ときぶーの時間

募金の受付先 東邦銀行 安積支店 普通0644994 名義がんばる福島
みなさんご支援宜しくお願いいたします。

やっと食べられた。

2012-08-30 08:00:00 | 日記
NO-225
体調を崩して五日目の昨日、やっとまともな食事が出来た。今まで、食べたら胃に痛みが襲って来て激痛に悶絶!水を飲んでも激痛!これの繰り返しで、この痛みを想像するから一気に食欲がなくなり、体重が落ちた。


常磐高速自動車道の友部インターの中にあるらーめん屋さんの蔵出し味噌やさいラーメン650円が久々の食べ物だった。身体が温かいものを欲していたのと、温かいスープが飲みたかったので何とか完食した。

昨日は郡山~船引~横浜と日帰りで用を済ませて来たが、郡山である人に「富岡で牛の移動があるんだってな?」と言われた。松村からまだ聞いていない事だったので、そのままうん、うんと聞いてきた。

何でもその場所においていてはダメらしく、移動させなければならないらしい。松村の柵の他にも牛小屋や柵が幾つかあるので、その他にある牛たちの移動だと思うが、確認が取れたら書こうと思います。


親牛の体を見てもかなり大きいのが分かると思いますが、この牛たちをトラックで運ぶのが牛の移動です。

牛の移動はとても大変な作業なので、この暑さの中その作業する彼らにエールを送る。

明後日にいわき市のある大学で、町の線引きや家財などの賠償などに関する説明会があり、またいわきに行かねばならない。だから疲れたなんて言ってる暇がない。

隣町の大熊町は全区域帰還困難区域と聞いていたのに、町の一部だけ居住制限区域に変更されたと聞いた。田んぼとダムしかない場所の200人余りの住人にそこに戻れというのだろうか?

学校もスーパーも病院もない完全に壊れた町(生活出来ない)に帰れなんて、住民が帰るわけがない!いくら数十年ここで生きてきた老人でも、さすがにここで暮らせないと思うのだが・・・・

隣町の事だが、富岡町に隣接する地域の話でやはり気になるし、おかしいよな~と感じるからこれからも書いて行こうと思います。
















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憤りと悔しさ。

2012-08-29 08:26:25 | 日記
NO-224
昨日の夜、福島の義兄から電話が入った。今から船引町へ向かうのだが胃が痛くてとても憂鬱である。頼まれた事を断れず、やるしかないかって言うところ。


あの時の黒毛の子牛。近くで見るともっと可愛い。

今年は義父の事があり、何かにつけて色々とあって自分の事が出来ないでいる。こんな一年になるとは思わなかったが、こんな事になったのは原発事故のせいだ!と強く思う。

避難さえしなければ義父は、船引町で死ぬこともなかっただろう。日頃は特に意識しないでいると言うか、忘れるようにしていると言うか、なるべく前向きに考えて生活するようにしているが、こんな時にどうしても原発事故を恨めしく思ってしまう。

被災者という立場から早く逃げたい!こんな風に思っている人は僕だけじゃないだろう。被災者の中には、僕より大きな憤りを胸に秘めてじっと耐えている人が多いと思う。


おしりから撮らないでって感じかな?

昨日のTV番組で、大飯原発を再稼働しなくても関西電力は何とかなったと報道していたが、はっきり言って原発反対である。

まさか自分が原発被災者になるとは夢にも思わず、仕事も家も失いこれからの人生の羅針盤を失い途方に暮れるとは信じられなかった。補償も何も進まない状況が続き、仮の生活を耐え忍んで暮らすたくさんの被災者たち。

国よ東電よ!被災者の声を聞け!除染に1兆円使うより先に被災者救済に使え!16万人の住民が次の生活基盤を作れるように!今回の補償でそれが出来るとは思わない。

声に出して言う。国策である原発でこれだけの事故を起こしたのだから、国は何事も逃げずに全責任を取れ!と。










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昔の彼。

2012-08-28 10:55:55 | 日記
NO-223
昨日は僕の嘆きを書いてしまったが、強制避難区域の富岡町では今日も松村が動物の命を守りこの不便な世界で戦っている。今年の9月は高温少雨との予報が出たが、いつまで続くのだろうか?


