3.11 「原発賠償」がもうすぐ時効に…8年間、東電と戦った弁護士のある憤り
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/78087
東北地方を中心に甚大な被害をもたらした東日本大震災から、来年3月11日で10年を迎える。
これまでに確認された死者・行方不明者は約1万8400人にのぼり、避難生活などで体調を崩し亡くなった「震災関連死」も含めると、犠牲者は2万2000人を超える。被災地の多くが急速に進む過疎や高齢化に直面している。
被害は津波だけではない。東京電力福島第一原発事故の影響が色濃く残る福島県は今も、約3万人が県外で避難生活を送り、県内に残った人たちも風評被害や東電による賠償といった難題を抱えている。
現在、「相馬ひまわり基金法律事務所」に所属する平岡路子弁護士(38)は、2013年1月に同県相馬市に赴任後、原発事故によって急速に進んだ過疎化や、高齢化といった問題に直面する被災地で、被害を受けた住民らの支援を続けてきた。その8年に及ぶ活動と今後の課題について聞いた。
「被災地の支援に携わりたい」
司法修習を終え、神奈川県横浜市の弁護士事務所で勤務していた駆け出し時代に、平岡さんは被災者支援のため福島への赴任を希望した。まだ、原発事故の記憶が強く残る時期だけに、周囲からは反対する声も少なくなかった。
2013年3月の福島第一原発4号機前
「司法修習は石川県金沢市だったのですが、その頃から「法律に詳しくない人たちに寄り添う」のが、自分の性に合っていると思うようになりました。
弁護士の少ない司法過疎地に赴任する前提で当時所属していた事務所に就職しました。東日本大震災の被災地も、元々弁護士の少ない地域が多くあります。
そこで、先輩に「被災地の支援に携わりたい」と相談したところ、「これからは原発事故のあった福島で弁護士が必要になる」と助言をもらったんです。
ただ、当時はまだ多くの人が「放射能による健康被害が怖い」というイメージを持っていた時期。私も子どもを産む前だったので、『将来子供を産むのに大丈夫か』とか、『福島以外の被災地ではダメなのか』と心配されました」
当初は、周囲からは心配の声も上がっていたが、そんな平岡さんの決断を後押ししたのが、自身の阪神・淡路大震災で被災した体験だった。
阪神淡路大震災、地震直後の上空からの様子
「父の仕事の関係で子ども時代は兵庫県神戸市で過ごし、小学校6年生で震災を経験しました。当時家族で住んでいた社宅は、倒壊した阪神高速道路の近くの東灘区内でした。
あの日の朝、家のドアを開けたら今まで知っていた風景が無くなっていた光景は、今も脳裏に焼き付いています。通学途中によく挨拶をしていた仲の良いおばあさんが、倒壊した隣の家を指して、『さっきまで中から声が聞こえていたのに…』と言った言葉が心に残っています。
震災後、県外の学校に仮入学したのですが、『いっぱい揺れて楽しかったんでしょう』など、同級生の何気ない言葉に傷つき、一時不登校になってしまいました。一方で、神戸に戻ってからはボランティアの人や、チャリティーオーケストラといった支援がとても嬉しかったんです。
その後すぐに父の仕事で関東へ引っ越し、自分自身が震災後の復興に何ら関われていないということにも負い目がありました。その時を思い出し、『やっぱり被災地の外では分からないことがある。自分が行くことで誰かの手助けができるなら』と、相馬市への赴任を決断しました」
1人あたり月に10万円の賠償請求
単身で福島に移住後は、市役所での無料相談などを通じ、被災者の法律支援を始めた平岡さん。赴任から1年ほどたった13年末、大きな仕事を任された。
相馬市玉野地区の住民ら139世帯419人が、東京電力に慰謝料増額を求めた裁判外紛争解決手続き(原発ADR)の集団申し立てを担当したのだ。
『原発ADR』とは、原発事故の賠償に関する指針を策定する、国の「原子力損害賠償紛争審査会」の下部組織「原子力損害賠償紛争解決センター」(=ADRセンター)による紛争解決手続きだ。
簡便な手続きで原発被災者の早期救済を図るためのもので、東京電力との直接交渉が不調に終わった場合などに被災者がADRセンターに申し立てを行い、調査官が被災者と東電から提出される証拠を整理する。
