ときぶーの時間

募金の受付先 東邦銀行 安積支店 普通0644994 名義がんばる福島
みなさんご支援宜しくお願いいたします。

あれから。

2012-02-22 10:09:44 | 日記
NO-82
震災後、去年の5月まで二か月半暮らしていた新宿の、娘に会いに久しぶりに行ってきた。東京は、やっぱ人が多くて便利なとこだなあ~。7畳一間に親子三人で暮らした泣き笑いの生活を思い出し、もうあれから一年が経とうとしているのかと車の中でしみじみと振り返った。

 新宿区大久保の韓国街。

娘はかみさんと携帯電話の店に入ってしまったから、1時間は車中で待つしかなかったのだが、再会して娘が開口一番に言った「お父さん、歳とったねえ~!」にはがっくし。

これは震災の影響ではないと思うが、いずれにせよ時間がないのに変わりはない。富岡町に帰ることを夢見て田村郡に避難している85歳と81歳の義父母にも時間がないし、富岡の動物たちの命を守っている松村にも時間がないのだ。

今年の春のお彼岸も墓参りも出来ずに、時間がだけがまた過ぎていくのだろう。そして今年の夏のお盆にも家族や親戚の人が集まれず、過ごさなければならないのだろうと思う。

東電本店は家があるのに帰れない暮らしがどんなに辛い事なのか分からない人間の集まりだと思う。僕は、被災地と被災者の事をこれからも書き続けていくだろう。そして、残された動物の命を守る松村直登の事も書いていく。

何が辛いって、自分の家があるのに帰れない事と、今帰っても元通りの町に戻らないという現実があることだ。僕は3月11日の震災時、サラリーマンを辞めて事業を起こすために準備していた。4月に立ち上げる予定でそのさなか原発事故で強制避難を余儀なくされたのだ。

東電が言うには「あなたは、その時に会社を辞めていたわけだし、事業を始めると言っても実績もないわけですよね。だから、あなたの補償は出来かねます。」と。最低限、サラリーマン時代の補償をしてくれと頼んだのだが、それもダメ。新しい事業の補償もせず、どちらの補償ももらえないのだ。

ひどい話で今まで長年苦労して作ってきた人脈も仕事も何もかも奪っておいて補償できないと一蹴りされた。あの事故さえなければ、町民も避難せず、会社だって僕の仕事だって無くなることもなかったのに、補償しないなら元の町に戻せ!と言いたいのだ。

どちらにしても、このことを海外のメディアにどんどん話して、日本の行政の在り方や今回の東電の誠意のなさを訴えていく。同年代の被災者は、仕事を探すも今までの給料の半分くらいの給料しかもらえないから、このままでは暮らせなくなると・・・・これが現実なのだ。

<iframe width="560" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/8_RnYkkf4WI?rel=0" frameborder="0" allowfullscreen></iframe> ユ-チューブ。瓦礫の中で生きる犬に餌を与える松村直登。

強制避難区域の松村は今日の朝、7時半頃電話をくれて「今、ある社長と会って牛の柵の件で頼みに来ている」と言っていた。彼も時間がない事を肌で感じて生きている人間の一人だ。全国のみなさん強制避難区域の町に残された動物を助ける松村とがんばる福島を応援してください。宜しくお願いします。
















コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

YouTube