松村たちが作ってくれた屋根からはみ出して寝そべっている牛もいる。牛は屋根のおかげで出来た日陰の部分に横たわり「ここで充分涼しいよ!」とでも言いたげな表情だった。

先週の土曜日に彼の所に朝8時前に着いたが、会ったらいつもの如く一言二言の話をして彼は「やることあっからすぐ行く!」とトラックに餌を付け走って行った。


あの時の親子。屋根の下で涼んでいました。

今日のタイトルは女の子が喜びそうな意味深なタイトルだが、ごめん!若いころの松村の話を書こうと思う。

彼は合理的に仕事の段取りをするので、今では柵作りもないし僕が手伝えるところは少なくなっているのが現実だ。うちの代表松村の凄い所はタフなところ。それも半端ないくらいタフである。病気なんてしない風邪もひかない。

何故今頃こんな事を書くのか?って言うと、僕は3日前から体調を崩したった今、病院から戻って来たばかりだからである。冷たい飲み物を摂りすぎたのか?胃腸が馬鹿になり、激痛とも鈍痛とも言いようのない痛みに悩まされてこの3日間ろくに寝れず、食べられないでいたからだ。もちろん僕にも初めての体験であったが・・・

僕と彼を比べたら失礼だが本当に鍛え方が違う。彼は高校を出てから鉄工業の仕事についたと聞いたが、毎日100kgの鉄筋を担いでビルやマンションの工事現場で飛び回っていたらしい。

彼をよく知る当時の仲間で、今では大手ゼネコンの社長さんもいるが、10階建ての10階から1階まで100kgの鉄筋を担いで9歩で降りてきてしまう男だったらしい。これは凄い!

今こんなことやったら危ないという理由で現場から外されちゃうけど、遠い昔の若かりし頃はこんな事を平然と毎日やってきた男である。仕事仲間もこれには唖然としたらしい。とにかく仕事が誰よりも早いと言うわけで、仕事の事で彼に文句を言う人はいなかったと聞いた。

彼も当時の事を話してくれた時に、「仕事がジムのようなもので、毎日マッスルトレーニングして体を鍛えているようだった」と言ったが、みんなも想像してみて。100kgの鉄筋を肩に担いで建設中の最上階から地上まで、10階を9歩で飛び降りてくる怪物を・・・・

上がって行くときは100kgの鉄筋を担いで階段の踊り場まで1歩だから1階を2歩で上がって行ったらしい。だから震災以前は3Lの作業服を着ていたのもよく分かる。体は骨太でがっちり、今は10数キロ体重が落ちた彼だが若い頃からの鍛え方が断然違う。

彼は筋金入りなので、体力も別格なのだ。僕のような貧弱マンがとても一緒に仕事が出来るとは全く思っていない。そんなわけで、彼の事をこれからもおとなしくブログで書いていこうと思う。(笑い)












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楢葉町を通って。

2012-08-27 07:02:05 | 日記
NO-222
警戒区域を解除された隣町の楢葉町を通り、強制避難区域の富岡町に入った。広野町のあの物々しい検問所から一転して、貧弱に感じた検問所に何故か拍子抜けした感じがしたが、そのあと怒りにも似た感情が込み上げてきた。


以前の検問所。何故か物々しい感じがした。


10km先に作られた富岡町の新しい検問所。

何で怒りが込み上げて来たかと言うと楢葉町の友人と会う約束をしたが、時間制限つきであった。その友人に「かみさんは連れてこない方がいい」といわれ今回も自分だけの帰省になった。

友人曰く、「ここでは水も出ないからトイレも使え無いし、女の人には色々大変だろう?」との事であったが、水も電気もない町にどうやって帰れって言うのか?考えれば考えるほど怒って来た。

楢葉町は水道を整備するのに何年かかるだろうか?ライフラインの整備が完全に出来てからの解除が筋だろうと思うから、国のやり方に本当に頭に来ている。

富岡町も新聞にも発表された6年帰還宣言しません!が一転して、今秋3区間の線引きが行われようとしている。富岡町は上下水道の整備に楢葉町以上かかると思うから、何か釈然としない。


恥ずかしい写真だが、これが僕のマイホームの今の姿だ。庭が雑草で何も見えない。


家の周りを2m50cm以上の雑草に覆われて、足を入れられない状態だ。人には「ボランティア活動で入れるのだから、除草剤でも草刈り機で草を刈ったらいいのに」って言われるが、それが出来なかった。

