ときぶーの時間

募金の受付先 東邦銀行 安積支店 普通0644994 名義がんばる福島
みなさんご支援宜しくお願いいたします。

記者会見。

2012-02-29 08:17:58 | 日記
NO-88
昨日でやっと一息ついた。松村直登の外国人記者クラブでの記者会見が無事に終わり、正直ほっとしている。松村は会見が終わり「頭の中が真っ白になった」と言っていたが、初めてのことだからしょうがないと思った。

 会見前の松村直登。

会見には原発反対論者の恩田勝亘さんも加わって、また、本当に良いタイミングで富岡町の動物たちの悲惨な写真が会見場の2つのスクリーンに放映されたし、結構良かったのではないかと感じた。

松村は、確実に地元の被災者の代弁をしたと思う。何故文句を言わないのか?と不思議がっている外国人記者の「福島の人は本当にこの原発事故を怒っているのか?」の記者からの質問に、彼は被災地の住民に代わりに話した。

その内容は前日にも僕と東電に行き、今までのいきさつの検証をしていたから、答えは決まっていた。被災地の住民がどれだけ我慢して暮らしているかを話し、「東電はその住民に対して誠意ある補償をして消えて無くなればいいのだ」と言った。

福島にいる仮設住宅や借り上げ住宅に、避難している住民たちに聞かせてあげたかったと思う。どれだけ報道規制されているか?都会の人たちはわからないと思うが、東電は各TV局のスポンサーになっていたからか?TV局が被災地住民の声をシャットアウトしているふしがあるのだ。

これには、弱い者いじめだと思っている被災地住民が多いのが事実であり、東北人のじっと我慢する気質が追い打ちをかけるように、この都会に届いて来ないのが現状で個人の賠償問題に暗い影を忍ばせている。

 左から二番目の方が恩田勝亘さん。

彼は被災者の補償の仕方や残された動物の事など、そして今の東電の企業としての在り方や国の政策の悪さをしっかりと話したし、外国人記者たちは、彼の事をいろいろ知りたくて会見後も松村の回りは人だかりであった。

この会見後に3つの海外のメディアの取材を受けて福島に帰った松村だが、あれだけ質問攻めになったのは初めてだったろう。僕も彼から紹介されて名刺交換に追われてしまった。

前日から、共同通信社の岩橋さんの取材から数えて5つはこなしたかな?一農民が記者クラブで会見するとは本人も思っていなかったから、彼は今回の事を自分でも驚いていた。

今回の会見で、多くの外国人記者と出会い、また取材を申し込まれるようになるだろうと思う。やっぱり体が3つ欲しい彼だった。僕もある記者の100人と200人を聞き違えてびびって損をした。(笑い)

 共同通信社の岩橋さんの取材。27日お昼に新橋の定食屋さんで。

今回は以前に、松村を取材してくれたナータリーさんの企画でこの会見が行われたから、一番の功労者はナータリーさんとOKしてくれたスーパーバイザーのチョンさんだ。みなさんのおかげで、また一つ仕事が出来たと思う。このような機会を頂けたことを感謝いたします。

 ここでも彼を取材したナータリーさん。

福島に戻ったら、また灰色の街並みの中の別世界で働く彼だが、犬も猫も牛も待っている。特に今は牛を本当に生かすことを考えているから、やることが多い。色々な団体さんに協力をしてもらって、この問題も解決してほしいと思った僕だった。

生きている牛を殺処分から守るべく行動しなければならない。みんなの力を結集してやれば出来ると思う。今、まさにその時なのだ。全国の皆様、動物愛護団体の皆様、被災地の動物を助けるのに力を貸して下さい。宜しくお願いいたします。













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目頭が熱くなった。

2012-02-28 06:52:58 | 日記
NO-87
昨日、松村は朝の3時に起きてまだ暗闇の中で動物たちに、2日分の餌を与えて東京に出て来た。記者クラブでの会見の前に東電の本店に行くためで、僕は東京駅で彼を迎えた。

彼と一緒に東電に行ったのはいいが、僕は東電の誠意の無さを日々感じていたから、ついにそれが怒りとなって爆発してしまった。その伏線になったのがアメリカのナンシーさんの事だった。

昨日、みんなに話したアメリカのカリフォルニア州に住むナンシーさんの話は僕の胸を打った。2月26日に3つの取材を受けた松村が、その日の2番目の取材がナンシーさんの取材だったのだ。

ナンシーさん本人とはアメリカから電話での取材になり、仙台在住のアン・トーマスさんが同時通訳みたいな形の取材になったのだ。松村からその話を聞いたときにジーンと熱いものが込み上げてきた。

 たくさんの英文の手紙。

ナンシーさんは刑務所の日本でいう死刑囚(アメリカには死刑が無いので無期懲役)の人のセラピストをしていてその囚人に、被曝を恐れず自分の命を賭けて動物を守っている松村の話をしてその人を諭した。

ナンシーさんの話を聞いていつの日かその囚人は自分の事を深く、見つめ直したに違いない。彼は「ここを出る事が出来たら松村の手伝いをしてあげたいのだが、一生出られないから少しでも彼の力になれるならこのお金を彼に渡して下さい」と・・・・涙。

彼は刑務所で働いて作ったお金を松村に託してくれたのだ。これが泣かずにいられるか?僕は元来泣き虫だから、グッと込み上げるものを抑えきれなかった。

 ナンシーさん手作りの置物。松村さんありがとうの言葉に日本とアメリカの国旗のハートマークが手をつなぐ絵入り。

去年の5月に、原発事故を起こした東電本店に行ってあれほどお願いした事を東電は何もやってくれなかったのに、はるか彼方のアメリカの囚人の方が僕たちを支援してくれて、目頭が熱くなったのは僕だけじゃない!松村も熱くなったはずだ。

ナンシーさんは、日本語を英語に翻訳する機械を買って、このときぶーの時間を読んでくれているらしい。ナンシーさん、本当にありがとうございます。このお金を松村に託してくれたその方に御礼を申し上げますので、是非とも彼にお伝えして下さい。

