ときぶーの時間

募金の受付先 東邦銀行 安積支店 普通0644994 名義がんばる福島
みなさんご支援宜しくお願いいたします。

久々に。

2012-11-30 09:05:50 | 日記
NO-274
昨日、会津の友人から「明日あたりこっちに来る予定ある?」と電話が入った。友人曰く、「こっちはめちゃ寒い。中通りは多分雪だよ。」にやっぱり気が引けた。


先週の磐越道。紅葉もきれいだったが雪となると落葉も早そう。

雪道の運転は好きじゃないし、スピードを出せない運転に自分でもイラッとしてしまうので、雪道はあまり得意でない。

去年の今頃は、強制避難区域の富岡町とその強制避難区域で動物たちの命を守る男をみんなに知ってもらおうと、慣れない手つきでブログを始めて毎日何を書こうかと必死だった。あれから一年(11月15日で一年)


富岡の柵で。殺処分から保護された牛たち。

そして原発事故から一年九か月。僕らの生活は何も変わっていない。被災地の復興も全然進んでいない状況が続く。昨日は友人と北海道の大停電の話で始まった。

自分たちの3.11の時の事が甦るのか?「自分は2週間くらい風呂に入れなかった」などと話してくれたが、この寒さの中で北海道の人が難渋しているのだろうと思うと他人ごとではないなと・・・

友人からの電話は、地元の色々な情報が入るので有難い。友人は会津町に避難したが、強制避難区域の畜主さんで放浪している自分の牛を柵を作って助けようと準備している人がいると話してくれた。これからの冬に本当にありがたいと思った。

2mを超えるセイダカアワダチ草に隠れて今は見えなくなっている牛が少しでも助かれば嬉しいし、冬は山に避難して欲しいと思うが餌が無く平地へ出て来てしまうかな?・・・


大熊町の友人の家の近くの田んぼで放浪している牛たち。今年6月に撮影。

それでも、畜主さんたちがみんなで立ち上がって、国や東電に物を言って欲しいと何度も思った事があったから、久々にいいニュースだった。

避難区域の中で放浪して生き残っている牛が約300頭いると以前にも書いたが、浪江町、双葉町、大熊町、富岡町の各町を縦断しているのだろうか?見つかれば捕えられて殺処分されてしまうという。

富岡町の畜主さんが言った「牛たちは何も悪くねえ!国と東電のせいだ!」を僕は本当にそのとおりだと思っている。牛たちに、このまま魔の手から逃げて生きてくれと祈る。

そして強制避難区域の富岡町で、今も動物たちの命を守るNPOがんばる福島の松村代表へのご支援をお願いしたい。みなさん、これからもどうぞよろしくお願いします。





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原発ゼロに。

2012-11-28 09:12:55 | 日記
NO-273
今年の冬は暖冬だと言われているが、冬用タイヤ(スタッドレス)に今年は早めに履き替えた。万が一の時に、福島や会津に行かなければならなくなったら履いていないと安心できないからだ。

それでも僕が行くときは何故か天気が良く、今のところ穏やかな日が続いている。浜通り(福島県の沿岸部)と中通りの気温が違うので、どちらかと言えば、やはり温暖な浜通りの方が好きである。

今、その浜通りの双葉郡は強制避難区域の解除を目論む国と町との会議がなされているが、先日会津に避難した友人から電話が入った。

友人によると「帰還宣言された町に戻った人たちが今になって失敗した。」と嘆いているらしい。これは笑えない話であり、どういう事か聞いてみた。


先月だったか地元の新聞から富岡町の遠藤町長の談話。

東電福島第一原発の作業員の人の昼食時の食堂での話らしいが、線量がゼロ(無いわけでなく微量ある)に近いから帰還したのに、積算計を見て少しづつ増える放射線量に怯えているという。これによって癌の発症率が10倍くらい上がるらしい。

まさか小さな子供を連れて帰った人はいないと思うが、微量な放射線でも塵も積もれば山となる。これから10年20年と暮らしていくのに、小さな子供にとって笑い事ではない。


警戒区域を解除された隣町の除染風景。落ち葉を広い集め袋に詰め込む写真。

10年後20年後に自分の子供が癌を発症したら後悔してもしきれないし、親として取り返しがつかない事だと思う。僕なら絶対に子供は返さない。10年後20年後のはるか先の話だけど子供たちは守りたい。


こうしてこのまま放置?中間貯蔵施設が無いため行き場のない放射性汚染物。

除染しても今の除染の実効性や信用性を考えると、みんなが言うように大手ゼネコンとその関係会社が利益を貪っているという話が本当で、今やっている除染は無駄な事なのかなぁと思ってしまう。


富岡町の松村代表の柵で、のんびりと暮らす牛たち。

人間も動物たちもこの原発事故で住む世界を変えられた。大きな苦痛を伴って暮らしている原発難民に安心して暮らせる日はいつ来るのだろうか?故郷はいつになったら元に戻るのだろうか?

今度の衆院選は3.11後の選挙で大きな意味合いを含む。

今の福島を救ってくれる政治家は本当にいるのだろうか?原発ゼロを確実に公約し、実行してくれる政治家は出るのだろうか?悩みは尽きない。








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牛がダメだって?