警戒区域を解除された楢葉町のみんなの家も、こんな状態になっている家も多いだろう。東電よ国よ!よく見ろこれが強制避難区域の町の家々だ。

こんな嘆きばかり書いていると嫌われてしまうかも知れないが、これも現実。被災者として、これからも強制避難区域がどのようになって行くのかを書き続けていこうと思う。








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猛暑日が・・・

2012-08-24 07:28:10 | 日記
NO-221
今日で猛暑日が2週間続いているとTVのニュースで知った。いつまで続くこの暑さ?毎日、本当に暑くてさすがに夏が好きなはずの僕も早く秋になればなあと思う今日この頃である。この暑さに井戸が枯れるのも仕方がない。


8月14日撮影。水をタンクで運び牛に与える松村。僕は新盆の窮屈さを逃れるために抜け出して富岡に入ったのだけど、汗びっしょりになってタンクを運ぶ彼を見て、井戸が枯れた非常事態を知った。

何せ人が暮らすための井戸水であっただろう井戸を、そこの柵の何十頭ものあの大きな牛たちが飲むわけだから、干上がってしまうのも無理もないと思う。

一日1tとして20日間雨が降らなければ20tもの水が必要になる。20tの井戸水ってどんだけの量だろう?

だから、牛のためにこの暑さの中で働く松村とガッツ福島の遠藤さんに、僕は本当に頭が上がらない。松村の柵の牛と遠藤さんが面倒を見てる柵の牛の食糧だってばかにならない量が必要だ。

今週は新盆開けで、約一週間横浜にいてお見舞いに行ったり、東海村まで内部被ばく検査を受けたりと自分の事で忙しく動かせてもらったが、強制避難区域の富岡町ではそれなりの活動があったようだ。

前回も牛の去勢手術をして下さった大学の獣医師さんが、富岡町に来て下さってオス牛の手術をしてくれたそうです。秋が来る前にしておかないとまた自然交配による子牛が生まれてしまうから、松村はいつも心配していた。獣医師さんに感謝!


写真は前回の去勢手術の写真で、今年の7月1日撮影です。

遠方までロールの餌を取りに行き、残り物の野菜をもらいに行き、水を大型タンクで運び、牛の去勢手術を受けたり、本当に次から次へと彼らにはやることが待っている。


今回はまた別の場所に取りに行ったと聞いた。これで4~5日分だからぼやぼやしてるとすぐに餌を取りに行かねばならず、遊んでいる暇がない。

ただただ二人に脱帽!みなさん、頑張る彼らをこれからも応援して下さい。宜しくお願いします。













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検査結果に・・・

2012-08-23 08:32:25 | 日記
NO-220
昨日、内部被曝検査を受けて来ました。結果は1ミリシーベルト未満で、僕はこの検査は本当に大丈夫なのか?と疑心暗鬼になった。


日本原子力研究開発機構本部とその隣にあるアトムワールドの建物。

強制避難区域の富岡町で線量の高い所でも防護服も着用せず、もちろんマスクもしないで作業の手伝いをするし、僕は煙草を吸うので空間に漂う放射能を吸っているはずだと疑わなかった。

だから、絶対に少ない値でも被曝をしてる覚悟をして検査を受けたから、この検査結果を説明してくれる係員に不満を言った。僕は強制避難区域で毎週ボランティア活動をしてきたのだけど、これは本当の数値なのか?と。

係員は事細かに説明してくれた。爆発事故から1年3ヶ月が経った今は、放射能は雨によって地面に落ちているから空間には漂っていません。「あなたの場合は外部被ばくを注意して下さい」との事で、またまた変な納得をして帰って来た。

僕がこの検査結果を聞いてすぐに思いついたことは、今年こそは富岡川の落ち鮎を食べたいだった。去年は一年に一度なら5匹くらい食べても被曝しないだろうと一時帰宅の許可を取り、松村に頼んで鮎を食べに行ったのだがあいにくの雨で幻の落ち鮎になった。

去年松村が「あの鮎は絶品!めちゃくちゃ美味かった!」と何度も僕に言った。みなさんは僕の事を馬鹿な奴と思うかも知れないが、肉より魚が大好きな僕には聞き捨てならないニュースで、今でも一度でいいから食べたいと思っている。(笑い)

