ときぶーの時間

募金の受付先 東邦銀行 安積支店 普通0644994 名義がんばる福島
みなさんご支援宜しくお願いいたします。

大寒波!

2012-01-31 06:56:22 | 日記
NO-69
彼の家のメスダチョウの朝の食事が水と配合飼料なのだが、強制避難区域の富岡町ではなんと今までに無い寒さゆえ、ダチョウの朝の飲み水が凍ってしまい毎日、朝は飲めずにいるらしい。

温暖な富岡町で水道も凍って出ないのだから、郡山や三春や会津やあちこちの避難所の仮設住宅で水が出ないという事態がよくわかる。

何と今までに無い寒波のせいで朝の気温が-3度くらいになっていて、ダチョウの水用バケツの水が凍って7cm位の氷が張りダチョウが水を飲めないでいると彼は言った。本当に大寒波なのである。



彼(松村直登)は、凍った飲み水用の氷を竹の棒で叩き割って、氷が小さくなって早く解けてダチョウにの飲み水になればと懸命に氷を割るのだが、ダチョウは割られた氷の欠片を食べるのでは無く、氷を砕くのにばらばら粉々になった竹を喜んで食べたという。

彼は自分の家に居ついたメスダチョウに呆れていた。「こいつは、何でも食っちまう。ボルトでもナットでも平気で食っちまう。腹なんて壊さねえから参っちまう!」と。(笑)

ダチョウは雑食性で、ドックフードでもキャットフードでも牛用でも豚用でも餌という餌は何でも平らげてしまうらしい。ダチョウの卵は大きいけれど、ダチョウの糞はうさぎの糞みたいに小さい糞だった。



何でも食べるから死なずに生きていたのだと思うのだが、1月の15日に彼の家で見たメスダチョウは可愛かった。どう言ったってあの目は可愛いよ!

僕はダチョウが怖くていたけれど、富岡駅前にいたオスのボスダチョウはダメだが、あのメスダチョウは許せる。さて、強制避難区域で博士たちと研究に励む松村だが、ついに牛に車を修理しないとダメな状況に追い込まれたらしい。

まだ僕も見ていないから何とも言えないが、牛にフロントガラスを割られたと言っていて早急に直さなくちゃなんねえと、それは本当に彼にとっても痛い事故?だった。



牛と軽トラックなら牛の方が勝つと思う。(笑)それにしても代車貸してもらえるのかなあ~。研究の合間とか朝の早い時間とか、研究を終えて夕方からとか動物たちに餌をあげなくちゃならないのに、困ったものだ。

みなさん、明日から2月3日までブログお休みします。福島の義父のお見舞いに行ってきます。インフルエンザの予防接種を受けてたはずなのにな~。これはこれで、僕にはきつい。ハ~です。じゃあ行ってきます。









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またも缶詰めの話。

2012-01-30 07:21:07 | 日記

NO-68
1月28日(土)に84歳になるかみさんの父親が急きょ入院して、僕は肝を冷やした。まさか、こんな時に亡くならないでよ!とそれは本当にヒヤッとして、嫌な気持ちであった。

病気の種類はインフルエンザのA型であったのだが、年が年だから、風邪と言ったって大事になるから本当に焦ったが、大事に至らずに只今入院中である。

さて強制避難区域の松村直登は、昨日も休みなしで博士たちと研究に励み、それを終えてから動物に餌をやりながら電話をくれた。のどがやられたみたいで変な咳をして、風邪ひいたのか?と聞いたら「俺は風邪はひかねえ。」とあっさりと言った。

博士たちとの研究の始まりが少し遅れたので、博士も休みなしで研究をしているらしい。彼は言った。「博士はほんとに真面目だぞ~。あれじゃなきゃ、博士になれねえんだべな~」と感心してたっけ。

 みんなが送ってくれた缶詰めの一つ

それ以外は、あれだけケースでたくさん山積みになっていた主食?の缶詰めのストックが少なくなり、ほとんど無いに等しく1月15日にUKCジャパンの細さんからもらった高級品の缶詰めを出して来て食べたら「美味かった。高級品はやっぱ違うな!細さんに美味しかった。また届けて下さい。」とブログに書いておいてくれと頼まれた。

彼は面白い男で、犬でも猫でも本当にイヌの缶詰めやネコ缶を喜んで食べるので、そんなに美味しいのかとネコ缶をおかずに食べてみたと言った。えっ、うそ~と僕は驚いた。

僕は彼に聞いてみた。どうだった?と。彼は一言「不味い!味が無く、ちっともうまくねえ!」と僕はまた笑った、笑った。

 彼のいちばん好きな味噌煮

イヌ缶とネコ缶にチャレンジした彼が面白くて、笑ってしまった。大昔、そう40年くらい前の加山雄三さん主演の若大将シリーズの映画の中でも貧乏な学生の飲み会で鍋にドックフードを入れて食べていた光景を思い出し、今でも食えなく無いか?と思ったけど笑った。

もっとも、彼が撮ったビデオの中に映っている犬や猫の映像は、本当においしそうに食べているからそんな気になるのも不思議でないとも思ったけど、究極の選択だよな?~ネコ缶にチャレンジした彼を笑った僕だが、細さんにもらった缶詰めを一つだけもらう約束をした。

 上の写真同様残り少なくなった缶詰めの一つ

彼が美味いと言った缶詰め一個。今の僕のお楽しみである。今週、もう一回義父のお見舞いと彼に会うために福島に行くからその時にもらう約束をした。(笑い)

今、インフルエンザが流行していますので、みなさんも注意してください。僕は今日、朝から忙しく今から桜木町へ向かい、午後は厚木市へ出かけ帰りは遅くなると思いますので、今日はこの辺で失礼いたします。


