リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

リハビリテーションからリカバリーへ その9

2010年05月26日 | Weblog
そのころたまたま安曇病院から初期研修医が来ていて、一緒に当直をやったりした縁で安曇総合病院の精神科を知り安曇総合病院の精神科に移り研修をさせてもらうことになりました。

安曇病院精神科部門はさまざまな問題をかかえながらも、いろんな思いや技術を持った人があつまり、その上でチームとして医療をおこなっているのがいいなと思いました。

リカバリーと言う概念にであったのもこのころです。病気や障害がありながらも投げやりになるのではなく、それを含めて自分だといい意味で開き直っておもって生きていく。
リハビリテーションはリカバリーの手段だと知りました。

リカバリーを果たすためには、基本的には人薬、時薬しかなく、ピアとよばれる当事者同士の繋がりが一番効果的であること、そういったセルフヘルプグループやピアサポートを専門家として支援するというやり方がいいことを知りました。

今、自分は「よろず相談、かつ自分のもつリソースの全てを総動員、でも燃え尽きない。そしてなるべく当事者の自助の力を引き出す。セルフヘルプグループやピアサポートを専門家としてサポートする」というスタンスで診療をやっています。精神科医療における医師の役割は患者さんも、スタッフもそうですが黒子として目の前の人をいかに輝かせられるかが勝負です。そのための構造、環境調整がおもな仕事です。武器はネットワーク、チームワーク、フットワークです。

我以外皆師と思いながらやるのがいいみたいです。

一人で生きられないのも芸のうちという本がありますが、障がいをもちながら地域で堂々と行きていくということは、それだけ人の手助けをかりるということです。筋ジストロフィーを生き抜いた「こんな夜更けにバナナかよ」の鹿野はまさにそれを地でいっています。人の手助けをかりるということは、バラバラになってそれぞれが孤立した社会を紡ぐという力があることです。障がいがあるからこそ持ちうる視点といのがあります。

社会のバックエンドとなる医療の現場は、社会のニーズなどがその気になればもっともよく見える場所です。目の前の人に全力を尽くすことはもちろんですが、一方で社会へその見えたことを返していく運動的なものをあわせてやっていかないと精神的につづけられないと思います。
それは学会や論文などで専門家の間で共有することかもしれないし、社会にニーズがありながら地域にないものを作ることかもしれないし、声をあげて政策に反映していくことかもしれません。

自分は縁があって精神障害を中心とした世界に来ましたが保健所や、地域の作業所や学校などの教育機関、警察や救急隊、地域住民などいろんな人と協同します。家族の会を中心に立ち上げたNPOの手伝いをさせていただいき、やりがいと楽しさを感じています。

医師として、どんな対象の人たちと生きていくのか。がんの人たちなのか、○○病のひとなのか、○○村の人たちなのか、精神障がいをもつ人なのか・・・。社会のニーズと、自分のスキルと興味の重なるところ。つまりMustとWillとCanの3つの輪の重なるところ。

そして自分がどうしても譲れないところが自分のテーマです。

わからなければとりあえず手のつけられるところからやってみて・・・。疲れたときはときどき立ち止まりながら進路を変更しながら、自分のテーマをみつけ追求していきたいと思います。

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