でも今年の松村に、鮎を食べたいから何とかしてくれなんてとても言えない。犬猫より大変な牛の世話までしている彼に、さすがに言えない。


僕の班はバスでアトムワールドから移動して、核燃料サイクル工学研究所で検査しました。

彼は、今日も強制避難区域の富岡町でこの暑さの中、動物たちに餌や水やりをして生きている。相手は生き物で水や餌を与えないと死んでしまうから、毎日、気が休まることは無いと思う。

みなさん、これからも松村と富岡町と残された動物たちの応援を宜しくお願いします。

動物の命を繋ぐための募金にご協力して下さい。
東邦銀行 安積支店 普通口座644994 名義 (がんばる福島)
ゆうちょ銀行 記号10270 番号10419771 名義 がんばる福島

東邦銀行 平支店 普通口座2445234 名義 特非(ガッツ福島)
支援物資は牛の餌も〒970-8026 いわき市平字東町20番地の8 遠藤カズオ様方 松村直登で送って下さい。

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検査を受けに。

2012-08-22 06:06:38 | 日記
NO-219
今日は茨城県東海村にある原子力機構で、ホールボディカウンター(内部被ばく)検査を受けるため今から出掛けます。富岡町の松村はもう2度検査を受けていますが、僕は今回が初めてです。

彼の場合は、日本原子力機構と宇宙科学研究所JAXAとの合同実験(放射能減容好気堆肥菌システム)に参加していたので、就業規則として定められていたために受けたみたいです。


放射能減容好気堆肥菌システムの実験機の前で。写真の完全防護服の男が松村直登。奥にいる方はJAXAの山下博士です。今年の2月撮影。

僕は電車で行こうか?と思ったけれど乗り換えがいくつもあり、朝かなり早く出ないとバスの集合時間に間に合わなそうなので、車で行くことにしました。

僕も松村と同じように富岡町の自宅で、原発の爆発音を聞いた人間である。

だから爆発して次の日に避難所へ駆け込んだ時には、先に避難所へ避難していた住民に「あんた今頃来て今まで何やってたの?完全に被曝してるよ!」と言われた経緯があり、その数値を楽しみにしている。(笑い)


こんな牛たちに癒されることもあって松村を応援しに行くのは面白い。8月14日撮影

少しでも手伝いが出来ればと何度も入ったし、これからも応援に行きたいから検査だけはちゃんと受けておこうと思った。松村に言わせると、大したことねえよ!の一言で済ませられると思うが、僕は小心者だから自分の数値を知っておきたいのだ。

どんな検査なのか全く分からないが、ご報告は明日のブログで。それでは只今より行ってまいります。














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隣町の全面解除に。

2012-08-21 07:52:05 | 日記
NO-218
昨日、銀座でオリンピックメダリストのパレードがあった。僕も行きたいなぁ~と思っていたけど、50万人もあの銀座に集まったとのTV報道で知り、TVでメダリストを見ていて良かったと変な納得をした。

それでも今回のロンドンオリンピックは、チームで勝ってメダルを取った競技が多くて結構感動した。もちろん個人競技のメダリストにも感動したけど、いいオリンピックだったと思う。

さて、強制避難区域の富岡町で生きる松村と昨日電話で話したが、話題は隣町である楢葉町が今月の10日から全面解除になり、自由に入ったり出たり出来るようになった事だった。


松村宅で保護されているダチョウ。2羽とも元気です。

富岡町も以前、6年間帰還宣言しないと新聞で発表したが、それがまた変わった。みなさんに分かりやすく説明すると、ここは帰れません。少し経てば帰れます。今すぐ帰れますの3区域に分けて町を線引きする事になったのだ。

今年の秋にも富岡町の編成が発表されると思うが、現実はとても住める状況ではない。上下水道の整備だけでも相当な時間をかけないと多分、元に戻らないのではないかと思う。

電気や水道のライフライン整備はもとより、学校や病院にスーパーなどが町になければならないし、帰っても仕事がない所に誰も帰れないだろう。


昨日、彼に電話をかけた時も雑音がひどくてどこか山道を移動中だったらしく、今日の朝電話で聞いたら鮫川村までロールの餌を取りに行ったと聞いた。野菜が無い時はこのロール藁が主食です。

一昨日、僕は楢葉町に工場を持つ知人に会った。彼は先週の一週間は毎日のように町に入ったと聞いたが、「町にはたくさんの人が帰らないだろう」と言った。これが強制避難区域の現実です。