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富岡町新役場からのお願い。

2012-01-28 07:30:08 | 日記
NO-67
富岡町の役場からのお願いをお伝えします。富岡町の4つに分かれた役場は仮設の役場で、餌や支援物資など皆様からの寄付が届くと職員の仕事に差し支えるほどのとても狭い事務所で運営しておりますので、全国のみなさま餌・支援物資等は、他に引き受け先を探したいと思います。少しだけ時間を下さい。

生活環境課のみなさん、本当に無理を言ってしまい申し訳ありませんでした。また、松村が本当に困っている時にご理解頂き助けて頂いたこと、本当にありがとうございました。感謝いたします。

雪が降る前の郡山の仮設住宅

今日は最初に役場からのお願いを書いたけど、昨日も郡山の仮設住宅に住む友人から電話をもらい雪が降っていて寒いよとか、朝、子供を学校に連れていくのに氷点下-6℃で、車の中に置いてあったペットボトルのお茶が完全に凍っていて初めての体験に本当にびっくりしたと言った。

もう1人の友人は除染の仕事で昼は被災地に入り、夕方に仮設住宅に帰って来たら水道が出ない!凍っているから風呂にも入れず、ご飯も炊けない。水を飲むことも料理をすることも出来ず「こんな所に住めるか!」とその怒りを僕にぶつけてきた。

三春町の仮設住宅

仕事で汚れたのか?頭を洗いたいからと怒りながら、銭湯を探して今から行ってくると言って電話を切ったが、ひどいものである。人間が住む環境じゃないよなぁ・・・・風呂があってもお湯が出なくて入れないというのだから。

仮設住宅に住む彼らはこんな冬の生活をしているのか。比較的に温暖な浜通りの被災者が寒さの厳しい中通りや会津に避難して初めての冬。どんなに不便だろうか?僕には絶対に無理だなと思った。

風呂が入れずに怒った彼は、夏場に急いで作られた仮設住宅が寒冷地仕様の作りになっていないことを怒っていた。みなさんは、仕事から帰って来て水が出なくて料理はおろか風呂も洗濯も出来ない生活出来ますか?

仮設住宅の玄関

強制避難区域富岡町の松村直登がいつかあるメディアの人に言った「この悲劇を都会の人は、今は、どこかの外国で起きたことのように思っているのではないか?」と。

その真意は、本当の事をどれだけ発表しているか?これは国に向けて発した言葉である。冷温停止発言で、これで原発事故の収束と思われるような発言や東電の本格賠償という一ヶ月たったの10万円で損害賠償をする事に対して怒りの抗議なのだ。

24日だったかBS181chで、大熊町の町長が国会議員とTVに出て2時間スペシャルで言った「5年10年で町を除染して全町民の帰還は40年後を想定している」と、これがふるさとを取り戻して全町民を帰還させると言って当選した人の言葉である。

40年後に誰が生きているのだ?僕も死んでいると思うけど。TVを見ていてこの発言にがっかりした。大熊町は僕らの富岡町の北隣町だ。1月26日の地元の新聞にも南隣の楢葉町の復興計画検討委員長の近藤邦彦委員長の談話が掲載されている。

その言葉が「想像を絶する。復旧復興は並み大抵の事では出来ない。町民の総意を結集しなければ・・・」と。今、地元の友人はこの悲劇の出来事で仕事も失い失業保険の受給も切れて、これから路頭に迷う人たちがたくさん出るだろうと僕に語った。

 6LDKの自宅から4畳半2つのいわき市の仮設住宅で暮らす僕の師匠の部屋。写真は奥さんホントに狭かった!

避難した新しい土地に仕事がないのだ。人口だけ増えても産業が増え無いのに、どうやって仕事しろ!っていうのだ。政治家もだから国民に揶揄されるのだ。本当に本質を捉えて仕事をして欲しい。

この現状を僕は本当に伝えられていないと思う。一度だけ報道すればそれで終わってしまう。これからずっと苦しまなければならない被災者の事を今、どれだけ報道しているだろうか?この国そのものと報道魂は何処にいったのだろうか?

僕は原発被災者として、そのことを言い続けたい!福島人は今、世間ではおとなしすぎて呆れられている。関西でこんな事が起こったらこんなものではすまないよ!とUKCジャパンの細代表も言っていたが本当にそう思う。

福島の原発被災者よ!みんなで団結して立ち上がろう!黙っていては何も変わらない!みんなも勇気を出して声にだそうよ!多くの被災者に僕はそう呼びかけたい。
明日のブログはお休みします。




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みなさんへのお知らせ。

2012-01-27 08:02:31 | 日記

NO-66
2月11日(土曜日)12日(日曜日)
場所:中央駅前広場・三浦信用金庫本店前
時間:10:00~17:00
主催:NPO法人 元気ハツラツ明るいまちづくり
後援:横須賀市・イベント協同組合・大滝商店街振興組合.若松商店街振興組合 
   三笠ビル商店街協同組合・(有)安田工務店
協力:福島県               問い合わせ 046-822-4462


以前にもご紹介しましたが、横須賀のNPO元気ハツラツ明るいまちづくり(写真の佐藤代表)で特別にブースを用意して下さり、2月11日と12日にこのイベントに、飛び入りで被災地の動物写真展を開くことが出来る事になりました。

この2日間に、富岡町の松村直登を呼べるように只今奮闘中!です。今は、前と違って彼との連絡はこちらから電話しても、夕方までは連絡が取れない。

夕方まで放射能減熔の研究を山下博士とともに防護服を着て仕事しているからで、昨日も研究が終わってから餌をやりに行った彼だが、変なこと言われてると僕に言った。

役場に「勝手に人の家に入って餌やりでも住居侵入じゃないか!」とかいろいろと彼へのクレームがきているらしい。動物がいる家に餌をやりに行っているだけなのに、そんなに文句を言うなら自分で餌をあげてくれ!