その後、そのf証拠をもとに、仲介委員が和解案を作成し、被災者と東電の双方が合意すれば和解が成立する。東電は事故直後、「和解案を尊重する」との方針を掲げていた。
「玉野地区は相馬市西端の山あいの集落です。一時全域が避難区域になった飯舘村に隣接して、高い放射線量を計測するなど、相馬市の中でも原発事故の影響が大きかった地域です。震災の起きた年の6月に、地区に住む酪農家の男性が『原発さえなければ』と書き置きを残し、亡くなってしまう悲劇的な出来事も起こっています。
住民は精神的苦痛や農地や山林の汚染の賠償として1人あたり月に10万円の賠償を求めました。
しかし、ADRセンターが、『事故が起きた2011年に限り、事故当時19歳以上の玉野地区の在住者1人あたりに最大20万円を上乗せする』とした和解案を示すのは、申し立てから4年後の18年10月までずれ込みました。東電が和解案を拒否するケースが増え、センターが慎重になり、住民の被った被害の詳細な証明が求められたからです。
この間、地区の中でもお子さんのいるご家庭などは避難先から戻ることなく、住民の人数は大きく減ってしまい、小学校や中学校も廃校になってしまいました。
自然豊かな環境で、自分たちの作った物や野生の山草、キノコなどを自分たちで収穫して食べる生活が失われ、自分たちが作った野菜やキノコ料理等を交換しながら作ってきたコミュニティも奪われ、過疎化が急速に進んでしまったんです。
私が思っていた以上に、原発事故の影響が生活のさまざまな所に出ていると思い知らされました」
東電の表明
しかし、東電はこの玉野地区の和解案を4度にわたって拒否し続けたため、ADRセンターは昨年12月19日付けで、住民らの申し立てを打ち切った。ADRセンターですら、東電の拒否を「合理的な理由が何らない」と指摘したが、東電の対応は覆らなかった。
平岡さんら弁護団はADRセンターのこの打ち切りにすぐさま動き、12月23日に「和解仲介手続きの打ち切りにより、住民の被害は何ら救済されず、救済されるためには、被害者が別途法的手続きを取らなければならない」と抗議声明を出した。
現状では住民が受け取れる精神的損害の賠償金は大人は一律で8万円、子供や妊婦は48万円にとどまる。
この事例からも分かるよう、福島第一原発事故の賠償問題は、現状では「解決済み」とはほど遠い。しかし、震災から10年を境に、事故の被害者が新たに損害賠償を求めて提訴しても、請求が認められなくなる恐れがあるのだという。
福島第一原発事故で生じた損害賠償の請求権の時効が、現行の法律では『損害及び加害者を知った時から10年間』と定められています。
当初、時効期間は一般の交通事故などと同じく、『3年間』でしたが、13年12月に特例法が施行され10年間に延長された経緯があります。その後、現在に至るまで再延長の動きはほとんど出ていません。
法律上は、賠償義務者である東電が時効の完成を主張(法律用語で「時効の援用」)しなければ、時効の効果は適用されません。現在のところ、東電は時効について、「個別の事情を踏まえて柔軟な対応をする」と表明しています。また、特別事業計画にも、その旨を入れ込むと表明しているようです。
しかし、玉野地区の賠償金増額の申し立てのように、事故直後は『拒否することはない』と言い、現在の特別事業計画でも「和解案の尊重」をうたっている原発ADRに基づくセンターの和解案を東電が拒否するケースも増えいます。
前述したとおり、玉野地区の和解案に対しては、センターから「合理的な理由がない」と言われながらも、拒否し続けたという「前科」があります。
個別の請求に対して10年の時効を主張してくるケースが出てくることは充分に考えられますし、これまでの東京電力の対応を被害者側から見てきた私からすると、特別事業計画に時効について何らかの文言を入れ込んだとしても、本当に東京電力が時効の完成を主張することがないのか、大きな疑問を持っています。