帰っても住めない町に帰れますと言う。こんな解除の仕方もないものだと強く思う。広大なあぶくま山系の山々の除染も出来ていないのに、家は除染してきれいにするから帰れと言う。

楢葉町は比較的に放射能汚染度が低い町なので富岡町よりはいいと思う。富岡町は汚染度が高い場所も多いから色々な意味で、これから本当に大変である。

松村の家から南に2kmほど行けば自由に行き来出来る全面解除された楢葉町。松村の家と僕の家は居住制限区域に指定され2年は帰れない区域になりそうだ。


ロール藁を喜んで食べる牛たち。

それでも松村は今日もこの暑さの中、牛や猫などの動物に餌や水を与えてともに生きている。これが彼の戦いなのだ。こんな松村の応援をみなさん、これからも宜しくお願い致します。













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お見舞いに。

2012-08-20 08:10:00 | 日記
NO-217
昨日、富岡の松村をいつも応援してくれているUKCジャパンの細代表が入院している病院を訪ねた。このお盆中に治りかけの足をさらに怪我をして36針縫ったとブログを見て驚き、慌てて行った次第です。


さすがに病室の細さんを写真に収める余裕がなかった。

前回の入院の時の足を見ていたからその時のひどい状態を知っていたので、今回はかなり重症なのか?と少しビビりながら細さんの奥さん(タッズ母)に案内して頂き、病室に入りました。

36針縫う怪我って聞いただけで何やってんだよ~って思ったけど、病室にいた細さんは意外に元気で安心しました。一昨日抜糸したと話してくれたが、腫れも引いて前より(壊死寸前の足と診断された前回の状態)きれいな足になっていた。

もちろん傷は傷で残っていたが彼は日頃から痛みには強いを口に出して言う人で、今回ボランティアさんを守るために自分が噛まれたらしいのだが、その時の噛まれた足の写真を見せてくれた。

僕は思ったね!これは絶対に痛い!痛くない訳はないと・・・足の肉が柘榴みたいになっていた。また以前に奥さんが「双葉郡の犬はよく噛むのよ!」っていった言葉を思い出し、今回の犬はその双葉郡出身の犬だったのを知ってさすがに申し訳なく感じた。

細さんには湘南のシェルターで双葉郡(原発事故で強制避難区域になった町村)の犬や猫を約400匹くらい保護して頂いている。本当にありがたいと思う。


5月にボランティアをしてくれた時の写真。草刈りをして刈った草を牛に草を与える細さん。柵を作るのを手伝って頂いた時には2日間で作ってしまったのに本当に驚いた事がある。

昨日の彼は自分の足の事より、この頃起きている中国や韓国との竹島や尖閣諸島などの問題や韓国大統領の天皇陛下への侮辱的発言を怒っていて、日本の外交はどうして弱腰なのかを嘆いていた。

本人は外傷である足の傷よりかなり強い抗生物質?の影響で肝臓の数値が悪くなっていないかを心配していた。その検査がまもなくあるらしいが早く良くなって第一線の現場に戻って欲しいって思った。

今日も僕は知人のお見舞いに行かねばならず、今から支度をして出掛ける予定。みなさんも怪我や事故などに気をつけて今日一日を元気に過ごして下さい。











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井戸が枯れて。

2012-08-17 07:53:50 | 日記
NO-216
みなさんお久しぶりです。お盆休みをどのように過ごしましたか?海外旅行または故郷へ帰省された人も多いと思いますが、僕も福島に数日間帰っていました。

僕の今年のお盆は新盆で、親戚一同で集まり何かと気を使い少し疲れたけど、その一週間の中で約一時間ほど富岡町の松村に会うことが出来たので、今日はその日の事を書きます。


松村の柵の牛。この頃毎日、牛たちは屋根の下で涼んでいるそうです。

僕は松村に電話を入れた。「松ちゃんお盆に入ったけど、今どうしてる?」と聞いたら、「俺に盆も正月もねえべ!」と少しむっとした返事をされた。

もちろんすぐに悪い事聞いちゃったなぁ~と反省したが、本当にこのお盆中は強制避難区域の富岡町で車ですれ違う車もなかったし、一人で動物の世話をしている松村を身近に感じた日であった。

松村に会ったら汗びっしょりになり、何やら何個もタンクをトラックに付けて走って来た。それ何?って聞いたら「水だよ!」とありのままの答えが返って来たのだが・・・・・・。