このお金は、絶対に無駄に使いません。今、殺処分されようとしている牛のために使わせて頂きますので本当にありがとうございましたと、彼にお伝えして下さい。アメリカに行って彼に会ってお礼を言いたいのですが、とてもかなわない事なので本当に宜しくお願いしたいと思います。

 28人の名前が書かれた便箋。

ナンシーさんからの募金には28人の名前があり、そのお金も松村から見せてもらった。国も東電もやってくれなかったのに・・・・涙が出るほど嬉しかったし、本当に感謝したい。海の向こうからのこの話は僕の胸を震わせた。

僕は今から外国人記者クラブの会見場へ向かいます。みなさんまた、明日お会いしましょう。






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嬉しい広がり。

2012-02-27 06:58:12 | 日記
NO-86
一昨日から松村と僕は何やら忙しく、電話とメールと取材での対応に追われてしまった。それでも犬猫専門の愛護団体の皆様や、同じブロガーの方からの励ましメールや応援メッセージなど本当にありがたかったです。

強制避難区域の松村は、昨日3つも海外のメディアの取材を立て続けに受けていて、やっぱりあいつは怪物だと思った。僕なら、一日一つ受けるだけで充分。三つも受けたらバタン、キューだね。あいつの凄いのは初めからわかっていたので今回は書かない。


水もなく、餌も貰えず断末魔の苦しみの中で死んでいった牛たち。

みなさんもyatte yaruさんのブログを見て下さい。富岡町の牛が囲いの中で死んでいる牛を載せています。どこの愛護団体の人なのか分かりませんが、僕も入れないのでyatte yaruさんのブログとkurokuropさんのコメント欄から見させてもらいました。

 殺処分されて人知れず埋められていく牛たちのこの光景だけは絶対に阻止したい。

富岡町の問題なのに、だんだんとその広がりを見せてきて、少しづつ大きな輪になってきていることを僕は喜びたい。ちなみに明日、記者クラブでの会見が行われるのに、僕の頭の中は空っぽになり要点整理が全然出来ていない。(泣)

海外のメディアの人が200人以上来るって言ってたから、少しびびっている。記者会見は松村のためのものだから軽くいきたいのだが、それよりも福島に帰ってやることが出来てしまい、またブログをお休みするかも知れない。休んだら皆さんごめんなさい。

昨日、松村と牛の仮囲いの件で打ち合わせをしたのだが問題があり、変更すべき事項が出たのと僕の取材が残っているのと福島で新しい団体が立ち上がったと知らされて、その代表者と会うことで行ってきます。

これも、ある人の紹介で会うことになったので本当に感謝したいです。嬉しいです。今回は、みなさまに助けていただいています。日本全国そして世界のみなさんに本当にありがとうございますって言いたい!

松村から夜の9時半頃電話をもらったのだが、ナンシーさんからの募金の事を聞いて僕も感動して泣きそうになった。このことは明日にでも書きたいと思っています。

今回は牛の柵を作りなさいと募金をしてくれたみなさんに感謝いたします。そして今までに、牛の餌のために募金してくれたみなさんにも感謝いたします。

こうやって、全国の皆さんが原発事故で強制避難区域になった廃墟の町富岡町を支援して下さいますことを、住民の一人として心から感謝いたします。

  津波で粉々になった家々とすべてを流された家の土台。

この東日本大震災で被災して苦しみの中で生きる被災住民の事を全国の皆さんに知って頂くために発信し続けることと、残された動物たちを保護する事を目的として、今回がんばる福島を松村と立ち上げました。

松村直登のやっている動物を保護することは、人を大事にする事と一緒で動物たちは人間の言葉を話せないだけです。その動物の命の尊さを日本人は忘れてしまったのか?と僕は嘆きたいのです。

残された動物のため、故郷富岡町の再生のため、また同じ苦しみを共有する被災者のために懸命に活動していきたいと思います。全国の皆様に感謝して今日のブログにさせて頂きます。皆さん本当にありがとうございます。











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何故?

2012-02-25 08:27:08 | 日記
NO-85
昨日、松村直登から何度も電話が入った。彼は何故、強制避難区域の牛が殺されなければならないのか?どうすればそれを止めることが出来るのか?と彼なりの真剣な思いであちこちに電話をし、その都度報告がてら僕に連絡をくれた。

 ある待ち合わせ場所で。

まず東京の青山にある日本動物愛護団体の吉野さんに電話を入れた。彼は、「犬や猫だけの事なら何とか出来るのだが牛の事は、いわき市のここへ電話をしてみて下さい」と言われたところにまた電話をするも、巡り巡って最終的には農林水産省の畜産課にたどり着いた。

彼はこの農林水産省の方とかなり熱く話したらしいが、「国は殺処分の考え方しか頭に無い!」の答えだった。口蹄疫とか?病気でも無く元気な去年生まれた耳標のない元気な子牛を死なせたくない一心で、彼は動いたのだ。

 去年の11月。デジカメで牛を撮る松村直登。撮影はアントニオ氏

僕も震災後に彼と再会してから動物に対しての思いが強くなり、松村直登の思いや考えを何とかしたいと思っている。ましてや鎖に繋がれてご主人を待っていた犬や家主のいなくなった家にいた猫などを助けるために一人で町に残ったのに、あまりにも今回の牛の問題は大きすぎる。

 こうして一軒一軒回って餌を与えていた松村直登。

去年の6月に、ある議員が郡山の避難所に来て「私が強制避難区域の牛の面倒を見ます」と言った議員がいて、あの時僕らは本当に喜んだ。期待させられるだけ期待させれて裏切られたこの悔しさは、役場職員のみなさんも僕らも同じだったに違いない。

それから役場職員は殺処分派に変わり、松村直登は反対派に変わっていった。あの時までは同じ方向で動いていたように思えるのだが・・・僕も去年の6月は、この牛の事で何度も横浜から福島へ行ったり来たりし、必死に動いた。そしてその結果には本当にがっかりした。

