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精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

被災地支援。こころのケア。

2011年05月07日 | Weblog
県医師会報の原稿用で書いたものです。
ほぼ以前の投稿(約8000字のルポ)の短縮版です。

 安曇総合病院の「こころのケアチーム」は平成23年4月24日から27日まで津波の被害の大きかった宮城県石巻市に医療支援に行かせていただきました。これは厚生労働省と宮城県からの要請で行われたもので、長野県からは県内の精神科医療機関の多職種のチームがリレー方式で派遣されています。被災により障害された既存の精神医療システムの機能を支援し、一般住民のこころのケアをおこない、地域の保健医療福祉の従事者のメンタルヘルスに関わることを期待されていましたが、我々に一体どのようなことができるのだろうか不安をかかえながら被災地へ向かいました。

 地震と津波の直撃を受けた被災地の状況は想像を絶するものでした。被災からの復興は被災当初の救命救急、そして食料や水、衣服、暖などの生きていくための基本的なニーズに対応するフェイズ、それからライフラインの復旧にともない住居や仕事など生活を取り戻して行くフェイズ、そして大災害を自分の物語に位置づけ新たな生き方を模索してくフェイズへと刻々と変化してました。

 石巻市には全国から行政の支援、様々な作業員、医療者、ボランティアなど様々な支援者が集まっていました。震災から1ヶ月半。震災と津波で肉親や友人を失ったり、家もすべて流されたり方々が、直後の混乱から日常に戻されつつある時期で、すでに多くの医療チームが入り込み、現地の医療機関も徐々に診療機能を取り戻しつつありました。

 我々は現地の保健師のもとでの活動しましたが、実際の活動は「外来診療と訪問診療、保健相談」の要素を合わせたようなもので、それは確かに普段我々が日常やっていることの延長でもありました。保健師がリストアップ避難所や家にいる主に統合失調症の患者さんや気になる方を訪ねました。統合失調症の方は調子を崩すことなく普段とかわらぬ笑顔を見せてくださり避難所の中にそこだけ時間がとまった様な空気をつくっていました。
 そして医師、看護師、心理士、薬剤師、事務と多職種からなるチームで避難所をまわりながら、それぞれの視点でニーズを掘り出し、その場で出来る対応をしました。高血圧や不眠を中心に被災者の相談にのらせていただくことが中心でした。
 津波の被害の大きかった沿岸部には中規模の避難所がは高台の公共施設などに点在しておりコミュニティごとそのまま非難し自治がおこなわれていました。「ライフラインも復旧した市街地に移る準備はできているのだが、そこから自分だけ抜けていいのか。」というような悩みや、「障害をもつ家族ともに非難しているが、避難所の生活に適応できず本人も家族もストレスを抱えてどうすればいいのか。」という様な相談を受けました。仮設住宅の建設や今後の計画の策定は大幅に遅れているようでした。

 避難所の規模や様子は様々でした。大規模避難所では「病棟、特に精神科の病棟にに似ている。」と感じました。大規模避難所では突然の災害のような突然の不幸に襲われたものがあちこちから集まり時間と空間を共有していました。それぞれの人の抱える背景も様々でした。そして次に行くところが見つかった人から去っていっていました。若い方や障害者は2次避難先に移り、ぎりぎり自分で動ける程度の高齢者が多く取り残されているように感じました。

 避難者の集団は行政やボランティアのグループによってある程度管理され、生活は構造化されていました。外部からマッサージや炊き出し、医療、警官、慰問など様々な支援者が入れ替わり立ち替わりやってきていました。ボランティアと被災者が一緒に料理やレクリエーション、散歩をしていました。
 精神科の病棟同様、避難所は回復力のある場で家や家族を失った人にとって避難所にいるということが一つの癒しになっている可能性があると思いました。家族を失った方が「ボランティアさんたちが全国から来てくれているからいいが、知り合えたと思えば帰ってしまう・・これから先が心配。」などの声も聞きました。

 これから被災者は仮設住宅などで新しい生活が始まります。実際のところ、こころのケアはこれからが本番なのだと思います。大災害を自分の人生の物語になんとか位置づけることが出来てリカバリーを果たす人と、それが出来ずに鬱やPTSD、依存症などの状態になっていく人も出てくるでしょう。生き残った人も自分だけ助かったと言う罪の意識(サバイバーズギルド)にさいなまれます。腰を据えた息の長い取り組みが求められます。こころに対する薬は結局のところ「人薬」「時薬」しかありません。

 今回の震災と津波の被害は職住接近しコミュニティが残っていた東北の沿岸部でおこりました。「これが都会の日中の災害だったら、また、自分たちの地域ではどうだろう。これから出来ることはどんなことだろう?」と、それぞれに宿題をもらって帰ることになりました。

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