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精神科医師のブログ。
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障害受容再考

2009年12月21日 | Weblog
「障害受容再考」(田島明子著、三輪書店)という本を読んでみた。

自分も中途の身体障害の方や高次脳機能障害の方が抑うつ的になったり、世の中に居場所を見つけられなかったり、あげく自殺企図されてしまったりという経験もあり、いまは精神科で見えない障害の評価や支援のあり方をもとめてさまよっている。

自分も治療者が障害の受容(死の受容もそうですね。)をせまるのは、治療者が専門性を盾にして逃げている態度、あるいは価値観を押し付け、コントロールしようとする態度であり違和感は感じていた。

本書は作業療法士である田島明子氏がこれまでの「障害受容」をめぐる言説をまとめ、また当事者や治療者からの聞き取りを行い、そして思索した集大成の本だ。
いろいろ考えるヒントがつまっていた。

「ケアやリハビリテーションはリカバリーの手段に過ぎない。」とは私もふだんから言っていることである。
キュアが不可能な障害に関しては、治療者や支援者は共感しようと努め、ケアを提供し、寄り添うことしか出来ず、セルフヘルプグループやピアカウンセリングを通じた当事者同士のかかわりや居場所の発見こそがリカバリー(障害を自分の一部として位置づけ前向きに生きていくこと。あきらめ、開き直り。)には有効な手段だろうと思っていたが、この本の中ではそう単純なものでもないと指摘している。

確かに他の当事者との出会いは救いにはなるかもしれないが、その人がそれまでに生きてきた物語(あるいは自己肯定の場、重要な他者との関係)がそう簡単に再構築できるはずもない。

「時薬」と「人薬」が効果をあらわすのには時間もかかる。

また、いったん肯定的な自己像が形成されても、過去のスティグマ経験を思い起こさせる環境や言動がトリガーとなり再燃する可能性があることを聞き取りの例から述べているが、これは精神障害でしばしば経験することだ。

そうなってみて初めて経験するさまざまな体験世界、思い描いていた将来とのギャップ。未知なる他者である疾病や障害、失われたものを自分の物語の中にどう位置づけ、物語を書き換えていくことができるか。

再生のエネルギーは「障害受容」が見捨ててきた、内在的な障害感、そして内在、外在の交通可能性の中にこそあるのではないかと著者は述べ、「障害との自由」という言葉がよいのではないかと主張している。
「できないこと」は否定的価値か?と問い、能力の回復・改善の軸をはずしたリハビリテーションの可能性について言及しセラピストとクライアントが身体世界を旅するというたとえが出てくる。

この世界の意味はすべて体を介して生まれてくる。
体を考えることは自分自身を考えること。

なるほど治療者は体とこころの通訳、そして旅の同行者ともいえるかと思った。


障害受容再考―「障害受容」から「障害との自由」へ
 田島 明子
 三輪書店

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