松村も大変だよなぁと同情した。彼が動物の命を守りたい。除染して町を元に戻したい。と真剣な思いで行動しているのになぁ・・・ブログの世界でも強制避難区域の事も、僕ら家を失った被災者の生活も知らない人間が非難しているけど、言う前に千円二千円でも募金してほしいよな。

それから文句言ってくれ!福島だけでも、あの狭い仮設住宅に住んで苦しい日々を我慢して暮らしている人が何万人いるか?この人たちは本当に知っているのだろうか?県外に避難した僕ら6万2,267人(1月26日現在)の苦しみを知っているのだろうか?

国も東電も被災者救援なんて掛け声だけで、原発被災者の怒りはどこにぶつけたらいいんだ?殺処分に反対する畜産農家の人の苦しみを、本当に分かって非難しているのか?

犬や猫を飼ってもよいとされた仮設住宅で、鳴き声がうるさい!とかいろいろ回りの人から言われて、肩身の狭い思いをして生活している人がいるのが現状だ。

自分の家にいればそんな事無かったのに、原発事故で家を失い今では回りの人に気を遣い小さくなって生活している。その苦しみや辛さを、非難する人は分かっているのか?



今年は色々なところで、たくさんのイベントに顔を出して動物のことや被災者の苦しみとか今の福島の現状を訴えていきます。みなさん、これからも松村直登と僕ら避難民を、応援してください。よろしくお願いいたします。















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乳牛と和牛。

2012-01-26 06:38:51 | 日記
NO-65
強制避難区域の富岡町では今、松村直登とともに宇宙科学研究所の山下博士と長谷川博士の2人が、放射能減熔システムの機械の設置後の昨日も機械の稼働の検証のために、富岡町に入ってくれている。

TVでおなじみの浪江町のダッシュ村の機械設置は雪が40cmも積り、車で入ることが出来ないため少し遅れると松村は言った。

両博士も都会の人だから、福島の雪を知らないみたいで、「博士!これだけ降ったら上からも下からの道も行けねえよ!」と松村は博士たちに言ったようだが、博士たちはそこまで行って「やっぱり、断念しました。」と帰って来たらしい。

40cmの雪なんて見たことはあっても一面銀世界で、強制避難区域だから除雪車も走らずそのままだから、博士たちには行ってみたいところなのかも知れない。

都会では40cmも積もることないもんね。僕も知ってるけど、山下博士は子供の探究心を持っている博士で見た目もかなり若い!松村の方がずっと年下なのだが博士の方が若く見える。

写真が宇宙科学研究所の山下博士です。

とにかく放射能減熔の研究が始まった。ここまで来るまでに色々あったけど、松村直登の「牛を助けたい!」の強い気持ちが回りの人に伝わって、この研究でようやく日の目を見れそうだ。

去年の6月に松村が撮影した元気な子牛

僕たちの町の牛は和牛が多く、他の町の牛は乳牛が多かったと思う。飼育の性質上放し飼いに出来ず、泣く泣く殺処分に判を押さざるを得なかった乳牛を育てていた畜産農家の人の苦しみが僕にも分かる。

強制避難命令が去年の4月22日に出され家にも帰れずに立ち入ることも出来ず、許可を取らずに家に戻ったら逮捕されてしまうのだから、この悔しさをどこにぶつければ良いのか?あの頃の僕はいつも憤慨していた。

一時立ち入りの時にであった牛

自分の子供のように可愛がって育ててきた牛を「餓死させるなら安楽死をさせたい。」と、この際まで追い込まれた乳牛を育てて来た農家の人のことを考えると今でも辛くなる。富岡町の畜産農家の人たちは、和牛だから放し飼いに出来た。

秋の日の牛の群れ

それで、和牛たちは生き延びたから良かったと思っていたら、今度は牛の糞の問題や食糧や塩を求めて住居、納屋などへの侵入が出始め、さもその責任が畜産農家のせいにされている。

自分の子供のように育ててきた牛を、殺したいなんて思っている農家はいないんだぞ!こんな問題は初めから動物の世話だけには許可を出せば起きなかったのだ。

隣町の乳牛農家の人たちは、放し飼いも出来ない乳牛をどんな思いで見ていただろうか?本当に辛く、牛に申し訳ないと・・・・僕はその悔しさを痛いほど分かるから、この研究に賭ける松村直登と協力して頂いた博士には、どうしても牛を助ける道筋を作ってもらいたい。

僕らは、牛のための電気柵代や餌代や水代を広くご支援を頂けるようにこれからも募金のお願いをし、またボランティアで牛の管理を手伝ってくださる人を募集して早く行政と畜産農家の調整を図り、牛たちも安心して生きられるようにしたい。全国のみなさん、これからもどうかご支援下さいますようお願いいたします。



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ボディホールカウンター。

2012-01-25 08:30:00 | 日記


NO-64
昨日、横浜の桜木町まで出掛けて用事を済ませ、少しだけ寄り道してみた。朝は、雪が凍っていてバスも僕が使う電車も大きくダイヤを乱していたが、寒かったけど雪なんて全く無いみなとみらい21という名を使う町を楽しんで散歩してきた。



横浜出身の僕だが、20年も福島の片田舎に住み家まで建てて、それはもう田舎人よりなまっていると言われるから自分でもいなかっぺを自負しているが、初めてみるものはやはり新鮮だ。



