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 因果応報の法則

2020年11月21日 | 未分類
 釈迦の8000にも上る経典の大半を占める論理は、「因果応報」の教えであるといわれる。

 行為によって世界はあり、行為によって人々はある。生存するものは行為に束縛される。ちょうど車が楔(くさび)に結びつけられるように。
(「スッタニパータ」第六五四偈)
http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-531.htm

 この意味するところは、人が誕生して、意識を有し、行動を起こす=行為……行いがその人にとっての世界を作り出し、行いが、その人を、その世界に縛り付ける。

 人生は、生まれてから死ぬまでの、すべての行為が完全無欠に、自分自身に還元される。
 これは徳を積んだから大金持ちになれるとか、悪事を行ったから地獄に行くとかの単純なものではない。
 徳を積む人は、心優しい人となり、周囲を笑顔で満たすことができ、結果、その人は生きているうちに天国の中で暮らすことになる。
 悪事を行って反省できない人は、自分自身を悪で満たし、周囲の人も悪で染め上げようとするから、人々は、その人を怖れるようになり、不幸の運命しか残されていない。

 「我思う……故に我あり」(デカルト=方法序説)
 唯物論の創始者ともいえるデカルト、「人は考える葦」と言ったパスカルも、思うことが、その人の宇宙の始まりであり、行うことが宇宙の創造である。というような思索を述べている。

 これもまた、思い、行うことで、その人にとっての宇宙が成立し、それが自分に還ってくることを指摘するものだ。
 因果応報という釈迦の言葉は、すべての存在、すべての宇宙は、人の思いからはじまり、人生も対象的世界も、自分の心が作り出す虚構のリアリティであることを意味している。

 簡単にいえば、我々は、他力によって成立し、他力に流されて生きていると思い込んでいる人が大半だが、実は、自力で存在を作り出し、自力で対象世界を変え、自分の人生を規定しているのだ。
 いいかえれば、世界は、その人の心が生み出した茶番世界である。自分が世界に流されて客体的に存在するのではない。自分の心が世界を主体的に生み出しているのだ。
 だから、自分の思いと行いは、完全無欠に自分の人生を規定し、すべて自分に還ってくる。これが因果応報の原理だ。なにもかも、自分が生み出し、自分に還ってくる。

 この世で侵した、どんな悪事も、自分の人生によって完全無欠に償わねばならない。この世で積んだ、どんな善事でも、必ず自分の人生を支えてくれる。

 【まだ悪の報いが熟しないあいだは、悪人でも幸運に遇うことがある。しかし悪の報いが熟したときには、悪人はわざわいに遇う。
まだ善の報いが熟しないあいだは、善人でもわざわいに遇うことがある。しかし善の果報が熟したときには、善人は幸福に遇う。

「その報いはわたしには来ないだろう」とおもって、悪を軽んずるな。水が一滴ずつ滴りおちるならば、水瓶でもみたされるのである。愚かな者は、水を少しずつでも集めるように悪を積むならば、やがてわざわいにみたされる。

「その報いはわたしには来ないであろう」とおもって、善を軽んずるな。水が一滴ずつ滴りおちるならば、水瓶でも満たされる。気をつけている人は、水を少しずつでも集めるように善を積むならば、やがて福徳にみたされる。】
(中村元訳『ブッダの真理のことば』)

 これは「カルマの論理」といいかえてもよいが、悪事を行ったからカルマによって罰せられるというような単純なものではない。
 カルマというのは、それを「悪事」と認識した瞬間に成立するものであり、それからの人生を束縛するものだ。死ぬまで悪事と理解できない人にとっては、カルマが成立せず、それを返すこともできないので、次に与えられた人生のなかで、自分が本当に気づくまで同じカルマを繰り返すことになる。

 例えば、泥棒や殺人を悪と思わないまま死んだ人は、次の人生でも、それを悪と理解できるまで、何度でも同じことを繰り返してゆく。
 例えば、池田小殺害事件の宅間守は、判決後、わずか1年で死刑執行されたことにより、悔悟するチャンスがなかった。