2012-11-26 07:00:50 | 日記
NO-272
みなさんお久しぶりです。もうすぐ本格的な冬がやって来ます!夜のとばりも早くおりるようになって、朝晩の寒さも少しづつしみるようになって来ました。

今年の冬で、被災地は2度目の冬を迎えますが、被災地の動物たちを保護する一人の男の元へ1通の封書が届きました。それは動物愛護のある本部からの通知でした。

救援本部からの義捐金支給額¥0の通知。犬や猫にダチョウや牛に、ありとあらゆる命を守るために活動している男に届いた愕然とする封書。彼は「どうしてですか?」と問い詰めたそうです。(他の団体さんは300万円の満額支給。)



返って来た答えは「牛を助けているからです」の一点張りだったとの事。彼は犬や猫も同じように助けているのにおかしくないか?犬や猫も牛もダチョウもその他の動物も一つの命には変わらないのに何故だろうか?0円は無いよ!

動物たちは何も悪い事をしていない。原発事故で放射能を撒き散らした人間が一番悪いのに、その責任も取らず家畜は殺せ!と絶対におかしいと僕は思う。

国や東電こそが、被災地に残された動物たちの永久飼養をするべきだ!その責任を取らずして原発の再稼働なんてありえない!原発なんかいらない!無くなってしまえ!と心から思った。



この300万円があれば目標達成出来るかも・・・と何時からか募金の呼びかけもしなくなってしまったけれど、そんな訳で再度、ときぶ~の時間のタイトルの下に募金のお願いと振込先を書かせて頂きました。

郵貯銀行はこちらです 記号10270 番号10419771 名義 がんばる福島

支援物資の送り先は〒970-8026 いわき市平字東町20番地の8 遠藤カズオ様方 松村直登で送って下さい。

今までも募金や支援物資を送って頂いて皆様には本当に感謝しております。これからもどうぞ応援よろしくお願いいたします。





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ブリーダーさんの話に。

2012-11-21 09:05:25 | 日記
NO-271
このところ忙しく毎日更新出来ず、みなさんすみません。昨日はあるブリーダーさんと会い、ブリーダーさんの話に目が点になりました。深い!本当に深い世界なんだ~と驚きました。

同じ犬種でオスのチャンピョン犬とメスのチャンピョン犬を交配したとしても、必ずいい子犬が産まれるとは限らないから長所と欠点を計算しながら犬を選んで交配させるとの話から始まり、餌の話。育て方の話と続き、僕にはとても楽しい時間になった。

餌にも拘り、最高に良いものを与えなければならないらしく野生のオオカミなどを例に出して、彼らが狩りをして餌となる動物の内臓から食べ始める話は僕も知っていたが、ここからの説明がしびれた。

動物の胃の中で消化された内容物は、腸まで行く間に発酵してその中の善玉菌が一番大事で、これらがオオカミの健康を作っている事や、こんな餌がみんなの飼っている犬たちの健康と長生きを約束する餌だと・・・栄養学まで聞けたし長生きの言葉に感動。

僕が小学生の頃、自分の家では残り物のご飯に残り物のおかずを犬の餌にしていたのだが、犬はでんぷん質をうまく吸収できないとか色々と教えて頂いた。

乾燥タイプの餌もいいものと悪いものもあるらしい。彼の一番のお気に入りの犬は150万円で飼って来たらしいが、育てるのに600万円もかかったらしく、貧乏人の僕はその金額を聞いて唖然とした。ベンツが1台買えるじゃん?と。

福島でもいたなぁ~そんな友人が。犬を80万円で買って来て、ゲージやサークルに200万円もかけて犬を溺愛していた。犬の事になると目じりを下げ本当に可愛くてたまらないと話していた。僕にもそれはよく分かる。

ブリーダーさんは「コンテストでチャンピョンになる犬は外観の姿形で評価されるが、彼らの内臓の形もその体系にあった内臓の形になっているからそこまで考えて体を作ってあげないといけない」と熱く語った。

当然、犬たちも競馬の馬ではないが調教して筋肉の付け具合とか餌とか、何から何まで気を配り愛情を持って育ててあげないといけないとも言っていた。

特に子犬の時の飼い方が本当に大事で、すごく神経を使い飼わなければいけないらしい。この時の育て方で犬の形が決まると・・・ブリーダーさんは犬を捨てる人間を軽蔑して、この時は怒っていた。そんな奴は最初から飼うな!と。

「自分の子供と同じくらい愛情をそそげ!」とも語った。それでも自分の子供を虐待して死なす親もいるこの世の中だから、こんな人は絶対に犬を飼う資格は無いと思った。

僕はブリーダーさんの話に久しぶりに楽しい時間を持つことが出来た。僕は愛護団体の人間でもなく動物の事もよく知らないので、知らない世界の話は本当に面白い。たまにはこん日があってもいい。

強制避難区域の富岡町にもまだ、残された犬や猫がいます。松村代表が餌を与えて回り犬や猫を保護してくれているので有難いと思う。

今日の写真は昨日、一時帰宅した友人が僕にメールで送ってくれた富岡~大熊ラインで見かけた放浪犬の写真をアップします。何処かで飼い主さんがこの写真を見てくれたら嬉しいです。


