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何が間違っているのか? 何が正しかったのか?

2025年08月01日 | これから何が起きるのか?

 先に余談、8時半前に遠州灘が動いた。トカラを除いて震度1行進が20回以上続いていて、明らかに巨大地震パターンになっている。

 ここから本番
 私が70年を超えて生きてきて、日本社会を振り返ってみると、私の年代を境に、上の世代と下の世代では、文化的、思想的断絶があると感じてきた。
 人間は、環境によって左右され、洗脳される動物なので、私の世代で明らかに社会環境に巨大な変化があったのだ。

 そんな「環境の激変」、「影響を与えられる情報の変化」を思い起こすなら、それはテレビの存在である。
 テレビという受動的情報が、日本社会を変えた。人々の意識を変えた。
 テレビ放送が開始されたのは、1953年、私が生まれた年だった。
  https://shouene-kaden.net/try/kaden/tv.html

 我が家にテレビが入ったのは、新しもの好きだった父が、中古で買った白黒で、たぶんだが、1960年前だったような気がする。
 当時は、隣近所の付き合いも、まるで親戚みたいなものだったので、テレビが映ると近所の人が集まってきて大変だった。
 みんなが見たがったのはプロ野球と力道山のプロレスだった。うろ覚えだが、ブラッシーとの戦いで流血して、テレビ視聴者が卒倒したり、死亡したりしたニュースが流れた。

 それから、ミッチーの結婚式放送がカラーで流れて、カラーテレビが普及した。毎日の情報の大半が、それまで新聞から得ていたものが劇的にテレビに代わった。1964年の東京オリンピックは、カラーで視聴していたと思う。
 そのころになると、どこの家にもテレビが置かれて、我が家に人が集まらなくなっていた。

 時代は上り龍のような高度経済成長で、テレビの次は冷蔵庫、洗濯機と、毎月のように新しい電化製品が入ってきた。風呂も炊飯も、竈からガスに代わった。もしかしたら、日本史のなかで一番楽しい(生活の変化に興奮する)時代だったかもしれない。

 問題は、テレビの与えた影響だ。テレビのない時代は、ラジオがあったものの、時間つぶしは、新聞や雑誌の活字と、人との対話が中心だった。ところが、テレビが登場すると、対話時間や読書時間が劇的に減り、多くの時間をテレビ放送とともに過ごすライフスタイルに染まっていった。

 あらゆる情報が、対話や学校教育、宗教的集会のなかで行われていた時代、それは直接、人間が介在し、嘘が通用しにくい時代だった。
 活字メディアの影響も大きかった。人々の意識や思想を定めていた影響力の大きなメディアといえば、それは新聞だった。新聞は、信用を大切にしていたので、政治的な意識操作は、少なかったように思う。

 そして、それが1964年の全国的なテレビ普及のなかで、国民的情報メディアの核心がテレビに代わった。
 テレビが、人々に生きてゆく価値観を示し、教えるようになった。

 もちろん、戦前も、ラジオや新聞の力は大きかった。山縣有朋の主導した天皇制信仰教育は、主に、学校の修身授業や、神道系宗教集会のなかで行われた。
 日清日露戦争の勝利は、ラジオや新聞で大宣伝され、国民を興奮させ「神国日本」の優越意識を植え付けた。もし、この洗脳がなければ、私は太平洋戦争の悲劇もなかったと思う。

 しかし、1964年以降のテレビ放送の影響は、こうした活字メディアやラジオ、学校教育を大きく上回るものだった。
 1990年代にネットが勃興するまで、約30年のあいだ、テレビが作り出す価値観は日本社会を定める独壇場だった。
 何せ、人々のテレビに触れている時間が違う。多い人なら、朝起きてから寝るまで、テレビとともに人生を送るようになったのだ。

 人々は、テレビの情報に翻弄されるようになった。何もかもテレビの言うことが正しいと信ずるようになった。
 だが、高橋圭三も宮田輝も、引退後、自民党から出馬したことからわかるように、明確に保守自民党だった。テレビに登場する芸能人たちの元締めは、ジャニー喜多川のようなCIAが日本社会に送り込んだ工作員ばかりだったのだ。
 