20Lタンクで水を入れる松村。

忙しく走り回る彼に申し訳なかったが、しつこくその訳を聞いた。彼は作業しながら「ここの井戸が枯れてしまったんだ。」と話してくれた。今年の猛暑で井戸が枯れてしまったらしい。


松村の入れた水を美味しそうに飲む牛。

だから彼は、水タンクを使い何度も運んで牛たちの飲み水を約1トン補給した。彼が運んで来るタンクを運ぶのを少しだけ手伝えたが、僕にも予定があり、この日はろくに話しも出来なかった。


これが枯れてしまった問題の井戸。

大雨が降ればいつもの井戸になるらしいのだが、この猛暑の今ではとても期待できないと思う。「少しの雨ではどうにもならないんだ」とも教えてくれた。

じっとしているだけでも汗が出てくる暑さの中、一人で水を運んでいる松村。そんな彼が「ほかの牛舎で糞尿が溜まって来ているところも出てるから、あれも何か考えねえとな!」と・・・・。

やることだけはたくさんあり、この日牛用の水補給を終えた松村は「俺もやることがまだまだあるから」と僕に手で合図を送り、今度は猫たちに餌をやりに走り去った。これが僕のお盆中に会った松村でした。









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日帰りで。

2012-08-10 08:10:20 | 日記
NO-215
昨日は日帰りで福島~横浜を往復。首都高速の渋滞に巻き込まれ、行きも帰りもひどかった。これからお盆休みに入るからもっと渋滞するんだろうなぁ~。

僕は震災前にずっとサービス業の職業についていたために、みんなが休みの時は働いていたので、自分の休みの時は何処へ行くにもすいすいだったからこれから体験するであろうお盆の渋滞にびびっている。


松村たちはロールの餌を取りに行き、富岡におろしていわきのガッツさんの所で3人で会った。トラックを誘導する時とバックを確認する松村。

午後一時半にいわきに着いたら同じ時間に彼らも着いて、僕は松村に頼まれた書類を手渡し遠藤さんの家で少し休ませてもらった。


昨日の彼らのお昼は冷やし中華だった。

午前中に牛たちに餌をやり、それから餌を取りにいった後、二人とも必要書類を用意して昨日の午後は郡山にある富岡町役場に二人は向かった。本当に忙しい男たちである。

このところ遠藤さんと話す機会が多いが、遠藤さんがもらってくる色々な種類の野菜の中で「えっ!これって牛は食べるの~?」っていうものがあったのだが、僕はだいこんは絶対に食べないと思っていたのに牛は喜んで食べた話を聞いてまたびっくりした。

自分の予想に反した答えが出ると面白い。牛にはあのだいこんの辛さなんて何てことないんだなあって思ったし、畜産家ではないから知らない事がたくさんあってそれはそれでやはり面白いと思った。


8月8日撮影。きれいに餌を食べる牛たちとお出迎えをしてくれたポニーのヤマ。

明日から日本全国どこへ行ってもお盆休みに入る。僕の事で申し訳ありませんが、今年のお盆は新盆で色々とありまして、お盆中はブログを書けないかも知れませんので、その時はご了承願います。


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砂煙を立てて。

2012-08-09 08:20:06 | 日記
NO-214
さすがに昨日は一日何処へも行かずで、久々にじっとしていた。それでも友達から夜10時半頃に電話が入り、12時半くらいまで話し込んでいたら今度は眠れなくなってしまい少し寝不足です。

一昨日は福島も暑くて、川の水で何度か顔を洗った。流れる汗が目に入ってしみるしみる。そんなわけで僕が川に降りたら牛たちもやって来て僕は牛たちに場所を譲った。


砂煙を立ててこの傾斜を下りてくる牛は圧巻です。ドドドッって音立てながら下りてくるんだもんな~。

この日はロールわらのビニールが風で飛んだのだと思う。それが少し川に落ちていたので、それを引き上げるのに最初は川に入ったのだ。長靴で渡れるところを探しごみ拾いをした。


静かな流れで水は澄んでいた。


この日影は牛たちにとっても、真夏の暑さをしのぐには最高の場所だ。


次から次へと入れ替わり、水飲みにやって来る牛たち。


これは第二柵の写真。松村と遠藤さんが第一柵と第二柵の連絡通路を作ってくれたので、牛たちは自由に第一柵と第二柵を行き来してとてもリラックスしている。

このおかげで餌やりの作業が第一柵のみの餌やり場で済むようになったから、彼らの負担が少しだけ軽減されたと思う。第一柵の餌やり場まで第二柵から牛たちがやって来るようになった。

第二の柵はまだ草が残っている状態だから、のんびりと草を食べている牛がいる。これだけのんびりされると癒される。今日は今から、福島に向かいますので、この辺で失礼します。















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あの子牛と再会!