昨日、健康診断を終えた強制避難区域の松村直登から電話をもらったが、ボディホールカウンターの数値を聞いたら「東電の第一原発で働いているのですか?」と言われたと言った。

無理もない。そのことを僕は分かっていたけどショックを受けて、少し憂鬱な気持ちで自分と向き合った。去年の5月の再会を思い出し、彼を非難したことや色々と言ったことが本当に目の前の数値で現れたから気持ちが重くなった。

被曝するからそんなこと止めろ!なんで馬鹿なことやってんだ!とか言ったあの時の僕と、「じゃあ、いったい誰が残されたペットたちの面倒をみるんだ!鎖につながれていて餌も水も飲めないんだぞ!」と言い合ったことを思い出した。

彼は今も別世界にいて、僕は彼を浦島太郎だと表現する。彼も僕のその表現に笑って付き合ってくれるが、あの町に一人でいればそうなるよなあ~。人は彼を馬鹿みたいに言うけれど、あの動物たちへのやさしさやおもいやりは誰に出来るものでもない。



浦島太郎はカメに乗って竜宮城にいったけど、昨日の日本丸の写真を使う。2月末に外国人記者クラブで彼の個人記者会見をすることが決まったと昨日の彼は言っていた。

アメリカで彼は「ブッタ オブ フクシマ」と称えられているらしい。ブッタとはお釈迦さまとか弥勒菩薩さまとかいわゆる菩薩さまのことらしいが、アメリカ人の記者が言うにはその人気はすごいものがあると・・・



彼は、余生をアメリカで過ごせばいいのになんて思う僕がここにいる。彼を称えてくれるアメリカに行って楽しく暮らせばいいのだ。彼ならどこに行っても平気だろう。順応する感覚は誰よりも強いかもしれない。

だから、まだまだ期待する僕がここにいる。あいつがアメリカに行ったら僕をアメリカに招待してもらい、どこか有名なところに連れて行ってもらうんだ。(笑い)日本ハムファイターズのダルビッシュ有もアメリカで頑張って欲しい!いや、彼はアメリカでもエースになる!日本の野球の凄いとこ見せてくれ~!。



話はそれたが、今日もお互いにやることが山積み状態だから、今から僕はそれに取り掛かるのでみなさんまたお会いしましょう。今日の写真はみなとみらい21の街並みと貴婦人みたいにきれいな帆船の日本丸の写真を使いました。日本丸は桜木町駅から歩ってすぐのところに停泊してました。














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今日は今日の風。

2012-01-24 06:56:10 | 日記

NO-63
昨日、友人にときぶ~の時間を動物愛護団体のみんなも見てるから、そういう団体さんにも発信したら?と言われて強制避難区域の富岡町の松村直登に連絡を取り、何かないか?って聞いたら「ポニーの事なんだけどさあ、俺のポニーを連れて行かないように書いてくれ。」と言われた。


松村のポニーは牛とともに移動しているが、1月20日に彼から餌をもらってまた牛と放浪の旅に出たらしい。そんなポニーも彼の顔を定期的に見にくるのだからお利口さんだ。

首輪をつけていないから愛護団体の人に連れて行かないようにと言った彼だが、僕の友人がポニー用のタグを用意してくれたから近いうちにまた届けるつもりである。

今、彼は動物の世話と放射能減容システムの実験に集中しているから、細かいところには気が回らないかもしれないので早く届けようと思う。今日は僕も今からみなとみらい21のある事務所に出掛けるから早く用意して出ます。


話は変わるけど、2月の11と12日に横須賀で開催されるNPO法人の元気はつらつ明るいまちづくりの佐藤昌久代表(上の写真この日は奥様と一緒)のイベントに参加することになって、松村も来るつもりでいるのでみなさんにお知らせしておこうと思って書いています。

詳しい日時と場所は再度確認の上、お知らせいたしますのでご期待ください。ここの佐藤代表は先月からスキーと打ち合わせで、ずっと東北にいるということなのだが、その出先から毎日メールを下さって本当に面倒見のいい人です。

この佐藤さんのイベントは、人も集まるし屋台も出て踊りや歌やかなりの賑わいだって聞いた。この2日間は同じ福島の会津の商工会の人たちも出るから、僕らも頑張って被災地の動物たちをアピールしてみようと思う。

今日の松村は放射能減容システムの実験研究にかかわる者としていわき市の病院で健康診断を受けると話していた。

今回の実証実験のために診断を受けて研究に臨むので、受けておかないとこの研究に携われないから文句も言わず、昨日の夜にいわき市で泊り今日は朝早くから血液検査から尿検査とかいろいろ検査するらしいです。

ずっと、強制避難区域で動物のために身を粉にして働いて来たから、彼の内部被ばくを心配をしていた僕だが彼はその心配をする気もなく平気な顔して病院に行った。

「大丈夫だべ!」とそれはいつも通りであいつらしい。今日は今日の風が吹くで僕も行ってきま~す。









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研究の話。

2012-01-23 08:10:22 | 日記

NO-62
1月21日から松村直登と宇宙科学研究所の山下博士と、ダッシュ村でみんなも知っている長谷川博士と、高葉建設の人と富岡町で放射能減容の研究が始まりました。

何でも放射能を含んだ雑草や植物を、バイオの力で分解減容して放射能だけを取り出す研究らしい。特殊な機械の中に汚染した落ち葉や枯草、生えている雑草でもなんでもいいらしく、100度の高温で一気に培養するバクテリアを使い100分の1まで減容出来るというから凄い!