例えば、慣例的に長男が家を継いでいたが親族間で賠償を巡って意見の相違があり、相続協議が終わらなかったり、避難中に離婚した配偶者の同意がえられなかったりなど、さまざまな理由でいまだに賠償請求が出来ない方は少なからずいます。
仮に東電が10年間の時効の完成を主張すれば、こういった方々が救済される機会を奪ってしまいかねない。「どうせ請求しても無駄だ」。そんな風に被災者の諦めを促し、東電の逃げ得を許してしまうのではないかと強い憤りを感じます」
原発事故による損害賠償を求めた住民の集団訴訟を巡っては、仙台高裁が今年9月30日に、東電だけでなく国の責任を認める判決を下し、原告3550人に総額10億1000万円の支払いを命じた。
賠償額は避難区域で10万円から300万円の上積みを認定し、一審では認められなかった福島県会津地方の一部など避難指示基準を下回る地域にも賠償の対象を広げており、同種訴訟への影響が注目される。
「国と東電は仙台高裁の判決を不服として上告していますので、判決が確定するのは来年の3月11日以降になると思われます。仮に最高裁でこれまでの賠償から上乗せを命じる判決が出ても、その後に提訴した人は、東電から10年の時効の完成を主張され、請求が認められない可能性があるのです。
「原発事故の被害は本当に賠償済みなのか」。個人的には原発事故の賠償に関しては、あまりに被害が広範囲に及んでいる上に長期化しているので、時効は撤廃すべきだと考えていますが、震災から10年を前に、議論が活発になることを期待しています」
福島に恩返しをしたい
平岡さんは年内いっぱいで相馬市を離れ、来年から同じく弁護士の夫と共に富山県滑川市で「滑川ふたば法律事務所」を開設する予定だ。
2016年4月からは夫も今の相馬の事務所で働いていましたが、この度、夫婦共に任期が満了したため、夫の実家の富山市の近くに拠点を置くことにしました。
ドメスティックバイオレンスやセクシャルハラスメントの被害者の中には、男性の弁護士には相談しにくいという方もいらっしゃると思います。滑川市には、これまで法律事務所がなく、周囲の地域を含めても女性弁護士が少ない地域ですので、そういった方々の助けになるような仕事をしたいです。
平岡路子弁護士
「今まで言葉に出来なかったけど、ずっとつっかかっていたことが話せてすっきりした」。そんな手紙を、打ち合わせの最中にいただいたり、8年間過ごした相馬の人たちは、いったん中に入っていくと分け隔て無く人なつっこくなる方ばかりでした。
ただただ、震災にうちひしがれているのではなく、地域のプライドや伝統を守る姿勢にはとても感銘を受けました。そういった人の温かさや伝統の重み、地域コミュニティの強さなど、この地域にいたからこそ、実感できたこと、経験させて頂いたことがたくさんあります。
そういった方に避難元の情報を提供したり、お話を伺ったり、また全国各地の避難者等の支援者とも連携するなどして、今後も福島に関わっていこうと思っています。それが8年過ごした福島への恩返しだと考えています」
こう話す平岡さんの決意は固い。
****************************************************************:
引用以上
東京電力というのは、極めて悪質な放射能加害業者である。
上の文書内にあるADR=原発事故の賠償に関する指針を策定する、国の「原子力損害賠償紛争審査会」の下部組織「原子力損害賠償紛争解決センター」(=ADRセンター)による紛争解決手続きによって、一括して原発事故被害の賠償を行うと表明しながら、ADR申し立てによる解決を、ほとんどまともに認めずに、拒否を繰り返すことで、ずるずると時間稼ぎし、最終的に10年の時効を待って、被害申し立てを拒絶するという悪意に満ちた方針を立てているのは確実だ。
現在の東電経営陣の頭にあるのは、被害の紛争解決を徹底的に引き延ばし、時効を利用して解決を拒否して賠償を頬被りし、東電の株価を下げないことで、自分たちの退職金を確保することだけだろう。
すべてのフクイチ事故紛争を、できるだけ安く上げて、株価を維持することだけが、東電現経営陣の利権を守ることだと頑なに思い込み、事故を引き起こした反省、事故被害者に対する同情、思いやりなど絶無だ。