とても警戒心が強く近寄れなかったと友人は言っていました。友人が近寄って行ったら、すぐに逃げたそうです。


この子は首輪が付いていたので、飼い主さんなら分かると思う。この子も写真を撮るだけで精一杯でしたの事。


ふっくらしていてとても健康そうです。どうか2匹とも飼い主さんの元に帰れますように。

明日から遠出しますので、またブログを少しだけお休みしますので、宜しくお願いいたします。





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県民フォーラムに。

2012-11-19 12:28:31 | 日記
NO-270
17日の土曜日に神奈川県福祉会館にて、とみおか子供未来ネットワークの市村さんが開催したフォーラムに参加させて頂いた。県外に避難している富岡町の住民のために開かれたものだが、みんなが精神的に厳しい暮らしをしているのを知った。



全国の47都道府県に散らばった避難者がいるのだが、市村さんはその人たちの声を国に届けようと全国各地を回る計画を立てている。今回の横浜でのフォーラムではいつもの3倍から4倍の意見が出されたとの事。


中央右の方が市村代表。左は事務局の藤田さん。二人とも富岡町出身です。

あの3月12日の町民一斉避難の時、「親戚などの引受先がある人はそこに避難して下さい!」と役場職員の声に素直に従って避難したのに、県外避難者には今の町の状況や行政の進め方などの情報も少なく不安な生活をしている。

国の機関は被災者の声を集めてると言ったらしいが、福島県内の仮設住宅だけを回って集めているだけで、県外避難者の声は皆無でありその実態を知らない。

ある出席者は飲食店(地元では結構有名なお店だった)を富岡で経営していたが、今後福島に戻って店を再建したいと考えていた。

だが、小さなお子さんがいて奥さんも「放射能があるから、絶対に帰りたくない!」と大反対!もちろん彼も子供の将来を考えたら子供は返さないと決めていたが、福島で店を再建するには家族と離れ離れになり一人で立ち上げなければならない。

しかも3000万円の借金をしてである。二重生活の費用にこの借金。僕なら年も年なので、彼のように勝負出来ない。ましてや福島に店を持ったら神奈川にいる家族にはいつ会えるようになるだろうか?

これは結構つらいものがあり、彼は決断を迫られていた。僕は彼を知っていたので彼に聞いてみた。本当に大丈夫なの?と。返ってきた言葉は「勝負を決めるしかない!やるしかないんだ!このままこんな暮らしをいつまでも続けている訳にはいかないから。」と・・・・

避難の仕方はそれぞれの避難であった。今回の参加者は全員僕の知っている人たちであったが、それぞれが今一番苦しんでいる問題や悩んでいることなどを聞いて、懐かしさもいっぺんに吹き飛んでしまった。

子供の未来。除染と放射能の事。仕事。健康問題。家や土地の事。仮の町構想についてなどなど、20を超える色々な問題や悩んでいることが出て時間を超過しフォーラムを終えたがこんな時に、あ~やっぱり僕も被災者なんだと思い知らされた。

原発事故は人の人生のすべてを壊してしまいます。こんな被害者は福島の僕たちだけで、本当にたくさんです。人間も動物たちも昆虫や草や花などの全ての生命体に、被曝という大きな十字架を背負わす放射能を撒き散らす原発再稼働と建設に僕は絶対に反対です。












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義母の一時帰宅に。

2012-11-17 09:28:12 | 日記
NO-269
今日と明日は、横浜と東京に用事があり走り回る予定。福島に行ってもどこにいても何か見つけて動いていないと不安でたまらない。今年の年末に政界再編なんて本当にあるのだろうか?・・・ないよな~。

僕は今週富岡町に入ったついでに、義母に頼まれて義母の家の写真を撮って来た。義母は孫と明日一時帰宅で富岡の家に行くので、その準備をしていた。


これがかみさんの実家の今の姿。車で入るには勇気がいる。こんなところに車で入ったら車が傷だらけになるのは間違いないから。

2mを超えるセイタカアワダチ草に囲まれた家を見て「ひぇー」とか何とか聞き取れなかったが、奇声をあげて自分の住んでいた家の姿に驚き、これじゃ家に入れないと言う事で、僕はホームセンターに義母を連れて草刈り機を買いに出掛けた。


これはツツジできれいだった新夜ノ森駅近くの鉄橋の写真。線路は草で覆われてその姿は全く見えない。

被災地は何処もこんな状況で、このまま何年も帰ることが出来なかったら家も街並みもみんな壊れていくことだろう。国は本当に原発事故の責任を取って欲しい。

このあと、僕は富岡の第三の柵に向かったが、体格の良い牛を見て少しだけ安堵した。あの牛の遅い動作を見てやっぱり癒されているのだろうか?インドでは神の使いとされて大切にされているから、インドの原発が爆発してもインドの牛は殺処分はされないよな~。


結構いい体格でしょ。ここの牛たちもみんな焼印を押されていました。


子牛が柵の外に出ていて、僕が近寄ったら慌てて柵の中に入ろうとしてた。その動作が可愛かった。

今日はこれでごめんね。時間が無いのでまたあとで更新します。





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道筋をつけて・・・

2012-11-16 08:53:03 | 日記
NO-268
震災復興も脱原発の道筋を明確にせず解散する民主党の政治にがっかりした。いや日本の政治にがっかりしているのだろうと思う。国民不在の政治に嫌気がさしている。これはみんなもいっしょだろうか?・・・