これによって、その植物を食べた牛の糞も処理できるし、牛は牛で人間の力では除染できない広大な野や山の汚染された草を食べて人間以上の除染をしてくれるから絶対に殺してはいけない!のだ。

牛にもお腹の中の放射能を取り除く水を飲ませて牛の体内の除染が出来るところまで研究が進んでいると聞いて、去年生まれた子牛はこれから20年生きるのだから殺処分してはいけない。汚染肉牛は、肉としての商品価値は無いかもしれないけど、十分に僕ら人間のために働いてくれるのだ!

牛は毎年汚染された地域の草を食べてくれて、確実に放射能の汚染度を低くしていってくれる。まだまだ人間の役に立つことをしてくれるじゃないか!松村直登は、その魔法の水を牛に飲ませて牛を生かし、地域の除染に牛の力も借りて野や山の除染を考えた。

国は必死で町場の除染費用を毎年1兆円も使い除染すると発表したが、広大な山林の除染には一言も触れていない。山下博士も牛が毎年その汚染された土地の草を食べてくれれば、土地の汚染度は低くなると言った。

富岡町の畜産農家の人たちは殺処分に反対している人が多く、僕らの町だけ殺処分されていないが、県は殺処分を指導しているのか?役場でも困っているらしい。国は松村直登のこの案を取り上げて欲しい!

牛の餌や柵を作る費用も国が出してくれればこんなに苦しい思いをしないで済むのに・・・動物愛護で犬や猫は助けられているが、商業動物はすべて殺処分なんて可哀想すぎる。

国も県も、もう少し柔軟に対応して汚染牛の利用価値を知って欲しい。福島の広大な僕らのあぶくま山系を除染して、今までの美しい野と山の里を取り戻したいと言った松村直登のこの思いを知って欲しい。

松村は、キノコで山を除染出来ないか?とか、今盛んに言われている藻で何とか除染出来ないか?とか色々考えている。彼の頭の中は開けても暮れても残された動物を何とかして助けることと、町の除染のことだ。

だから今回「博士、この案で何とかなりませんか?」と提案したら山下博士が「これってありですね。」と二人で放射能減容研究実施を目指した。

全国ネットのTVで昨日の朝、ある番組のコメンテナーが「福島はもう元に戻れないかも?」と言っていたけど、諦めずにもがいている男がいる。僕はこれからもそんな彼を応援する。

今日の写真は、彼(松村直登)の親友アキの凜とした姿と振り向きざまの可愛い写真。それと今は捕獲されてしまった富岡駅前のボスダチョウに餌をあげる松村直登の写真を選びました。

<iframe width="560" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/XUQWWM7ZPHc" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

今日は、ユーチューブに松村直登が犬に餌をあげている映像を乗せたのでみなさん見てください。










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大合唱の家。

2012-01-21 07:51:16 | 日記

NO-61
昨日は横浜も雪が降ったが福島も雪で、強制避難区域の松村直登は朝4時に起きていわきに走り、放射能減熔システムの研究に使用する特注の機械を取りに行った。

何でも高価な機械だと松村が言っていた。今度富岡町に帰った時に必ず見て帰りたいと思う。彼の「自分の町を除染してみんなが帰って来れるようにしたい!」という夢の第一歩が昨日から始まった。

山下博士と長谷川博士もいわきに来てくれて、昨日は長谷川博士が富岡町に入ってくれたと聞いた。彼の熱い思いがみんなを熱くさせ、ようやくここまでたどり着いた。この表現が今はぴったりである。

彼はこの研究で、放し飼いにされた牛が助けられると去年からずっと一人で話していた。彼のとてつもない夢を笑っている人もいたに違いない!それでも彼は諦めずにいて、宇宙科学研究所の山下博士に頼み込んだ。

牛を助けるにはどうしたらいいか?彼の真剣かつ、本気は人を動かす力になる。彼は博士のバイオ技術と牛を生かす案を組み合わせ、博士に提案したのだ。今回の研究の実証データが出るまでに、機械の故障などないことを祈り見守りたい。

あの浪江町のダッシュ村にも同じ機械を設置して、その研究をトキオのメンバーが長谷川博士とTVで流すらしい。他にも飯館村?あたりに設置して3台で実証実験をするらしい。

さてそんな松村直登だが、いわきから富岡に入る時に「富岡は雨で、今日はうるさいなあ!」と僕に話した。何がうるさいんだ?と聞いたらあの大震災以来、半分だけしか家の屋根を直せないでいて、雨が降ると「しとしとぴっちゃん、しとぴっちゃん。しと~ぴっちゃん。」と雨漏りの大合唱で、台所はバケツのオンパレードらしい。

そんな事聞いていなかったから、えっ!なんで今頃言ってんの!と思わず声に出して言ってしまった。彼に聞いたら瓦の種類はたくさんあって家の瓦が半分足りなくて、そのままの状態で来てしまったと。

餌やりと動物の保護で身動き取れなかったから直せなかったのか?と聞いたら、瓦がなくて半分しか直せなかったと言った。だから去年の秋の長雨シーズンは、ポッチャン。ピッチャン。トッタン。トッテン。トントン。と彼の家は、雨合羽使用の台所を使う毎日だったらしい。

家の前面の玄関側の屋根は直してあるが、北側の台所は直せていないのだと。僕は思わずギャッハッハッハッと笑ってしまった。家が腐っちゃうじゃんと注意したら「しゃんめえ!瓦がねえんだから!家は半分あきらめた」と言った。

左の写真が両親の家で、彼が今使っている家で雨漏りがひどいらしい。真ん中の写真の手前の白い家が彼の家で、ここに動物の餌を保管している。右の写真は発電機とかいろいろ工具とか置いている納屋。