僕は外国人記者クラブでの松村直登の記者会見の準備をしています。この現実を世界のみなさんに知ってもらおうと、僕も今、出来ることを必死に考えているところです。明日の日曜日はブログお休みしますのでよろしくお願いいたします。




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たった一人で・・・

2012-02-24 09:05:05 | 日記
NO-84
昨日、ブログ開設100日目だったのを今日の朝知って早いよなぁ~と。このままだとまたあっという間に、一年が走りすぎていきそうだ。

それだけ忙しいってことなのだろうか?いつも言うように、僕らは時間に追われているからとにかく早いのだ。僕は、香港のラジオ局の取材を昨日受けたのだが、去年の3月11日から今までの事を嫌でも思いだせられた。

強制避難区域の松村は、相変わらず一人で苦労している。牛の柵の手配をしたが配送業者が強制避難区域に入れず、材料が富岡町に届かない状況だった。

 富岡町の駅前のある一画。今でもこのままです。

これを、エム牧場さんが手伝ってくれることになったと彼は話してくれたが、これは彼にとって本当に助かる事案だ。強制避難区域であるがゆえに、何をするのも大変なのだ。

彼は本気で避難区域の中にいる動物たちを保護する気でいて、たった一人で国や県に町の殺処分行政と真っ向勝負の図式で戦っている。まさしく、孤軍奮闘なのだ。

強制避難の町でなければ、彼を手伝って柵作りに飼料運びにと手を貸してくれる人も多いだろうと思うのだが、何せ簡単に入れないから僕も手伝えずにいる。

柵作りを彼一人でやることになりそうだ。彼との付き合いを拒絶する人間が増えてきているのも事実で、国や県や町に反抗するスタイルになっているから彼から要請を受けても手のひらを返したような付き合いをしたり、都合の良い言い訳を用意して彼を遠ざけるような輩が多くなっているのは本当に情けないと思う。

そんな彼を助けてくれる動物愛護団体のみなさんやエム牧場さんとか、関係団体の皆様が手を差し伸べてくれるのは本当にありがたいです。

陰口叩かないではっきり、自分の口で堂々と言えばいいのに、情けない輩だ。国のお役人さんも自分の家でペットを飼っていないのだろうか?

犬や猫は可愛がって、牛は殺処分するって本当に殺さないでくれ!と言っている畜産農家の人の気持ちが分かっているのか?と僕は言いたい。

 人知れず、こうして牛が次々に殺処分され埋められています。

彼は、今でも牛の殺処分に反対している僕の義父の舎弟分だという半谷さんの牛を先に囲ってあげて、徐々に増やして保護するつもりでいる。

半谷さんに「俺の牛を面倒見てくれ!」と頼まれたからで、彼はすぐに了承して只今準備中である。僕は、こうして離れた横浜で僕なりの応援をする。





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SOS牛を助けて!

2012-02-23 07:26:51 | 日記
NO-83
今日は香港のラジオ局の取材を受けなければならず、横浜で待ち合わせして会うことになっている。

但し、今日一日で終わらず二日間に亘って取材させて欲しい!と言われていてホントスケジュールが詰まっていて困っているのだ。

言いたい事があっても言えない事もあり、結構タイトな取材になりそう(泣き)よけいな事はあまり言いたくないのが事実で、取材はあまり好きではないのだが断れず受けてしまった。

しかし日本のメディアは、「東電や国を批判する事を言うとその部分をカットして放送するから信用できねえ!」という松村と同じく、僕もそう思っているから、外国人の取材の方がはるかにいいと思う。

今の問題は、国が去年強制避難区域で生まれた耳標のない子牛や耳標の取れて持ち主の分からなくなった牛を殺せ!と各役場に文書で通達してきたことだ。

 去年生まれた子牛。この子が何をしたって言うのだ。耳標が付いていないだけで何も悪い事していないのに、疫病でも何もないのに殺すって。

これがこの国のやることかとあきれてものが言えない。牛を柵で囲い餌を与えないで餓死させ、動物虐待をしていると分からないのだろうか?何故、牛たちを殺さなければならないのだろうか?ちゃんとした説明をしろよ!飼い主だって反対してる人が多いのに。

 タグのない子牛がたくさんいます。こんなに元気な子牛を殺さないでくれ!

誰もが納得できる答えをちゃんと出してみろよ。この通達文はあるブログで紹介されているが絶対に反対だ。強制避難区域の松村も以前から「耳標のない子牛は俺のもの」って言っていて保護する気満々でいたから大反対だ。

 マイクを握り殺処分に反対する松村直登。

もう本当に時間がない!全国のみなさん力を貸して下さい。動物愛護の団体の皆様、その関係の皆様。犬や猫と違うけど牛も可愛い動物です。助けて下さい。本当に力を貸して下さい!みなさん一緒に反対してください!宜しくお願いいたします。

声を出して僕らは言う。牛の殺処分反対!絶対反対!全国のみなさん、どうか一緒に反対してください。

インターネットで振り込みされる方が困っているとブログの先輩に言われましたので、注意されたところを直してお知らせいたします。

東邦銀行 安積支店 普通口座644994 (がんばる福島)です。引き続き全国のみなさん、宜しくお願いします。 





















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あれから。

2012-02-22 10:09:44 | 日記
NO-82
震災後、去年の5月まで二か月半暮らしていた新宿の、娘に会いに久しぶりに行ってきた。東京は、やっぱ人が多くて便利なとこだなあ~。7畳一間に親子三人で暮らした泣き笑いの生活を思い出し、もうあれから一年が経とうとしているのかと車の中でしみじみと振り返った。

 新宿区大久保の韓国街。

娘はかみさんと携帯電話の店に入ってしまったから、1時間は車中で待つしかなかったのだが、再会して娘が開口一番に言った「お父さん、歳とったねえ~!」にはがっくし。

これは震災の影響ではないと思うが、いずれにせよ時間がないのに変わりはない。富岡町に帰ることを夢見て田村郡に避難している85歳と81歳の義父母にも時間がないし、富岡の動物たちの命を守っている松村にも時間がないのだ。