原発事故により大切なものを失って生きている双葉郡の町民を代表していう訳ではないが、もっと大きな視野をもって政治をしてくれと言いたい。


福島に戻って藁を運ぶ時に見た風力発電。風もなく羽は止まったままだったが・・・原発に代わる代替エネルギーの開発に力を入れてほしいと思う。


この山の上に十数基設置されていたが、なぜかこの止まった風力発電のプロペラが悲しげに見えた。僕は、この先も原発に反対する活動をしていく。

原発事故の後、政治家の中に被災地に残されたペット(犬や猫たち)を全て殺処分にしてしまえと言った人がいたが、僕はあの時は本当に頭に来た。こいつは馬鹿か?同じ人間か?と思った事がある。

被災しながらも自分のペットを今でも探している住民がいることを本当に知っているのだろうか?双葉郡の約16万人は仮設住宅やアパートなどの避難先で苦しい生活をしているのにである。


わらを運んで牛たちを見たときに、ここの牛たちは今幸せだろうか?とふと考えた。

人間も苦しい避難生活を送っているが、動物だって苦しんで暮らしている。僕は寒川のUKCの細さんの所に保護された約400匹の双葉郡の犬や猫の保護された状況を聞き、犬も飼い主と離れて病気になって保護された子たちがたくさんいることを知った。

犬はストレスや不安から病気になるという。仮設住宅に住む被災者もうつ病を発症している人が多いと聞いた。これが被災者と仮設住宅でご主人様と一緒に暮らせないペットたちの現状である。

国民の代表である政治家は、国民のための政治をしてほしいと強く思う。

















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街並みは変わらずとも。

2012-11-15 18:37:36 | 日記
NO-267
12日に福島に向かい、たった今戻りました。少々バテたかな~?世の中は大変なことになっていますね!昨日の野田総理の解散宣言にがっかりを通り越し呆れました。

原発難民のこれからを想像して、また政治家の勝手で状況が変わることへの嫌悪感を感じた。原発担当大臣が細野大臣からこの間変わったばかりなのに、放り投げ政権とでもいうべきか?カチンと来たのは僕だけだろうか?

原発問題は被災者賠償。除染。中間処理施設建設。風評被害対策。2030年ゼロ宣言問題。福島第一廃炉問題。出せばいくらでも問題が出て来るのだが、政治家はころころと変わる政権取りゲームをしていて信用出来ない。

先週は小野・川内線を通って富岡町に向かったが、目に入ってきたのは除染によって袋詰めされた汚染物質(おもに草木)の大量の袋の塊だった。川内村を下りてきたのだったが、道路の左右に青い袋の塊が置かれていた。


緩やかな山肌はきれいに削られて少し寒々とした。


ここの除染は地肌を削り、草もすべてなくなっていた。


川内村の至る所にこの袋が。


走りながら撮ったのでかなりぶれていてごめんなさい。どんどん集まっていくこの大量の汚染物質の袋をみなさんはどう思いますか?これらを貯蔵出来る中間貯蔵処理施設がまだ出来ていません。


とにかく凄い量の汚染物質の袋の数でした。まだまだたくさんカメラに収めて来ましたが、これくらいにしておきます。

山に入って作業する人の大変さも見てきたが、肝心のあぶくま山系の除染はしないで、人が住む住宅の20mくらいまでの除染なのだろう。それでも、これだけの大量の汚染物質が出る。


ここの一か所の斜面に10人くらいで草刈り作業をしていた。

大雨が降ったり、台風のような強い風でも放射能は拡散するといわれている。山の除染をしないで、このような除染で本当に良いのだろうか?と強く思った。

川内村は富岡町と隣接する村だが、至る所でこのようなものを見ると川内村より線量の高い僕らの富岡町の除染の袋の塊は、もっと凄いものになるだろうと想像した。


川内のダムから見える東京電力の事故を起こした福島第一原子力発電所。

年間被曝線量1ミリシーベルト以下を基準としていたのに、国は今まで年間20ミリシーベルトに引き上げ住民を帰還させようとして来た。先日、新聞やネットニュースで大熊町(富岡町と隣接)の半数の住民が帰らないと住民の意思が発表されたが、住民は今の除染を信用していない。

小さな子供に20ミリシーベルトは本当に危険水準だと思うのだが、国や東電は今までこの20ミリシーベルトで癌になった人はいないとか、癌との因果関係は全く見られないと言い張って来た。

そこまで言い切るのなら自分の子供と一緒に、この被爆地に30年40年あなたたちが住んでみてくれ!と僕は言いたい。僕たち原発避難民はあなたたちと同じ日本人です。

日本人ならそのくらいのいたわりを持ってくれ。僕らはモルモットじゃない。福島県双葉郡の住民たちは被曝してもいいとでも思っているのだろうか?・・・早く、全域1ミリシーベルト以下にして町を返して下さい。

元のきれいなあぶくま山系を返して下さい。マツタケや猪の花や舞茸やシメジなどのキノコはいつになったら食べられるようになりますか?山の湧き水は大丈夫ですか?すべての事に隠さず正直に答えて下さい。

国は福島を今ではお荷物のように扱っているとしか思えない。原発事故の放射能がどれだけ大きく深い傷跡を付けたのか?あなたたちは本当に分かっているのだろうか?と僕は言いたい。











