スーパーももちゃんはミスうちゅうかん

サザンファンの介護福祉士です。阪神の糸井選手と同じ誕生日なのでこのタイトルになりました。

母の大腸がんの話その5.退院から1年、今後どう生きるか。

2018年06月05日 21時31分06秒 | いつものお話

今日で母が退院して丸1年になります。

 

手術後は人工肛門をきちんとつける練習をしたりとその練習のヘルプで休みの中大学病院に行くこともありました。

 

父も私もストレスと疲れから体調を崩しました。

 

インフォームド・コンセントで退院予定は5月の終わりになっていたけど、6月5日の月曜日という切りのいい日になりました。

 

退院まえの面会の日は大学病院のレストランでハンバーグのランチを食べました。これは5年前に体調不良で大学病院で受診した時と同じメニュー。

 

退院の日は遅番勤務でした。

 

疲れて帰宅し、部屋に荷物を置いて食卓を見たら母が作ったおかずがずらり。

 

それも退院しした人が作ったとは思えないくらいおいしかったです。

 

でも、退院して3か月間は食事も制限されていました。月終わりからは抗がん剤が始まりました。

 

手術半年後に転移した肺と肝臓の手術をするかどうか決まるのでそれだけが不安でした。

 

抗がん剤治療も順調で、11月の検査で奇跡が起きました。

 

転移した肝臓のがんが消え、肺のがんが少し残るだけになりました。

 

桑田さんのナゴヤドームライブ前なので正直言って心配でしたが、安心してライブを見に行くことができました。

 

大変だったのは1月半ばに両親がインフルエンザに感染した時でした。私もその影響で体調を崩して自宅待機が3日の予定が6日間になり、職場に迷惑をかけた以上に月末の神戸大阪行きが延期になりました。

 

2月の終わりに国府宮神社のはだか祭でなおい布を買って母にプレゼントしました。

 

今日で退院して1年を迎えました。

 

昨年は手術以後名古屋以東の外出は出来ませんでしたが、今年は国府宮のはだか祭と神戸と大阪とマンモスフリマ&リニア鉄道館に行き、財布の中身が心配です。

 

あとサザンのライブもあります。

 

母に関しては今が元気でもいつ病気が急変するかというのと加齢の影響でストーマがつけられなくなるケースもあります。

 

10年前は仕事のことで精一杯でしたが、母のことと両親が今の家にきて15年になるので修繕のことを考えると不安です。

 

最後に両親がなくなっても自立できる生活にしていきたいと思います。

 

 

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