今年の春のお彼岸も墓参りも出来ずに、時間がだけがまた過ぎていくのだろう。そして今年の夏のお盆にも家族や親戚の人が集まれず、過ごさなければならないのだろうと思う。

東電本店は家があるのに帰れない暮らしがどんなに辛い事なのか分からない人間の集まりだと思う。僕は、被災地と被災者の事をこれからも書き続けていくだろう。そして、残された動物の命を守る松村直登の事も書いていく。

何が辛いって、自分の家があるのに帰れない事と、今帰っても元通りの町に戻らないという現実があることだ。僕は3月11日の震災時、サラリーマンを辞めて事業を起こすために準備していた。4月に立ち上げる予定でそのさなか原発事故で強制避難を余儀なくされたのだ。

東電が言うには「あなたは、その時に会社を辞めていたわけだし、事業を始めると言っても実績もないわけですよね。だから、あなたの補償は出来かねます。」と。最低限、サラリーマン時代の補償をしてくれと頼んだのだが、それもダメ。新しい事業の補償もせず、どちらの補償ももらえないのだ。

ひどい話で今まで長年苦労して作ってきた人脈も仕事も何もかも奪っておいて補償できないと一蹴りされた。あの事故さえなければ、町民も避難せず、会社だって僕の仕事だって無くなることもなかったのに、補償しないなら元の町に戻せ!と言いたいのだ。

どちらにしても、このことを海外のメディアにどんどん話して、日本の行政の在り方や今回の東電の誠意のなさを訴えていく。同年代の被災者は、仕事を探すも今までの給料の半分くらいの給料しかもらえないから、このままでは暮らせなくなると・・・・これが現実なのだ。

<iframe width="560" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/8_RnYkkf4WI?rel=0" frameborder="0" allowfullscreen></iframe> ユ-チューブ。瓦礫の中で生きる犬に餌を与える松村直登。

強制避難区域の松村は今日の朝、7時半頃電話をくれて「今、ある社長と会って牛の柵の件で頼みに来ている」と言っていた。彼も時間がない事を肌で感じて生きている人間の一人だ。全国のみなさん強制避難区域の町に残された動物を助ける松村とがんばる福島を応援してください。宜しくお願いします。
















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被災者。

2012-02-21 08:20:41 | 日記
NO-81
郡山から帰って来たと思ったら、横須賀のイベントでお会いした方が松村を支援したいとのことで、また福島に飛ばなきゃならないか?というところだったが、松村とKさん夫婦が夕方いわきで会うことになり行かずに済んだ。

僕は僕で、台湾のラジオ局の取材を受けなければならず、日程など決めてまた28日の外国人記者クラブでの松村の記者会見などの準備もあって、今回のいわき市での事は松村に任せた。体が3つくらい欲しい。

 三日前に行った郡山のビックパレット近くの仮設住宅と仮設の店舗。

この仮設の店舗に僕らの知人の鈴木さんが床屋を営業しているのだが、この仮設の店舗の使用期限が来年の3月までと決められているらしく、設備投資してかけたお金を回収できるか?と考えたのか?誰も手をあげなかったことを聞いた。

 鈴木さんの仮店舗。

富岡町に戻っての開業ならともかく、避難先で店をオープンさせて来年の3月に期限が切れるなんて、大変なんてものじゃない!また次の店舗を探さなければならず毎日、次の事を考えて安心できない。鈴木さんが以前、僕に言った「早く、富岡に帰りたいよなぁ」の言葉を思い出した・・・・

 鈴木さんと松村。松村の散髪シーン。富岡に居た時は僕も刈ってもらっていたけど、鈴木さんのシャンプーは絶品で近くの人は是非、体験して欲しい。

僕らはどこまで行っても避災者で、本当に苦しい!先が見えない生活なのだ。誰も店を出さなかったところに店を出した鈴木さんも偉いよ。来年の3月までの期間しかないのにお店を出した勇気を称えたい。設備投資したお金以上のものが必ずあると思う。

国も東電も本当に何もしてくれない。大熊町の友人から3月11日に大きな集会かデモがあるから、出てみないか?って言われたけれど、今は忙しくてすぐに返事が出来なかった。

 仮設店舗の中。仮設住宅に住む車の運転が出来ないお年寄りの方には良い店舗だったと思う。

<iframe width="560" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/nbUHa3C4mPY?rel=0" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
昨日に続き、今日のユーチューブは僕の家から500mのところで牛に餌をやる松村直登。牛も目が可愛い。

富岡町の松村は昨日の午前中から午後5時ころまで、牛を助けようと活動されているある大学の教授が強制避難区域の富岡町に入り、その方と会っていたと言っていた。たくさんの知識人と会えるあいつはいいよな~いろんな先生や博士に会えて、本当に羨ましく思った。

松ちゃんに少し嫉妬。(笑い)あいつはホントに凄い。あいつのマネは僕に出来ないし、松村の事を悪く言うやつに僕は言いたい。被災地富岡町の未来を思い続け、内部被ばくもなんのその自分の命を懸けて動物を守っている彼の事を悪く言う資格はないからな!と。



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天国から地獄。

2012-02-20 08:55:55 | 日記
NO-80
みなさん、福島より戻ってまいりました。懐かしい知人の顔や義父母の顔を見てほっとしたり安心したりと、やっぱり田舎はいい。今回郡山に行って義父母の顔を見に行ってきました。

今までに募金して下さいました皆様に、松村からも「ありがとうございました。宜しく伝えて下さい」と言われて帰ってきました。皆さんからの募金も公表したいのですが、名前は出さないでくださいとか、金額は書かないでとか色々とありますので、公表の仕方はもう少し考えてから
したいと思います。