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彼の心配。

2012-11-12 08:12:38 | 日記
NO-266
元気な牛たちを見て安心しましたと、ブログのコメントや僕が会う人たちにも言われ正直うれしかったのだが、コメントにも子牛たちの冬の事を心配してくれた人と同じことを僕も少しだけ心配していた。


富岡の第一柵の中でひなたぼっこする子牛たち。

畜主の半谷じっちゃんは「大したことねえ~!あいつら寒さには結構つえ~だ!(強いの意味)」と言ってくれたが、富岡町は東北の最南端に近く温暖な地であるが、たまには雪も降る。

日本海側の山形県秋田県とは断然に違い、また太平洋側の宮城県や岩手県とも寒さが違うのだが・・・岩手ではたき火をしてその近くで子牛たちは体を温めるとコメントくれた方もいたが、それは出来ないしなぁ~。

正直、体もまだ細く小さな子牛を見ると僕だって、今年の冬を無事に越してくれるだろうか?と思ったのだ。代表は「これからが大事」と気を引き締めた。


背中に焼印を押された子牛たち。

それでも去年は親牛と放浪して冬を越し、今年になって一歳の誕生日を迎えた子牛たちもたくさんいたのだから、多分大丈夫だろうと思う。放れ牛にとっては、去年の冬に餌になるものを探す事が一番大変だったと思う。

彼の子牛への心配は細心の注意だと思った。それよりももっと心配なことが起こっていた。

彼がぼやいたのは、「去勢したのに、何にもならねえ!」だった。彼の柵の中のオス牛は去勢手術を受けて、用を足さない牛になったのだが、離れ牛のオスがどこからなのか?柵の中に入り込み、交尾をしに入って来たと話した。

彼曰く、「メス牛のあんときの(発情期)特有の臭いやフェロモンを嗅ぎつけてくんだべな」と。僕はどこから入って来たのか?見当つかなかったが、相手は野生の牛である。人間の想像を軽く超える事を野生の牛はやってくれる。

今年の夏前に彼の柵を逃げ出した牛がいて、その時にあの山の傾斜をもろともせず柵の外に出た牛がいて、彼は電気柵を手配する羽目になった。それを考えれば野生のオス牛ならどんなことでもやるだろう。

しかし獣医師さんの協力もあってオス牛の去勢手術をし、数を増やさないという農水省との約束を守って牛の面倒をみているのに、交尾されてまた来年子牛が生まれたら・・・彼にとってはやっぱり、こっちの方が大問題し心配だよなぁ~。


山の上の鉄パイプの柵をもろともせずに、山を登って出られたので電気柵を設置。これで出て行く牛はいなくなった。鉄パイプの無い所から入って来るのだろうか?それにしてもすごい牛たちだ。パイプを設置していなところはかなりの急斜面だからである。恐るべし。

代表はその野生の牛を捕まえてやろうとしたのだが、「逃げられた」と言った。どうやら逃げ足だけは早いらしい。多分、これからも彼は野生のオス牛と対峙する事だろう。

以前の富岡駅前のボスダチョウとのバトル(NO47~49)は僕も大笑いをしたが、今回の野生のオス牛とのバトルは本当に危険なので笑えない。彼が大怪我をしたら今の柵の牛たちがご飯を食べられなくなる。それだけは勘弁してほしいと本当に思った僕であった。








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ひめとマリー。

2012-11-11 08:02:56 | 日記
NO-266
僕は先週、大玉村の仮設住宅にNO-260の主人公であるかみさんの親友の所へ女同士で思う存分話をしてもらうために、うちのかみさんを泊めさせてもらった。

僕にはこれでかみさんの送り迎えをする理由が出来、半谷のじっちゃんにも会えるというまさに一石二鳥になった。今回はかみさんの親友の事を書きます。

この後、僕らが横浜に帰って来て彼女から電話をもらった。「全国のみなさんに心配して頂いて、本当にありがたかった。今は感謝しています。こんな私の事を見ず知らずの方が心配してくれてとても嬉しかった」と。

今回のことで彼女は、本当に勇気づけられたと思います。遠くの病院に毎日通い重病人の看護を一人でやり、子供・孫・旦那とも離れ離れで生活し、疲労で倒れ病気になった。

話す相手もいない環境で、たった一人で悩み苦しんできた彼女に届いたみなさんの声。僕たち夫婦からも全国のみなさまに感謝いたします。本当にありがとうございました。


彼女の部屋の暖簾が彼女の気持ちを表していたように思った。どれだけ折れて泣いた事があっただろう?これからは負けないと自分に言い聞かせる言葉だったと思う。

暖簾の図柄は猫で、探している猫は黒猫とシャム猫(雑種)の2匹。猫をこよなく愛し、今でも自分の猫が戻って来ることを信じて待っている彼女の心を知った。


彼女が今でも探している猫の写真です。これからは一緒に探してあげようと思っています。

黒猫の名前はひめちゃん。震災直後4歳。名前を呼んでも返事をしないらしく、ご飯の催促の時しか声を出さないそうだ。この子は非常に特徴があって、外見は真っ黒の黒毛なのだが、腹を見せると白い毛の逆三角形の模様が下腹部にあり、彼女曰く「パンツをはいているとても色気のある猫」だそうだ。他にも胸の所に白い毛の線があるとの事。のどにも白い毛があり、右目の目の中に黒い点があるそうです。

