ときぶーの時間

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諦めない!

2011-12-17 08:32:50 | 日記

NO-31
みなさん、おはようございます。今日の写真は、今年の6月頃の強制避難区域の富岡町に放たれた牛と動物たちの面倒を見ている松村氏の写真です。人なつこい牛もいて彼のレンズを覗き込む牛、意外と可愛いですよ。この頃は放射能で汚染された草がたくさんあって、牛の餌の心配が無い事が分かると思います。

3月から6月にかけて養牛業の人達が放し飼いにした牛は、400頭から秋の日の予測では500頭に増えたと言われ、町では11月頃からようやく牛の囲い込みが始まったのだが、予算が無く今年の冬の分の餌代しか無いということで彼は「どうするべ!」と頭をひねっていた。

このままでは来春に牛の命はなくなる、何としても方法や案を探さねば!と何日も真剣に考えて、ついにその答えを打ち出した。だが、それでなくても牛を殺してしまおうという人が多くて、普通に訴えても誰もうんと言わないだろうと彼はある行動に出た。

今まで8ヶ月以上も放射能で汚染された草を食べてきたのだから、牛の内臓の被曝はかなりのもので、どうせ汚染牛は肉牛の価値はなく、殺処分したとしても放射能汚染物扱いになってしまう。500頭の牛を処分するにも土の中に埋める事も出来ず焼却する事も出来ずにいるのに、やれ「殺処分だ!」といっている人の考えが僕にもわからない。

中間処理施設が作られていないのに、殺処分なんて出来るわけがないだろうと思うのだが・・・彼のように牛を殺さず生かして人間の力だけでは除染出来ない広大な土地で来春から生える草を食べてもらって、除染の手伝いをさせようと考えた方がまだ良いのではないか?牛だってこんな形で殺されるより生きていたいはず。

彼は今、町の問題になっている牛の糞を一箇所に集めれば今のような騒ぎにもならないし、放射能を確実に含んだ牛の糞をとても有名な研究所のY博士の研究したバイオ剤を使って、牛の糞の中で凝縮させその汚染物質のみ除去しようとY博士に提案した。これに博士も「これは、有りですね。」と快諾し、早速博士自身も動いてくれた。これが松村氏にとっても大きな逆転劇になった。

ここまでのプロセスが大変な道であったのだ。町長にも松村氏は面談し「この方法で牛を生かせないか?」「有名な研究所の博士を呼ぶから、話を聞いてくれないか?」と。町長も、そんな有名な研究所の博士なんか本当に呼べるのか?と、半信半疑というより最初は相手にしていないようだった。

博士は、すぐに計画書を作ってそれを持って単身で福島県に入り、富岡町の仮設の役場がある郡山に来てくれた。そして町長に松村氏のこの案を推してくれてやっと町長も「この案でいくから、みんなもそのように動いてくれ」とY博士と役場の幹部職員とこの案件を協議したみんなの前で言ってくれたのである。

Y博士が来てくれなかったら、お蔵入りの案件になり牛たちは殺されてしまうかも知れない。だから、僕もY博士には本当に感謝している。もちろん、役場職員と町長があの有名な研究所のY博士が来てくれた事に、びっくりしたのは言うまでもない。あの時は僕も驚いていたのだから。

彼の馬鹿力は、いつも諦めない気持ちの強さから発揮されるものであって、土壇場に強い男である。それが僕には羨ましく思える。彼は、どんな事があっても富岡町を離れないと言う。彼の思いは故郷富岡町が除染されて、みんなが町に戻って来て、今まで通りになることを夢見ているからだ。

だから、ろうそくを灯す暮らしでも少しも苦にしない。これからの福島は寒さも厳しくなるので、とにかく、健康には注意して欲しいと強く思う僕だった。




  












































コメント (3)
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