だから、ストロンチウム90が㍑数十万ベクレルも含まれた超絶汚染水をトリチウム汚染水と偽って海洋に流して解決したつもりになろうとしている。メディアもそれに欺されている。
もしも本当にトリチウム汚染水なら、廃棄タンカーを原発港に係留して100年間保管すれば自然に放射能は消えてしまう。新しくタンクを作る必要もない。
タンカーを100年間係留保管するのは難しくない。例えば名古屋港に、南極観測船、富士が海上係留され公開されているが、これは1965年建造後60年近く経ている。現在も何も問題は起きていないので、まだ数十年は係留公開が続くだろう。
東京海洋大学に置かれている明治丸は、実に1874年製、現在まで150年近く生きている。腐食問題を解決できれば、100年海上保管など、全然、大きな問題はない。
つまり、東電は、本気で事故を解決する気などサラサラなくて、紛争引き延ばし、時効成立による賠償拒否だけが目的になっている。
なぜ、こうなるかというと、実は、原発事故による放射能被害が本当に顕在化するのは、事故から10年以上かかるのだ。
乳癌・前立腺癌・膵臓癌はじめ、大半の被曝癌の潜伏期間が10年といわれている。
だから10年での時効賠償拒否を東電は最初から狙っていた。ADRによる紛争解決を拒否して長引かせ、訴訟に持ち込ませない手口も、潜伏期間を重々承知しての汚い思惑である。
私は、一昨日書いた以下のブログ記事、
目に留まったサイトから 「人に言われたことしかできない人間に……」 2020年12月10日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1337.html
のなかで指摘されている、放射線被曝による中枢神経損傷の事例を読んでいて、背筋が寒くなった。
すべての症状が私と一致しているのだ。私自身は放射線被曝ではなく老化現象と勘違いしていた。だが、この符合は、私自身が福島に8回訪れて汚染土壌を調査したことによる、「気づかない被曝」だったのだ。
危機感の大きな減退。
時刻感覚の減退。
食欲の増大。
ステップワイズな複雑な思考の回避。
味覚の変化。
感情の鈍化。
開放感(遊び)への欲求の増加。
転びやすい。
計画性の減少。
複雑な文の回避。
単純ミスの増加。
短期記憶力の減退。
長期記憶の取り出しの失敗。
甘えと自己主張の増加。
他人の感覚への共感の減退。
状況把握の鈍化。
滑舌がわるくなる。
何もかも当たっている。これは私のために書いたのだろうか? と思うほどだ。
【 脳への障害は、第一歩は、脳内で血管の多い体積あたりの血液量が多い部分が、血液からのβ線(セシウム・ストロンチウム)で機能低下が起きてきます。
神経線維の近傍で電離作用が起きれば、神経が偽信号を発生しますので、機能が低下するのです。Csは、神経にも取り込まれやすいですし。この最初の症状は、基本人格の増強です。尊大な人はより尊大になり、神経質な人は余計に神経質になります。
一方では、不安が減り、食欲が増進し、他人の感情への共感が減り、時刻感が失われてきます。合理的思考ができなくなります(もともと意識してそうしなければ大して合理的に推理などしてませんが)。それから記憶の長期化の阻害、一時健忘、速度感の喪失、一時的にボーとする。
粗暴化。性欲亢進。重要度による物の重み付けの欠如。頑固。ルーチンへのこだわり。高齢者では、認知症の悪化。足が攣りやすい。刺激時に体が硬くなって、骨折捻挫をしやすくなる。初期は、興奮しやすくなり、後に刺激に鈍感になる。精神疾患の増加。遊びたがる。などがおきます。】
フクイチ事故では、日本人の半数が被曝した疑いがあり、関東圏東北圏では、上に述べた症状が極めて重い人が無数にいて、(例えば飯塚上級国民)それは「認知症」であるかのように誤解されているが、実は違う! それは放射能被曝なのだ。
確かに、この数年、関東東北における認知症老人の事故が激増しているが、以前は、こんなにひどくなかった。
これらのエビデンスが明らかになったときは、東電は現在の数千倍の負債責任を背負い込むことになる。だから、なんとかして時効責任拒否に逃げ込みたいのだ。
あなたは、上の被曝中枢神経障害に当てはまらないか?