松村が町役場に1月の5日にお願いした河川敷の使用許可申請書を町から県に出してもらったのに、まだ許可が下りないらしく「もう、待てない。自分の田んぼと畑に柵を作り保護しなきゃ」と彼は言っていました。

何でも、よく聞いてみると県が差し戻して再度協議することになったらしいです。自分の田んぼと畑なら文句言われることもなく保護できるだろうと思う。富岡に帰ったらすぐに取り掛かると松村は言っていました。

義父母の元気な顔を見て、気持ちよく帰ってきたら横浜のブログ仲間から一本の電話。「インターネットで見たけど、このT町って君の住んでた町じゃないの?町で牛を囲って餓死させてるって、これどういうことだよ!」とこれは本当に怒っていて、僕もびっくりした。

そんなことないよ!町役場で2日おきに餌と水やりしてるよ!と僕は言ったのだが、「じゃあ、自分で見てみろよ!」と・・・・ハ~。その時に、子牛が2頭親牛が1頭って聞いて、松村が10日前に言っていたあの牛のことか?と思ったのだ。

町がある研究機関に許可を出して、牛の管理をさせていたところがあるのだが、研究と言って始まって10日もしないうちに元気な子牛が2頭と大人の牛1頭が死んで、その業者?研究機関?だかの人に「何を飲ませたんだ!昨日まで元気にしていた子牛が何故死んだんだ?」と松村と言い争いになった人がいると。

それ以来、顔を見てないと言っていたが、その研究機関の人は死骸はそのままにしているらしく、水も餌もあげていないらしい。横浜に帰った僕はいきなり、そのブログを見たブログ仲間に怒られてすごく嫌な気分に落ちた。あれだけ怒られれば誰でも嫌になるよ。

僕は松村に言った。どうにか餌と水をあげられないか?と。彼は「今日、4頭目の犠牲(餓死)になった牛の死骸を見て、どうにも我慢が出来ず餌と水を与えてきた」と言った。これが昨日の日曜日だから10日間水も餌も与えなかったのか?この野郎!って僕の血が騒いだ。

このことに憤慨する松村がいる。「町の許可をもらって変な水を飲ませていた研究機関が責任を取るべきだろう!俺がもし牛に普通に餌やって、もしも死んでしまったら俺が殺したって言われてしまうし、手が出せなかったんだ」と・・・そりゃそうだよな。

この業者だか研究機関だか分からないけど、17日だか18日だかに牛を助けたい人の集まりにちゃっかり、顔を出していて松村に文句言われたら「一人じゃ、回りきれないから」とかいろいろ言い訳を言い、牛が死んだということを何とも思っていない口ぶりだったらしい。この業者は絶対に排除すべきだ!

この業者だか研究機関の人に、そしてこの人らに許可を与えた役場の人に文句を言いたい。冗談じゃない!餌をあげないで囲って殺すなら、僕も黙っていないからな!牛が可哀想と思わないのか?

うちの町だけは殺処分しない町だからって、この横浜に来て自慢していたのにそんなことないよな!大体、いろいろな愛護団体の人が町に入っているのだから、死骸を放置したら写真に撮られて公表されるのもわかりそうなものだけど、いったいどこの研究機関なんだ!頭にくる。

役場職員の代わりに怒られたけど、めっちゃくちゃ、気分が悪かった。囲って殺すのは去年の再現じゃないかよ。どれだけの牛たちが去年、牛舎で死んでいったんだよ。あの再現だけは許せない!そんな殺し方するなら放し飼いにしてくれ!

僕はマイホームに牛の糞があっても文句を言わない。牛が植木の葉や枝を折って食べつくしても構わない!囲って餌や水をあげないで殺すなんて絶対に許せない。それだけはあってはいけない。それなら牛たちを放し飼いにしてくれ!

<iframe width="560" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/Hu8qniy7zbc?rel=0" frameborder="0" allowfullscreen></iframe> ユーチューブにアップさせた牛に餌をやる松村直登。こうして牛たちに餌を与え続けています。見てください。

みなさん、牛を助けるお手伝いをしてください。まだまだ募金が本当に必要です。新しい口座 がんばる福島の口座に少しでもいいですから、募金してください。よろしくお願いいたします。







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被災地へ。

2012-02-17 04:00:05 | 日記
NO-79
横須賀の竜宮城から被災地に戻った松村は、廃墟の町でいつもと同じように犬や猫、牛やイノブタなどに餌を与えている。みなさんに一枚の写真を見てもらう。

 横須賀に来るほんの少し前の写真。

この廃墟の町にも新しい命が生まれている。生まれて今2ヶ月くらいの子犬だ。いつもは瓦礫の中に隠れていて、松村が御飯だぞ!と口笛で呼ぶと尻尾を振って出てくる。

今は冬なので、犬や猫に牛たちも豚たちも餌がなくて生き地獄の様だろう。動物愛護団体の人もレスキューで町に入り、活動してくれていて犬や猫の餌を松村に届けてくれるから本当に助かる。

しかし、牛や豚の餌はなく松村が与える配合飼料やとうもろこしに麦と枯草を餌に、この冬を凌ぐなくてはならない。寒さと飢えとの戦いである。

 これは僕のマイホームの牛の糞。野球のホームベース位の大きさのが8つもあった。

これを松村は今、集めて放射能の減熔の機械に入れて山下博士とともに研究している。山下博士は神奈川の研究所に戻り、JAXAで研究を続けているが、松村は富岡の機械を管理し自ら研究に没頭している。

横須賀で主役であった彼が今は、富岡町の道路の牛の糞を取り放射能減熔システムの機械に入れて、博士の研究のお手伝いをしている。主役は牛の糞ってわけだ。

彼は、道路にある牛の糞を懸命に集めていて町がきれいになるなって僕が言ったら、彼が「牛の糞の量の方が多くてきれいにするには半端ねえぞ!」と言い返し、二人で笑った。その糞が減熔研究の材料になっているのだ。

