 03:16:16
せっかく視聴を再開された一本がこれとは、何というか、お疲れ様です。
余計なお世話かとは思いますが、この際ですから忠告しておきますと、あと2本、さらに疲れることになります。以降の話も録画されていると思いますので、少し順序を変えながら視聴されることをお奨めします。
今後とも引き続き、感想をコメントいただけると嬉しく思いますので、またよろしくお願いします。
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Unknown (CGCのたまご)
2018-04-06 23:49:32
ひどい出来映えの、ひどい話の内容のエピソードですよね。

これを見た時、特捜最前線も堕落したものだと悲しくなりました。
この頃の特捜最前線は質が低下していたように思います。
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