2012-08-08 05:55:10 | 日記
NO-213
やっと帰って来ましたって感じです。先週に続き、週2回の横浜~福島ライン往復はさすがにきついです。それでも帰る前に松村の柵へ行ってから帰ってきました。

少し疲れたけど嬉しい事もあった。8月3日生れの子牛に昨日会えたのだけど、親子で僕の2m位離れたところまで近寄って来て2頭は僕をじっと見つめてくれた。


この親子です。子牛は「あん時助けてくれたのおじちゃんだ!」みたいな感じで僕を覗き込んだ。

僕も「あん時の君らか?!!!」って感じで思わず声を出し言ってしまったけど、2頭は僕を見たまま逃げない!普通は人間の声でびっくりして逃げる子が多いのだけど、嬉しかったなぁ~。

子牛は生まれた場所が側溝から1mの所で生れ、初めて立ち上がる時によろけて落ちたと思うのだが、あのままでは這い上がることが出来ず一番大事な初乳を飲めなくて死んでしまったかも知れない。

素手で生れたばかりのぬるぬるの体を抱き上げて側溝から出してあげた僕を、子牛も母牛も覚えていてくれた。


あの時子牛は頭が見えるだけで、子牛にとっては足を掛けられないほど深かった。母牛もどうすることも出来ずにじっと僕を見つめていたが、僕だって怖かった。子牛を助けに行ってあの角でやられないかな?なんて思ったもん。恰好悪いがホントである。

だから僕を警戒せずに、近寄って来たこの親子に「良かったな!」って再び声をかけたけど、めちゃくちゃ嬉しい事だった。子牛はまだ体毛がカール状態で、真夏の太陽の日差しを反射させてきれいに光って眩しかった。


子牛の毛艶は良く、そのカール状の体毛はさざ波のような紋を描き、きらきら光っていて何とも言えなかったです。

母牛も子牛もこの僕をしっかり覚えている感じを受けて、それが僕には格別のご褒美だった。疲れも吹っ飛んだね!

昨日は柵の中と川の清掃と餌やりをして帰って来ましたが、つい子牛が元気でいることに舞い上がってしまい、男の子か女の子か調べないで帰って来てしまった事が残念である。ダサッ。

僕は元気ならどちらでも良いと思っているので、今度確認します。それにしても今年は暑い!昨日も汗びっしょりになりました。みなさんもこの暑さに負けないようにしっかり食べて夏バテしないで乗り切って下さい。



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阿佐ヶ谷での公演。

2012-08-05 08:51:02 | 日記
NO-212
昨日、東京の阿佐ヶ谷で希望の牧場の吉沢さんの写真展があり、松村直登は応援に駆けつけて講演したらしい。松村から聞いてはいたが、僕は冠婚葬祭事があって行けなかった。

横須賀でお知り合いになった方からメールを頂いて、彼のトークが面白く会場が湧いたことも書いてあった。本当に行きたかったから、とても残念だ。


今日の写真は合同供養祭でいわき市に向かう途中で撮影した夏井川渓谷の写真です。

僕の方はいわき市での義父の合同供養祭を無事終え、今から義母を乗せて一旦横浜に戻り、明日東京で伯父の告別式に出席したら、再び義母を福島に戻してまた帰って来る予定。

昨日と今日の2日間は、ガッツの遠藤さんが松村の柵の牛の世話をしてくれるから安心していられる。それでもやはり強制避難区域では、人手が足りない。

いつも人集めの話をするが、なかなか進まない。許可証の問題もあるが、トラックの運転や長期で活動して頂ける人を望んでいるから時間がかかりそうだ。


川の流れの音に涼ませて頂きました。

昨日の合同供養祭では懐かしい人たちと再会し、それぞれの近況を語り合ったが、義母はさすがにその人たちとの再会を喜んで、おしゃべりに花が咲き帰りが遅くなった。

人生のすべてを失ったような体験をし、それぞれが全く新しい土地で苦しい生活を強いられた者同士で、慰めあったり励ましあったり、ひと時の安らぎをそこに求めるのは仕方がない事と義母を見て感じた。


みなさん、いわき市にある夏井川渓谷に是非遊びに来て下さい。

それでも僕らは前に進まねばならない。折れそうになる心も折らずにしっかりと歩いていかなばならない。強制避難区域での戦いはまだまだ続く!