 枯れ草を食べ歩く牛。

今は冬だから、草も葉も生えない状況で研究するにも限られてしまうので、牛の糞を100分の1まで減容出来れば成功なのだ。

それにしても、横須賀の華やいだフェスティバルから一転し、この廃墟の町の姿には大きなギャップを感じずにいられない。彼を紹介する写真も灰色か暗い色の写真ばかりだから、ブログ書いていてもそのギャップを感じてる。

  浦島太郎(松村)が見た竜宮城の姫たち。こんな写真をたくさん使いたいのだが・・・

昨日、義母に電話を入れたら「一時帰宅で昨日、やっと富岡の家に戻ったよ。でもたまげたわ。玄関前にはたくさんの牛の糞で、植木の枝は全部折られて葉という葉が全部食べられてしまって、多年草の葉も茎も全部食べて行って何もなくなり庭の姿が変わってしまった」と・・・・

花の大好きな義母はかなりがっかりしていたが、牛が悪いのではなくてこの原発事故が悪いんだからねと僕は慰めた。牛だって枯草より生きている草や木の葉を食べたいにきまってる。僕は、こういう慰めしかできなかった。

 お腹を空かせて帰りを待つアキ。

松村は動物たちに餌をやり、そのあとに研究をして忙しい男なのだ。僕も今から福島に飛び、彼と会ってくる。もちろん、義父と義母に娘の(かみさん)顔を見せてやりたいので、帰るのもあるのだけど雪が心配。18と19はブログ休みますので宜しくお願いします。



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竜宮城。

2012-02-16 08:32:48 | 日記
NO-78
夢の跡。この2日間彼は、竜宮城に来た浦島太郎のようだった。松村本人もどうやらそれを認めている。(笑い)横須賀は気温だけじゃなく人も温かく、福島の被災地富岡町を数千人の市民に知ってもらえた事を彼は素直に喜んだ。

 ベリーダンサーズの踊り(鯛や鮃の舞踊り?)

横須賀のNPO法人元気ハツラツ明るいまちづくりの佐藤代表もマイクを握れば「福島県の富岡町」を何回も連呼してくれて、市民のみなさまに写真・パネル展を紹介し、さらには募金を訴えくださって本当に感謝したい。

もう一人、今回どうしても紹介したい人がいる。その人はベリーダンス教室の代表の陽子さんである。彼女は一早く、僕に会いに来てくれていちばん早くこの横浜で支援してくれた人なのである。

今まで、「私の事は絶対に書かないで!名前は出さないで!」と数か月言われてきたが、本人の了承をどうにかというより強引に取り付けて今日に至った。

彼女は今までにも被災地、我が故郷福島を何度も訪れ、残された動物を保護し、仮設住宅のペットを助けてくれた人である。只のボランティアじゃないよな?町民全員が逃げ出した町に入って動物たちを保護してくれた。目の前にいる彼女の姿に、心打たれ言葉が出ないときが何度もあった。

 寒さも何のそのと踊るベリーダンサーズ。

僕が何でそこまでしてくれるの?と言った時も、「私はみんなに助けられている。私が行動出来るのは家族やうちのスタッフ(ベリーダンサーズ)がいるから、みんながいるから出来るの」と・・・みんなには本当に感謝している陽子代表だが、凄すぎる。松村同様、動物を助けることに見返りを求めない人なのだ。

彼女はミステリアスな女性でいろんなところ(10個くらい)の理事をしてる。老人ホームの慰問から心臓移植の必要な子供がいれば直ぐに募金活動に、またそのことで渡米までしたと聞いた。頂いたチップは全て募金箱にいれる人。そして福島の富岡町に残された動物のためにと、今回の企画をした発起人なのである。

正直彼女に、犬小屋や犬・猫の餌など支援して頂き福島に届けたこともある。それを書いてはダメ!の意味が分からずにいた僕だが、みんなに迷惑かけて申し訳ないとか遠慮してたのかな。

ベリーダンサーズの人が写真展に来てくれた時に聞いてみたのだが、福島の応援に彼女たちは実費で衣装を買い、東京など遠い所から横須賀まで来てくれていた。2日間もちろん無償で踊ってくれたのである。(涙)

 竜宮城の姫たちと浦島太郎の松村直登。

君たちは本当に竜宮城の姫たちである。衣装だって高いだろうに僕らの富岡町のためにご尽力頂き本当にありがとうございます。踊ってくれた姫たちに感謝。感謝です。

こんな竜宮城の姫たちを育てる陽子代表。あなたのやることはきっといつか大きなものになって返ってくるからね!この踊り子たちがみんな絶対に幸せになるから。おやじ感激である。

 ありがとうベリーダンサーズのみなさん。

彼女の見返りを求めない無償の愛なのである。僕は松村直登を怪物だと言ったが、彼女も女性版松村できっとどこかで男の松村直登と被るところがある。こんな女性版松村の熱い人がいれば佐藤代表も動いてくれるわな。陽子代表、本当にありがとうございました。改めて感謝いたします。

怪物の松村は26時間横須賀にいたが、お腹を空かせて餌を待つ動物のために福島に戻った。動物愛護関係の人と会う約束もあっって被災地へ帰っって行ったのだ。もっと居たかっただろうな~と僕は思った。

被災地富岡町での暮らしから見れば、本当に横須賀は竜宮城でどれだけ便利でどれだけ快適か?可愛い子も多い。普段の松村は、人がいない町にいるので話す相手がいない。話し相手は犬や猫や牛や豚やダチョウだけである。

だから、演説はあまり得意でない。それでも、町の現状や残された動物の事や富岡町への支援を訴えた。足を止めて聞いてくれた横須賀市民のみなさまには感謝しています。

 横須賀市民の前でスピーチする松村。

うちのかみさんが、「松ちゃんが、動物の死骸をを見て心の中でなんぼ泣いたか分かんねえ。」と言ってたよと僕に昨日言った。僕にも言わない事をかみさんに言って帰っていた。誰かに話すことで、少しでも松村の心が軽くなればうれしいと僕は思った。