 テレビに、岡林信康や加川良のような反戦的メッセージ、フォークシンガーが登場することは、ほとんどなかった。
 テレビに登場する人物を決めていたのは、アメリカのCIA本部、日米合同委員会のようなセクションだった。

 テレビ放送で、天皇制反対でも唱えようものなら、それは放送事故であり、声を上げた者は永久追放された。だから、野坂昭如も、大島渚も、村本大輔のような反体制的といわれる芸人たちも、誰一人、天皇制を口に出したことはない。
 そんな思想の人間は、絶対にテレビに出演させてもらえないのだ。
 ついでにいえば、「韓国は地獄の入口」と発言した冝保愛子は、電通の韓国人天皇、成田豊によって、メディア界から永久追放された。

 テレビは、日本の高度経済成長期の大衆の思想、価値観を定めたといってよい。それは資本主義を高揚させ、革新、共産主義、反体制派を日本社会から追放する目的で人々の洗脳に大きく寄与した。
 それは、私の世代より後の世代の思想・価値観を定めたといえる。

 それでは、私の世代よりも前の世代、明治、大正、戦前生まれ世代の価値観は、何が定めたのか?
 まずは学校教育の修身や道徳といった全体主義の洗脳が大きかった。だから。「お国のため」という理屈に騙されて、戦争に命を捧げることになった。

 しかし、情報が少ない時代なので、それぞれの価値観、人生観を定める情報の基本は、自分の周囲の人間との対話、体験であり、実際に起きている出来事を見ながら、自分のなかで正しいこと、間違っていることの価値観を定めることができた。
 国家や国際情勢、天皇制という抽象的な遠い世界の情報は少ないので、学校や地域の有力者から教えられた情報を、そのまま信じるしかなかった。

 テレビのない社会では、ずっと現実的な目の前の人間関係から人間観、人生観を定めることができた。両親の無私の愛情を、そのまま自分も引き継ぐことができた。
 だから、テレビのない時代に生まれた人たちは、自分の体験から、人生を「他人のために役立つ」こと、「縁の下の力持ち」として生きるという人生観を、普通に持つことができた。

 我々の世代が、古い世代と異なる点は、テレビが宣伝する利己主義的な生き方、地位や利権や、学歴、蓄財、名声を求める価値観に洗脳されている点である。
 どうしてもテレビが宣伝した、セレブな生き方、高級車や豪邸や、自分が見たこともない豪華な生活に憧れるような価値観が芽生えた。
 テレビ情報は、それらが、あたかも実在であるかのように教えたからだ。

 それから、1990年代になるとパソコン、ネット情報が普及するようになった。
 ここから、コンピュータが生成したバーチャルな情報を素直に受け取る世代が登場してきた。
 パソコンゲームやネットの情報は、現実世界とは乖離した空想的なものが多い。子供たちが、非現実的な創造された情報に接していると、それを現実と錯覚するような価値観が成立してしまう。

 そこで、1990年以降に育った人たちには、バーチャル世界と、目の前の世界との区別がつきにくい、妄想を信じてしまう者が出てきた。
 一般道路を時速200Kmで走行してみたり、簡単に人殺しをしてしまう人たちは、このような作られた架空の世界によって生成された人生観、価値観を洗脳されてしまった者が多い。

 それは、例えばプーチンが21世紀になって起こした侵略戦争とか、トランプが、自分の大統領選挙に利用したQアノンやピザゲートの情報がそうだ。
 日本人でも、深田萌絵とかLA警察官ゆりとかのコンテンツを見ていると、容易に架空情報を信じて、トランプを礼賛する姿に驚かされる。

 宇山卓栄とかいう人物の、まともな根拠が存在しないでDNA解析だけ持ち出して、ハザール国アシュケナージ説を否定するコンテンツに、私は驚愕してしまった。騎馬民族征服王朝説も軽薄なDNA論で否定され、天皇制の万世一系論の根拠にされているが、DNA系統論、由来論など、まだ証明されていない。
 https://www.youtube.com/watch?v=SFJgdeM7FDo

