車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

飛鳥寺と入鹿の首塚 in 奈良県明日香村飛鳥

2023年04月30日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・奈良県

奈良県高市郡明日香村に門を構える真言宗豊山派寺院「鳥形山:法興寺」。別名「飛鳥寺(あすかでら)」『飛鳥大仏(釈迦如来)』を本尊とします。蘇我氏の氏寺として知られ、6世紀末から7世紀初頭にかけて造営された「日本最古の本格的寺院」としても有名です。

『書紀』によれば、『推古天皇』は、当時皇太子であった聖徳太子と、大臣であった蘇我馬子らに詔(みことのり)して、銅と繍(ぬいもの)の「丈六仏像各一躯」の造立を誓願し、『鞍作 止利(くらつくり の とり)』を造仏工としたと記されています。

本尊の「釈迦如来」は、高さ3m、当時銅15t、黄金30kgを用いて造られたとありますが、落雷による火災で大きく破損。創建当時のままなのは、頭部と右手指の一部のみ。

通称「飛鳥大仏」と呼び親しまれており、拝観者は飛鳥大仏に見守られながら、飛鳥寺の歴史、大仏建立から再建に至る諸々のお話を僧侶から伺います。同じ話を何百回、何千回と繰り返してこられたのでしょう。淀みなく時にユーモアさえも交えて話されるお話に、特にうなずいたり、時に驚いたり・・。

大仏様のお体がほぼ復元(でも重文指定)だからと言う理由からかもしれませんが、お話の後で大仏様と一緒に記念写真も撮らせて頂けます。これは本当に感激しました。普通は写真撮影さえ不許可なのに・・

飛鳥大仏の向って左には『阿弥陀如来像』。右側厨子の内には父・用明天皇の病気回復を祈願した姿を表したとされる「孝養太子像」

「飛鳥大仏」の膝前に奉祭されている美しいガラス張りの厨子には、世界最古の「仏舎利(お釈迦様の遺骨)」が安置されているそうです。まさか、自分のカメラに寺宝の数々を収められるなんて想像もしていなかった為、感動もひとしお。決して敬虔な仏教徒ではありませんが、そうした歴史に触れられるという事実の前には、どんな雑念も消え去るように思えます。

仏舎利が収められていたのは、創建当時に塔が建てられていたことを示す標柱の地下3m。塔の心礎部分に金・銀・めのうなどの宝物と一緒に仏舎利が納められていた旨が、現地案内に記されています。

飛鳥大仏を拝観させて頂いた後は、本堂に展示されている寺宝の数々を拝見する事ができます。庫裏の裏手の中庭には南北朝時代の飛鳥寺型燈籠や道標などが置かれ、いずれも非常に興味深く拝見させて頂きました。

推古朝の時代、国政の主導権を握っていたのは、崇仏派の『蘇我馬子』と、摂政となった『厩戸(うまやど)皇子(後の聖徳太子)』でした。そんな彼らの前に立ちはだかったのが、排仏派の『物部守屋』です。三度の戦いで三度とも敗北を喫した馬子軍は、守屋との戦勝を仏に祈願して寺社の建立を誓い、太子もまた四天王の像を刻んで祈願。四度目の丁未(ていび)の乱」によって、守屋の軍を河内で討ち果たします。この戦いの後、馬子によって建設されたのが「飛鳥寺」でした。

完成までに約21年を要したという大伽藍の痕跡は発掘調査などで証明されており、本堂を臨んで真っ直ぐに伸びた先にある二段の石積みは、飛鳥寺西門の跡といわれています。門跡だけでこれだけの規模の大伽藍・・想像の域をはるかに超えて、その姿を思い描く事が出来ません。

心地よい風に吹かれながら、西門跡から約100mほど西に行くと実りの田を背景にぽつんとたたずむ五輪塔「蘇我入鹿首塚」があります。聖徳太子亡き後、蘇我系の天皇を後ろ盾に栄華を誇った蘇我蝦夷・入鹿。しかしその栄華も長くは続きませんでした。飛鳥時代645年、入鹿は『中大兄皇子、中臣鎌足』らによる「乙巳(いっし)の変」で宮中にて暗殺。その時切り落とされた入鹿の首は、飛鳥板蓋宮から約600~650m離れたこの地まで飛んだと云い、死してもなお超人的な力を示した入鹿の祟りを祓うため、その地に首塚を建てた・・・と、古書は伝えます。

「甘樫丘」を臨む一画・・1300年以上もの歳月が流れすぎた今もなお、この地にあって首塚の主が見続けているものは・・・・。父蝦夷が完成させた「板蓋宮(いたぶきのみや)」。その宮殿の一間で、中大兄皇子らに向けられた刃の鈍い輝き・・・何故と問うた我に背を向けた皇極天皇。目を閉じれば、聞こえるものは入鹿の叫びを消し去る雨の音。

遥かな昔にとらわれそうな錯覚に思わずたじろぎ、そうして閉じた目を見開けば眼前に広がるのは間もなく実りを迎える稲穂の輝き。心地よく頬をなぶる秋の風。

境内の一画に建立されていた『山辺赤人』の長歌を刻んだ万葉歌碑。【みもろの 神奈備山に 五百枝さし しじに生ひたる つがの木の いや継ぎ継ぎに 玉葛 絶ゆることなく ありつつも 止まず通はむ 明日香の 古き都は 山高み 川とほしろし 春の日は 山し見が欲し 秋の夜は 川しさやけし 朝雲に 鶴は乱れ 夕霧に かはづは騒く 見るごとに 音のみし泣かゆ 古思へば】揮毫『佐佐木信綱(歌人、国文学者)』

御詠歌【うきことの 消ゆるもけふか 飛鳥寺  末やすかれと 祈る身なれば.】

参拝日:2006年10月9日

 


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2 コメント

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Unknown (まかろん)
2023-04-30 20:22:11
深い歴史の息吹・・
けどその「歴史」とは、血で血を争うものでもあるのですね。

どれだけ自分にその覚悟があるか、
いささか心もとなく思いながら本日の記事を読みました。

>目を閉じれば、聞こえるものは入鹿の叫びを消し去る雨の音。

この記述に、驚かされました。
今は穏やかであろうこの地を訪れて、
そこまで感じられる訪問者はきっとそんなにはいないと思います。

tibinekoさんは本当に、繊細な感性の方なのですね👏

崇仏派と廃仏派との抗争・・。
歴史を知っている我々には、物部氏は
時勢に逆らう愚か者と見えますが、

今の我々もさまざまな論点で対立し、争いあっています。

当時も、今の我々のように、
権力の椅子取りと、いくらかの愛国心で
それぞれの立場を主張しあっていたのだろうなと思いました。

いつになったら人類は、違う立場の者を
ぶちのめすことをやめるのでしょう。


繊細なtibinekoさんの感性に、
美しいものがたくさん映る日々であるよう、願います😊
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対立 (tibineko)
2023-04-30 21:43:28
人類がいる限り
対立は避けられないのかもしれませんね。
良くも悪くも・・・対立が無ければ
文明の発展も無かったかもしれない

それがどう生かされるかが
文明となるか汚点となるかの分かれ道なのかもしれませんね。

まかろんさんの優しい「お願い」は
いつも私を元気づけてくれます
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