 たくさんの横須賀市民のみなさまと小泉進次郎議員に自分の写真を見てもらえたことも良かっただろう。

全てが彼にとっては夢のような出来事の2日間だったと思うが、彼には振り返ることなどしていられないから前だけを見て走り続けるしかない。頑張れ松村!声を大にして僕は叫ぶ。













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会場に松村が来た。Part 3

2012-02-15 06:50:01 | 日記
NO-77
横須賀のイベントに初めて参加して、町のみんなが温かくてイベント会場のみんなもやさしくて、その思いやりに何とも言えずにいた松村と僕たちだったが、佐藤代表が小泉進次郎議員と松村が会えるようにセットしてくれたのが松村には大きなお土産になった。

 被災地の動物写真展の前で小泉進次郎議員と松村直登。

松村は土曜の昼過ぎの2時半前くらいに横須賀に着いて、日曜の小泉さんと会ったらすぐに福島に戻らなければならなかったから、彼にとっては夢のような2日間だったと思う。

着いてすぐにMC担当の女性からインタビューを会場で受けて、この後には新聞社の取材を受けてと大忙しだった。MCの女性は上手だった。プロではないのか?と思ったけど、彼女は次の日チャンバラ隊の演舞に出ていたから本当に手作り感のあるイベントだったと思う。。昨日、コメントくれた人で中野さんの仕事は何なのかな~。

 上手なMC中野さんと松村直登。

今日は僕たちがこの横須賀のこの会場で出会った人のことを書いてみようと思う。僕たちが写真展の場所から離れられないので、お昼の食事を差し入れしてくれた人のことを書きます。

一人は屋台の看板娘の杏菜ちゃん。横須賀イベント商業共同組合志水商事の志水さんの娘さんだ。明るい笑顔でお好み焼きを焼いて僕たちに食べてと。温かくておいしくて卵もベーコンも入っていて野菜たっぷりのお好み焼き堪能いたしました。杏菜ちゃんありがとうございました。
本当においしかったです。

杏菜ちゃんはアイドル?この会場で屋台もいっぱい出ていたけれど、杏菜ちゃんみたいに20歳くらいの女の子いなかったように思う。気立ての良い笑顔の可愛い女の子でした。

 杏菜ちゃんと松村直登。

もう一人はアラブの怪人?身長が2m弱って言われているアスカさん。本人はでかい、でかいって日本人のみんなに言われるからかなり自分の身長の事を気にしていて本当の身長を言わないらしい。彼が作ってくれたのが中東のケバブサンド。これはスパイシーで松村も喜んで食べた。

 これがアスカさん。松村が背伸びして写真を撮ったが「でかい!本当にでかい。」にアスカさんまたもがっくし。(笑い)

アスカさんは普段、全然違う仕事をしているらしいが、こういうイベントの時だけ屋台で中東のサンドイッチを作るらしい。屋台の回転前に屋台を見に行ったら、牛さんのモモの肉がドーンとあって僕の屋台のイメージが変わった。ケバブもおいしかった。

写真を撮る時間がなくて写真はないけど、チョコバナナを売っていた屋台のお兄さんからもチョコバナナを頂き、僕はこの年になって初めてチョコバナナを食べさせてもらった。チョコとバナナを合うね!チョコバナナの屋台のお兄さんごちそうさまでした。

杏菜ちゃんやアスカさんやチョコバナナのお兄さんたちは、普通に作って持ってきてくれたけど僕ら被災者には本当にありがたく、避難所生活を経験したものだから、食べ物への感謝が身についていて本当にありがたかった。

松村も普段、話す相手が動物しかいないから写真展に来られた市民の人に写真を撮った状況などを説明し、いつもの数倍以上たくさん話した。

 写真展で説明する松村直登。

今日の最後に、横須賀市の後援で元気ハツラツフェスタが開催されているとのことで、横須賀市はやはり凄いな~と痛感しました。だから市民のみなさんも協力してくれるのだと本当に市民の皆様ありがとうございました。 






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会場に松村が来た。Part 2

2012-02-14 08:01:50 | 日記
NO-76
2月12日(日)のメインイベントは強制避難区域富岡町の松村直登と自民党の小泉進次郎議員が出会った事だ。小泉議員は前日に福島県入りし、同じ強制避難区域の浪江町から直接横須賀のフェステに向かい松村に会いにやって来てくれた。

 小泉さんと松村の握手シーン。小泉さんの被災地への思いががっちり握る手とまなざしでわかる。

 がっちり握手したあと佐藤昌久代表が小泉進次郎議員に、松村直登参加までの経緯を話す。

小泉さんは毎月11日を追悼の日に決めて被災地を回ると言ったそうだが、被災地出身者としてはありがたい。もう都会の方では風化してきているのではないか?と思うような事があるからだ。

それにしても小泉さんの人気は凄い!松村も言った「進次郎さんはいい男だな!あれじゃ女の子が黙ってないよな!」と、僕らもそう思った。彼が会場に着いたら人だかりで、ホントにおばちゃまは大フィーバーで一気に会場は盛り上がった。

 松村から写真の説明を受ける小泉進次郎議員。

 この日の演説が本当であって欲しい!これが僕の気持ちです。小泉議員のスピーチ姿と松村の一枚。

この日、小泉さんは「被災地を応援します。」と横須賀中央駅前広場のみんなの前で発してくれたけど、本当に力を貸してくれるだろうか?どこかの党の議員のように口ばかりでまたがっかりすることはないだろうか?もう裏切られるようなことのないように願う。

原発事故で仕事も家も失い、人生の生活設計を狂わせられていて、期待するのは国の政策しかない福島の被災者なのだ。弱者救済なんて口ばかりの政治はもういらない。本当に被災地・被災者を思う政策に期待する。

 「僕は動物たちと約束したから絶対に逃げない!」と訴えた松村直登。

それでも、横須賀は温かい。人がまず温かい。横浜に40年暮らす僕の友達の渡辺さんは「横須賀は人がやさしい!それだけでも凄い!」と感心しきりで、僕も横浜出身だが彼の言いたいことがよく分かった。