 私のユダヤ問題は、すでに半世紀以上前からの安部芳祐、宇野正美や岡村明彦らの知識を土台にしているのだが、「約束の地」問題や「タタールの軛」さえ知らない宇山や深田が、DNAを持ち出して浅薄に否定する姿に、これがゲーム世代の思考法なのだと思った。
 
 1990年以降のゲーム世代の情報収集力は、真偽不明の膨大な情報が一瞬で手に入るネット環境のなかで、短絡的に取り入れたものが多く、たくさんの情報との整合性や検証性に欠けるものが多い。
 あまりに情報が多いので、直観に頼ることになるが、架空情報の洪水のなかで、何が本当に正しい道なのか、自分の人生体験のなかから選ぶことが困難だ。

 今、ニュースを見渡しても、実に短絡的思考の犯罪ばかりが目に付く。それは、人生の体験そのものが、バーチャル化しているからではないか?
 真偽の定まらない、架空の情報の洪水に溺れて、何が正しいのか、間違っているのか見極められない人が増えている。

 本当に人生に必要なことは、困難を感じる実体験の集積である。知識の多寡ではない。
 たくさんの歩行経験も持たないまま燕岳に登って、小物を落として降りたら稜線に登り返せなくて救援要請をしたニュースが流れた。
 https://news.yahoo.co.jp/articles/6157b65187a8ba359ae77409cc43d20842756030

 この人は41歳なので、ちょうどネット・バーチャル世代なのだが、ろくな経験もないままバーチャル情報だけを頼りに、自分の実力も理解できないまま登ってしまったようだ。
 私の眼には、バーチャル世代の軽薄な判断力、人生観による犯罪や失敗行動が無数に目についている。

 私だって、ずいぶんたくさんの失敗をしているが、他人を安易に批判したり、自分を正当化したり、バーチャル情報だけで行動することはない。
 この世代は、不確実な知識で、他人を浅薄に批判する傾向があると思う。
 それは、実際の人生で困難な体験を、たくさん経験していないからだ。表面的な情報だけで判断するからであり、実体験と人間性の薄さが失敗を招いている。

 今回のブログは、何が正しかったのか? 何が間違っていたのか? という主題だ。
 私以前の世代、私以降の世代、そして1990年のネット社会のバーチャル情報に影響を受けている世代について、少しだけ書いた。

 私以前の世代は、自分の人間関係の体験の上に、人生観、世界観を積み上げている。彼らは、基本的に「人間を大切にする」という実体験から導かれた価値観の上にいる。
 だから、その人生観は、「縁の下の力持ち人生」を許容し、覚悟するものだ。
 この価値観のおかげで、日本社会が繁栄している現実を知るべきだ。
 だが、多くの人が、この社会から離脱する年代に差し掛かっている。

 我々の世代は、自分自身の人生体験と、テレビがもたらした価値観の情報が混在していて、人を大切にする姿勢から逸脱してしまっている人が多い。
 しかし、基本は、実体験こそ人生の基礎であることを思い知らされている。
 テレビという情報社会がもたらしたものは、宗教団体による洗脳に似ている。それは社会を是正してゆく正しい情報とはいえない。

 ネット時代のバーチャル情報社会に影響を受けている世代は、ネットで創造された架空の情報と、現実社会の厳しさとの間にひどい乖離があるのに、その見極めがつかない人が多い。
 だから、簡単に、詐欺にすぎない出会い系サイトに騙されて人生を失うことが増えている。

 ネット情報はバーチャルな架空情報しかなく、その背後には「金儲け」や「性欲を満たす」という現実的な理由がある。ウソが飛び回る世界なのだ。
 だから、まともな人生観を求めたいなら、バーチャル世界など信用してはいけない。ネットは嘘のかたまりだ。

 ITやAIなどという虚構情報に騙されていては、人生を他人に利用されるだけだ。この世界には、金儲けと性欲しかないことを知るべきだ。
 本当に必要なことは、目の前に出てきた情報の真偽を見極める実力と人間性を持つことだ。

 そのために必要なことは、登山のような苦しい実体験、介護のような精神性を問われる仕事、そして清掃や食事作りといった、社会の基礎をなす仕事の体験を積み上げ、何が真実なのか、何がウソなのか、実体験を土台にして、瞬時に見極める能力を獲得することだと私は思う。


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