雨が降ったらうるさくて寝られないだろう?と聞いたら「うん。うるさい。」とぶっきらぼうに言ったから、また僕の笑いのつぼにはまり大声で笑ってしまった僕だった。

http://www.youtube.com/watch?v=oN1SU3MImGM&context=C3bbd0afADOEgsToPDskJnoRm3ItRd0sdi6w5zVqCv

松村氏が撮影したダチョウをユーチューブに乗せました。町の広報にも掲載されてますが、ユーチューブには富岡のダチョウでのせました。
おとなしいオスのダチョウです。今、TVのニュースでもダチョウの捕獲を報道していますが、町にいるダチョウはあと2羽だけと言われています。みなさん、見てください。明日はブログお休みします。


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シェルター。

2012-01-20 07:35:33 | 日記

NO-60
1月15日に強制避難区域の富岡町の松村直登宅でお会いした、動物愛護団体のUKCジャパンの細代表の神奈川県寒川町のシェルターを、アポも取らず強引に押しかけてそのシェルターを見させて頂きました。

これがUKCさんのシェルターかと僕は初めて見たので、わくわくしながら代表の案内を受けて大型犬の犬舎。中型犬の犬舎。小型犬の犬舎に猫の舎を見てきて、びっくりした。

ここのスタッフがとても頑張っているのが分かったからで、ボランティアの人がここに10人くらいいるらしいのだが、どのゲージもきれいでニオイも少なく犬も猫もみんな元気で、毛並みもきれいでほんとに感心しました。

代表も「ボランティアの人たちがホントの財産だよ!」と言ったのが印象的で、ボランティアの人が本当にみんな頑張っていて感心させられた。中型犬の犬舎に入ったら「遊んでくれ!どこかに散歩に連れてって!」と犬が一匹吠えだしたら、全匹吠え出したから大合唱になった。

小型犬の犬舎ではきょとんとして、おとなしくこちらを見てるこの子たちは、おとなしくて可愛かったな~。代表の奥様に双葉郡(強制避難区域)の犬はきかなくて噛みついてくる子が多いと笑いながら言われて代わりに僕が謝った。あれだけの震災を受けてきた動物だから犬たちにも相当に辛かったはずだと思った。

奥様の写真は撮ってこなかったけど、評判通りの人だった。一緒に伺った井東さんに「奥さんはどんなに大変でも、断らずに必ず面倒を見てくれる」とか、「噛みついたり暴れたりする犬とか、他の団体で引き受けてもらえない犬をここのUKCは引き受けている」ということを僕は聞いていた。

ここだけで360匹のペットの世話は、本当に大変だと思う。僕が行った時もボランティアの女性トレーナーが犬を散歩させていた。一日に何十匹担当するのか聞いて来なかったけど、みんなが手分けして散歩に連れて行ってるのだ。これと同じ規模のシェルターを関西にも持っているって聞いてやっぱりすごいな!って思った。

ストレスからか?噛みつく犬もいて、本当に好き以上の気持ちがなければ出来ない!って、奥さんが言っていたけどいいスタッフの人が集まったと思う。これって代表や奥さんの人柄かも?



写真の彼がUKCジャパンの代表の細さんです。後の2枚はA・B・C・D・E・F棟と分かれて作られていたペットたちの家です。細さんは、また22日に強制避難区域の富岡町で松村氏と会う予定で、今週は僕が福島に行けないので細さんに頼んで松村氏に渡す物を頼もうかなあ?と思ってます。

この日、細さん夫妻は病気の大型犬一匹を自分の車に乗せ、病院に連れて行った。その子だけが病気だったように思うけど、左足の付け根が赤肌で毛がなかった。ここに収容されたばかりの犬だろう。疥癬ではないようなそのような?だったけど早く治って元気になるように願う。

こうしてブログを始めてから全国のみなさんや、動物愛護団体のみなさんに会えたことを素直に喜び、松村も毎日感謝して頑張っています。これからも、ご支援下さいますようにお願いして、今日はこの辺で失礼します。



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馬の話。

2012-01-19 08:41:12 | 日記

NO-59
今日の写真は、去年の夏前のポニーの写真を選びました。このポニーは、僕の義父の舎弟分と言っている畜産農家の半谷さんが飼っていたのですが、牛30頭を放し飼いにして避難所に入る時に「直登、おまえ馬欲しいか?」と松村直登に問いかけた馬?なのです。

松村本人は「ガソリンが無くなった時に、馬に乗って移動できるな!」と、それは本当のサラブレットがいるのだと大喜びで半谷さん宅へ向かったのだが、目の前の小さなポニーを見て彼はがっかりした。彼が跨れば足が着いて体も小さくて、彼が乗るには可哀想なポニーだった。

写真でもわかるように、餌をあげている松村氏の背丈から見ても小さなポニーなのがわかるかと思います。この時、彼ががっかりしているのを察したのか、餌をもらうポニーも「期待を裏切ってすいません」と申し訳なさそうに餌をもらったのだ。ポニーも彼に乗られて、「ハイドー、ハイドー!」なんて事になったら真っ青だったと思う。(笑い)

しかし、半谷さんにはこれでも馬なのである。おとなしくて扱いやすいこのポニーを、彼に譲る気でいたのだった。しかし、馬に跨り移動することを夢見ていた彼は「半谷さん、これはポニーって言って馬じゃないからね」と、この時の話をすると今でも笑う彼だが、このポニーも牛とともに移動して暮らしているという言う。

僕は、ポニーは放し飼いにしていて大丈夫なのか?と聞いたら、「うん、今でもお腹パンパンに膨れていて元気だぁ」と言った。この子は彼を見ると喜んで走って来て「お久しぶりです」と挨拶しに来るらしい。また彼もポニーの姿を見れば、指笛を吹いて呼び寄せ餌を与えてあげていると話した。