だって、写真を見て涙を流してくれるおじいさんとかお姉さんとか、おばさんとかいっぱいいたもの。小さいお子さんの募金は嬉しかった。手に握りしめて募金箱の前に来て、何も言わないで募金してくれるのだけど涙がでるほど嬉しかった。

 松村直登と小泉進次郎議員と支援者の人たちとの一枚。

横須賀万歳!横須賀最高!横須賀のみなさん、本当にありがとうございます。彼が(松村直登)言いました。「去年の3月11日から数えて11ヶ月を迎えて最高の一日だった」と。

募金をしてくれた横須賀市民の皆様へ。本当にありがとうございました。僕らは一生忘れません。この日、進次郎さん効果もあってか募金の金額は252,752円で2日間合計の募金金額が、400,304円でした。

佐藤昌久代表、各理事の皆様、各組合の皆様、そして横須賀市民の皆様、本当にありがとうございました。冬のこの時期に、本当に目を疑うような全ての光景でした。これからも松村ともども皆様に感謝して頑張っていきたいと思います。

明日もあさっても横須賀のこと書くことになりそうです。
















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会場に松村が来た!Part 1

2012-02-13 00:30:55 | 日記
NO-75
みなさんご無沙汰しまして、ごめんなさい!この4日間は前にも紹介した横須賀の元気ハツラツフェスタへのイベント準備と初参加に全力を賭けてブログをお休みさせて頂きました。

                   会場になった横須賀中央駅前広場

今日は2月11日の初日を振り返って書こうと思います。2月9日に「11と12日で30分講演を合計4回頼む!」と言われ、えっ!と固まった僕だったが逃げるに逃げられず、やるしかなくなり、いやぁホントに困った。

                  たくさんの人が写真を見て下さいました。

田舎者の僕に何を話せばいいのか?話したいことは山ほどあるけどうまく話せるか?と頭が少しパニクリました。(泣)1日目の2回分の構成を考えてこれとこれを話の中に盛り込もうとか?いろいろ迷い、早い流れに乗って時間だけが過ぎていった。

 僕に余裕がなく、いっぱいいっぱいでブースを飾る物の準備も頭に無く、心配してくれた佐藤昌久代表自ら作って用意してくださった案内掲示版。(感謝)

大勢の前で話すこともなくここまで来たものだから、本当に心配したけれど初日は何とかなり、被災地の動物写真展は大成功に終わった。松村本人が、その日の動物の餌を2日分与えてから、2時ごろに横須賀の会場に着き会場は大盛り上がりだった。

  写真の展示ボード。

何よりも横須賀の人がやさしくて、温かくてうれしかった。うちのかみさんや友人の渡辺氏にも手伝ってもらったけど、写真を見て涙を流してくれた人とか説明をよく聞いてくれた人とか、何よりも募金をたくさんの人がしてくれたのは本当にうれしかった。

                到着するなり、MCに捉まり会場での紹介を受け、このあと2時間の取材を受ける松村氏。佐藤代表と伊藤理事も一緒。

このイベントは熟成しているイベントであったから感心したし驚いたかな?元気ハツラツ明るいまちづくりの佐藤代表をはじめ、各役員の皆様、各組合の皆様、参加させていただきまして本当にありがとうございました。

                最終的には募金箱が3つになりました。

松村は着いてすぐに取材の対応に追われて、夕方5時まで取材のため会場にいなかったけれど本人を見たいという人が多く、この日は147,552円の募金を頂きました。横須賀市民の皆様、本当に感謝します。ありがとうございました。



可愛いよさこい戦士の舞台やベリーダンスの演舞やバンド演奏やらいろいろな催しがあり、屋台もたくさん出て冬なのにいい思い出のイベントになりました。うれしかったし、参加して本当に良かった。

NO-76は2日目で「松村さんは今回のこのイベントの目玉!」と佐藤代表が言ってくれたけど、その松村に会うためにわざわざ時間を取って会いに来てくれた自民党の小泉進次郎さんと松村の2ショットと、その日の出来事を書きたいと思いますのでみなさん待っていて下さい。
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白い犬の事。

2012-02-08 08:46:40 | 日記
NO-74
昨日、今までの被災地の写真の整理をしていたらどうしても気になる一匹の犬のことを思い出し、あの子は今どこで保護されているのか?知りたくなった。

100kg級の大物イノシシ用の罠に、左前足と左後足を挟まれて動けなくなっていたあの子の罠を外し、その後は彼がずっと餌を与えていた群れのリーダーの白い犬が気になりだした。

イノシシの罠は山に仕掛けられる。あの子も餌をくれる人間がいなくなったから食べ物を探しに山に入ったのか?僕には全く分からないのだが、そこへ松村直登がよく行ったと思う。



彼が罠を外してあげた時には、左前足はちゃんと付いていたと彼は言ったが、写真で見ると骨が見えて痛々しい。この子は足が無くなっても喧嘩が強く、他の群れの犬を寄せ付けないで自分の縄張りを守っていたらしい。

彼が多くの犬や猫に餌を与え続けた中で、罠に掛っていた唯一の犬だと思う。その後、たくさんの動物愛護団体のみなさんが強制避難区域の6町村に入り、犬や猫たちを保護してくれたから助かった。

 この子たちは前足の無い白いリーダーの群れの犬。

飼い主さんの元へみんな帰れただろうか?UKCジャパンの細さんのシェルターにも「双葉郡の犬や猫が多い。」って言ってたから帰れていない子たちも多いのだろうな~。

今でも、避難区域では新しい命が生まれている。犬や猫にとどまらず牛や豚など飼い主がいない動物が増えている状態だと思う。早く、何とかしなくちゃ!と考える松村直登をやはり、正しいと思わざるを得ない。

話は変わるが、このところかなり忙しく毎日ブログを更新するのが少し難しいので、何日かおきに更新させて頂きますのでよろしくお願いします。






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