シャム猫の名前はマリー。震災直後7歳。大きな特徴はだみ声。この子は顔の黒い部分が春と秋で面積が変わるらしく身体は全体的に細身で小さいそうです。2匹ともメスで避妊手術を受けているとの事。

彼女は、被災ペットに関するありとあらゆるインターネット上の情報を検索し、今まで探してきました。これからはネット上にない情報が必要だと僕は考えています。それでも一縷の望みを持って僕もこのブログにて発信させて頂きました。

彼女はこの1年8か月探し続けてきて、今もどこかで生きている事。そして里親さんにもらわれて幸せに暮らしていることを望んでいます。里親さんに返して下さいとは言いません。消息だけは知りたいという事でしたので、どうかみなさん、ご協力宜しくお願いいたします。
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畜主のじっちゃん。

2012-11-10 08:50:57 | 日記
NO-265
僕は富岡町の松村代表の所で畜主の半谷のじっちゃんと会って「来た時には必ず顔を出せよ」と言われていたので、大玉村の半谷のじっちゃんを訪ねた。


大玉村の仮設住宅。これからの冬は雪も積もるしとても寒い場所です。浜通りの温暖な気候と全然ちがいます。

半谷のじっちゃんは仮設住宅の狭い玄関先で柿をむいていた。すぐに僕が来るとは思っていなかったようで突然の訪問にびっくりしていた。

僕はすかさずじっちゃんに聞いた。それどこの柿?返って来たのは「おらいのうちの柿だ~」に「えっ!」と固まった僕だったが笑ってしまった。


大玉村の仮設住宅のじっちゃんの部屋で。

富岡の家の柿を採って来て干し柿を作るために皮をむいていたのだが、その干し柿を出されたら食べなくちゃいけないよなぁ~と僕は顔を引きつらせながら、その柿をじっと見た。(泣)

干し柿は嫌いじゃないのでじっちゃんに出されたら食べるしかないよなぁ~・・・多分僕は食べると思う。セシウム入りの干し柿を(笑)


松村代表の柵で焼印を押されてしまったけど、元気に餌を食べて幸せに暮らしているじっちゃんの牛たち。

じっちゃんとの話は盛り上がった。もちろん原発事故の事だ。「チェルノブイリ事故の時のソ連は牛をきれいな場所まで避難させたのに、日本は殺してしまえとは何事だ!」とか「国も東電も責任の取り方が間違っている」とか「今の政権ではだめだ!」とか出るは出る思いっきり苦言の山になった。

じっちゃんだけではない。奥さんも今の恨み辛みを爆発させたから本当に不満の塊になって出てきた。僕は同じ避難民だからその心情が良く分かる。

でも、じっちゃんが自分の牛とポニーのヤマの事を話す時は、本当に優しい顔をして語った。「牛は俺の事ちゃんと覚えていて名前を呼んだら俺んとこにやって来たぞ~」とか「ヤマは原町のポニー牧場から5万円で輸送費に1万円掛かったから6万円で買って来た」とか話は尽きなかった。


じっちゃんに6万円で買われてやってきたポニーのヤマ。今は松村代表の第一の柵で牛たちと仲良く暮らしています。ヤマは誰が見ても可愛いと思う。いい顔してるしおとなしいです。

僕は同じ大玉村の親友の所に泊まったかみさんを迎えに行き、じっちゃんが富岡の家に帰り暮らせる日はいつになるだろうか?と思いながら高速を走りながら考えた。考えても答えは見つからないのに・・・













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放れ牛を。

2012-11-09 08:08:50 | 日記
NO-264
第三の柵の水遣りと餌やりを終えた松村代表は、牛を探しに僕らを連れて行った。そして彼は「今、この20km圏内に放れ牛が今300頭いる」と言った。

農水省の人から聞いたのだと思うが、僕は少しだけ嬉しくなった。牛たちは農水省の殺処分から逃がれ一日でも長く生きられるのだから。 それでも彼が連れて行ってくれたのは林の中だった。これは意外だった。


こんなところに牛たちは隠れていると彼は言い、前へ前へと進んで行き、僕たちもつられるようにそのあとを追った。


牛たちが歩いたところは道のようになっていた。


僕も歩いて幾つかの牛の糞を確認。そのたびに新しいか古いのか僕は彼に聞いた。彼は木の枝を使い牛の糞の硬さを調べていた。その硬さで彼は何日のものか分かるみたいだ。


この日はとにかく天気がよく、いきなり夕方の暗さを体感するような林の中で彼は早い足取りで進み、僕らは着いていくのがやっとであった。それでも牛の糞が複数あり、ここに隠れている予感がした。


林を抜けて明るい場所に出たら住宅地の前で、彼の向く方向には荒れ草で覆われた一面の田んぼがあったが、2m位の高い雑草のせいで牛の姿は見えなかった。

それでも「夜、この林に餌を撒けば必ず牛たちはやって来る」と彼は言った。僕は彼の大変さを知っていたが、餌を撒いて捕獲して欲しいと思った。

今年の9月に農水省の人から彼に「離れ牛は捕獲後、全頭殺処分する」と言ってきたと聞いたが、あのまだ暑いさなか昼は汗びっしょりになり、夜になっても牛を探し続け、ある友人に疲れたと言った彼の辛さが本当に分かった。