彼の指笛の大きな音とその音色は、まさに西武映画に出てくるカゥボーイそのものなのである。彼にとって動物はみな同じ扱いをするわけだが、動物ならなんでも扱える彼を僕は時々、羨ましくてしょうがなくなる時がある。

ポニーを馬だと言った半谷さんも半谷さんだが、本当の馬を想像して行って小さなポニーのを見てがっかりした彼を想像したあの時は、僕も笑った。

おとなしくて可愛いポニーなら、僕も飼ってもいいなあと思う。動物はやっぱり可愛いなあ!松村氏と付き合ってきて僕も動物が好きになってきた。彼と付き合ってると笑いあり涙ありと色々あるわけだが、やっぱり面白い。これに尽きる。

昨日松村から電話をもらって「全国のみなさんにくれぐれも、宜しく言ってくれ」と念をおされました。牛を囲って保護するのに、富岡町役場が協力してくれて町は準備していいということまでなっているようです。しかし、河川敷の許可は県が出すので今はそれを待っている状況だとのことでした。

彼を支援してくれるみなさんに、感謝いたします。彼も牛をどうにかして生かしたいと必死に動いていて、そんな彼を後方支援する僕たちも全国のみなさんに御礼を言わせていただきます。みなさん本当にありがとうございます。

それでは、またお会いしましょう。





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彼の胆力。

2012-01-18 08:23:28 | 日記

NO-58
昨日はごめんね!みなさんにはおやじの愚痴を聞いてもらちゃったけど、朝から会津に避難した若いママさんから電話が入って子供のボディホールカウンター(内部被曝を測る)に行っての出来事や、役場での出来事を聞いてあげていたら、その彼女の扱われ方がひどいので気分がブルーになった。

その話は今度書こう。今日は昨日約束した松村直登の話にします。1月16日(月)から、予算的には2000万円の小さな研究なのだが、彼が震災後から「この富岡町が除染されて、いつかみんなが帰って来て今まで通りの町になることを夢見てる」と言ったその一歩を歩み始めた。

いつでもそうなのだが、彼は胆力がある。諦めないということだろうか?僕は熱しやすく冷めやすい性格だから、彼のこの胆力にはいつも驚いてしまう。今回の放射能減溶システムの研究に参加する事で、彼の忙しさは半端ないくらい忙しいはずだ。

動物の世話に餌の買出しや支援物資の引き取りなど、やることはたくさんあるのに又一つ彼の仕事が増えた。昨日、彼と話をしたが「お互い忙しくなったな!」と言葉少なめにいった様子が彼にとっても大変なことなのだと感じた。

あるTV局の取材も断り、この研究に本気で取り掛かる意気込みを感じたし、彼は本当に自分の町を大切に思っていて、町の除染のことをいつも考えて生活してきた。だから、今回のような仕事が彼の所へやって来たのだ。その真剣さとこれに賭ける強い思いは、ひしひしと感じるものがまわりで見ている僕らにも分かる。

やる時はやる男である。そんな彼に問題が起きた。地元の新聞に取材も受けていないのにあたかも取材した記事のように書かれていて、彼は役場からクレームをつけられたようだ。困ったものである。

インターネットの世界でも転載させて頂きますってルールがあるのに、書くときには一言声をかけて書いたらいい。忙しい彼を後方支援する僕らにとっても、あまり良くないことだから、これからはこんなことがないようにお願いしたい。

いつもなら朝のこの時間に連絡が取れるのだが、今日は連絡が取れない。それほど、忙しくなったのである。僕も彼を見習って忙しく動かなくちゃ。それでは、また明日お会いしましょう。

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復興への願い。

2012-01-17 09:52:26 | 日記

NO-57
強制避難区域の富岡町は、今もなお震災の大きな爪跡を残したままの姿である。復興なんて、まるで掛け声だけのテーマである。福島は浜通りの原発立地町村の復興を本気で考えなければ復興なんてしないぞ!と政治家や知事や国に声を出して言いたい。

本当の苦痛ってものを知らない人間なのか?本当にがっかりしている。こんな事言わなきゃ分からないのか聞いてみたい。もっと被災地の6町村の復興を前面に出して取り組んで欲しい!焦りと不安から時々落ち込んだりするのは、自分だけだろうか?

上の写真は、時間が止まったままの富岡町の駅のホーム・駅前の駐車場・国道を走っていてフェンスの向こうに見える断裂した道路。もっとひどい写真も撮って来たのだけれど、やっぱり投稿できない。壊れたままの家やナンバーがついた車など、持ち主さんの事を考えたり思ったりすると僕には出来なかった。

今日は、起きたのが8時でいつもより2時間も遅く今、慌ててブログを更新しました。その間に会津に避難した友達から電話が入り、今日の気温は-6度で毎日雪かきをさせられているとか、これでも平年の3分の1の雪の量だとか色々と話を聞いていたので中断して今、書き出した。

いつまで続くか分からない避難生活。一昨日動物愛護団体のUKCジャパンの代表が言った「こんなこと関西で起きたら、みんな黙っていませんがな。東北の人はおとなしすぎまっせ!」が、ほんとに響いた。「デモでも何でもやればいいんでっせ。何で言わへんのか分かりませんが、主張したらいいんでっせ!」と関西弁で話してくれたけど、その通りだと僕も思った。

今日は原発避難民としてのおやじの愚痴になっちゃってごめん。明日は、強制避難区域で動物の世話をする松村直登のことを書くつもりでいます。放射能の問題がなければ普通に復興出きるのに、こんな状態でいつまで暮らさなければならないのか?ついみんなに聞いてもらいたくて書いてしまいました。

