ときぶーの時間

募金の受付先 東邦銀行 安積支店 普通0644994 名義がんばる福島
みなさんご支援宜しくお願いいたします。

6年目を迎えて

2017-03-11 07:28:16 | 日記
みなさん、こんにちは。

NPOがんばる福島は全国の皆さんのご支援をいただき、ここまでやって来れました。
代表松村に代わり厚く御礼申し上げ心から感謝致します。
本当にありがとうございます。


町に残された動物を助けるためたった一人で保護活動をしたのが始まり。
人懐こくて本当に可愛かった在りし日のダチョウのモモコ。(老衰により他界)

今日、東日本大震災から丸6年になる日を迎えました。
原発事故から復興を目指すふるさと富岡町は、今年4月に避難指示を一部解除します。

それは避難指示解除準備区域と居住制限区域の2つを解除し、帰還困難区域の制限だけはこれからも続くというもの。
高線量が残る帰還困難区域の解除は、これから除染をし解除までは5年以上先になる予定だそうです。

今までの6年に5年を足すと11年。
70~80代のお年寄りには重い年月だし、僕も11年後の事など想像出来ない今を生きている。

本当にいろんなことがありました。


国道から入った富岡町中央商店街の写真。

個人的な感想ですが長い長い6年でした。

帰還を夢見ていたが6年という月日に希望を削がれ、変わり果てた町の姿に失意する人もいる。

津波被害の大きかった富岡駅前は商店も住宅も何もなくなり、以前の町の姿は何処にもない。

町の姿だけでなく、帰還しても子供や孫と一緒に暮らせない人たちのことなどを考えると、思い描いた復興の姿とはほど遠いです。


解除に向けて動く富岡町の中で地形調査に訪れた業者さんと話す松ちゃん。

この時「東日本大震災の時の地震で、ここの断層が何メートルずれている」とか話していました。

今の町の姿を見て松ちゃんは「これじゃぁ~みんな帰って来ねぇ~」と時々呟くことがあるが、福島第一原発事故は町民の全てを壊したと思います。

松ちゃんは顔には出さないけれど、少し落胆しているのが分かります。

たくさんの住民が戻り以前の活気を取り戻す復興を夢見ていた一人です。
僕も来月の解除は嬉しいですけど、今は悔しさも感じます。

原発さえなければです。


松ちゃん牧場に保護された牛の親子。
子牛は大きくなりました。

原発事故でなく津波被害で苦しむ宮城・岩手の両県もインフラの整備がまだまだで、途上の様相を見せています。

放射能が無いのだから、もう完全に復興していいのにと思ってる。
そこにはいろいろな問題があるのだろう。

ただ言えることは止まっていないという事。
動き続けることで少しだけど前に進んでいる。
これだけは良いことです。

時間が経ち普通の日常を取り戻した人もいるけど、未だ先の見えない暮らしの中で不安と戦い生きる人も。
人それぞれですが、その中で復興のために本当に頑張っている人がいるから応援したいと思います。

みなさん、福島は頑張っています。
これからもどうぞ福島の応援よろしくお願いします。




































コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新調査地決定!

2017-03-07 10:33:50 | 日記
みなさん、こんにちは。
3月3日と4日に東京と千葉で日本野鳥の会の映画試写会とイベントがあり、松ちゃんはゲストとして招かれ講演をしたようです。

震災から2年経った頃、町には鳥たちの鳴き声が全くなく、静寂そのものが不気味な世界を醸し出していましたが、今はたくさんの鳥たちが町に戻って来てさえずっています。


富岡町の巣箱50個の内の一個
かなり広範囲に設置して生態調査をしていただいた。

鳥がいなくなった原発事故被災地で巣箱を設置し今まで地道な調査をし続けて下さった日本野鳥の会のみなさんに感謝です。


除染で鬱蒼としていたところは丸見えになり、すっきりしたところが多いですけど、森や林はそのまま残り、いつの日か鳥たちが戻って来てくれた。

松ちゃんは4日、某有名大学のキャンパスで行われたイベントのあと、打ち上げに参加し野鳥の会のみなさんと酒を飲んだと言った。

その宴席で放射線量が高い浪江町の帰還困難区域のおまる地区で調査をしてもらう事が決定したようです。

みなさん、この地区は本当に高線量の場所なんです。

当然、松ちゃんも調査に参加するのですが、普通に考えれば危険な場所なのに野鳥の会のみなさんも怯まず決めたのだから感心しました。

でも高線量地区に生息する鳥たちの事が分かるのだから、本当に貴重なものになると思います。
鳥たちの被曝度合を僕は知りたいです。


5日に富岡に戻りいつもの日課をこなしている。

挑戦する事を楽しんでいるようで彼らしかったし、野鳥の会のメンバー様にも「やるぞ!」の男気を感じました。

野鳥の生態調査もそうだが、松ちゃんは浪江町の花を調べみつばちとレンゲソウで農地の保全に寄与したいと言っていた。


群れから弾かれる弱い牛用の餌場にわらを置く松ちゃん。

富岡町でもかなりの量のレンゲソウの種を撒いてプロジェクトを開始したけれど、これも挑戦の一つ。
上手くいくことも上手くいかないこともたくさんありますが、被災地で生きる彼には行動あるのみなんですね。

日本野鳥の会のみなさんとの飲み会はかなり盛り上がったらしいです。
放射能の話やら、まぁ~色々です。


帰還困難区域の牧場の牛たち。

今日からまた取材がまた始まり、友人であるジャーナリストさんや記者さんなどが訪れるらしく、それが終了したら顔を出す約束をしました。

中旬以降になると思いますが、また紹介させて頂きます。
それでは今日はこの辺で失礼します。
みなさん、またお会いしましょう。









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

YouTube