車で富岡町を走っていると、こんなはぐれ牛や十数頭の群れに出くわすことが多かった。これは今年の6月の写真だが、殺処分の魔の手から逃れて生きている牛がいると思うと、やはり気持ちが温かくなった。

彼に牛を預けた半谷のじっちゃんが、同じ強制避難区域の大熊を通って来た時に、大熊町で牛の群れに遭遇したと言っていたから、本当にこの双葉郡の強制避難区域には、まだ300頭くらいの牛が逃げ延びて生きていると実感した。

この秋までは草が生い茂り牛の姿が見えないが、冬になって草が枯れ牛たちの姿が見えるようになったら捕獲されて殺処分されてしまう。このことを考えると牛たちには、山でも林にでも逃げていてくれ!と思った。

畜主さんである半谷さんが「東電と国のせいでこんな事になったんだ。牛たちは何も悪くねえ。東電と国が永久飼養するべきだ。」と語気を強めて語った事を僕は忘れない。


牛の殺処分に反対して避難命令が出たあとも富岡に留まり牛の世話をしていたが、去年の7月に松村代表に牛を預け避難した畜主の半谷さん。

この責任を取らない政府と東電よ!原発事故は人災です。家畜たちを避難させないでいたのは国の責任だ!家畜法でも緊急時に避難させる事とあるが何故避難させずにいたのだ。

やろうと思えば簡単に出来たはずだ。殺処分!これが政府の責任の取り方なのかと思うといつも絶望感だけを感じてしまう。今からでも遅くないぞ!何とか目を覚ましてくれ!








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やっと富岡へ。

2012-11-07 06:58:50 | 日記
NO-262
長く感じた山道も富岡の柵の前に着き、とにかくほっとしたし「やっと着いた~」って感じた。また今年の9月以来の立ち入りのためか?すごく懐かしい感じがして、それが長く感じさせたのだろう。代表にはこの後すぐに会えた。


富岡町の彼の家の前に到着した時の写真。帽子の人は今回車と手を貸してくれた僕の友人の猪狩さん。


松村代表が牛を保護している第一柵の前で。

少し驚いたのは子牛にも耳標が付けられていた事と、牛たちの背中にナンバーみたいなものが付けられていたことだった。耳標もナンバーも県の機関で管理している。これはこれで良いと思った。

しかし、少しだけ来なかったのに強制避難区域の富岡町を、自分では時間が止まったままの故郷だと思っていたから、牛たちの背中の焼印や子牛たちの耳標を見て、色々な動きがあるのだなぁと改めて知った。


僕は耳標を付けた子牛に違和感を感じた。無かった時の方が可愛く見えたのは気のせい?


焼印を押されて登録された牛。この圏内から一歩も出させないぞ!という農水省の思惑が分かる。大人の牛のすべてに焼印があった。耳標だけでいいのになぜ焼印まで必要なのだろうか?と僕は思った。


着いてすぐに餌を与える猪狩さん。牛たちも喜んでやって来た。このあとすぐに合流した代表と3人で積んできた藁を牛たちに与えた。


喜んで稲わらを食べる牛たち。


この日のお昼の食事は4人でカップラーメンとソーセージ一本づつ。それも全部種類の違うもので、備蓄がないのを知った。カップラーメンを食べ終えた彼に、横須賀のNPO元気ハツラツ明るいまちづくりの佐藤代表から送って頂いたイベントの時に彼が横須賀のみなさんと撮った写真を渡した。


今回藁運びを手伝ってくれた友人と笑顔で話す松村代表。

今の政治の話や原発事故の話など食事のあとみんなで色々と話しをしていたら、彼の家の前の坂道を降りて来た一台の車が止まり、彼の家の方に向かってくる人が・・・誰かと思ったら半谷のじっちゃんであった。


帽子をかぶった方が牛の殺処分に反対し、高齢のため松村代表に牛を預けた畜主の半谷さんです。


一時帰宅で富岡に入り松村宅を訪れた半谷のじっちゃんは、代表と自分の牛とポニーのヤマに会いに奥さんと知人を連れて来たのだった。

にぎやかだった。強制避難区域の富岡町で、人が集まるのもたまにしかない事だから良かったと思う。半谷のじっちゃんが帰ってからこのあと4人で、今年の8月に作った第3の柵へ向かった。

これは明日書きます。













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充実の4日間。

2012-11-06 08:13:20 | 日記
NO-261
みなさんお久しぶりです。2日から5日までの4日間福島に居まして忙しく走り回ったけれど、充実した4日間を過ごしてきました。帰って来てコメントも温かいものばかりでとても嬉しかったです。

今回代表の松村に会う前に、船引に避難している可愛い姪が4月の田植えの頃「松村さんの牛の餌大変なんでしょう?私の会社のみんなは稲を作っているから、稲刈り後の藁もらってあげるね。」とみんなに声を掛けてくれて、その藁が集まってきたので藁運びから始まりました。