僕ら原発避難民に早く、元通りの生活に戻れる環境整備をしてくれ!と国に叫び、今日のブログを閉じます。


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帰宅して。

2012-01-16 08:30:00 | 日記
NO-56

昨日、富岡町へ帰ってまず感動的だったのがこのメスのダチョウ!駅前を縄張りにしてるボス番町でなくて、とってもおとなしくて可愛かったです。松村直登の両親が以前住んでいた家の前の玄関に立っていたのを見て、うちのかみさんが「えっ、ダチョウがいる!」と驚いてすぐに怖がった。

僕は新鮮な感覚で心の中で大喜びした。目の前のメスダチョウに釘付けである。最初は、僕も松村のようにおしりを蹴られて怪我しないようにと構えたが、あまりにもおとなしいので拍子抜けした。僕らが近づいた時に、ダチョウは羽を少し広げ威嚇のポーズを取った時には、ギクッとしたけど松村は名調教師である。

「おらっ、いいからこっち来い。」と広げようとする羽を押さえてダチョウを誘導し、庭の一角へ移動させた。このダチョウは、隣町の大熊町から10km以上の距離を走り彼のトラックの後をついてきて、彼の家に住みついたと言う。駅前のボスダチョウとのバトルをしていた彼だが、その必要がなくなったのかも知れない。(笑)

居ついてから毎日、彼はダチョウに餌と水をやりかなり彼になついていた。彼は「ダチョウは餌をくれる人間の顔を1週間掛からずに覚える。」と言った。50cmくらい近くで見たけど、目が可愛い!そして一時間も彼と庭で話しこんでいたら、近寄って来て目の前で水を飲んだり、餌を食べたりとめっちゃくちゃ可愛いしぐさで癒された。いや~ほんとに可愛かったよ!

動物園に連れて行ってもらった小学生の気分で、それは楽しかったとしかいいようが無い。ダチョウは草食性でドックフードとかキャットフードや鳥の餌よりも枯れ草とか好んで食べると彼から聞いた。少しはペットフードを食べるけど、やっぱり草食に近い物を食べさせてあげているらしい。

とにかく残念だったのが、ビデオカメラで動画が取れなかった事。驚きと感動と嬉しさで全く忘れていた。横浜に着いてから、あ~失敗した!とほんとに思った・・・ユーチューブに投稿したかった。(泣)



昨日彼は、動物愛護団体のUKCのみなさんとも会い、僕が横須賀のKさんより預かった物資とともに、UKCのみなさんにも餌を分けて頂いた。UKCジャパンの代表も松村のさば缶の事を知っているのか?彼用の缶詰めを持ってきてくれたのには少し笑った。UKCジャパンの代表は700匹のペットを保護しているらしく、本気で動物愛護をしている人だ。

代表は「松村さんの所にいれば餌もちゃんと貰えるし、安心だからこの子にとっては本当に良かった。」と目の前にいるメスダチョウの目を見て言った。ダチョウを中心に撮ったから代表の横顔が少ししか写ってないのだけど、やさしくいい人だった。



昨日は朝3時に起きて、4時半に横浜を出て行って8時10分にいわきの分庁舎に着いたのだけど、福島は寒かった。富岡町の僕の家に行くまでに写真のようなアイスバーンがあちこちにあって、運転するのに気を使った。牛に気を取られ氷の上で止まったらずるずると車が滑りスリルがあった。誰もいない町だからクラクションを鳴らす人もいない。ここはふざけて遊んでみた。

家路に着くまで目の前をゆっくり歩いて通り過ぎる牛や、僕と目が合いじっとこちらを見たまま立ち止まっていた牛もいて、やっぱり動物園みたいな感じでした。牛も可愛いなあ。やっぱり生き物はいい。牛もダチョウも悪いことした訳じゃないのに、殺処分するというならそれは絶対に反対する。



最後の写真は、保護されている犬の情報を食い入るように見る松村氏。後の2枚は彼の家の敷地に雨雪を凌げる
古い建物付きの少し広い柵付きのダチョウの住まい。この柵はダチョウが胸で押したらすぐに壊れる鉄の柵なんだけど、ダチョウも文句も言わず喜んで入って行った。

今日はこの辺で失礼します。それでは、また明日会いましょう。










































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明日、一時立ち入り。

2012-01-14 09:01:58 | 日記

NO-55
明日は、福島に帰りますのでブログはお休みします。一時立ち入りの許可が下りたので自宅に戻り、通信機材を取りに行ってきます。あの大震災と原発事故の後、今回で4回目の帰宅になります。3台目のパソコンとFAXやらデータ関係のCDやら書類やらを取ってきます。

今回は日帰りで、福島には泊まらないで帰って来る予定なので、結構ハードスケジュールになります。郡山の新役場に一度は申請したものの、今までより遠くに出来たと郡山で避難している知人に聞いて郡山の申請をキャンセルしました。

横浜から4時間かけて郡山に行き、そこから40分かけて分所に行ってそれから富岡町に向かうのでは、片道で6時間以上かかり雪やアイスバーンの道になってたら何時間かかるか分からず、いわき市の出張所へ再度申し込みしなおした次第です。

朝8時半からの受付だから早く出て行かないといけなくて、強制避難区域の町に戻るのにいつも大変な思いをしています。ただ明日は、松村本人と富岡町内で会いますので、面白い話を仕入れてくるつもりです。駅前のボスダチョウでも見てこようかな?(笑)

今日の写真は、去年の6月の富岡町の海の写真を選びました。写真はイタリア人記者のアントニオ氏が撮影した松村直登の3枚です。


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