名古屋市中村区岩塚町に鎮座される「七所社(しちしょしゃ)」御祭神は『日本武尊(やまとたけるのみこと)、須佐之男尊(すさのおのみこと)、宇賀御魂尊(うがのみたまのみこと)、天穂日尊(あめのほひのみこと)、天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)、宮簀媛命(みやずひめのみこと)、乎止与命(おとよのみこと)』。旧暦1月17日に行なわれる尾張三大奇祭の1つ「きねこさ祭り(名古屋市無形民俗文化財)」で知られます。
由緒「 尾張地名考に「岩塚村に延喜式の愛智郡御田神社、本国帳の従三位御田天神と あるは七社明神を言うなり」とあり、神社に祀られている神鏡に元慶八年(884) の銘があるところからこのころの創建と考えられる。尾張志に「熱田七社神を祀る故に社号を七社と言う」とある。天慶三年(940)平将門降伏祈願のために、熱田の宮の神々を勧請したと伝えられ、応永32年(1425) に足利尊氏の一族である岩塚城主吉田守重が社殿を修造した記録が残る。」
鳥居の先に、石造り連子窓型蕃塀
参道正面に「祭文殿」
祭文殿の後方、本殿向かって右手の玉垣の内に、日本武尊が腰をかけたと伝わる腰掛岩。案内に「景行天皇四十年~凱旋の時に大河の渡船を待つま、しばらくお腰を掛け給うた石なり」
「日本武尊腰掛岩」と「二宮金次郎像」(^^;)
腰かけ岩の後方に岩塚という地名の由来となった古塚。案内に「境内に縦横26尺の塚あり。 そこに縦4尺ばかりの岩立てり。不生石と称し故に村名を岩塚という」
また祭文殿と本殿の間に保存された「ナギの神木」は、「齢千年近く太さ三抱余りもあり、内側が朽ちて空洞となって中から竹が生えていたが、近年枯れてしまって今は幹を残すのみである。戦国時代木下藤吉郎は、このナギの木の中から生えていた竹をいただいて刀の目釘に使って武運に恵まれたと伝えられる。また大正琴の創始者森田伍郎氏もこの竹をいただいて琴を造って大成功をおさめた。」公式HPより
「ナギの神木」を見守るように社殿を守護される狛犬さん二対。何があったのか、手前の一対の上には石灯籠が・・・亀の上とか、笠の上に狛犬と言うのは見かけますが、狛犬の上に石灯籠と言うのは初見かも・・
境内向かって右手奥に鎮座される「式内社:御田(みた)神社」。御祭神は『豊宇気大神』。
由緒の中に「岩塚村に延喜式の愛智郡御田神社とある」と記載され、こちらが元宮的な位置づけなのか、その辺りの仔細は不明。
御田神社拝殿内に鎮まられる御本殿
「御田神社」の社殿前左右より神域を守護されるのは、名古屋市内ではあまりお目にかかりませんが、出雲丹後系の狛犬さん一対。久々にお会いすると新鮮です(笑)
境内末社「白山社、熊野社、石神社、若宮社、天神社、神明社」。かっては村内に別に社地を有し鎮座されていましたが、享保十九年(1734)に当社境内に遷座されました。祭文殿向かって左の末社:三社。
祭文殿向かって右の末社三社
末社前より三社の神域を守護されるのは、関西ではすっかりお馴染みの浪花タイプの狛犬さん一対。親しみを込めて「髭オヤジ」などとも呼ばれています(笑)
境内社
境内入り口近くに鎮座される境内社「上知我麻神社(かみちかまじんじゃ)」。他の同名神社では、御祭神は『乎止與命(おとよのみこと)』となっていますが、こちらではどうなんでしょう?
手水舎右手で参拝者を出迎えてくれる撫で牛さん。いつもは全体像ですが、天神社もお近くに無い事なので、癒し系のお顔をアップで(^^♪
撫で牛さんの視線の先、境内三つの岩塚の上に鎮座される境内末社「厳島神社(弁天様)」。御祭神は『市杵嶋姫命』。
神楽殿後方に、熱田神楽の正統を継承してきた「神楽師の碑」。厳島神社向かって右手に「七所社縁起碑」
戦慄記念碑
訪問日:2017年8月8日
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御神名一口メモ
『乎止与命(おとよのみこと)』、尾張の開拓神であった天火明命の子孫で古墳時代の豪族・尾張国造の一人。
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