老化だとばかり思っていたら、そうではない、被曝だったのだと……。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/78087
東北地方を中心に甚大な被害をもたらした東日本大震災から、来年3月11日で10年を迎える。
これまでに確認された死者・行方不明者は約1万8400人にのぼり、避難生活などで体調を崩し亡くなった「震災関連死」も含めると、犠牲者は2万2000人を超える。被災地の多くが急速に進む過疎や高齢化に直面している。
被害は津波だけではない。東京電力福島第一原発事故の影響が色濃く残る福島県は今も、約3万人が県外で避難生活を送り、県内に残った人たちも風評被害や東電による賠償といった難題を抱えている。
現在、「相馬ひまわり基金法律事務所」に所属する平岡路子弁護士(38)は、2013年1月に同県相馬市に赴任後、原発事故によって急速に進んだ過疎化や、高齢化といった問題に直面する被災地で、被害を受けた住民らの支援を続けてきた。その8年に及ぶ活動と今後の課題について聞いた。
「被災地の支援に携わりたい」
司法修習を終え、神奈川県横浜市の弁護士事務所で勤務していた駆け出し時代に、平岡さんは被災者支援のため福島への赴任を希望した。まだ、原発事故の記憶が強く残る時期だけに、周囲からは反対する声も少なくなかった。
2013年3月の福島第一原発4号機前
「司法修習は石川県金沢市だったのですが、その頃から「法律に詳しくない人たちに寄り添う」のが、自分の性に合っていると思うようになりました。
弁護士の少ない司法過疎地に赴任する前提で当時所属していた事務所に就職しました。東日本大震災の被災地も、元々弁護士の少ない地域が多くあります。
そこで、先輩に「被災地の支援に携わりたい」と相談したところ、「これからは原発事故のあった福島で弁護士が必要になる」と助言をもらったんです。
ただ、当時はまだ多くの人が「放射能による健康被害が怖い」というイメージを持っていた時期。私も子どもを産む前だったので、『将来子供を産むのに大丈夫か』とか、『福島以外の被災地ではダメなのか』と心配されました」
当初は、周囲からは心配の声も上がっていたが、そんな平岡さんの決断を後押ししたのが、自身の阪神・淡路大震災で被災した体験だった。
阪神淡路大震災、地震直後の上空からの様子
「父の仕事の関係で子ども時代は兵庫県神戸市で過ごし、小学校6年生で震災を経験しました。当時家族で住んでいた社宅は、倒壊した阪神高速道路の近くの東灘区内でした。
あの日の朝、家のドアを開けたら今まで知っていた風景が無くなっていた光景は、今も脳裏に焼き付いています。通学途中によく挨拶をしていた仲の良いおばあさんが、倒壊した隣の家を指して、『さっきまで中から声が聞こえていたのに…』と言った言葉が心に残っています。
震災後、県外の学校に仮入学したのですが、『いっぱい揺れて楽しかったんでしょう』など、同級生の何気ない言葉に傷つき、一時不登校になってしまいました。一方で、神戸に戻ってからはボランティアの人や、チャリティーオーケストラといった支援がとても嬉しかったんです。
その後すぐに父の仕事で関東へ引っ越し、自分自身が震災後の復興に何ら関われていないということにも負い目がありました。その時を思い出し、『やっぱり被災地の外では分からないことがある。自分が行くことで誰かの手助けができるなら』と、相馬市への赴任を決断しました」
1人あたり月に10万円の賠償請求
単身で福島に移住後は、市役所での無料相談などを通じ、被災者の法律支援を始めた平岡さん。赴任から1年ほどたった13年末、大きな仕事を任された。
相馬市玉野地区の住民ら139世帯419人が、東京電力に慰謝料増額を求めた裁判外紛争解決手続き(原発ADR)の集団申し立てを担当したのだ。
『原発ADR』とは、原発事故の賠償に関する指針を策定する、国の「原子力損害賠償紛争審査会」の下部組織「原子力損害賠償紛争解決センター」(=ADRセンター)による紛争解決手続きだ。
簡便な手続きで原発被災者の早期救済を図るためのもので、東京電力との直接交渉が不調に終わった場合などに被災者がADRセンターに申し立てを行い、調査官が被災者と東電から提出される証拠を整理する。