松村は言う。「この町が俺は好きだから、元に戻るまではここにいて頑張る」と、彼はいつも富岡町が元に戻ることを信じている。

「完全に除染出来るはずがない。だからもう町には戻れない」とか後ろ向きな発言をよく耳にするが、誰が何を言っても彼は聞かない!松村直登とはこういう男である。

みなさん、これからも強制避難区域の富岡町と松村の応援を宜しくお願い致します。

ときぶ~の時間の写真を無断で使っている人がいますとのことで、無断での使用は堅くお断りいたしますのでその旨申し上げます。

福島絆牧場プロジェクトのみなさまには、我々は全く関係のない団体ですので、松村直登代表と遠藤カズオ代表の個人名及びがんばる福島とガッツ福島の団体名と二人が映っている写真の削除をお願いし、また今後の掲載をお断りいたしますので、よろしくお願いいたします。



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子牛の救出!

2012-08-03 14:09:25 | 日記
NO-211
今日の朝9時半に富岡町に着いた。松村がいると思ったのに彼はいわきにいて彼を待つ間に、第一の柵へ行き牛たちを眺めていたら、一頭だけ離れていたため何かあったのかな?と急いで僕はそこへ移動した。

近づくにつれ僕の目の前に見えてきたのは、黒くて小さな子牛で側溝の中にいたからここに落ちたんだな?と、すぐに思ったがこの前に生まれた子牛だと思った。


これがその時の写真。

ところが子牛の数を数えて、えっ!これって生れたばかりじゃん!僕は焦った。今この場所に僕しかいない。一瞬どうしたものかと考えたが、母牛を安心させてどかし子牛の後ろから抱きかかえて側溝から出してあげた。

抱き上げた子牛の体は濡れていて、母牛のお尻を見たら子供を産んだ形跡がそのままで確信した。8月3日生まれの子牛である。


さすがにテンパってしまいオスかメスか確認するのも忘れたが、子牛も僕を見て驚いたのか側溝の中を逃げる逃げる。


でも竹藪の竹が倒れているところで行き止まりになり、ついに僕のこの両腕に抱かれてやっと母牛の元に戻れた。戻ってすぐに母牛のおっぱいを飲んでる姿を見て僕も安心。

あとで手がぬるぬるになっていて少し気持ちが悪く感じたけれど、その時はこのままじゃ子牛が弱ってしまうし、とにかく必死で何も考えなかった。

早く救出出来て良かったし、ほっとした。これで松村の柵の子牛が4頭になった。それから30分後松村とガッツの遠藤さんと合流。

松村とガッツの遠藤さんは、また野菜をもらって来てくれて昨日の牛の食事は青物野菜でした。


小松菜にみずなに色々とありました。今日は曇っていたけどいつもと同じく汗びっしょりになり、炎天下でなくても僕にとっては暑い夏に変わりありませんでした。

みなさん、これからも松村と富岡町と残された動物たちの応援を宜しくお願いします。

動物の命を繋ぐための募金にご協力して下さい。
東邦銀行 安積支店 普通口座644994 名義 (がんばる福島)
ゆうちょ銀行 記号10270 番号10419771 名義 がんばる福島

東邦銀行 平支店 普通口座2445234 名義 特非(ガッツ福島)
支援物資は牛の餌も〒970-8026 いわき市平字東町20番地の8 遠藤カズオ様方 松村直登で送って下さい。

ときぶ~の時間の写真を無断で使っている人がいますとのことで、無断での使用は堅くお断りいたしますのでその旨申し上げます。

福島絆牧場プロジェクトのみなさまには、我々は全く関係のない団体ですので、松村直登代表と遠藤カズオ代表の個人名及びがんばる福島とガッツ福島の団体名と二人が映っている写真の削除をお願いし、また今後の掲載をお断りいたしますので、よろしくお願いいたします。






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