 死から数ヶ月もたたないうちに、中国などで池田小事件に極めて類似した事件が数件も繰り返された。
 これは、宅間の霊憑依とする霊能者もいる。私は、カルマを解消できなかった転生(憑依)により類似事件が繰り返されていると感じている。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%84%E5%B1%9E%E6%B1%A0%E7%94%B0%E5%B0%8F%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 この原理は、生きている人間のなかでも起きる。他人を悪意に満ちた誹謗中傷をするクセをつけた人物がいて、名誉毀損で送検されたり、損害賠償判決を受けたり、社会的制裁を受けながらも、極度に強い自尊心から一切反省せず、誹謗だけが生き甲斐であるかのような人生を送っている。

 彼には、もちろん気づくまでカルマが発生しないが、一生をかけても気づかないだろうと誰もが思う。とにかく、放火犯のように誹謗行為が人生の快感になってしまっているのだ。
 こんな場合は、どうなるかというと、次の人生は、とんでもない苛酷な一生を選ぶことになるだろう。

 ネット上、とりわけツイッターで、私に対する根拠のない誹謗を繰り返している者がいる。自民党青年部の方針で、原発反対派である我々に対して、人格毀損攻撃を行っているのだ。
 以下は、すでに8年間も連日連夜、私への誹謗中傷を行っている、名東区に住む岩田という医師のアカウントだ。
 https://twitter.com/tokaihomo
 https://twitter.com/otokomizoguti

 彼は、精神上の問題から、病院が対面診察部署を回避させ、暇な検査課にいて、暇つぶしに朝から晩まで上のツイートを更新し続けている。
 やめさせたいが、弁護士に70万円の費用を提示され、賠償金でも取り返せないので放置しているわけだが。賠償を受け取るよりも、桁違いに恐ろしい結末が待っているだろう。
 それが因果応報の原理であり、岩田は、私を誹謗するたびにカルマを積み重ね、自分の人生を崩壊させてゆく。彼は私を誹謗しているつもりで、実は自分を誹謗していることをまるで理解できないでいる。

 以下のアカウントも、自民党青年部の下請け出版社から数個のアカウントで続いている私への攻撃である。
 https://twitter.com/akima125x

 カネをもらって、反原発派への下劣な人格攻撃を繰り返しているのだが、例え、依頼されて出版社の副業としてやってはいても、誹謗アカウントの個人として、恐ろしいカルマを積み重ねていて、やがて、取り返しがつかないほど、自分の人生を汚してゆくのだ。
 彼(彼女?)が、どんな運命に至るのか? 追跡したいと思っている。なお、自民党と分かったのは、私のブログに、IPトラップを仕掛けておいたところに、嫌がらせを書き込んだことにより、アドレスを追跡して分かった。岩田も同じだ。

 どんなに、こそこそと身元を隠して誹謗中傷を繰り返しても、一種のクセになってしまい、ナガラで書き込むために、警戒心が緩み、IPトラップに簡単に引っかかるようになる。
 まあ、多くの身元を隠した犯罪者の正体がばれる理由は、ほとんどの場合、クセになって警戒心が緩み、身元をたどるボロを出すからだ。

 IP探索回避のために公開された架空プロキシを使ってみたところで、使えるのはせいぜい300程度、たくさんの人が虚偽プロキシを利用しているため、しょうちゅうバッティングが起きて、ついつい自分の本当のIPを使ってしまい、身元がばれるのだ。

 嫌がらせ目的の誹謗中傷を行う者は、掲示板に書き込みたくて仕方ないのだが、ほとんどの掲示板にはIPトラップを仕掛けることができる。長年、誹謗を繰り返していると、そんな簡単なことも忘れてしまう。

 岩田がツイッターに書き込むときは、IPの証拠を残さぬよう、自宅を避けて勤務先の病院のWi-Fiを利用しているのだが、それが足がついた原因だった。今は、便利なソフトがあって、Wi-Fiの同時受信をすることも可能なので、現場に行けば足跡をたどれる。

 まあ、たかが100万円程度の賠償を受けても、弁護士に大半をもっていかれるので訴訟を起こす価値がない。それよりも、私に対するたくさんの誹謗中傷が、本人に、どのようなカルマを蓄積するのかを確認した方が遙かにマシだ。
 病院側には、このことを伝えていて、上層部は知っている。どこをどう考えても、私への誹謗中傷は、不幸しか生まない。
 これが「因果応報」というものだ。