その後、そのf証拠をもとに、仲介委員が和解案を作成し、被災者と東電の双方が合意すれば和解が成立する。東電は事故直後、「和解案を尊重する」との方針を掲げていた。
「玉野地区は相馬市西端の山あいの集落です。一時全域が避難区域になった飯舘村に隣接して、高い放射線量を計測するなど、相馬市の中でも原発事故の影響が大きかった地域です。震災の起きた年の6月に、地区に住む酪農家の男性が『原発さえなければ』と書き置きを残し、亡くなってしまう悲劇的な出来事も起こっています。
住民は精神的苦痛や農地や山林の汚染の賠償として1人あたり月に10万円の賠償を求めました。
しかし、ADRセンターが、『事故が起きた2011年に限り、事故当時19歳以上の玉野地区の在住者1人あたりに最大20万円を上乗せする』とした和解案を示すのは、申し立てから4年後の18年10月までずれ込みました。東電が和解案を拒否するケースが増え、センターが慎重になり、住民の被った被害の詳細な証明が求められたからです。
この間、地区の中でもお子さんのいるご家庭などは避難先から戻ることなく、住民の人数は大きく減ってしまい、小学校や中学校も廃校になってしまいました。
自然豊かな環境で、自分たちの作った物や野生の山草、キノコなどを自分たちで収穫して食べる生活が失われ、自分たちが作った野菜やキノコ料理等を交換しながら作ってきたコミュニティも奪われ、過疎化が急速に進んでしまったんです。
私が思っていた以上に、原発事故の影響が生活のさまざまな所に出ていると思い知らされました」
東電の表明
しかし、東電はこの玉野地区の和解案を4度にわたって拒否し続けたため、ADRセンターは昨年12月19日付けで、住民らの申し立てを打ち切った。ADRセンターですら、東電の拒否を「合理的な理由が何らない」と指摘したが、東電の対応は覆らなかった。
平岡さんら弁護団はADRセンターのこの打ち切りにすぐさま動き、12月23日に「和解仲介手続きの打ち切りにより、住民の被害は何ら救済されず、救済されるためには、被害者が別途法的手続きを取らなければならない」と抗議声明を出した。
現状では住民が受け取れる精神的損害の賠償金は大人は一律で8万円、子供や妊婦は48万円にとどまる。
この事例からも分かるよう、福島第一原発事故の賠償問題は、現状では「解決済み」とはほど遠い。しかし、震災から10年を境に、事故の被害者が新たに損害賠償を求めて提訴しても、請求が認められなくなる恐れがあるのだという。
福島第一原発事故で生じた損害賠償の請求権の時効が、現行の法律では『損害及び加害者を知った時から10年間』と定められています。
当初、時効期間は一般の交通事故などと同じく、『3年間』でしたが、13年12月に特例法が施行され10年間に延長された経緯があります。その後、現在に至るまで再延長の動きはほとんど出ていません。
法律上は、賠償義務者である東電が時効の完成を主張(法律用語で「時効の援用」)しなければ、時効の効果は適用されません。現在のところ、東電は時効について、「個別の事情を踏まえて柔軟な対応をする」と表明しています。また、特別事業計画にも、その旨を入れ込むと表明しているようです。
しかし、玉野地区の賠償金増額の申し立てのように、事故直後は『拒否することはない』と言い、現在の特別事業計画でも「和解案の尊重」をうたっている原発ADRに基づくセンターの和解案を東電が拒否するケースも増えいます。
前述したとおり、玉野地区の和解案に対しては、センターから「合理的な理由がない」と言われながらも、拒否し続けたという「前科」があります。
個別の請求に対して10年の時効を主張してくるケースが出てくることは充分に考えられますし、これまでの東京電力の対応を被害者側から見てきた私からすると、特別事業計画に時効について何らかの文言を入れ込んだとしても、本当に東京電力が時効の完成を主張することがないのか、大きな疑問を持っています。
例えば、慣例的に長男が家を継いでいたが親族間で賠償を巡って意見の相違があり、相続協議が終わらなかったり、避難中に離婚した配偶者の同意がえられなかったりなど、さまざまな理由でいまだに賠償請求が出来ない方は少なからずいます。