姪の上司である大越町の山口さんちの田んぼの藁。山口さん本当にお世話になり、ありがとうございました。

身内の自慢話をするつもりはないけど、うちの松村の事を心配してくれて本当に可愛い姪だと思った。

2日は大越町まで行き藁を確認して、僕の車のメンテナンスをしてくれる友人の軽トラックと手を借りる確認をするために大越町からそのまま郡山へ走り、友人と合流。


次の日積んで行ったら、50束は超えていて積むのもやっとっていう感じだった。


最終的にこんな積み具合になり、サイドミラーもバックミラーも全く見えない状況で50km以上離れた富岡町に二人で走りました。

この状態で道を間違えたらUターンも難しい所もあるから、二人でこれから走る山道を心配していた。


助手席に座った僕は紅葉を楽しむつもりで乗った。


しかし紅葉を楽しめた訳ではなかった。山道の勾配に藁が崩れないか心配だったのと、時々すれ違う危ない運転をする対向車に驚かせられていたからだ。


この山道が富岡に行く最短の道だったのだ。景色は良かった。天気も良かった。でもなぜか不安だった。


移動距離がとても長く感じ、やっと川内村の検問所に着いた時ほっとした。もうすぐ富岡町。あともう少しに気持ちが楽になった。

明日は富岡町編を書きます。











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慟哭の涙。

2012-11-01 08:00:00 | 日記
NO-260
昨日の朝、3時15分に起きてコーヒーとサンドイッチで朝食を取り、4時50分に家を出て福島の大玉村に日帰りで行ってきた。大玉村にある富岡町の仮設住宅に避難しているかみさんの友人に、かみさんと会いに行ったのだ。


大玉村の仮設住宅の一画。

震災後初めての再会。3月12日の原発事故により大きく変わった生活と犬と猫を残して避難したことを悔いて涙する友人を見て熱くなった。

彼女が大切に飼っていたペットは犬が一匹と猫が二匹。ダックスフントとシャムネコだったそうだ。犬は首輪を外して動けるようにしてあげ3~4日分の水と餌を与えて避難していたのに、原発事故により帰れなくなり一時帰宅の時に愛犬の死を確認。

その姿は家を守るが如くの姿で本当に申し訳なかったとまた涙した。猫たちはそれ以来姿が見えないと。

彼女は一時帰宅の順番が遠方の人から優先されて近くに避難している人の順番は後になり、震災の4か月後の7月の一時帰宅の順番に納得がいかず、東京電力に電話を入れたが取り合ってくれなかったと怒りをあらわにした。


入居者の数が少なく、ここにあった仮設住宅は解体されて現在、いわき市に作られている仮設住宅に運ばれていると聞いた。

息子さんは宮城県に、ご主人も原発事故復旧の仕事ためにいわき市に住み、彼女は大玉村の仮設住宅に。家庭のコミュニティの崩壊?寸前まで追い詰められた苦しい生活の中で、今でも探し続けている。

この事故さえなければと・・・彼女が泣いたのは、生れたばかりの息子さんの赤ちゃんを思って避難する時に、犬と猫の計三匹を車に乗せられなかった事と、原発は爆発しないと信じていたからペットたちに「すぐに戻るから待っててね!」と言い残してそれが最後の言葉になった事だった。

あちこちの動物愛護団体様に確認をし探し続けているのだが、彼女の家では付きっきりで面倒を見なければならない重病の方がいて、遠くにある病院に毎日行かねばならず、それがあるから自分で探してあげることが出来ないとまた涙。

彼女が涙するとかみさんも一緒に泣いていたが、彼女の涙をどうやったら止められるだろうか?愛情も深く責任感も強い人なのだろう。今まで慟哭の涙をどれだけ押して殺し泣いただろうか?僕は黙って聞いてあげることしか出来なかった。

彼女は今年の始めに看病疲れとストレスで倒れ、救急車で運ばれ自分も病気になり苦しんでいる。何故今までかみさんに言ってくれなかったのか?と問い詰めたら、顔つきまで変えた激やせの身体と折れた心を見せたくなかったからだと・・・

一人で暮らし誰にも胸の内を明かすことも出来ず、疲労で倒れるまでたった一人で看病しなければならなかった状況がどれだけ苦しかったか。僕は苦しい思いをしている人の生の話を聞き、身が引き締まる思いだった。少しでも力になってあげたい・・・


この町にある唯一の大型ショッピングセンター。


ショッピングセンター内のラーメン屋さんで遅い昼ご飯を3人で。彼女は病気のためか?半分しか食べられなかったが、ここの鶏ガラスープで作った中華そばは美味しかった。

僕も重病の方の付添いをお手伝いをしたことがあるから分かるけれど、家に重病の方がいると家族の人は本当に大変である。彼女の家では大地震。大津波。原発事故。そしてペットの死と行方不明。家族と離れ離れの生活。

三重苦どころか、それ以上の苦しみの中一人誰にも言えず戦って来た。一人でいてどんなに辛かっただろう。いつも自分を癒してくれたペットたちにどれだけ会いたいだろうか。

彼女は、この事故さえなければ家族みんなで暮らせたはずだ。倒れて病気になることもなかっただろう。原発事故が本当に憎い!

この事故さえなければ多くのペットの命も失わずにすんだ。多くの動物たちの命も。たくさんの人々に多くの苦しみも与えた国よ全国の電力会社よ!いい加減に原発を止めろ!僕らの双葉郡を事故前の姿に戻してくれ!

今日はどうしても彼女の事を書こうと思いました。いや、書かずにいられませんでした。原発事故は収束なんかしていません。まだまだたくさんの被災者が苦しんでいます。原発事故が僕たちのすべてを奪っていきました。みなさん、原発再稼働反対に協力して下さい。



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