仮に東電が10年間の時効の完成を主張すれば、こういった方々が救済される機会を奪ってしまいかねない。「どうせ請求しても無駄だ」。そんな風に被災者の諦めを促し、東電の逃げ得を許してしまうのではないかと強い憤りを感じます」
原発事故による損害賠償を求めた住民の集団訴訟を巡っては、仙台高裁が今年9月30日に、東電だけでなく国の責任を認める判決を下し、原告3550人に総額10億1000万円の支払いを命じた。
賠償額は避難区域で10万円から300万円の上積みを認定し、一審では認められなかった福島県会津地方の一部など避難指示基準を下回る地域にも賠償の対象を広げており、同種訴訟への影響が注目される。
「国と東電は仙台高裁の判決を不服として上告していますので、判決が確定するのは来年の3月11日以降になると思われます。仮に最高裁でこれまでの賠償から上乗せを命じる判決が出ても、その後に提訴した人は、東電から10年の時効の完成を主張され、請求が認められない可能性があるのです。
「原発事故の被害は本当に賠償済みなのか」。個人的には原発事故の賠償に関しては、あまりに被害が広範囲に及んでいる上に長期化しているので、時効は撤廃すべきだと考えていますが、震災から10年を前に、議論が活発になることを期待しています」
福島に恩返しをしたい
平岡さんは年内いっぱいで相馬市を離れ、来年から同じく弁護士の夫と共に富山県滑川市で「滑川ふたば法律事務所」を開設する予定だ。
2016年4月からは夫も今の相馬の事務所で働いていましたが、この度、夫婦共に任期が満了したため、夫の実家の富山市の近くに拠点を置くことにしました。
ドメスティックバイオレンスやセクシャルハラスメントの被害者の中には、男性の弁護士には相談しにくいという方もいらっしゃると思います。滑川市には、これまで法律事務所がなく、周囲の地域を含めても女性弁護士が少ない地域ですので、そういった方々の助けになるような仕事をしたいです。
平岡路子弁護士
「今まで言葉に出来なかったけど、ずっとつっかかっていたことが話せてすっきりした」。そんな手紙を、打ち合わせの最中にいただいたり、8年間過ごした相馬の人たちは、いったん中に入っていくと分け隔て無く人なつっこくなる方ばかりでした。
ただただ、震災にうちひしがれているのではなく、地域のプライドや伝統を守る姿勢にはとても感銘を受けました。そういった人の温かさや伝統の重み、地域コミュニティの強さなど、この地域にいたからこそ、実感できたこと、経験させて頂いたことがたくさんあります。
そういった方に避難元の情報を提供したり、お話を伺ったり、また全国各地の避難者等の支援者とも連携するなどして、今後も福島に関わっていこうと思っています。それが8年過ごした福島への恩返しだと考えています」
こう話す平岡さんの決意は固い。
****************************************************************:
引用以上
東京電力というのは、極めて悪質な放射能加害業者である。
上の文書内にあるADR=原発事故の賠償に関する指針を策定する、国の「原子力損害賠償紛争審査会」の下部組織「原子力損害賠償紛争解決センター」(=ADRセンター)による紛争解決手続きによって、一括して原発事故被害の賠償を行うと表明しながら、ADR申し立てによる解決を、ほとんどまともに認めずに、拒否を繰り返すことで、ずるずると時間稼ぎし、最終的に10年の時効を待って、被害申し立てを拒絶するという悪意に満ちた方針を立てているのは確実だ。
現在の東電経営陣の頭にあるのは、被害の紛争解決を徹底的に引き延ばし、時効を利用して解決を拒否して賠償を頬被りし、東電の株価を下げないことで、自分たちの退職金を確保することだけだろう。
すべてのフクイチ事故紛争を、できるだけ安く上げて、株価を維持することだけが、東電現経営陣の利権を守ることだと頑なに思い込み、事故を引き起こした反省、事故被害者に対する同情、思いやりなど絶無だ。
だから、ストロンチウム90が㍑数十万ベクレルも含まれた超絶汚染水をトリチウム汚染水と偽って海洋に流して解決したつもりになろうとしている。メディアもそれに欺されている。
もしも本当にトリチウム汚染水なら、廃棄タンカーを原発港に係留して100年間保管すれば自然に放射能は消えてしまう。新しくタンクを作る必要もない。
タンカーを100年間係留保管するのは難しくない。例えば名古屋港に、南極観測船、富士が海上係留され公開されているが、これは1965年建造後60年近く経ている。現在も何も問題は起きていないので、まだ数十年は係留公開が続くだろう。
東京海洋大学に置かれている明治丸は、実に1874年製、現在まで150年近く生きている。腐食問題を解決できれば、100年海上保管など、全然、大きな問題はない。
つまり、東電は、本気で事故を解決する気などサラサラなくて、紛争引き延ばし、時効成立による賠償拒否だけが目的になっている。
なぜ、こうなるかというと、実は、原発事故による放射能被害が本当に顕在化するのは、事故から10年以上かかるのだ。
乳癌・前立腺癌・膵臓癌はじめ、大半の被曝癌の潜伏期間が10年といわれている。
だから10年での時効賠償拒否を東電は最初から狙っていた。ADRによる紛争解決を拒否して長引かせ、訴訟に持ち込ませない手口も、潜伏期間を重々承知しての汚い思惑である。
私は、一昨日書いた以下のブログ記事、
目に留まったサイトから 「人に言われたことしかできない人間に……」 2020年12月10日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1337.html
のなかで指摘されている、放射線被曝による中枢神経損傷の事例を読んでいて、背筋が寒くなった。
すべての症状が私と一致しているのだ。私自身は放射線被曝ではなく老化現象と勘違いしていた。だが、この符合は、私自身が福島に8回訪れて汚染土壌を調査したことによる、「気づかない被曝」だったのだ。
危機感の大きな減退。
時刻感覚の減退。
食欲の増大。
ステップワイズな複雑な思考の回避。
味覚の変化。
感情の鈍化。
開放感(遊び)への欲求の増加。
転びやすい。
計画性の減少。
複雑な文の回避。
単純ミスの増加。
短期記憶力の減退。
長期記憶の取り出しの失敗。
甘えと自己主張の増加。
他人の感覚への共感の減退。
状況把握の鈍化。
滑舌がわるくなる。
何もかも当たっている。これは私のために書いたのだろうか? と思うほどだ。
【 脳への障害は、第一歩は、脳内で血管の多い体積あたりの血液量が多い部分が、血液からのβ線(セシウム・ストロンチウム)で機能低下が起きてきます。
神経線維の近傍で電離作用が起きれば、神経が偽信号を発生しますので、機能が低下するのです。Csは、神経にも取り込まれやすいですし。この最初の症状は、基本人格の増強です。尊大な人はより尊大になり、神経質な人は余計に神経質になります。
一方では、不安が減り、食欲が増進し、他人の感情への共感が減り、時刻感が失われてきます。合理的思考ができなくなります(もともと意識してそうしなければ大して合理的に推理などしてませんが)。それから記憶の長期化の阻害、一時健忘、速度感の喪失、一時的にボーとする。
粗暴化。性欲亢進。重要度による物の重み付けの欠如。頑固。ルーチンへのこだわり。高齢者では、認知症の悪化。足が攣りやすい。刺激時に体が硬くなって、骨折捻挫をしやすくなる。初期は、興奮しやすくなり、後に刺激に鈍感になる。精神疾患の増加。遊びたがる。などがおきます。】
フクイチ事故では、日本人の半数が被曝した疑いがあり、関東圏東北圏では、上に述べた症状が極めて重い人が無数にいて、(例えば飯塚上級国民)それは「認知症」であるかのように誤解されているが、実は違う! それは放射能被曝なのだ。
確かに、この数年、関東東北における認知症老人の事故が激増しているが、以前は、こんなにひどくなかった。
これらのエビデンスが明らかになったときは、東電は現在の数千倍の負債責任を背負い込むことになる。だから、なんとかして時効責任拒否に逃げ込みたいのだ。
あなたは、上の被曝中枢神経障害に当てはまらないか?
老化だとばかり思っていたら、そうではない、被曝だったのだと……。